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第6話「王都の複雑さ」

 ヘンリーがギルドの横暴から店を守ってくれた翌日、王都全体に微妙な変化が起きていた。


 朝一番にやってきたギルバートが、興奮気味に食材を運び込みながら話し始めた。


「リンちゃん、凄いことになってるよ!」


 彼は荷物を置くと、声を弾ませて続けた。


「昨日のことが王都中の話題になってる。筆頭文官殿が個人商店を守ったって」


「えっ、そんなに大事になってるんですか?」


 凛は驚いた。確かにヘンリーが助けてくれたが、そこまで注目されるようなことだったのだろうか。


「ああ。特に商人の間では大騒ぎだ。商業ギルドと王宮の関係は元々微妙だからね」


 ギルバートは声を潜めて説明を続けた。


「表向きは協力してるが、裏では主導権争いがある。商業ギルドは大商人たちに牛耳られてて、個人商店を潰して市場を独占しようとしてる」


「でも王宮は違うんですか?」


「王宮は市民の生活を守る立場がある。特にヘンリー様は民政に力を入れてることで有名だからね」


 ギルバートの説明で、昨日の出来事の政治的な意味が見えてきた。ヘンリーは単に常連客として店を守ったのではなく、政治的な信念に基づいて行動したのだ。


「つまり、昨日の件は商業ギルドに対する王宮からの警告だったってことさ」


「そう考えると、私たちはとんでもないことに巻き込まれてしまったんですね」


「まあ、そうとも言えるけど」


 ギルバートは楽観的に笑った。


「でも、これで君の店は完全に安全だよ。筆頭文官殿の庇護があるってわかれば、だれも手を出せない」


 本当にそうだろうか。凛には複雑な気持ちがあった。確かに店は守られたが、権力闘争に巻き込まれることで、かえって危険になる可能性もあるのではないだろうか。


「それに」


 ギルバートが意味深に笑った。


「ヘンリー様がこんなに個人的に動かれるなんて、滅多にないことだよ。リンちゃんの店は相当特別な存在なんだろうね」


 その言葉に、凛の心は複雑に揺れた。ヘンリーにとって自分たちの店が特別だということは嬉しい。でも、それが単純な常連客としての愛着を超えた何かであるとしたら……


 午前中の忙しい時間帯、マリーがいつものようにやってきた。でも今日の彼女は、いつもより興奮している様子だった。


「リンちゃん! 昨日は大変だったんですってね」


「マリーさんも聞いてらしたんですか?」


「王都中の噂よ。商業ギルドがあなたの店に嫌がらせに来て、筆頭文官殿が追い払ったって」


 マリーは席に着くと、興味深そうに凛を見つめた。


「それで、筆頭文官殿との関係はどうなの?」


「関係って……ただの常連のお客様です」


「ただの常連客のために、あの方があそこまでされるかしら?」


 マリーの鋭い指摘に、凛は言葉に詰まった。確かにヘンリーの行動は、単純な客と店の関係を超えているように見える。


「あの方は政治的な駆け引きがお上手で有名なの。でも昨日の行動は、完全に個人的な感情に基づいたものだったって、みんな言ってるのよ」


「個人的な感情?」


「ええ。あなたに対するなんらかの特別な感情があるんじゃないかって」


 マリーの言葉に、凛の胸がドキドキと高鳴った。まさか、そんなことが……


「でも、気をつけなさいね」


 マリーの表情が急に真剣になった。


「権力者に目をつけられることは、よいことばかりじゃないの。敵も作ることになるから」


「敵?」


「商業ギルドは表面的には引き下がったけど、内心では面白くないでしょうね。それに、王宮内部にもヘンリー様をよく思わない勢力があるのよ」


 マリーの警告に、凛は不安を感じた。政治の世界は想像以上に複雑で危険なようだ。


「特に、貴族派の連中はヘンリー様の民政重視の姿勢を快く思ってない。今回の件で、さらに対立が深まる可能性があるわ」


「そんな……」


「でも、心配しすぎることもないのよ。ヘンリー様は王国で最も優秀な政治家の一人だから、きっと適切に対処してくださるでしょう」


 マリーはハーブティーを飲みながら続けた。


「それより、あなたはどうするの? このままヘンリー様との関係を続けるつもり?」


「どうするって……」


「あの方があなたに特別な感情を抱いているとしたら、あなたの方はどうなの?」


 マリーの直球な質問に、凛は動揺した。ヘンリーに対する自分の気持ちを、改めて考えたことがなかった。


 確かに彼は魅力的だ。最初は冷たくて近寄りがたいと思ったが、今では彼の優しさや孤独を理解できるようになった。そして……


「まあ、急いで答えを出す必要はないわね」


 マリーが優しく笑った。


「でも、いずれは向き合わなければならない問題よ」


 午後になって、予定通りヘンリーがやってきた。今日は私服姿だった。濃紺のシンプルな服装だが、やはり品があって高貴な印象を与える。


「いらっしゃいませ」


「今日は休暇なんだ」


 ヘンリーが珍しく説明してくれた。


「たまには政務から離れて、ゆっくりしたくなった」


 彼はいつもの席に座ると、大きく息をついた。疲れているようだった。


「昨日は大変でしたね」


 凛がコーヒーを出しながら言うと、ヘンリーは苦笑した。


「君に迷惑をかけてしまったようだな」


「迷惑だなんて、とんでもありません。助けていただいて……」


「いや」


 ヘンリーが首を振った。


「俺の行動が原因で、君が政治的な渦に巻き込まれてしまった。それは事実だ」


 彼はコーヒーを一口飲んでから続けた。


「商業ギルドの連中は表面的には引き下がったが、諦めたわけではないだろう。別の方法で圧力をかけてくる可能性がある」


「別の方法?」


「食材の供給を止める、客足を遠のかせる嫌がらせ、建物の賃貸契約に問題を作る……手段はいくらでもある」


 ヘンリーの説明に、凛は背筋が寒くなった。


「でも、必ず君たちを守る」


 彼の声には強い決意が込められていた。


「なぜそこまで……」


「この店は……君たちは、俺にとって大切だからだ」


 ヘンリーの言葉に、凛の心は激しく動揺した。マリーが言っていた通り、これは単純な客と店の関係を超えている。


「大切って……」


「ああ」


 ヘンリーは窓の外を見つめた。


「王宮では常に仮面をかぶって生きている。だれも信用できないし、だれにも本当の気持ちを話せない」


 彼の横顔には、深い孤独が刻まれていた。


「だがここでは違う。君もメルも、俺を筆頭文官としてではなく、一人の人間として接してくれる」


「当然です。お客様ですから」


「いや、それだけじゃない」


 ヘンリーが凛を見つめた。その瞳には、今まで見たことのない真剣さがあった。


「君の作る料理には、温かい心がこもっている。それは地位や権力とは関係なく、純粋に人を喜ばせたいという気持ちから生まれるものだ」


「ヘンリーさん……」


「俺は長い間、そんな純粋な気持ちを忘れていた。だが君と出会って、思い出すことができた」


 ヘンリーの告白に、凛は胸が熱くなった。彼の言葉は、恋愛的な告白というよりも、もっと深い人間としての繋がりを求める気持ちの表れのように聞こえた。


「これからも、よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 二人の間に、温かい沈黙が流れた。


 そのとき、店の扉が勢いよく開いた。


「リンさん!」


 慌てて飛び込んできたのはメルだった。彼女は買い物に出かけていたのだが、顔色が青ざめている。


「どうしたの?」


「市場で変な噂を聞いたんです」


 メルは息を切らして報告した。


「商業ギルドが、リンさんのことを『危険人物』として他の商人に触れ回ってるって」


「危険人物?」


 ヘンリーの表情が険しくなった。


「どんな内容だ?」


「正体不明の食材を使っている、王宮に取り入って不正な利益を得ている、そんな風に言いふらしてるそうです」


 凛は愕然とした。昨日助けてもらったと思ったら、今度は陰湿な嫌がらせが始まったのだ。


「それで、何人かの商人さんが、リンさんとは取引しない方がいいって言い始めてるそうです」


「卑劣な手段だな」


 ヘンリーが怒りを込めて言った。


「直接的な攻撃ができないから、評判を貶めて孤立させようとしている」


「どうしたらいいんでしょう?」


 凛は不安になった。評判が悪化すれば、確実に客足に影響する。


「対策はある」


 ヘンリーが立ち上がった。


「俺が王宮の公式見解として、この店の料理の安全性と品質を保証する声明を出そう」


「そんなこと、していただけるんですか?」


「当然だ。事実を述べるだけなのだから」


 ヘンリーの頼もしい言葉に、凛とメルは安堵した。


「ただし」


 彼が振り返った。


「これでさらに政治的な注目を集めることになる。覚悟はできているか?」


 凛は迷った。平穏な生活を送りたかっただけなのに、どんどん複雑な状況に巻き込まれていく。


 でも、このまま黙って店を潰されるわけにはいかない。メルのためにも、そして自分のためにも、戦わなければならない。


「お願いします」


 凛の決意を聞いて、ヘンリーは満足そうに頷いた。


「わかった。明日にでも手配しよう」


 彼が店を出た後、凛とメルは複雑な気持ちで見送った。


「リンさん、私たち、大変なことになりましたね」


「そうね……でも、きっと大丈夫よ」


 凛は自分に言い聞かせるように答えた。


「ヘンリーさんが守ってくれるから」


 その夜、凛は眠れずに考えていた。ヘンリーの言葉、マリーの警告、そしてこれから待ち受けているであろう困難について。


 異世界に来て、平穏なカフェ経営を夢見ていたのに、気がつけば王国の政治に巻き込まれている。でも、不思議と後悔はなかった。


 この世界で出会った人たちとの絆が、困難を乗り越える力を与えてくれる。特にヘンリーとの関係は、まだよく分からないが、確実に自分の心の支えになっている。


 明日からまた新しい戦いが始まる。でも、もう一人じゃない。仲間がいる。そして……もしかしたら、それ以上の存在もいるかもしれない。


 窓の外に広がる王都の夜景を眺めながら、凛は決意を新たにした。どんな困難が待っていても、このCafe Lunaを、そしてここで築いた絆を守り抜こう。


 翌日から、物語は新たな局面を迎えることになる。ヘンリーの公式声明が王都に与える影響、商業ギルドの次なる策略、そして二人の関係の深まり……すべてが複雑に絡み合いながら、運命の歯車は回り続ける。


<第6話終了>

<第2章「王都の片隅で」完>

第3章予告:「魔法のスイーツ」


 ヘンリーの公式声明により一時的に平穏を取り戻したCafe Luna。しかし、新たな挑戦が待っていた。王都で評判の菓子職人レオナとの出会い、そして凛の味覚魔法がもたらす予想外の効果。魔法と料理の融合が生み出す奇跡のスイーツは、やがて王都全体を巻き込む大きな騒動へと発展していく。一方、ヘンリーとの関係も新たな段階へ……。

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