表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/28

第4話「筆頭文官の正体」

 開店から一週間が経った。


 Cafe Lunaは着実に常連客を増やしていた。近所の主婦たちが午前中のお茶会場所として利用してくれるようになり、午後は商人や職人たちが疲れを癒す場所として愛用してくれている。


「リンさん、今日もマリーおばさんがお友達を連れて来てくれましたよ」


 メルが嬉しそうに報告する。マリーは近所で雑貨屋を営む五十代の女性で、開店二日目から毎日顔を見せてくれる大切な常連客だった。今日は三人の女性を連れて来てくれている。


「いらっしゃいませ、マリーさん」


「あら、リンちゃん。今日はお友達を連れてきたのよ。みんな、あなたの噂を聞いて興味津々なの」


 マリーと一緒に来た女性たちは、それぞれ花屋、パン屋、仕立屋を営んでいる近所の商店主たちだった。みんな気さくで話好きで、すぐに凛やメルとも打ち解けた。


「本当に美味しいハーブティーね」


「このクッキーも、今まで食べたことのない味だわ」


「レシピを教えてもらえないかしら?」


 女性たちの賞賛に、凛は照れながら答えた。もちろん、味覚魔法のことは秘密だが、材料や基本的な作り方は惜しみなく教えた。


「リンちゃんは本当に親切ね。普通なら企業秘密よ」


 パン屋のエルダさんが感心して言った。


「みなさん同じように商売をされているのに、こんなに温かく受け入れてくださって……現代では考えられない」


 凛がうっかり口にした「現代」という言葉に、女性たちが首をかしげた。


「現代って?」


「あ、えっと……最近の傾向では、という意味です」


 慌ててごまかしたが、マリーが鋭い視線を向けてきた。この人は直感が鋭いようだ。


 女性たちが帰った後、マリーが一人残って凛に声をかけた。


「リンちゃん、少し話があるの」


 マリーの表情がいつもより真剣だった。


「最近、商業ギルドの連中が個人商店を調べて回ってるって噂があるのよ」


「商業ギルド?」


「王都の商取引を管理する組織よ。表向きは秩序維持と食品安全管理だけど、実際は大商人たちが個人商店を潰して利益を独占しようとしてるって専らの噂」


 凛は背筋に冷たいものを感じた。この世界にも権力を悪用する組織があるらしい。


「彼らの手口は巧妙なの。最初は親切な調査員として現れて、些細な違反を見つけては法外な罰金を科したり、営業許可を取り消したりする」


 マリーは声を潜めて続けた。


「そして最終的には、ギルド傘下の大商人が『親切にも』その店舗を買い取ってくれるという寸法よ」


「そんなひどいことが……」


「特に新しい店は狙われやすいのよ。まだ地域に根ざしていないから、だれも守ってくれないと思われてるから」


 マリーの警告に、凛は不安を感じた。せっかく軌道に乗り始めたCafe Lunaが、そんな理不尽な理由で潰されてしまうなんて。


「でも、リンちゃんの店は特別かもしれないわね」


「特別?」


「ここ数日、妙に身分の高そうなお客様が来てるじゃない」


 マリーが意味深に微笑んだ。


「あの金色の紋章をつけた制服の男性とか」


 確かに、その男性の制服には王冠をかたどった金色の紋章がついていた。あれはやはり高位の証なのだろう。


「あの方がどなたかご存知なんですか?」


「詳しくは分からないけど、あの紋章は王宮の高官のものよ。それも相当上位の」


 マリーは興味深そうに凛を見つめた。


「どうやってそんなお客様を?」


「偶然です。開店初日にたまたま立ち寄ってくださって」


「偶然ね……」


 マリーは何かを考え込むような表情を見せたが、それ以上は詮索しなかった。


「とにかく、気をつけなさいね。商業ギルドの連中は、表向きは丁寧だけど内心は真っ黒よ」


 マリーが帰った後、凛は不安な気持ちで店の片付けをしていた。商業ギルドという脅威があることは分かったが、どう対処すればいいのか見当もつかない。


「リンさん、どうかしましたか? 顔色が悪いですよ」


 メルが心配そうに声をかけてきた。


「マリーさんから聞いた話なんだけど……」


 凛はマリーから聞いた商業ギルドの話をメルに説明した。メルの顔はみるみる青ざめていった。


「そんな……せっかくいい生活ができるようになったのに」


 メルの声が震えていた。孤児院出身の彼女にとって、安定した生活がどれほど貴重なものかは想像に余りある。


「大丈夫よ。まだなにも起きてないし、対策も考えましょう」


 凛は努めて明るく言ったが、内心では不安でいっぱいだった。


 午後になって、例の男性──ヘンリーがやってきた。今度は開店初日とは違い、濃紺の制服のような服装を身に着けている。胸元には王冠をかたどった金色の紋章が威厳を放っていた。


「いらっしゃいませ」


 凛が挨拶すると、ヘンリーは軽く頷いて同じ窓際の席に座った。どうやらここがお気に入りの場所らしい。この席からは店内全体と外の通りが見渡せる。


「今日もコーヒーとガトーショコラを?」


「ああ」


 相変わらず口数は少ないが、以前ほど冷たい印象は受けない。むしろ、どこか安堵したような表情を浮かべているように見えた。まるで一日の疲れがここに来ることで癒されるような……


 コーヒーを淹れながら、凛はヘンリーを観察した。整った顔立ちと品のある立ち振る舞いからは、確かに高い身分が窺える。でも、時折見せる孤独そうな表情が気になった。


「お待たせしました」


 コーヒーとガトーショコラを置くと、ヘンリーはいつものように無言で味わい始める。最初の一口でわずかに表情を緩ませるのが、もはや日課のようになっていた。


「美味い」


 今日は珍しく、短いながらも感想を口にしてくれた。


「ありがとうございます」


 ヘンリーがケーキを食べ終わり、料金を払って立ち上がろうとしたとき、凛は思い切って声をかけた。


「あの、よろしければお名前を教えていただけませんか? 常連のお客様なのに、なんとお呼びしたらいいのかわからなくて」


 ヘンリーは一瞬躊躇した。きっと身分を明かすことに慎重になっているのだろう。


「……ヘンリー・ヴァルターだ」


「ヴァルター……?」


 どこかで聞いたことがある名前だった。確か、マリーが話していた王都の話の中に出てきたような……


「ひょっとして、王国の……?」


「筆頭文官をしている」


 凛は息を呑んだ。筆頭文官といえば、国王に次ぐ地位の高官ではないか。政策立案から外交交渉まで、国の重要な決定に関わる人物が、なぜ王都の片隅にある小さなカフェに通うのだろう。


「驚いたか?」


 ヘンリーの口元にかすかな笑みが浮かんだ。初めて見る表情だった。氷のような冷たさの奥に、温かい人間性が隠されていることを感じた。


「え、えっと……はい、正直なところ」


「心配するな。君の店を潰しに来たわけではない」


 まるで凛の不安を見透かしたような言葉だった。マリーから聞いた商業ギルドの話を思い出し、凛は安堵した。


「ただ……」


 ヘンリーは窓の外を眺めた。


「美味い料理が食べたくなると、ここに来てしまうんだ。不思議なことに、王宮の豪華な料理よりも、君の作る素朴な料理の方が心に響く」


 その言葉には、深い孤独が込められているように聞こえた。


「王宮では常に政治的な思惑に囲まれている。だれと話していても、その人がなにを求めているのか、なにを隠しているのかを考えなければならない」


 ヘンリーの表情が少し影を帯びた。


「だがここでは……君もメルも、ただ純粋に美味しい料理を提供し、客を喜ばせようとしている。その真摯な気持ちが、料理の味にも表れているのだろう」


 凛は胸が熱くなった。自分たちの小さな努力が、こんなに重要な人物の心を動かしているなんて。


「それに……」


 ヘンリーが振り返った。


「君の作る料理には、どこか懐かしい味がする。故郷を思い出すような、温かい気持ちになれる」


「故郷?」


「ああ。俺は幼い頃、母と一緒に小さな村で暮らしていた。母が作ってくれた手作りの菓子は、決して豪華ではなかったが、愛情がこもっていて……」


 ヘンリーの表情が柔らかくなった。


「君の料理からは、あのときと同じ温かさを感じるんだ」


 凛は何と答えていいか分からなかった。味覚魔法の効果もあるかもしれないが、それだけではない。心を込めて作った料理が、彼の心に響いているのだ。


「これからも、よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 ヘンリーが今度こそ店を出て行った後、メルが興奮して駆け寄ってきた。


「すごいじゃないですか、リンさん! 筆頭文官様が常連客だなんて、こんな名誉なことはありませんよ」


 確かに名誉なことかもしれないが、凛にはある複雑な感情があった。権力者に目をつけられることが、本当に良いことなのかどうか。そして、ヘンリー個人に対する感情も……


「でも、これで商業ギルドも手を出せませんね」


 メルの楽観的な言葉に、凛は頷いた。確かに筆頭文官の庇護があれば、ギルドも迂闊には手を出せないだろう。


 しかし、凛はまだ知らなかった。権力者の庇護を受けることは、同時に政治的な敵対勢力からの標的になることでもあるということを。


 その夜、凛は眠れずに考えていた。ヘンリーの孤独そうな表情が忘れられなかった。筆頭文官という重責を背負い、常に政治的な思惑に囲まれて生きる彼にとって、この小さなカフェがどれほど大切な場所なのか。


 そして、彼が口にした「懐かしい味」という言葉も気になった。現代から転生してきた自分の料理が、なぜ彼に故郷を思い出させるのだろう。もしかして、彼も……?


 いや、それはあり得ない。ヘンリーは明らかにこの世界の人間で、幼少期の記憶もある。単なる偶然の一致なのだろう。


 でも、もし何か特別な理由があるとしたら?


 凛の心は、複雑な感情に満ちていた。感謝、不安、好奇心、そして……もしかしたら、それ以上の何かが。


 翌日から、Cafe Lunaの運命は大きく動き始めることになる。商業ギルドの影が迫り、ヘンリーとの関係も深まっていく中で、凛は自分でも予想していなかった世界に足を踏み入れることになるのだった。


<第4話終了>

第2章が始まりました。

ところで、評価ポイントをくださり、本当にありがとうございました。何故か目から汗がこぼれました。

今後ともよろしくお願いいたします。おこがましい話ですが、ブックマーク登録もしていただけると、もっと喜びます。

ただ、読んでくださるだけで本当にありがたいことですので、皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ