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 ミヨと母の気配を探りながら月灯りを頼りに林の中に入る。何処へ行ったのかと見回していると、樹木の香りに紛れてうっすらと何かの臭いがした。これは、あの湯の臭いだ。そう気づいて何処から漂うのかを定めると、服の(すそ)を引き裂き鼻を覆った。また意識を奪われる訳にはいかない。


 俺は衣服を小枝に引っかけ、皮膚にかすり傷を負いながら走った。その途中、自宅のある山に向かっている事に気付く。だが、こんな道は知らない。今まで気付かなかった。何の為の道だ? 頭の中に父と母の、ミヨを見ていたときの顔が浮かぶ。「くそっ」と吐き捨て更に急ぐ。ときどき布を鼻から外して方向を確認しつつ走り続けた。


 林が途切れた場所に出た。目の前には固い岩肌がそびえている。見回しながら残り香を探ると、薄暗い中にぼんやりと崖沿いに進めそうな小道が見えた。そこを通り崖を回り込むと視界が(ひら)けた。そこには大きな桜の樹木が、月明かりの中で風に揺れて花びらをこぼしているのが見てとれた。その桜の木の下の台の上に何かが置かれ、傍らに立つ人影が二つ。何か話をしている様だった。


「違う! この娘では無いはずだ! 今宵、若に召し上がって頂くには若過ぎる。第一、この娘は若の好いておる娘では無いか?」


 爺様の声が耳に飛び込んできた。俺は気付かれぬ様に暗がりを選んでそっと近付く。そこへ、母の冷たい声が響く。


「だからじゃ。人風情が我ら鬼族と心を通わす等、お笑い種じゃ! ……それに、愛しい娘ならばこそ、強い覚醒を呼び起こさせ、より強い鬼になれると言うもの。……あやつは、少し気弱過ぎる。この娘が良い気付け薬になるのじゃ! 娘も、愛しい男に喰われる事に文句はあるまい」


 長刀を握った左手に力がこもる。母という女が放った言葉が、頭の中で何度も繰り返され心に黒いモノが沸き上がってくる。それが血の(めぐ)りに乗って全身に広がって行く様な気がした。


「……惜しいのう。娘が意識を無くしてなければ、良い泣き声を聞かせてくれたであろうに。さあ、始めようぞ!」


 その言葉を引き(ひきがね)に刀を鞘から抜き、奇声を発しながら二人の近くへ駆け寄った。


「なんと、若っ!?」

「樹っ?」


 うるさい! 黙れっ、そんな風に呼ぶな! そう叫んだつもりだった。だが口から出たのは唸り声だった。母は青い鬼の姿になっていた。その血走った眼で撫まわす様に俺をみる。


「ほう。……これは面白い! 人間の血肉を喰らわずに覚醒しよったわ! ……樹、そなた、赤鬼(おや)(あや)めたな? 返り血を浴びたか」


 女の方がさも面白いとでもいう様に笑い出す。爺は逆に人の姿のまま俺を気遣う。


「まさか、返り血が口に入ったのか……。若、赤鬼の血は濃すぎるのじゃ! 動いていると、ますます全身に回ってしまうぞ!」


 言われて自身の手を見る。指が、爪が、長く伸び黒ずんでいた。地面に落ちた影の、俺の頭の辺りに角が……。胸に張り裂けそうな痛みが走る。……もう、……モドレ、ナイノ、ダ……。


 俺の中の、何かが弾けた。



 それからは夢の中の出来事の様で、はっきり分からない。青鬼が幻術を使おうとしたが、長刀を振り回して詰め寄った事と、相手が身軽に飛び回っているときのこちらを見る狂った様な目つき等、思い出せる事は途切れ途切れだ。


 (はは)を倒し全てが終わると、右肩と腹と、左足の(すね)が痛むことに気付いた。爺がよろめきながら寄って来る。


「若、脱臼しております。今はめ込みますぞ。腹と脛は、切れて血が出ている。動かさない方が、……」


「ダ、マレ……」


 俺は爺を押し退け、痛む腹を抑え足を引きずりながらミヨの元へ近付いた。


「……ミヨ……」


 そっと、ささやく。出来るだけ優しく体を抱き上げようとした、その時。ミヨが目を覚まし俺を見た。大きく目を見開き、顔が(ゆが)んでいく。


「いやあああああっ! 鬼っ!?」


「……」


「いやっ。助けて、おにいちゃん!」


 ミヨは台の上から滑り下りると後ずさる。


「マ、マッテ……クレ。オ……レ、ダヨ……」


「えっ?」


 ミヨの動きが止まる。眉間にシワを寄せてこちらを見る。


「……お兄ちゃん?……そんなっ!」


 ミヨの顔から怯えている様子が消えたが、そのまま表情が固まった。


 そのとき、ざざざと風が吹き、桜の花びらが舞い降りて来た。……花びらが落ちるのは実がなるからだ。それは、桜が成長するということか。ふと、そう思った。


 ……だが、俺は。


 自分の正体が分かった以上、このまま此処で暮らすのは無理な話だ。


 ふと自分の手を見ると、人の手の形に戻りつつあった。ならば体も元に戻っただろうか……。


「ミヨ……。無事で良かった。俺は遠くへ行かなければならなくなった。お前のことは、村まで送らせよう」


 ミヨが俺を見る顔に、いつもの表情が戻って来る。


「えっ?……何処に行くの?」


「遠くだよ。ずっと遠く」


「行かないで! ……それじゃなきゃ連れて行って、お願い。私、お兄ちゃんの事ずっと好きだったの」


 途中から声が震えていた。顔を赤くし、だがまだ戸惑いも見てとれる。


「俺もだ。俺もずっとお前を好きだった。……だが駄目だ。もう一緒にはいられない。さっきの俺を見ただろう? いつ、ああなるか分からない。もう俺は、いや、始めから俺は人では無かったのだ」


 言いながら自分でも驚愕する。そうだ、だからミヨ達の成長が早く感じたのだ……。


「そんな……。いやっ。いやよ!お兄ちゃんと離れるなんて」


 ミヨが俺に抱きついて来た。俺も優しく抱き締める。柔らかな髪が頬にあたる。小さな体から伝わる温もりに胸が高鳴ったが、同時に張り裂けそうだった。愛しくて、ただ愛しくて……。ずっとこうしていたかった。


「……ミヨ。……すまない」


 俺はミヨを引き()がし、首の後ろに手刀を入れて気を失わせた。


「爺! すまないが、彼女を村の者が見つけやすい所まで運んでくれ」


「わかりました。若はどうなさるので?」


「体が限界だ。ここで、こうしてる……」


「わかりました。直ぐに戻ります」


 爺様がミヨを抱えて行くと、俺は桜の木の根元に腰を下ろした。そして、桜を見上げる。


 ミヨ……、愛している。お前だけを、ずっと、ずっと……。俺は鬼だが、もし出来るならいつか桜の木になろう。そして、お前のもとに花びらを送ろう。お前を包み込む様に。抱き締める様に……。




 爺が戻ると、二人でこの地を去ったのだった……。




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