第2話 沈黙――同意か、拒絶か
エルフ族との条約更新は、毎回難航する。
彼らは言葉を急がない。人族の感覚で言えば、何も言わない時間が長すぎる。沈黙が長いほど、会談の空気は重くなり、苛立ちは鋭くなる。
今回もそうだった。
条文の最終確認。エルフ代表――リシアは、視線を落としたまま黙っている。長い睫毛が蝋燭の光を吸い、表情は読めない。
「異議はない、ということでよろしいですね」
書記が言い、羽ペンを紙に落としかけた。
レイは反射的に手を上げたが、声はすぐに出さなかった。
リシアの指先が椅子の肘掛けを一度だけ撫でた。呼吸が浅い。肩がわずかに上がっている。
沈黙。これは、拒否だ。だが怒りの拒否ではない。迷いの拒否。
「待ってください」
ガルム将軍が机を指で叩く。
「またか。沈黙は同意だろう」
「エルフにとって沈黙は拒否です」
レイは短く言った。
「ただし……今の沈黙は、拒否ではなく“熟考中”に近い」
側近が鼻で笑う。
「都合が良い。熟考? 引き伸ばしだろう」
レイはリシアに視線を向けた。
「今ここで署名すると、あなたは森の議会から責められますね」
リシアの瞳が僅かに揺れ、ゆっくり頷いた。
「我らは時間を背負う。いま決めれば、未来が裂ける」
将軍が苛立つ。
「国境の緊張が高まっているんだぞ! 待てるか!」
レイは将軍の声の裏にある“恐怖”を拾う。
将軍は強く見せているが、戦が始まれば誰よりも責任を背負う。責任の恐怖が、言葉を短くし、判断を急がせる。
「熟考期間を条約に入れてください」
レイは提案する。
「決めないことを決める条文です。期限を定め、議会の承認待ちとする。
今決めようとするから拒否になる」
書記が戸惑う。
「前例が……」
「前例がないから毎回揉めます」
レイは即断しない代わりに、断言はする。
「“待てない条約”は、条約ではありません」
ガルム将軍はしぶしぶ頷き、条文は修正された。
その瞬間、リシアの肩がほんの少しだけ落ちた。沈黙が拒否から承諾へ変わる合図だった。
会談後、廊下でリシアがレイに近づく。
エルフは足音がしない。気づけば隣にいる。
「あなたは……聞いている」
「通訳官ですから」
レイはいつもの返しをする。
「違う」
リシアは首を振った。
「多くは答えだけを聞く。早く終わらせたいから。
あなたは、答えの前に“怖さ”を聞く」
レイの喉が詰まった。
“怖さ”。その言葉は、胸の奥の蓋を叩く。
リシアは去り際に、ぽつりと落とした。
「あなたの耳は、傷の匂いがする」
その匂いを嗅ぎ取られたことが、恐ろしかった。
そして同時に、少しだけ救われた気もした。
自分の中の傷が、誰にも見えないままではないと知ったからだ。




