第1章 世界の終りと始まり
「いや、絶対あいつは女じゃない」
「賭けるか。俺は、あいつ男だと思う」
「阿呆。それじゃ賭けに為んないだろうが」
ESSSの下部組織、E4。
公的機関でありながら、その存在を殆ど外部に知られることの無い特別組織。
ESSSとは別の高層ビル、49階部分がE4の根城。
E4室内では、チーフの五十嵐杏をネタに、IT担当の設楽快斗とITサブ担当の八朔聖都が、持ち込み禁止のスコッチを飲んでいた。
E4室内にいた他のメンバーは、設楽と八朔の会話についていく素振りを見せようとはしない。
狙撃担当の倖田祥之は自前のライフル、ヴィントレスのオーバーホールをしているし、西藤均はソファーベッドに丸くなりながら眠っていた。
そこに、これも自前で持ってきたAK-47を、西藤の頭に照準を合わせるかの如く、へらへらと笑う男がいた。1か月前にERTからスナイパーとしてE4に配属された紗輝斗真。
紗輝は、どちらかといえば、皆との接点は薄い。
一見だれたようなE4室内に、不破一翔と北斗弓弦を伴った五十嵐杏が姿を現した。
「誰が女じゃないって?」
黒い革のライダースジャケットに細身の革のパンツを穿いた杏。他のメンバーも制服などというものには縁がなく、自由な服装をしている。ただし、 このまま任務に出掛けても差し支えのないようなラフな格好。
杏は無表情のまま、腰に付けているCSAに手を掛ける。設楽と八朔は、口角を上げて二人とも作り笑いを浮かべた。
もっともらしく、設楽が真面目な表情で応酬する。
「何のことです?」
杏は、なおも拳銃に手を宛がったまま、微動だにしない。
「お前たちの減らず口が聞こえた気がしてな」
すると設楽が左手を口元に当てて、くすくすと笑いだした。
「チーフ。空耳でしょう」
設楽も八朔も、IT担当として警察に勤めているだけなので、心臓までをも義体化したマイクロヒューマノイドではないが、スポットブースターを経由して、脳を電脳化している。
対して、杏と不破は全身を義体化したマイクロヒューマノイド。
力の差は歴然としているから、設楽たちは力に任せた取っ組み合いは避けていた。
北斗は、囮専門に相手方の懐に飛び込むため、全身が生身だ。
皆が結婚という墓場に足を突っ込んでいるかといえば、それは首を横に振らねばなるまい。
現代において、人間が生物の一端として子孫を繁栄させたいと思う心は、電脳化している限り、極力発信されないようプログラミングされている。
一般市民のように、身体も脳も電脳化していない場合のみ、女性の妊娠は為しえることだった。
ESSSが所在する伊達市でも、女性だけが妊娠し出産するまでの1年近くもの間、満足に動けない状況を作るのは不公平だと、女性たちが市役所前でデモ行進を行っていた。
E4ではビルの地下に射撃練習場などもあるため、真面目なメンバーがそのデモを聞くことは殆どなかったが。聞いたとしても、チーフの五十嵐杏は、その声に耳を傾けたりしないだろうとメンバーは知っていた。
女性への蔑視や不公平感など、今の杏には、さして重要ではない。
杏にとって重要なのは、如何にして与えられたミッションをクリアするか、ただ、それだけだから。
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杏は小さな頃の思い出がない。
なぜかといえば、杏は、医学研究の為に作られた試用体だった。5歳児として全身義体化された。オペに伴う脳がどこから調達されたのかさえ、杏は知らない。
その全容を知っているのは、E4室長である剛田勝利だけ。剛田は、5年間研究材料として使われ10歳の時に試用体としてのお役を放免となった杏を、引き取り育てていた。
しかし剛田は、試用体として作製されたことを杏には知らせていなかった。
研究材料として自分の身体が使われていることは杏も知っていた。だから極秘というわけではなかったが、話すタイミングが遅れて、現在に至る。
今、そのことを全て知るメンバーはいない。
大凡を知っているのは、昔から仲間を組んでいる不破くらいのものだ。
不破の場合、11歳で交通事故に遭い、両親を亡くした。自分も、唯一傷を受けず残ったのが脳だけだったために、仕方なくマイクロヒューマノイドになった。そして研究所で二人は出逢った。
2人は経緯こそ違いはあれど、人口に対する割合でいえば圧倒的に少ないマイクロヒューマノイドという形体を、ある種ではあるが、重荷に感じていたのである。
杏や不破のようなマイクロヒューマノイドの場合、身体全体のオーバーホールを6ケ月毎に行っていた。杏は5歳児の試用体として作られたため、脳の部分がどのように成長するのかは未知の領域だったが、脳はオーバーホールの対象外とされていた。それは剛田の心配の種でもあった。
剛田は敢えて心配する素振りを見せなかったが、脳はオーバーホールが利かない。脳研究の技術者たちは、杏の脳が驚異的な進化を遂げているとして驚嘆していた。
一般人の場合、使用されている脳の機能は、3分の1程度だという。杏の場合は、そんな経緯も手伝って、使用されていない3分の2を解放しながら、電脳化することで最適化し使っているのだった。
翌晩もまた、オーバーホールが待っている。
剛田が杏を引き取る際に教えてくれた「魂は肉体に宿り、生命の源として心の働きを司るのに対し、意識は毅然とした自律的な心の働きである」
その言葉が、杏の心の中で木霊する。
肉体をもった人の魂は、その肉体にあり続けるうちは本能的に生きるのに対し、意識は、ある種凝り固められたパッシブな生き方であり、必ずしも肉体を伴わない。
というのが、杏が導き出した答えだった。
肉体に宿る自分の魂を失うような気がして、杏はオーバーホールが好きではなかった。杏は、知らず知らずのうちに、深く溜息を吐いていたらしい。
その時だった。落ち着いた感じのする香りと、男性の声が聞こえてきた。
「五十嵐。珍しいな、溜息か」
杏は溜息を吐いたことも忘れ、声のする方向を見た。
「あら、剛田室長」
剛田室長は、背が高く痩せ細った人物と一緒だった。剛田でさえ175cmの身長であるから、この客人は190cm近い身長であろう。細い眼は、シャープというよりも釣り上がった感じで、お世辞にも美男子ではなく、また愛想の良い顔つきでもない。
いつもなら右手の人指し指を相手に向け相手の素性を聞くところだが、剛田室長の声色からして、この客はお偉いさんだと杏は当たりをつける。
「みんな、立って」
しぶしぶと室内の男性陣が立ちあがる。奥のIT室にいた設楽と八朔も出てくる。
剛田室長と並んで立っていた、先程の痩せた人物が一歩前に出た。
「私は、日本自治国警察府監理官の西條来未だ。これから私が君たちの間接的な上司となる。剛田室長に連絡のとれない案件は、私に報告するように」
剛田室長をはじめ、皆が右手を目の高さにあげて敬礼する。
西條は少しだけ頷くと、踵を返し、剛田室長を従えて自動扉の向こうに姿を消した。
(赴任の挨拶か)
杏が心の中で一息ついた。
緊張感もどこへやら、西條監理官と剛田室長がいなくなった瞬間から、また、元いた場所で何やら蠢く烏合の衆。
設楽は滑舌が良い。噂話も大好きだ。
「お偉いさんねえ、何を今更」
ERTからやってきた紗輝も、その噂は聞き及んでいるらしい。
「監理官殿か。今度はどのくらい持つのかね」
噂。
日本自治国警察府監理官。
警察府は本来、自治国内閣府のある金沢市に本拠地を置いているが、ESSSとWSSSの内部抗争に頭を痛め、監理官をESSSとWSSSに派遣している。監理官は内部抗争を止めさせるために派遣されるのだが、全くもってその責務を果たさない。
自分が育った警察府に肩入れする者が殆どで、そのため内部抗争は激化の一途を辿っている。
というわけで、今回の監理官殿は公平にESSSとWSSSを纏めきれるのか、それが部下たちの噂になるという、如何ともし難い状況なのである。
メンバーの先頭に立ち、一言も発しないで上司2人を見送った杏が、不意に後ろを向いた。
「設楽、八朔」
「はい」
「お前たち、酒臭いぞ」
途端に、設楽は左手で口を押え、右手で何かを探している。
一方の八朔は、右手で上着のポケットからマウススプレーを取り出すと、シュッ、シュッと2回口内に振りかけ、そのまま右手の人差し指と親指でそっとマウススプレーを挟み持ち、設楽の顔面に差し出す。設楽は息をしないようにしながら、自分の右手でマウススプレーを八朔から奪取した。
設楽がやっと口を開いた。
「ばれましたかね」
杏は二人の前に移動して、酒臭さを確認した。
「何が」
「さっきの監理官ですよ」
「さあな」
紗輝がゲラゲラと笑い出した。
「勘づけばビンタくらいとんだかも」
八朔は、紗輝が赴任して以来あまり親しく言葉を交わしていない。八朔が内弁慶なのもあるが、紗輝は失礼な言動も多かった。今回も、八朔は紗輝の方を見向きもせず、自分の持ち場でもある機器室の方へスタスタと歩いて行った。
設楽が紗輝を右手で指差して、くるくると回す。
「あーあ、八朔、怒っちゃったよ」
他のメンバーは、紗輝が赴任したばかりということもあり、掛ける言葉を選んでいるようだった。
そんな中でも、杏の一言は厳しい。
「隠れて酒を飲む小賢しい奴が、何を言われて怒る。皆、自分の持ち場に戻れ」
その言葉に、メンバーは皆、首を竦めて歩き出した。杏の見えない場所まで行くと、設楽は舌打ちをして悔しがった。八朔はやっと怒りを収めたようで、机に脚を乗せ、椅子に踏ん反り返っていた。
機器室にいる八朔と設楽は、特段の命令が無いのをいいことに、ゲームに興じ始めた。
自分たちの耳たぶ部分にあるアクセサリーを強く押し込むと、アクセサリーから電脳線が出てきた。線をゴーグルにつなぎ、VR(仮想世界)に飛ぶとゲーム画面が浮かぶ仕組みだ。VRでどんな世界に飛べるのか。
そこに浮かぶのは、20世紀の穏やかな地球だった。
今の日本では、一般市民は通常1か所も電脳化していないが、先の内閣府は、彼等への電脳化を進めようと画策していた。
電脳化すれば、その脳内を、ある程度把握できるようになる。脳内を把握することによって、異分子を炙り出すことこそが、前内閣府長官である安室玲人の腹積もりであった。
現内閣府長官の壬生雅東も、同じ路線を継承していた。安室と壬生は、現自治国政府のトップである、時の総理大臣、春日井理に勝る権力をその手に握っていた。
無論、一般市民の電脳化は、一朝一夕に進められる計画ではない。
現在、電脳化は、国家公務員と地方公務員、並びに、それに準じた職業にしか適用されていない。
警察関係者は言わずもがな、学校の教師ですら公務員というだけで電脳化している。電脳化することで、モンスターペアレンツに対抗できるのかどうかはわからないが、暴力に走りそうな生徒を見極めることには役立っているのだという。
現代において、脳を電脳化した場合の多くは、非子孫繁栄プログラムと言われる人間の本能を圧抑するようプログラミングされているが、一方で、そのプログラムをそのまま一般市民に適用させれば、必然的に少子化に拍車が掛かる。少子化問題をクリアしつつ電脳化を推進するためには、電脳化と非子孫繁栄プログラムを分けて試用させる必要があった。
その試用体として、内閣府付属の研究機関では、秘密裏に杏のような試験管ベイビーを誕生させるとともに、刑務所に服役する軽事例犯、例えば、窃盗や売春、買春などの罪に問われた、サイコパス的要素を持ち得ない人間たちをモルモットとして選定していたのである。
その計画については、内閣府の上層部及び研究機関の職員のみぞ知り得る、第1級の機密事項だった。
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E4では、パワーアニマルと呼ばれる動物形体の試用機を、ミッションクリア用の補助として与えられていた。
E4には二種類のパワーアニマルが配属されている。
てんとう虫の形をした「レディバグ」が5機、カブトムシの形をした「レディビートル」が5機。バグは主に守備補助、ビートルは攻撃補助を担う。
試用機たちは、正確にはオリジナルビーストリィと呼ばれ、内閣府の研究機関から借り受けている。この研究も、猿の脳を機械に嵌めこんで電脳化しているという噂もあるくらいで、アニマルたちは人間が教えないにも関わらず、人間たちの言葉を習得している。体色変化を得意とし、電脳化することで背景の色に溶け込むため、その姿を見つけるのが難しい其の体は、戦闘モードに入ると同時に、周囲の色と同化する。
まるでカメレオンのような形体になるため、通称「カメレオン部隊」と呼ばれるくらいだ。
北斗は、囮捜査のない日、カメレオン部隊の遊び相手と称するテストを繰り返しながら、設楽と八朔がチューンナップを担当していた。
設楽がテストケースのサンプルをデータベースに入力する。八朔が、地下一階の機器室から、地下二階のテスト室にマイクを使って呼びかける。
「おい北斗、バグの3号機、オイル注しててくれよ。羽根部分から異音がする」
「了解」
北斗は、自分たちの寝床目掛けて一斉に入ろうとするレディバグの所に走っていく。
「バグ!オイルオイル」
すると、レディバグの5機が一斉に北斗の方に向き直った。1機のバグが器用に足を前後左右に動かし、北斗の前にやってきた。それにつられて、残りの4機も動き出す。
「ホクト、ナニ?」
その一言を皮切りに、全機のバグが騒ぎ出した。
「ホクトハ、ヒマナンダネ」
「デモソノブン、コワイシゴトナンダヨネ」
「ボクラハオウエンデキナイデショウ」
「ソウダ!ホクト!キエルマホウヲカケレバイインジャナイ?」
「ボクタチハ、シュウイノイロニドウカスルヨ」
「ソレナラ、ホクトノヤクニタツカモシレナイヨ」
北斗は普段、笑わない。囮捜査をするときは笑顔を見せないようにしているので、その延長線上で、人間を前にすると身体や表情が慣れてしまっている。
だが、バグやビートルと遊んでいる時の北斗は、いつも笑顔だ。
「ほら、3号機、前に出ろ」
「ハーイ」
3号機が一歩前に出た。その羽根部分にオイルを注すと、それまでミシミシと聞こえていた羽根部分の音が止んだ。
「ホクト、アリガトウ」
「どういたしまして」
「ジャアネ、オヤスミ、ホクト」
「お休み」
「オヤスミー」
バグたちがまた、寝床目掛けて一斉に動き出す。さながら、まるで椅子取りゲームだ。
10機は一つの部屋にギュウギュウ詰めになりながら、椅子取りゲームを楽しむかのように部屋の奥を目指し入り込もうとしている。
部屋に入ったことを確認し、設楽がカメレオン部隊の電脳化を解き放った。
バグやビートルたちは、つかの間の休息に入った。