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紅葉狩り  作者: サニー
1/6

リビングは秋らしい柔らかな陽射しに包まれている。

対面式のキッチンの向かいにあるテーブルの上には、クロワッサンやサラダ、フルーツ、それにミルクの入ったコップが並べられて、コーヒーの香ばしい香りが漂っていた。


「おはよう」


邦明が起きてきたのを見て、由衣が笑顔でソファーから立ち上がった。


「おはよう」


邦明も笑顔を返して朝食のテーブルにつく。


――たまには味噌汁とごはんの朝飯が食べたいな

 

結婚して三年。邦明は一度もそれを口にしたことはない。美しい妻と、平穏で満ち足りた生活。不満を言わなければいけない理由はどこにもなかった。


「ねえ、今度の土日はお仕事?」

 

 食事が終わりに近づいた頃、コーヒーを注ぎながら由衣が聞いた。


「何かあるのかい」


「信州は今紅葉が見ごろなんですって。それに、久しぶりに美味しいお蕎麦が食べたくなっちゃった。ねえ、今回は一緒に行きましょうよ」


 由衣は旅行好きだ。ネットであちこち観光地を探しては、週末や連休には、学生時代の友人やカチャーセンターの仲間と、小旅行を楽しんでいる。

 根っからのお嬢さん育ちで、働いた経験は一度もない。そんな由衣の言動に悪意がないことは、邦明も十分わかっていた。仕事に行く前の人間の気持ちがどういうものなのか彼女は知らないし、知らないことを理解できなくても、それは由衣が悪いわけではない。週末のレジャーの話題を今このタイミングで持ち出されても、出社してからの仕事の段取りを考えている頭を、そちらに切り替えるのは難しい。それに週末は仕事以外でも接待ゴルフなどで出かけることが多く、プライベートな休みが取れることはほとんどないのだ。だからいつも邦明は、妻の誘いに穏やかな口調でこう答えることにしていた。


「僕のことは気にしなくていいから、行ってくるといいよ」


 中堅の電機メーカーに勤める浅野邦明は、三年前に上司の娘の由衣と結婚した。宮崎で小さな魚屋を営む邦明の両親には資力らしい資力はなく、招待客が百五十人を超えた一流ホテルでの披露宴の費用も、今二人が暮らしている都心の3DKのマンションの頭金も、ヨーロッパへの新婚旅行の費用も、すべて由衣の親が出した。もちろんそれは、義父になった常務の橋本が、邦明の、営業マンとしての能力や将来性を高く買ったからだし、何よりも由衣が、初めて会った時に、邦明にひと目惚れして、どうしても結婚したいと、両親に懇願したことが大きかったらしい。


「本当は私、親の勧めで結婚なんて、そんな古くさいことは絶対いやだと思ってたのよ」

 

 結婚式を挙げた夜に、由衣はホテルのベッドの中で、邦明の胸に頭を預けながらささやいた。


「それなのに君は僕と結婚した」


「だって…」由衣は頬を赤らめる。


「父が連れてくる人なんて、てっきり真面目なだけが取り得みたいな、メガネをかけた、いかにも面白味のなさそうな人だと思ってたんだもの」


「僕はそんなに面白い人間じゃないよ」


「いいの。あなたが私だけを愛してくれてるってことがわかったから」

 

 由衣の人差し指が、邦明の裸の胸に滑らかな円を描いた。


 いつもなら旅行の話は、それで終わりになるはずだった。けれどその朝は様子が違った。


「ねえ、信州のほうに鬼無里きなりっていう村があるのを知ってる?」

 

 食後のコーヒーを飲みながら由衣が聞いた。


「きなり…さぁ」


「そのあたりは平安時代から有名な鬼女伝説のあるところなんだけど、その村の観光案内のブログで、面白いものを見つけたのよ」


「何?」邦明は壁の時計に目をやる。


「山奥の沢に幽霊が出るんですって。つばの広い白い帽子をかぶってて、青いワンピースを着た若い女性の幽霊。ねえ、何だかすごくリアルでしょう」


 がたんと音を立てて、邦明が立ち上がった。


「あら、どうしたの」

「ごめん。今朝大事な会議があるのをすっかり忘れてた。旅行の話は、帰ってからにしよう」

 そう言いながら邦明はそそくさと背広の上着をひっかけ、アタッシュケースをつかむと、あっけに取られている由衣を残して、リビングを飛び出していった。

 

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