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第1話 しあわせですか

 目の前を走っていた部下の頭が吹き飛ばされる。


 通信兵が狂ったように無線機に向かって叫んでいる。


 駆け付けた対地ヘリが撃墜され、地上で炎上している。


 腹を撃ち抜かれた彼女へ肩を貸す。


 銃声、砲撃が迫る中、倒れこんだ彼女の口が必死に言葉を紡ぐ。


 脈が弱くなっていく彼女を背負い、友軍まで走り出す。


 彼女が



***



 二日酔いとともに目が覚めた男は昨夜の宿としたテントから抜け出し、大きく伸びをした。既に日は天頂に近づき、足元の野芥子の朝露もすっかり乾いている。


 転がっていたウイスキーの空瓶を蹴り飛ばし、バニラの香りのする煙草をくわえ椅子に腰かける。


 煙を吐く男の容姿は冴えなく、特徴のない顔のパーツばかりであるが、鋭い目が目立つ。男の名は名和親英。最近前髪の生え際が気になる36歳であった。


 身支度をし、歯を磨きながら、湾に聳える桜島を眺める。桜島は核戦争の前も後も変わっていないのであろう。3月の霞に包まれた彼は堂々とした山体から、負けじと噴煙を噴き出している。


 口に含んだ水を足元へ吐き出す。春陽に輝く錦江湾を横目に男はテントの片付けに取り掛かった。


 林道へ停めていた愛車である旧共産圏の側車付バイクは、伏せた虎のように持ち主を待っていた。側車の座席へテントやシュラフなどを無造作に放り込む。


 親英はヘルメットを被り、シートへ跨る。セルを回すと、バイクは唸り声を上げた。野営場から鹿屋の街まで、国道220号線を一直線である。春空に響くエンジンの鼓動、潮の匂い、自儘な風を受け親英は右手首を捻った。


 鹿屋を一路目指す。先の戦争において核攻撃を受けなかったことから、鹿児島における被害は比較的少なかった。とはいえ、すくなからず県中心地は狙われた。


 その結果、戦後の混乱と戦中の都市圏からの避難により、自衛隊改め国防軍基地のあった鹿屋と川内は、周辺地区の民衆と避難民を吸収し、規模が拡大されたのだった。


 特に鹿屋はマニラー高雄ー指宿・鹿屋ー須崎ー大阪を結ぶシーレーンの要として、都市機能が強化された。その結果、大隈半島が日本のフロリダと呼ばれることに合わせ、日本のマイアミまたは青島と呼ばれることとなった。治安に関しては言わずもがなである。


 道路脇にぽつぽつと陋屋やバラックが立ち並ぶ。戦争から十年近く経ったとはいえ、その爪痕は大きく、深い。前々の戦争後のような目を見張る復興は、孤立主義に転じた世界情勢のもと成し遂げられなかったのだ。


 鹿屋港付近に広がった屋台で腹ごなしを済ませる。幼かった時テレビで見た東南アジアの市場のような風景である。商人は賑やかな声で客を引き、精一杯の荷を運ぶ台車は幾度も何度も通り過ぎていく。熱気と活気は人々を魅了し立ち止まらせる。親英も魅了された一人であった。


 市の郊外までバイクを走らせる。一軒のシャッターの下りたバラックの前へバイクを停めた。バラックには『泊商店』と書かれた看板が掲げられている。男は無遠慮にシャッターを拳で数回叩く。煙草を2本吸える程の時間が過ぎた後、


「はーい、どうぞ…」


 気怠そうな声が聞こえ、シャッターが上げられた。


「まだ寝てたか。すまないな。親父さんは?」

「親父なら串間のほうに行商で出かけてるよ」


 バラックから出てきたのは見飽きた髭面のおっさんでなく、馴染みのシノという少女だった。つなぎを腰で縛り、上半身はタンクトップにパーカー。日に焼けたのか、彼女の小麦色の肌は目にまぶしい。


「それなら、バイクの整備と買いたい物があったんだが、親父さんがいないならダメか」

「私でいいならバイクは見るよ。商品は今店にあるものだったら分かるけど、なかったら、ごめんね」


 つっかっけたエンジニアブーツを履きなおしながら、彼女は答えた。


「それじゃあ、バイクは頼もうか。いつまでかかる?」

「そうだね。明日の昼までには終わらせるよ」


 彼女が提示した日時は望外な早さであった。あくびを噛みしめながら彼女が買い物について尋ねてきたので答える。


「9mmパラベラムと12ゲージはあるか?」

「承った!よかったね。弾薬はどっちもあるよ。実包は?」

「バードショット100発、バックショット100発、スラグ50発で頼む。あとサイガのマガジンはあるか?」


 男が尋ねると、さすがに彼女でも即答はできなかったようで、あったかなと呟きながらバックヤードへと探しに行った。店内を眺めると監視カメラとブローニングⅯ2重機関銃を改造した赤外線センサー連動自立式ターレットが目に付く。いつも思うのだが、ここの親父は何者が押し入ってくると考えているのだろうか。そう徒然なく考えていると、彼女が戻ってきた。


「さすがにサイガのマガジンはないみたい。うちは親父の趣味で弾薬の種類は多いから、ここになかったら鹿屋にはないかも」


 彼女の回答を聞き、少し考える。南部中華上海閥からの密輸便が入港する天草から川内ルートであれば少量でも流れてきているのではないかと。


「……おじさん!どこかへ行くの?」


 彼女の問いかけに思考を中断させられる。まだおじさんと呼ばれる歳ではないと反論しながら、彼女へ北海道へ行くと答えると、「そっか」と答えたきりであった。明日のバイクの受け取り時間について話を詰め、店を出ると足の速い夕闇が迫ってきていた。首を鳴らし、親英は今日で最後となる鹿屋の繁華街へ繰り出した。



***



 馴染みの飲み屋で挨拶を済ませる。停戦から10年近くと、意外と長くいたものであるとふと思う。地獄のような戦場からボロボロになって生還し、除隊後ちまちまと日雇いで金を貯め、やっと約束を果たせるというのだ。


 港で水揚げされたキビナゴとわけぎを辛子酢味噌でつまむ。わけぎのほんのりした甘みと辛子酢味噌のコクとピリ辛さが舌を刺激する。綺麗に開かれ、並べられたキビナゴの刺身は独特の臭みがあるが、酢味噌によって打ち消され風味が口の中に広がる。この風味を洗い流すために芋焼酎の湯割りを口中へ流し込む。絶品である。


 さすが芋焼酎の王国である鹿児島。戦後の混乱から最も立ち直ったのは酒造であると言えよう。好き嫌いの分かれる芋焼酎の匂いは湯割りによって引き立つ。湯の入った湯呑に芋焼酎を注ぐ瞬間、攪拌されて広がる匂いは至福であるとも言えよう。概して好き嫌いの分かれる匂いの食べ物とは、一方の人に関しては好物であり、もう一方の人に関しては蛇蝎の如き嫌悪を抱くのである。嗅覚のなんと偉大さか。

 

 宵の口はとうに過ぎ、宵惑いの子供たちもすっかり寝たであろう時間だが、大通りの店は煌々と明かりが燈っている。背広を着た男が通り過ぎれば、けばけばしい衣装と化粧の女が客を引く。


 一方で大通りから一歩離れると、喧騒と隔絶した陰々とした空気が人を飲み込もうとしてくる。物乞いが道脇に座り、立ち話をしている人間はどこか目つきが怪しい。だが、その空気に住もう人間もいるわけである。

 

 久しぶりに痛飲し、鴨に見えたのだろう。チンピラに絡まれることとなった。こちらを威圧するためか、路地裏の露店で買ったのであろう汚れた自動拳銃を上着の下から覗かせている。


「おい、おっさん。わかってるな」


 モヒカンのリーダーだろうチンピラが凄む。それでものらりくらりとあしらっていると、堪え性のない奴が拳銃を抜いた。心地よい酔いが、冷水を浴びせられたかのように瞬時に覚める。さすがに拳銃を抜くのは見逃せないということで、愛銃の213式拳銃を右懐から左手で抜き撃つ。銃弾はチンピラの右手甲を撃ち抜き、拳銃は地面へ落下する。残りのチンピラもナイフや拳銃など思い思いの得物を抜くも、致命的な遅さであった。




 銃声が鳴ったことから、もうすぐ警邏が駆け付けるであろう。


 斃れたチンピラから手早く財布を抜き取る。臨時収入とは戦前のパチンコであっても、戦後のストリートファイトであってもいつの時代でも素晴らしいものであると噛みしめながら、路地から何でもなかったかのように大通りの人込みへ身を紛らわせる。また回ってきた酔いに身を任せ、ふらふらとつんのめりながら、通りで愛想よく客引きをする忘八に話しかけた。



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