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"サイバーパンク" などにおける "パンク"とはなんなのか?

作者: 宮沢弘

パンクとはただの暴力か?

本稿は Medium と note にも投稿しています。

これは SYDEKICK (OPQRS) と直接関係する話題ではありませんが、 SYDEKICK の世界観モジュール関連で検討する余地があると考え、ここに書かせていただきます。また、 Medium と note にも投稿しています。


この稿ではタイトルのあたりについて考えてみたいと思います。ただし、ちょっと条件をつけます:

- スチームパンクは一旦除外

- 作品については Max Headroom を主な考察対象とする


1つめについては、スチームパンクの成り立ちとされるものによります。特に第一期スチームパンクを除外します。というのも、この時期のスチームパンクはサイバーパンクが流行った時に、それまでファンタジー寄りのSFを書いていた人たちが言い出した言葉という説があるためです。それが本当だとしたら、共通したイメージやテーマがあってのジャンルの成立ではないため、ここでの考察に含めるには適切ではないと考えたためです。ただし、おそらく "ディファレンスエンジン" からの第二期 (?) 以降は限定的に考慮に含めます。ただし、公開された時期によって第一期と第二期 (?) 以降と分けられるわけではないことに注意してください。時期的には第二期 (?) 以降だとしても、第一期の作品を強く意識した作品は事実上第一期の作品に含まれる可能性があります。


2つめについては、TV シリーズが本編であるため、それなりに各話ごとに違った切り口から世界を描いているためです。これがちょっとばかり重要で、他の作品-- 小説でもTRPGでも-- では描かれていない側面について描かれていたり、言及されていたりという利点があるためです。なお Max Headroom はTV シリーズに先立って劇場版が公開されていますが、これはTV シリーズの第一話の尺を倍にしたというくらいの作品ですので、視聴の優先順位は高くないと思います。また、「Max Headroom はサイバーパンクなのか?」という疑問があるものと思います。ここは近似的にサイバーパンクとして扱えるだろうという点と、上記の描かれている側面の多さという点での採用とします。

では、本題に移りましょう。


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●懸念事項


ざっくりした話として、日本産の小説やTRPGで「なんとかパンク」を謳っている作品に違和感を感じていたということが、まずあります。違和感というか、もやもやとしてはいた事柄ではあるのですが…… それが "蒸気活劇RPG スチームパンカーズ" (力武 et al., 新紀元社, 2020.) のあたりでなんとなくまとまり始め、先日 "マジックパンクTRPG" (千葉直貴 et al., KADOKAWA, 2025.)を購入し目を通していたところ、言葉にまとまりました。先に「スチームパンクは一旦除外」と書きましたので、ここでは "蒸気活劇RPG スチームパンカーズ" はきっかけになった、あるいは意識的に考えるようになった機会とするに留めておきます。それはともかく、とりあえず言葉にまとまりはしましたが、その言葉が広く通用するものであるかどうかはわかりません。その点はご了承ください。


では、懸念点となる部分をいくつか見ていきます。


第一に、登場人物の態度があります。 "Bladerunner" というタイトルや名称、そして "On The Edge" という形容はなにを表しているでしょうか? "Bladerunner" については、作品としてはサイバーパンクなのかという話もありますが、言葉のニュアンスとしては "On The Edge" に通じるものとして、ここでは考えます。これらの言葉は、個人の生き方と結び付けられている印象があります。もちろん特定の個人のみに対しての言葉ではなく、特定の集団に対してのものです。しかし、ここに疑問を感じます。これは、「サイバーパンクなどにおける個人の行動、行動の規範や行動の傾向は、個人にその原因を求めることができるのか?」という疑問です。


第二に、敵は必要なのでしょうか? もちろん、ここのシナリオ、キャンペーン、あるいは作品においてはっきりした敵が存在していた方が便利という状況はあるかもしれません。しかし、その世界観においてほぼ絶対的に敵である存在というものは必要でしょうか? 第一の懸念点と関わる事柄ではありますが、もしそういう存在があるのであれば、それは狭義のファンタジー、特におそらくは英雄譚かそれに類するものにおけるモンスターないし類似の存在とどの程度違うものなのでしょうか? この点、「もしほぼ絶対的な敵といえる存在があるのであれば、それは『なになにパンク』ではなく、『狭義のファンタジー』なのではないか?」という疑問です。なお、広義のファンタジーは基本的に狭義のファンタジー、SF、風刺文学からなり、ここにミステリが含まれる場合もあります。また、ミステリを含んでいてもいなくても、ファンタジーではなく逃避文学と呼ばれることもあります。


第三に、ガジェットの問題を考えてみましょう。あるジャンルを成立させているのはそこに登場するガジェットでしょうか? あるいは、ガジェットが少なからぬ影響を持っているのでしょうか? これも、あるガジェットを登場させれば、作品があるジャンルに含まれるものになるという話ではないことはわかるかと思います。また、例えばガジェットとしての「剣」と「槍」にはどのような違いがあるでしょうか? 攻撃範囲が違うなどの差異は、TRPGごとに設けられているかもしれません。しかし問題は、「どっちであれ対象にダメージを与えるための道具である」という点です。ここで、「剣」と「槍」と分けて考えていたのでは、こういう考えには馴染めないかもしれません。そこでここでは「ガジェットの機能」という面で考えてみます。もう一つ例をか考えてみます。ファンタジー寄りの世界観で、神々の世界がPCにとっての現実世界と重なって (?) 存在すると考えます。そしてPCが神々の世界に入るためにはアミュレットのような何かが必要だとします。さて、これはわかりやすくしたので想像がつく人も多いでしょう。サイバーパンクにおいては、サイバースペースにアクセスするためには、侵襲型であれ日侵襲型であれインターフェースが必要になりまう。この2つの関係は同じであり、両者を区別するものではないことがわかると思います。つまり、これまでの2つとは異なり、ガジェットについてはここではそもそも考える必要がないことがわかります。


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●Max Headroom


ここで対象とする Max Headroom とは、米国ABCによってTVドラマ化された作品、およびメインキャラクターの一人です。キャラクターとしての Max Headroom は英国の音楽番組の MC として生まれました。ただ、私はこのあたりの映像を見たことはないので、ここで思い出している Max Headroom とは違うかもしれません。というのも、ドラマの方の Max Headroom はかなりの映像編集が必要と考えられ、そのままの形で MC として振る舞っていたのかはわからないためです。また、 TVドラマの前に映画が作成されています。ただし、それはドラマの第1話の尺を倍にしたくらいの内容なので、視聴の優先度は低いと思います。"Max Headroom" という言葉は、日本語にすれば「高さ制限」という意味合いとなりますが、なぜそういう名前なのかはぜひ作品を視聴して確認してみてください。なお、映画は英国で制作され、TVドラマは米国で制作されていますが、主要キャラクターの役者は映画版から引き継いで演じています。


Max Headroom の世界は-- いくつあるのかはわかりませんが-- 、超巨大企業が支配の一端を担っています。資本主義が行き着いた世界とも言えます。とくにドラマにたびたび登場する超巨大企業は、日本に本社があると設定されています。また、各国・各地の議員などは1ヶ月に1回の選挙で選ばれます (ここはちょっと記憶違いがあるかもしれません。もしかしたら1周間に1回の選挙だったかも?)。これは民主主義が行き着いた世界とも言えます。しかし、超巨大企業も政治家もそれぞれだけでは動けません。そこで登場するのがTV局です。超巨大企業はTVでCMを流します。政治家はTV局と契約し、おそらく宣伝もあるでしょうが、選挙を行ないます。当然TV局は不正もします。これもなにかが行き着いた世界と言えるでしょう。


ここで一つの補足が必要でしょう。選挙の投票は、特定の時間に選択していたTV局として行なわれます。たとえば、候補者AがTV局aと契約していたとします。選挙権を持つ人が、特定の時間に選択していたTV局がa局だったとすると、それは候補者Aへの投票としてカウントされます。


ここでさらに二つの補足が必要でしょう。 Max Headroom の世界では、TVにOFFスイッチをつけること自体が違法です。ただし、TVに毛布をかけることは違法ではありません。「TVに毛布?」と思われるかもしれません。もちろん、寝る時に光が邪魔などの理由もあるでしょうが。そして2つめですが、すべてのTVは 2 way sampler により視聴者の様子をTV局に送っています。


また、シティーと呼ばれる管理が行き届いた社会と、シティーの外に広がる外辺と呼ばれる無法地帯があります。臓器、死体、なんなら意識不明の人体の売買や、暴力的スポーツなどが行なわれています。この点については世界中がそうなのかという描写はありませんが、舞台となるシティーと外辺はそのように描かれています。外辺にも主人公のチームと言えるだろう人物がいます。マイクロバス (?) で違法TV局をやっている人物とその妻です。「明日を昨日に変えるTV」 (だったかな?) を謳っており、同じビデオを何回も流し続けたりしています。シティーと外辺との行き来は明確には描かれていませんが、シティーが隔離されているという状態ではないようです。外辺においては識字率が低いことも描写されています。TVは外辺にも大量に設置されています。外辺に置かれたTVが投票にどう影響しているのかはわかりませんが、おそらくは得票数のごまかしに使われている可能性は考えられます。シティーも、そして外辺も行き着いた世界と言えるでしょう。


さて、キャラクターとしての Max Headroom の誕生についてですが。TV局のスターレポーターがある事件を追うこととなりますが、その結果自社の大衆切り捨てとも言える態度に行き着きます。そして、そのための技術が自社で開発されたことを知るとともに、事件の様子を見ることになります。事件の様子を見てしまったレポーターは自社の中で追われ、自社の外に逃げようとします。しかし失敗し、意識不明のまま R&D 担当者のもとに運び込まれます。社長はどこまで知られたのかを知りたいと言いますが、レポーターは意識不明ですので聞き出すことはできません。そこで R&D 担当者がレポーターの脳の電子的コピーを作れば、すぐにでも聞き出せると提案します。この際にはこめかみに電極を貼る程度の描写となっています。そうして、キャラクターとしての Max Headroom が誕生します。「心は2つ、でも記憶は1つ」というセリフは、第一話の終わり近くの方で Max Headroom から発せられます。なお、 R&D 担当者はその後レポーターに積極的に関わり、あるいは巻き込まれ、チームの一員となります。ここでスターレポーターについて補足しておきましょう。スターレポーターは社会に切り込むというスタイルが受けて人気を博しています。しかしそれは所属しているTV局があってのことです。ここに一つの矛盾があります。たとえば切り込む対象が自社だとし、もしも自社を潰してしまったら、スターレポーターという職業を失うかもしれません。もちろん、他社に引き抜かれるということはあるかもしれません。また当のTV局においても、スターレポーターに切り込まれたら都合が悪い事実があります。しかしスターレポーターを切り捨ててしまっては、自社にとっての損失となります。作品中では、善意なのか野心なのかはわからないものの、社長の交代劇という形で第一話は終わります。


他になにか書いておくこととしては… ブランクスと呼ばれる人々がいます。外辺の住人はそもそも市民台帳のようなものに載ってもいないものと思われますが、シティーに暮らす人々は原則として載っているものと思われます。ブランクスは市民台帳のようなものから自身のデータを消した、あるいは消してもらった人々です。ブランクスは必ずしも外辺に逃げているとは限らず、シティー内に暮らしていることもあるようです。これに関する話としては、司法の公平性やかかる時間のようなものもあるでしょうか。あるブランクスの一人の裁判では、裁判所職員と思われる人が、そのブランクスのデータが入ったであろうフロッピー・ディスクをコンピュータに挿入し、即座に判決が出ます。ほんの一話の中のちょっとした描写だけですが、これも行き着いた世界であることが伺えます。


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●懸念事項と行き着いた世界


さて、前節では何回か行き着いた世界と書きました。この社会はどのように作られたでしょうか? 商業、政治、報道、司法、死体売買のいずれについても同じです。そしてその社会は誰かが悪意を持って作ったものではなく、善意ではないとしても発展や公平を願って作られたもののはずです。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉がありますが、それに近いとも言える状況でしょう。まだ地獄には至っていないにしても、社会そのものが "On The Ede" であり、そして "Bladerunner" でもあります。


そのような世界で、人々はどう行動するでしょうか? もちろん一部の少数の人々ではあるでしょうが。それはシティーの住人であろうと、外辺の住人であろうと変わりはありません。そして、それは商業、政治、報道、司法、死体売買のいずれに関わっていても変わりません。つまり、 "On The Edge" という、そして "Bladerunner" という行動です。個人の行動が先にあるのではなく、社会が先にあります。その社会で生き残ろうとし、あるいは信念を持って、そのような生き方を選びます。あるいは選ばざるを得なくなります。


この社会において絶対悪と呼べるような敵は存在しません。個人の行動や、その選択には悪意や敵意がある場合もあります。しかしそれは絶対悪と呼べる悪意や敵ではありません。たとえば当のスターレポーターは明確に2回、それぞれの相手から敵視され追い詰められます。スターレポーターの社会に対する切込みを鬱陶しく思う者が存在するためです。しかし、その存在は絶対悪と呼べる相手ではありません。相手もまた生き残ろうとしており、社会において一定の役割を持っているのです。もしここに絶対悪と呼べる存在があったとしましょう。個人的な意見ではありますが、 Max Headroom の世界の魅力は失われていたでしょう。


「何とか会社が敵だ」であるとか、「ある組織が敵だ」であるとか、「誰々が敵だ」という設定は物語をわかりやすいものにするかもしれません。もしかしたら、そうした方が人気が出る場合もあるかもしれません。しかし少なくとも Max Headroom の世界では、そうはならないでしょう。社会には様々な参加者がおり、それぞれの参加者ごとに思想や事情があることを Max Headroom では描いています。それが Max Headroom の魅力の一面であることは確かです。


●結論

結論はありません。もしあなたが同人小説を書こうとしていたり、同人TRPGを作ろうとしており、それを「なんとかパンク」と称しようと考えているなら、これをもう一度読み返していただき、考察を深めるきっかけとなれば幸いです。

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