第4話 警告――「次はない」の本当の意味
魔族との国境会談は、いつも危うい。
魔族語は硬い。語順が違う。否定が肯定の形で出る。
一言の角度を間違えれば、刃になる。
会談の席で、魔族代表――ザイードは低い声で言った。
「次はない」
人族の軍部が一斉に立ち上がった。椅子が軋み、手が剣の柄に掛かる。
ガルム将軍が吠える。
「宣戦布告だ!」
レイは、すぐには訳さない。
ザイードの目には怒りがない。口元に笑みもない。唇が乾いている。
焦っている。追い詰められている。
“次はない”は脅しではなく、時間切れの合図だ。
「……“次はない”は、警告です」
レイはゆっくり言った。
「魔族語では『これ以上譲れない』という意味。
交渉継続の合図でもあります。ここで剣を抜けば、あなた方が『交渉を折った』ことになる」
軍部の男が吐き捨てる。
「都合の良い翻訳だ」
「語法です」
レイは淡々と返す。
「彼らの“次はない”は『次の提案はできない』であって、『次は戦う』ではない」
ザイードが短く言った。
「正しい」
抜かれかけた剣が、鞘に戻る音がした。
会談は継続し、巡回範囲が調整され、最悪の衝突は回避された。
だが会談後、軍部の男がレイの前に立つ。
「お前は戦争を止めすぎる。
戦えば、我らは手柄を得る。止めれば評価は落ちる」
レイは返さない。返せば火に油だ。
その代わり、ただ目を見て、短く言った。
「評価のために剣を抜くなら、あなたは剣を持つ資格がない」
男の顔が歪む。
「……覚えていろ」
数日後、レイは王城の地下資料室に呼び出された。
窓のない石壁。湿り気のある空気。ここは“公開できない情報”を置く場所だ。
待っていたのは、王直属の調査役セルジュだった。軍服ではない。剣も帯びていない。だがこの男は戦場より多くの血を知っている目をしていた。
「通訳官レイ」
セルジュは書類の束を差し出した。
「魔族側の内情だ。閲覧はここだけにしろ」
レイは受け取り、数枚めくった。
胸が重くなる。
魔族領内部の政争。
強硬派と融和派の分裂。
会談に来ていたザイードは、融和派の最後の切り札。
――これ以上譲れば、国内で殺される。
「……“次はない”の意味が、さらに変わりますね」
セルジュが頷く。
「彼らは“これ以上譲れば自分が死ぬ”立場だった。
あの場で宣戦布告として訳していたら、融和派は即座に失脚し、国境は焼けただろう」
レイは書類を閉じた。指先が冷たい。
自分の判断は、ただ戦争を遠ざけただけではない。誰かの命を、見えないところで繋いでいた。
「なぜ、これを私に?」
セルジュは少し間を置いて答えた。
「軍部が、君を危険視している」
レイは驚かなかった。戦争を止める者は、戦争で得をする者の敵になる。
「彼らはこう言っている」
セルジュが低い声で読む。
『通訳官の裁量が大きすぎる。恣意的に戦機を逃している』
恣意的。意味を知らない者が使う便利な言葉だ。
レイは静かに言う。
「私は、意味を訳しただけです」
「それが問題なんだ」
セルジュはレイを見る。
「意味は力になる。力は管理したがる人間がいる」
レイの脳裏に、昔の記憶が走った。
自分が訳した言葉が、上の都合で別の意味にすり替えられ、数日後に血が流れた記憶。
「よくやった」と言われた。
そして死者が出た。
セルジュが続ける。
「次の会談では、君の言葉一つで魔族融和派が生き残るか消えるかが決まる。
そして、人族側にも“消したい者”がいる」
レイは短く言った。
「……だから私は、即断しません」
セルジュがわずかに笑う。
「知っている。だが、それを待てない者もいる」
地下資料室を出た廊下は、いつもより冷たかった。
敵は外ではない。
同じ言葉を、都合よく使い分ける内側だ。




