恋人を奪われた男スライム,奪った親友スライムをボコしに行く
詰んだな。
俺達が全員同じ色してたことを思い出したわ。
俺達スライムは声を聞く以外に,互いに触れ合う事である程度の違いは分かる。
でも流石にそれだけじゃ,エリー達が何処に行ったのか分からないぞ。
それにしても,このスライムの聖地,ミドル湿地帯から逃げるなんて普通じゃあり得ないことだけど,それだけあの二人は愛し合っていた,ということなのか?
聖地を捨てる程に?
何だそれ。
水飛沫上げるぞ?
「マジで何か知らないんですか!?」
「少し落ち着けって,まだそうと決まったわけじゃないだろう?」
「ジャンと一緒に何処かへ行ったのは,確かなんです! お願いしますよ! どんな些細なことでも良いから,知っていることがあれば教えてください!」
「いや,俺も知らんしなぁ。それに,あの子もついこの間まで,お前への……」
やばい,頭乾いてきた。
水分不足かもしれん。
エリーと過ごしてきた思い出が,どんどん遠くなっていく気がするぜ。
「一体何が……何がいけなかったんだ……? 昨日一緒に水遊びしたのがダメだったのか……?」
「タイムリーだなぁ」
「それとも弾力か? やっぱり,日頃から鍛えているジャンの硬さの方が,俺よりも好みだったのか?」
「ま,少し落ち着こうな」
「おっさんは他人事すぎんすよ。彼女が奪われて,落ち着けるかって話っす」
「その前にアンタが体調崩しちゃいかんでしょう。とりあえず,水浴びるか?」
「一番新鮮な水を頼む」
その瞬間,スッと俺の前に瓶詰めの水が手渡される。
相変わらず用意だけは良いな,このおっさん。
日頃から奥さんに尻に敷かれているだけのことはあるな。
柔軟さが違う。
とはいえ有難い。
冷たい水を全身に巡らせ,落ち着きを取り戻す。
随分補給が出来たお蔭で,少しだけ頭が冴えてきたみたいだ。
すると俺の嘆きを聞いてか,遠くから知り合いの少女スライムがゆっくりと近寄ってきた。
「エリーのこと,知りたいんですか?」
「知っているのか!? ……ええと,ローラだっけ?」
「ひ,酷いです~。正解ですけど,顔くらい覚えてください~」
「いやぁ。俺達スライムだし,違いが分かんないよ」
「ほおら,違うでしょ? ここのツヤ具合が」
「そ,そう言われても……なぁ,おっさん?」
「……こういう時は,女を立てるものだ」
「いきなり真剣にならんでいいんで」
プルプル震えるおっさんを置いて,俺はローラに事情を聞くことにする。
「最近なんですけど,エリーが聖湖に行きたいって言ってたんです」
「聖湖……って,滅茶苦茶高い所にある湖畔のことだよな?」
聖湖とは,このミドル湿地帯に面する山の頂上,上流へと登った先にある静かな湖だ。
道のりは非常に険しく,何十という滝を這い上がる必要がある。
スライムだけではなく,他の生物にとっても,そう簡単に行けるところじゃない。
「何でも,カインさんには内緒で行きたいって聞いてたので」
「マジかよ……」
「秘密って言われてたんですけど……今にも蒸発しそうなカインさんを見ていたら,居ても立っても……」
「いや,ありがとう。これで決心がついた」
俺は湿地帯を見下ろすように聳え立つ岩肌の山を見上げる。
エリーが何を思って,聖湖に行こうとしたのかは分からない。
でもそれを黙ってみている程,俺はヤワじゃない。
それに何も言わなかったジョンは,一度ボコさないと気が済まないしな。
「俺は聖湖に行く! そこで,エリー達の本心を聞きに行ってやる!」
「一人で行くんですか?」
「勿論。俺のエゴに付き合わせるつもりはないからな。ローラは,もしエリー達が戻ってきたら引き留めておいてくれ」
「わ,分かりました」
「おっさん,登山用の水が欲しい。頼めるか?」
「任せろ。この湿地帯で今まで溜め込んだ貯蔵が,水飛沫を上げるぜ」
俺の無茶な申し出を快く引き受けてくれる二人。
こんな哀れな俺に手を貸してくれるなんて,本当に頭が上がらないな。
ありがとな,ローラ。
俺がいない間,留守番は任せるよ。
ありがとな,おっさん。
名前知らないけど,この恩は一生忘れないぜ。
●
ヤバいわ,これ。
登山がこんなに辛いとは思わなかった。
元々あまり身体を動かす方じゃないから,加減を知るべきだったな。
滝の水を浴びながら,俺は過剰に纏わりついた水を振るい飛ばした。
俺達スライムは,基本的に水があれば活動できる。
どれだけ萎れても,完全に蒸発しない限り,水を与えられれば復活する。
だから川や滝の中を進んでいけば,どうにかなると思ってた。
だが,現実はそこまで生温くない。
滝を超える度に,俺は自然の荒波に体力を持っていかれた。
水があるからといって,力まで元に戻る訳じゃない。
その辺りを,俺は完全にはき違えていた。
苔の生えた岩肌は滑るし,強い水の流れには押し戻されるし。
怒りや焦りに身を任せて飛び出した俺に責任はあるのだが,あまりの情けなさに分裂しそうだ。
それでも俺は執念に近い思いで,どうにか最後の滝を上り詰める。
ぐったりとした俺の視界に飛び込んできたのは,緑生い茂る中心に広がる静かな湖畔。
言わずと知れた聖湖だった。
「ここが,アイツらの聖地か」
聖湖の水は俺にとって非常に魅力的なものなのだが,今はそれ所じゃない。
この湖の何処かに,エリー達がいる筈だ。
必ず見つけ出して,真相を解明してやる。
そう思った矢先,俺は湖の奥で異様な気配を感じた。
スライムとは違う,大きな足音や引き摺る音が聞こえてくる。
他にも誰かがいるのか?
地べたを這いながら慎重に進んでみると,大きな影が動くのが見えた。
「よし,これだけ取れれば大丈夫だろう」
「いやぁ,大量ですねぇ」
この体格,この衣装。
あいつら,人間じゃないか。
しかも人数は合わせて四人。
冒険者か何かみたいだけど,こんな場所まで一体何をしに来たっていうんだ。
「聖湖の水は,裏で高く売れる。これだけ集めれば,暫くは遊び放題さ」
「やりましたね!」
「慌てるなよ。家に帰るまで,勝負は終わっちゃいねぇ。慎重に運ぶんだ」
人間達の傍には,透明な瓶が大量に置かれている。
成程な。
聖湖の水を取って,換金しようって腹か。
けど人間達の中では,聖湖での採集は禁止されていたよな。
となるとコイツら,所謂密猟者ってやつか。
ご苦労なことだ。
俺と違って,自分の得になることを求めてここまで来たわけか。
全く,何処か満ち足りた顔をしているコイツらを見ていると,無性に腹が立ってくるぜ。
とはいっても,平凡スライムの俺が歯向かった所で勝てる相手じゃない。
とにかく近づかないよう,少しずつ下がることにしよう。
なのだが,丁度人間達が汲み上げた最後の瓶の中を見て,俺の身体が固まる。
「んん!?」
瓶には見覚えのある姿があった。
聖水に同化して良くは見えないが,あの形状は間違いない。
エリー,そしてジャンが栓をされた瓶の中で縮こまっていた。
あいつら,まさか人間に捕まったのか!?
いや,人間達が気付いていない所を見ると,偶然紛れ込んだ感じか?
だとしても笑えねぇよ!
あのままじゃあ,裏スライムルートにみたいに出荷されちまう!
思わずプルンと,俺の身体が動いた。
脳裏に浮かぶのは,エリー達と過ごした日々の記憶。
寝取られでも何でも,今は関係ない。
アイツらとは,小さい頃からずっと一緒だったんだ。
ここで見捨てるなんて,出来る筈がないのさ。
俺は身体を反転させ,水を纏いながら突進する。
エリー達が俺の存在に気付き,思わずといった様子で瓶の壁に貼り付く。
待ってろ!
今,そこから助けてやる!
この俺の思い,傲慢な人間達に見せてやるぜ!
「何だこのスライム」
「追い払っとけ」
まぁ,無理な話なんだけどな。
人間の足に張り付いた俺を,奴らはいとも簡単に弾き飛ばす。
まるで小石を湖に投げるような感じだ。
投げ込まれた俺は,ポチャンと音を立てて聖湖の中へ沈んでいく。
上がっていく水泡を見上げ,俺の身体にさざ波が立つ。
ちくしょう。
あと少しで届くっていうのに,このまま何も出来ずに終わるのか。
いや,諦めるんじゃねぇぞ。
ここで粘りを止めたら,それこそスライムの風上にも置けないだろうが。
再度浮上しようと,俺は全身を震わせる。
だがその直後に俺の背後,湖の底から何かがせり上がって来る。
水底が迫ってくるような感覚に襲われて,思わず下を見る。
すると闇に紛れて,黄色に光る二つの目が俺を見透かした。
「ぶぶぅ!?」
それは人間を軽く超えるサイズはある,巨大なウツボのような生物だった。
つぶらな瞳に反して鋭い牙が何本もついている。
こんな生き物が聖湖に住んでいるなんて,聞いたことがない。
噴出した俺に向かって,ヤツは大きな口を開けて迫って来る。
オイオイオイ,死ぬわ俺。
ウツボが水を吸い込み始め,俺はそれに流されていく。
元々体力が残り少なかった状況,抗えるはずもない。
口に入る直前,どうにか俺は,ウツボの歯に挟まっていた小石に吸着する。
だが所詮は詰まりもの。
間を置かず,小石ごと歯から外れた俺は,そのままウツボの口内へ呑まれていった。
かに思えた。
真っ暗闇の中,身体が分裂する衝撃や消化される感覚もない。
一体どうなったんだ?
即死して天国にいるのか?
そう思う俺にウツボは答えを示した。
周りにあった大量の水が凝縮される。
それはまるで,溜め込んだものを一気に放出するような感覚。
まさか,と思う間もない。
俺は水の塊と共に,地上に向けて射出された。
「ほげえええ!?」
ウツボが吐き出した大量の水が,人間達を襲う。
しかし直撃しないようにわざと狙いを外したらしく,通り抜けた衝撃だけで奴らを惑わせる。
俺の身体も上手いこと例の瓶にぶち当たり,彼方に吹き飛ばされることはなかった。
ひでぇことをしやがるが,単純な物理攻撃なら,スライム的にはある程度は耐えられる。
平べったくなった身体を元に戻していると,瓶の栓が衝撃で抜かれ,そこからエリー達が抜け出していくのが見えた。
「な,何が起きたんだ!?」
「み,見ろ! 湖に何かがいるぞ!」
「まさか,この湖のヌシか!? そんなヤツがいるなんて……!」
湖から顔を出したウツボ野郎が,水浸しの人間達を見下ろしていた。
流石に,連中もコイツのことまでは知らなかったみたいだな。
何でも丸呑みできそうな大きな口を開けて,ヤツが人間を威嚇する。
「にっ,逃げろおおおおっ!」
その気迫は巨竜にも迫る。
どう見ても勝てる相手じゃないな。
聖湖のヌシを怒らせてしまったこともあって,人間達は命の危険を感じ,脱兎のごとく逃げていく。
せめてものお詫びなのか,採取していた聖水も放り出していく。
まぁ,これで奴らも少しは懲りただろう。
このヌシとやらも,背を向けて走っていく人間を追うつもりはないみたいだ。
一件落着かと思い,俺が身体の力を抜いていると,駆け寄って来るアイツらの姿が見える。
それは懐かしくも感じる恋人のエリーと,親友のジャン。
見た感じ,二人共に怪我はないみたいだ。
世話の掛かる奴らだが,何事もなくて良かったぜ。
代わりに何故かやたら驚いた様子で,二人は俺の所まで辿り着く。
「カイン……お前,どうしてここに……!」
「どうしては俺の台詞だ。エリーと一緒に逃避行してこのザマなんて,情けなくて萎れそうだ」
「と,逃避行?」
「とぼけるなよ? ネタは上がってるんだ」
一瞬気が緩んでしまったが,ここは憮然とした態度で臨む。
例え相手が親友でも,下手に出れば舐められたままだ。
コイツの本心を聞くためにも,俺は真っ向から立ち向かう。
だが,そんな雰囲気を悟ったエリーが慌てて仲裁に入る。
「待ってカイン! これは全部私のせいなの!」
「エ,エリー? どういうことだ?」
「全部話すわ。だからその前に言わせて。私達を助けてくれて,本当に,本当にありがとう」
正直何もしてないんだが。
でも悪い気はしないし,俺のお蔭ということにしておく。
ついでにその事情とやらも聞くことにする。
「話を聞こう(寛大な心)」
「私,あなたにプレゼントを渡したかったのよ。何を渡せば一番喜んでくれるか,色々と考えてて」
「プレゼント? 何でまたそんな……」
「だって,もうすぐカインの誕生日だから」
誕生日?
そういえば,もうそんな時期だったか。
言われるまで全然気付かなかったぜ。
じゃあ,エリーは俺への誕生日プレゼントをずっと考えてくれていたのか。
「カイン,ちょっと前に言ってたよね? 出来るなら,あの聖湖で精一杯水浴びがしたいって」
「確かにそんなことも言ったけど……」
まぁ水浴び好きな俺としては,そんなことが出来れば,さぞ気持ちいいだろうなとは思っていた。
別にそこまで強く願ったつもりはなかったし,世間話ついでのネタみたいなもんだ。
でも,待てよ。
じゃあ,エリー達が此処にいる理由っていうのは。
「まさかお前達……聖水を持ち帰って俺にプレゼントするために,ここまで来たってのか?」
「うん……。本当は内緒にして驚かせたくて……。だから,湖の行き方を知っているジャンに手伝ってもらったの」
「危険だから一人で行くって言ったんだけど,エリーは自分で取りに行ったものを直接渡したいって言ったんだ。だから一緒に行くことにしたんだよ」
「じゃあ,お前達はデキてる訳じゃないのか? 逃避行をしてた訳でも?」
「ど,どういうこと……?」
呆然とする俺は,今までの経緯を話していく。
すると二人は水鉄砲を食らったように,プルプルと身体を揺らした。
「それは誤解だ,カイン。俺達はそんな関係じゃない」
「ごめんなさい……。私,あなたがそんなに傷ついていたなんて,考えもしなかったわ……。ただ,喜んで欲しかっただけなのに……」
「俺も同じだ。思い返せば,確かに誤解を受けても仕方なかった。しかも,人間に捕まってしまうなんて……スライムの風上にも置けない。カイン,俺を殴ってくれ」
「いや……俺だって早とちりしたしな……悪かったよ……」
頭を下げる二人に対して,申し訳なくなった俺も視線を逸らす。
じゃあ何か。
結局,エリーとジャンの間には何もなくて,俺の誕生日プレゼントのために協力してただけってことかよ。
今回の件は,全部俺の勘違いと暴走が招いたことだったのか。
こんなの情けなさ過ぎるぜ。
だったら俺は家で帰りを待ってたってのに。
いや,でも俺が来なかったら,エリー達は人間に出荷されていたかもしれないな。
もう心境が複雑すぎて,どう答えればいいのか分かんねぇわ。
本当はジャンをボコりに来たのだが,そんな気も失せてしまった。
オチが無くなりかけた頃,俺達の傍まで大きな影が近づいて来る。
それは湖のヌシ,巨大ウツボだった。
まさか,聖水を狙ったエリー達を人間と同様に襲うつもりか?
焦った俺はウツボと相対する。
「こら,ウツボヌシ! 言っとくが,エリー達に手を出すなら俺が許さ……!」
するとウツボは口に咥えていたものを俺達の前にゆっくりと置く。
それは人間達が置いていった中でも一際小さい瓶だった。
中には湖の水が満杯に入っている。
一瞬意味が分からなかったが,その意図を口に出してみる。
「これを,俺達にくれるのか?」
ウツボは一回頷いた後,歯の一部を見せた。
そこは俺がしがみ付いて,結果的に取れた小石が挟まっていた部分だ。
お前,歯に詰まっていた石が取れたお礼に,聖水を分けてくれるのか。
何だよ,気前がいいじゃないか。
クソ長い身体なだけに,伸び伸びと育ったらしいな。
「ありがとう」
そう言うと,ヌシは背を向けて湖の奥深くへと潜っていった。
色々言いたいことはあったが,悪い奴じゃなかったな。
邪険にして悪かったよ。
お前の名前知らんけど,縁があったらまた会おうぜ。
「カイン……私……」
「もういいって。これはもう,お互い様だ。エリーは俺のために頑張ってくれた。それが分かっただけで,十分だ。さ,一緒に帰ろうぜ」
「うん……。ありがとう,カイン」
「しかし,お前たちがいなくなったときは,どうなるかと思ったな」
「安心してくれ。俺はどちらかと言うと,身体の固い男スライムの方が好きだからな」
ジャン,お前ホモだったのかよ。
最後になって,そんなCOいらんかったわ。
まぁ,いいか。
俺達の頑張りは無駄にはならなかった。
少し早いが,誕生日プレゼントももらったしな。
有効に使わせてもらうぜ。
傾き始めた日の光が,俺達を照らす。
今日はやたら晴れやかで,潤いのある日だったな。
でも,家に帰るまでが遠足か何かって,人間も言ってたな。
日が暮れる内に聖水を持って帰ることにしよう。
手分けして小瓶を抱えた俺達は,先に広がる帰り道を見据えた。
「行くか。俺達の聖地へ」
さて,誕生日パーティーは誰を呼ぼうかねぇ。
そう思いながら,俺達は滝を下っていくのだった。