たったひとつの願い事
7月、またこの季節がやってきた。色とりどりの折り紙で星やら輪っかやらを作らされる。面倒なこの行事が俺は嫌いだ。
「みんな七夕飾りにつける短冊を配るわよ。願い事がたくさんあっても一人1枚だからね」
先生が笑いながら言う。4年2組のみんなは「はーい」と大きな声で返事をした。毎年七夕の季節にはクラス毎に笹飾りをつくる。そして親も呼んで校庭で七夕まつりをやるのがうちの学校の決まりだ。
みんなどんな願い事にしようかと浮かれながら短冊を手にする。だが俺は知っている。この色紙を切っただけの紙ぺらに願い事を書いたところで叶うわけがない。これで叶うなら世の中に金持ちはあふれるし不幸な人だっていなくなるはずだ。だいたい織姫と彦星だって、天の川をはさんで何万光年も離れた場所にいるならどうやって会うっていうんだ。みんなが真剣に願い事を考えている中、バカバカしくなった俺は消しゴムを転がして遊んでいた。
「ねぇ願い事ないなら私にちょうだい」
内緒話するみたいに小さな声が隣から聞こえた。それは隣の席の千織だった。俺が「え?」と言うと千織はもう一度小さな声で俺に話す。
「たっちゃん願い事ないんでしょ? なら私にちょうだいよ」
なんて欲張りで図々しい奴だ。千織とは1年生の時から同じクラスだった。だからこいつは俺に何でも言えると思っているんだ。
「やだよ、俺にだって願い事があるんだ」
紙は一人1枚。欲しいと言われるとなんだか惜しくなった。千織は「そっか」と残念そうにつぶやいて、ピンク色の紙に願い事を書く。のぞくと千織は短冊を肘で隠して俺を睨んだ。
「ちょっと見ないでよ!」
そして誰にも見えないように大事に机の中へとしまった。
キンコンカンコーン
チャイムと同時にみんながそわそわと動き出すと先生がパンパンと手を叩いた。
「はい、注目! 今書けなかった人は家で書いて明日先生に渡してねー。じゃないと明後日の七夕まつりに間に合わないから、織姫も彦星も願い事叶えてくれないよー」
先生の話にみんなが笑う。俺は何も書いていない短冊を机に押し込むとボールを持って教室を飛び出した。
帰り道、俺は川沿いの道を歩いていた。ここを通学路にしているのは俺と千織だけだった。川の曲がっているところに差し掛かると、立ち止まって川の向こう側を見つめる千織の姿があった。
「おい、何しているんだよ!」
「たっちゃん」
俺に気づいた千織が振り向く。その目は赤くて泣いた後みたいだった。
「たっちゃんは雨野川の向こう側行ったことある?」
この雨野川は雨が降ると増水して大きな川になる。岸の向こうの町には大きなビルが立ち並んでいるが、ほとんどこの街を出たことのない俺からすれば、向こう側は遠い世界だった。
「ない。お前はあるのかよ?」
千織は首を振った。
向こうの町にはお店がいっぱいあって、おしゃれな人がたくさんいるってお母さんが言っていた。もしかしたら千織はあっちに行きたいのかもしれない。だが俺はそんなものに興味がなかった。
「俺は別に行きたくもないけどな」
「私も」
千織は元気なく言った。そんな千織を見て俺はなんだかムズムズそわそわした。千織はちょっとうるさくて生意気なくらいがちょうどいい。
俺はふとまだ何も書いていない短冊のことを思い出した。どうせ願い事なんて浮かばない。それで元気になるのなら千織にあげてもいい、そう思ったのだ。突然ランドセルを開けごそごそとやる俺を千織は不思議そうに見つめていた。
「たっちゃん何探しているの?」
「あれ? ない。忘れてきた」
「何を?」
「短冊」
千織は目をぱちくりとさせていた。短冊は教室の机に押し込んだままだった。
「たっちゃん短冊書かずに遊んでいたもんね。取りに行った方がいいんじゃない? たっちゃんには大事な願い事があるんでしょ?」
そう言われると本当は願い事なんてないとは言えなかった。俺は手を振る彼女を置いて学校へと走り出した。
誰もいない教室で机をあさるとくしゃりと折れ曲がった短冊が出て来た。これに何て書こう。俺は願い事があるなんて言ったことを後悔した。悩んでいるとちらりと目のはしにピンク色が見えた。それは千織の短冊だった。欲張りな千織のことだ、きっと図々しい願い事を書いているにちがいない。悪いと思いながらも千織の机からはみ出た短冊を抜き出した。
「転校しなくてすみますように」
そこには丸っこい文字でそう書かれていた。
次の日の休み時間、クラスの女子は短冊に書いた願い事の話で盛り上がっていた。女子たちの願いはアイドルになりたいとか金持ちになりたいとかそんな願いが多かった。千織はみんなの願い事をにこにこしながら聞いていた。
「ねぇ千織は何て書いたの?」
俺はみんなの反応をドキドキしながら横目で見ていた。千織は恥ずかしそうにピンク色の短冊を机から出す。
『みんなとずっと友達でいられますように』
それは俺が見た願い事はちがかった。驚いてのぞいてみるとたしかに千織の字でそう書かれている。短冊の真ん中は消しゴムで消したせいで色が少し薄くなっていた。千織は願いを書き直したのだ。
女子たちは「ずっと友達に決まっているじゃん」と笑い合う。千織も一緒に笑っていたが俺にはそれが寂しそうに見えた。
その日、千織は午前の授業が終わると親が迎えに来て帰って行った。普通よりも早く帰れる彼女をみんなは羨ましそうに見送ったけれど千織はあまり嬉しそうじゃなかった。
「みんな、願い事は書いた? 飾りつけするよ」
笹の葉のてっぺんには千織の短冊だけが揺れていた。帰る前に千織が自分でつけたのだ。てっぺんにつけるなんてやっぱり千織は欲張りだ。でもそれくらい千織は願いを叶えたいのだ。
俺は机の中からまだ何も書いていない短冊を取り出すと願い事を書く。他の奴がそれに気づいて俺の短冊をのぞき込んだ。するとそいつは驚いた顔をした。
「竜彦! なんだよその願い事」
みんなも俺の短冊をのぞき込む。するとみんな驚いて女子の中には泣き出す奴もいた。先生はざわざわするみんなを見て小さなため息をついた。
「寂しくなるから終業式まで言わないでってお願いされていたんだけど。千織ちゃん夏休みになったら雨野川の向こう側へ引っ越しするのよ」
教室はいっきに暗い雰囲気になった。俺は千織の短冊を見た。やはりこんな紙ぺら1枚では願いは叶わないかもしれない。でも俺は千織の願いをどうしても叶えたかった。
「今年だけでいいからみんなの願い事をくれよ」
俺はみんなにお願いをした。するとみんなは自分が書いた願い事を消しゴムで消し始めた。
そしてみんな、心を込めて願い事を書き直す。それを笹の葉につけると先生は校庭へと飾ってくれた。
七夕祭りの日、校庭には1年生から6年生まで各クラスの笹飾りが置かれた。親や地域の人が集まってみんな短冊に書かれた願い事を見て微笑んでいる。でも4年2組の笹飾りには他のクラスよりもたくさんの人が集まっていた。
「たっちゃん、うちのクラスの笹飾り、すごい人気だね」
パパとママの3人でやってきた千織が俺を見つけて不思議そうに言った。たくさん並んだ笹飾りの見た目はどれもそう変わらない。千織のパパとママもどうして4年2組だけ注目を浴びるのか首を傾げていた。
「うちのクラスの願い事はたった一つだからな」
笹の葉についた短冊がひらひらと揺れている。千織は笹飾りを見上げるとみんなの願い事を見た。色とりどりの短冊には小さい字、大きい字、かわいい字、おどっているみたいな字、そのどれを見ても同じ願いが書いてある。
『転校してもずっと千織と友だちでいられますように』
信じられないと目をこする千織にクラスのみんなが集まってくる。みんなの気持ちはひとつだった。
「昨日、お前の短冊見ちゃったんだ。みんなの願いも千織と一緒なんだよ」
千織はこらえきれずに泣き出した。千織のママもハンカチで目をおさえて泣いている。パパは泣いている千織の頭をポンポンと撫でた。
「千織、いいお友だちを持ったね。こんな素晴らしいお友だちの願いは叶えてあげないといけない。転校しても七夕の時期にはこの街に戻ってくると約束するよ」
千織のパパが言ったのでみんな歓声をあげて喜んだ。
校庭にさらさらと笹の葉の音が響く。折り紙の飾りに五色の短冊。離れても千織は七夕の時期にこの町へ帰ってくる。
「よかったな」
声をかけると千織の目にもう涙はなかった。
「なんだか私、織姫様みたいだよね」
そう嬉しそうに笑った千織はやっぱり少し図々しい。でも千織はそれくらいの方がいい。
「織姫なら雨野川わたって来年も必ず来いよ」
千織はうなずく。俺は七夕が嫌いだった。でも来年の七夕はきっと楽しみになるだろう。笹飾りのてっぺんについているピンク色の短冊を見ながら、そんな気がしていた。
お読み頂きありがとうございました!
さらさら~と言えばもうすぐやってくるあの季節ですね。人生で1度くらいは本物の天の川を見てみたいです。