これは冒険物語ではない
時代も場所も、この物語には関係ない。なぜなら愛は、いつでもどこでも形は変わらないから。
少年は気づいた。愛だけがあってもそれは本当の愛ではないと。
少年は旅立った。本当の愛はどこかにあるのか探しに旅立った。
少年は絶望した。自分の中には愛以外のなにもないと気づいて。
少年は出会った。自分を嫌う人間に生まれて初めて出会った。
その時少年は、なにを想うだろうか。
その船はどこまでも進んでいた。一人の少年を乗せて。少年は少年らしく、この先の未来に胸躍らせていた。この船ならばどこまでも行ける。少年はそう信じて疑いはしなかった。彼の中に不安の文字はない。
なぜ少年が船旅にと、あなたは問うだろうか?確かに、なぜだろうか。少年は航海日誌をつけているわけではないし、魚を捕ろうとしているわけでもない。いや、たまにはする。時たま思い出したかのように日誌をつけたり、腹が減ったからと魚を捕ったりする。でも、それが目的だとは到底思えない。
ではなぜ?なぜ少年は船旅へ?それを話すにはまず、船が完成した時まで遡らなければならない。
この船を作ってくれたのは少年の両親だ。両親は本当に少年を愛していた。生まれた瞬間、いや、生まれる前からだ。この時少年は幸せだった。不自由なことなんて何一つなかった。
しかし、次第に両親の仲は悪くなっていった。毎晩のように喧嘩、暴力。ひどいものだった。
そこで両親は、一つの決心を固めた。
「仲直りの証として、船を一隻拵えよう」
……離婚ではないのか。きっとそれも少年への愛ゆえの決心なのだろう。なぜここで船かと言えば、船は心の高次を象徴するものだからだ。彼らはきっと、人間として成長したかったのだろう。
一か月の奮闘の末、小さな船ができた。人が三人乗ればもういっぱいになってしまうほどの。両親は喜んだ。もうこの二人に毎晩の喧嘩は起こらない。
しかし船が完成したその夜、少年は旅立った。
両親の仲は良くなった。しかし、両親が私に向けるその愛は、あまりにも無償すぎると彼は察したのだ。愛だけもらえれば、それでいいのだろうか……。愛と反対のものもたまにはないと、本当に愛してくれているという実感なんてわかない。それに気づいてしまったのだ。
「あんな場所にいても、僕を本当に愛してくれる人なんていない。お父さんとお母さんの、愛に満ちたあの目が怖い……」
これが13歳の少年の、愛からの逃避行の始まりである。