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第6話 通訳官――剣が抜かれなかった日

最後の会談の部屋は広かった。

席が多い。言葉の数も多い。

人族、獣人、エルフ、魔族、小国、そして人族内部の貴族と軍部。

全員が自分の勝ち方を持って座っている。

最終条文の前で、空気が止まった。

問題の一文はこうだ。

『いずれかの違反があった場合、相応の措置を取る』

ローデルは涼しい顔で頷き、軍部は満足げに笑う。

だがレイには分かる。これは誰でも“違反だ”と言える刃だ。曖昧さは、いつでも宣戦の口実になる。

書記がレイを見る。

「通訳官、訳を」

レイは一度、口を閉じた。

訳さない。

それは怠慢ではない。選別だ。

「……この言葉は」

レイはゆっくり言った。

「誰かを勝たせ、誰かを殺します」

ざわめき。

ガルム将軍が立ち上がりかけ、軍部の男が机を叩く。

「ふざけるな! 訳せ!」

レイは遮らない。遮れば戦争が始まる。

代わりに、意味を全部見せる。

「『相応の措置』とは何ですか。

誰が決めますか。

いつの時点で違反ですか。

沈黙は同意ですか、拒否ですか。

『次はない』は脅しですか、警告ですか。

『従う』は服従ですか、境界尊重ですか」

各代表が言葉に詰まる。

言葉に詰まる瞬間、人は初めて“自分が何をしたいか”を見る。

ローデルが笑って取り繕う。

「細かい定義は後で——」

「後で、は血になります」

レイは短く切った。

「後で争うために、今曖昧にするのですか」

獣人代表が唸る。

「我らは、踏み越えたくない」

エルフ代表リシアが静かに言う。

「熟考の期限を」

魔族代表ザイードが低い声で言った。

「警告の手順を。互いに確認の段を踏む」

小国の使節が続ける。

「施しではなく交換を。誇りを残す条項を」

言葉が、選び直されていく。

誤解できない形に。裏切れない形に。

“勝ち”ではなく“続き”を残すための文章へ。

軍部の男が不満げに唸る。

「それでは動けない」

ガルム将軍が疲れた声で言った。

「動けないほうがいい日もある。……剣を抜かずに済むなら、それがいい」

その一言で、部屋の空気が落ち着いた。

最終条文は書き直され、署名が交わされる。

会談は、何も起きずに終わった。

誰も英雄にならなかった。

誰も勝者として讃えられなかった。

それで、十分だった。

廊下で王レオンがレイに言った。

「称号は要らぬのだな」

レイは頷いた。

「称号は、言葉です。言葉は、いつでも刃になります。

私は、刃にしない仕事がしたい」

窓の外で旗が揺れている。

戦争は起きなかった。

そしてその事実は、派手に語られない。

ただ、明日が続く。

レイは一人、廊下の端で立ち止まり、深く息を吸った。

肺の奥が少しだけ軽くなる。

ここまで来ても、過去は消えない。だが、過去が無駄ではなかったと、今日だけは思えた。

戦争は、起きなかった。

それで十分だった。

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― 新着の感想 ―
レイが通訳として「言葉を選び、戦争を未然に防ぐ」最終決断を描いています。曖昧さを排し、意味を明確にすることで各国の対立を鎮め、誰も勝者にならずとも平和を守る姿が静かに感動的です。
誰も英雄にならず、誰も勝たなかった結末があまりにも美しい。 “続き”を残すために言葉を削ぐという選択が、この物語のすべてでした。
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