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第五話:傷心

 キッチンの冷たい床で倒れている麻奈美。

 見たくない現実を自分でシャットダウンするかのように、意識を飛ばした。


『どうして……なんで殴ったりなんかするのよ!!』


 裕美の涙は止まらない。

 人形を持ち上げるかのように優しく麻奈美を抱き寄せた。

 自分は何をしてしまったんだろう。

 少しのズレ、気の迷いから良輔と関係を持ってしまった。

 決して良輔に恋をしていた訳じゃない。

 心の奥では少し、幸せそうな二人を見て”こうなりたい”と思っていた気持ちはあった。

 只それだけ。

 麻奈美をこんなに傷つけるつもりは無かった、出来れば知られず静かに良輔との関係を終わらせるつもりだった。

 そんな甘い考えを持っていたから麻奈美を傷つけた。

 裕美の、後悔でいっぱいの気持ちが涙を止まらせなかった。

 そんな光景を見ていた良輔は目に光が無いまま、手についた血を洗い流した。

 薄笑いを浮かべたまま、新たな自分の快感を見出したかのように――




 意識が戻ったときには良輔の姿は無く、泣き腫らした顔の裕美がまるで心配する母親のように自分の顔を撫でていた。

 目を覚ましたことを気付いた裕美は、また涙を溜めて『ごめんね、ごめんね……』と呟くだけだった。

 天井の電気を見つめながら、起きた事を振り返り、頭を整理させようとしたが、何も考えられず麻奈美は考えることをやめた。

 重い体をゆっくりと起こし、痛い脚を引きずりながらこの部屋を後にした。

 裕美は止めようとしたが、掛ける言葉が見当たらず、そのまま小さくなった麻奈美の背中を見送った。


 

 地下鉄も無く、殴られ続けて紫色に腫れ上がったままの顔で家にも帰れず、途方に暮れながら只、道を歩くだけ。

 何故か痛みも感じず、時たますれ違う人に振り返られながらも、ひたすら路地を歩いた。

 気付くと、ちらほらとネオンの光る、繁華街というには寂し過ぎる飲み屋街へと出た。

 フラフラと歩くサラリーマンや、綺麗に作った頭をしているのに何故か蛍光色のロングジャンパーを着て立っている女性。

 この時初めて、本当の千鳥足のおっさんを見た。

 麻奈美は一番最初にカラオケボックスに行った時の、慣れないソワソワとした気持ちを感じながら、右手に見える小さなBARへと足を踏み入れた。


 風が吹くだけで、キシキシと言いそうな古い扉を開けると、カウンターにマスターであろう黒いスーツを着て髭を生やした初老の男が立っていた。

 他に、カウンターに座る女が一人。

 奥のボックス席にはカップルらしくない、歳の離れた男女が何やら、今晩どうするなどと話しながら赤ワインを飲んでいた。

 髭の男は無愛想にチラッとこっちを見ると、手で一番奥のカウンターを示した。

 麻奈美はこのBARに入ったことを少し後悔しながらも、古びた椅子に腰掛けた。

 

『何を召し上がりますか?』


 カクテルのことが何もわからない麻奈美は、少し慌ててメニューが無いか辺りを見渡したが見当たらない。

 その様子を見ていたマスターが徐にシェイカーを持った。

 

『ノンアルコールカクテルのおススメを作りましょう。』 


 高校生にしては大人びた麻奈美だったが、夜の世界を歩くにはまだまだ子供だった。

 服装や、髪、化粧が独特な高校生らしい雰囲気をかもち出していた。

 壁に備え付けてあるブラックライトを一点見つめる麻奈美に、マスターは水色のグラデーションがかった綺麗なカクテルと、冷たいおしぼりを3つ持ってきた。


『冷やさないと、明日もっと腫れてきますよ。』


 無愛想に思えていたマスターから、とても哀しそうな顔が見えたとき、今ある現実が見えた。

 おしぼりを受け取ると、今まで堪えていた感情が涙になり、一つ、また一つと溢れ出した。

 止まる事を知らない涙は、段々と大粒の雨のようになり、冷えたおしぼりを濡らした。

 マスターは黙ってまた一つ、おしぼりを静かに麻奈美の隣へ置いた。


 感情の赴くままに泣き続けて、今日一日の疲れを感じた麻奈美は、汗をかいたカクテルグラスに口をつけた。

 切れた口の中が痛かったが、甘くほんのり苦いカクテルが心を安めてくれた。

 冷静になってみると、家に帰ってからの言い訳や、裕美の事、そして良輔の事が止まっていた頭から次から次へと湧き出し、心が潰される様に痛かった。

 心なんて臓器は勿論無いし、頭と心は一緒のものだが、心が考えたくないと拒否をしても頭が考えてしまう。

 創りから矛盾な生き物の人間に、ウンザリしていた時マスターが話し始めた。

 

『大分腫れが退いてきましたね。痣は少し濃くなってきましたが、三日程すれば目立たなくなるでしょう。』


「はい゛、ありがどう゛ございま゛した。」 


 久々に声を出してみると、泣き続けたのと口が切れたので、うまく喋れなかった。

    

『長年お店をやっていると、時々あなたみたいなお客様が見えられるんです。華やかなネオンも怖い顔に変える事がありますからね。』


 マスターはこの飲み屋街で何かあったと勘違いしているようで、申し訳無さそうな顔をした。 

 

『でも決して嫌いにならないでください。人を不幸にする事もありますが、楽しい事や幸せな事もたくさん詰まっています。不幸があった分幸せも来ます。不幸以上に幸せがあったらラッキーってね。』


 そういうとにっこり微笑んだ。 

 マスターの言葉に在り来たりだなと思いながらも、惹かれている自分が居るのに気付くのは、そう時間がかからなかった。

  


 


第一話でベッドがベットになっていた事をお詫び申し上げます。

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