第39話「最後の脅威」
世界統合から三ヶ月が経ち、新世界は順調に発展を続けていた。
しかし、ある朝、王都に異変が起こった。
「リンさん、大変です!」
メルが慌てて駆け込んできた。
「空に、黒い雲のようななにかが現れました!」
外に出ると、確かに王都の上空に不気味な黒い渦が浮かんでいた。
それは雲ではなく、明らかに何らかの意思を持った存在のようだった。
「あれは一体……」
そのとき、黒い渦から低い声が響いた。
「ついに見つけた……」
「完全なる調和を実現した世界を……」
声の主が姿を現した瞬間、凛は戦慄した。
それは、かつて倒したはずの闇の魔法使いデス・エモウによく似ているが、さらに巨大で邪悪な存在だった。
「我は『絶対虚無』の化身、ネヒル・オムニス」
「全ての調和を破壊し、この世界を完全なる虚無に還すために来た」
王都中に恐怖が走った。
「また闇の存在が……」
「でも、今度は私たちには強い魔法力がありません」
住民たちが不安にざわめく中、凛は冷静に状況を判断した。
「急いで、みんなを呼んでください」
緊急事態として、アリエル、グランドール、マリーナ、シルフィアが集結した。
「これは予想していなかった事態だな」
グランドールが空を見上げた。
「あの存在は、これまでの敵とは次元が違います」
セレスティアが古代文書を調べた結果を報告した。
「『絶対虚無』……古代の最も恐れられた存在です」
「どのような存在なのですか?」
「全ての存在、全ての調和、全ての希望を無に帰す力を持つとされています」
「そして、完全なる調和が実現された時にのみ現れると予言されていました」
凛は理解した。
「つまり、私たちが世界統合を成功させたことで、この存在を呼び寄せてしまったということですね」
「そうです。皮肉なことに、最高の成果が最大の脅威を招いたのです」
そのとき、ネヒル・オムニスが攻撃を開始した。
黒い光線が地上に降り注ぎ、触れたものすべてが消失していく。
「みんな、避難してください!」
凛が叫んだが、攻撃の範囲があまりにも広い。
「このままでは、新世界が破壊されてしまいます」
「なにか対抗手段はないのですか?」
ヘンリーが必死に尋ねた。
「一つだけあります」
セレスティアが震え声で答えた。
「『最終調和の儀式』です」
「最終調和の儀式?」
「全ての生命体の魂を一つに結合し、絶対的な調和の力を生み出す儀式です」
「ただし……」
セレスティアが言いよどんだ。
「この儀式を行った者は、永遠に自分の個性を失い、調和の力そのものになってしまいます」
「つまり、人間としては死ぬということですね」
凛が静かに確認した。
「はい。肉体は残りますが、魂は世界と一体化してしまいます」
重い沈黙が一行を包んだ。
しかし、黒い光線の攻撃は激しさを増しており、決断を先延ばしにする時間はない。
「私がやります」
凛が立ち上がった瞬間、四人の仲間が同時に反対した。
「だめです!」
「君一人に犠牲を強いるわけにはいかない」
「他に方法があるはずです」
「諦めるのは早すぎます」
しかし、凛の決意は固かった。
「これまでの旅で学んだことがあります」
「真のリーダーとは、最後に自分が責任を取る人のことです」
「それに、私には皆さんがいてくれたから、ここまで来ることができました」
「今度は、私が皆さんを守る番です」
そのとき、意外な声が響いた。
「待ってください」
現れたのは、各世界の住民代表たちだった。
天界のミカエル、地底界のボルダン、海界のアクア、森界のオーク、そして地上界の多くの市民たち。
「私たちも一緒にやらせてください」
ミカエルが前に出た。
「リンさん一人に背負わせるわけにはいきません」
「そうだ」
ボルダンが力強く言った。
「俺たちはもう家族だろう?」
「家族が困っているときに、黙って見ているわけにはいかないわ」
アクアが涙を流しながら続けた。
「私たちの命も、みんなで守ったこの世界のためなら惜しくありません」
オークも頷いた。
「森は一本の木では成り立ちません。みんなで作るものです」
「この世界も同じです。みんなで守るものです」
地上界の市民たちも口々に賛同した。
「リンさんのおかげで、私たちはこんなに幸せになれました」
「今度は私たちが恩返しする番です」
「一緒に戦わせてください」
凛は深く感動していた。
「皆さん……」
「でも、最終調和の儀式は一人しかできないのでは?」
「いえ」
セレスティアが古代文書を読み直した。
「よく読むと『一つの意志のもとに結束した集団』でも可能と書かれています」
「つまり、みんなで心を一つにすれば……」
「みんなでやれるということですね」
凛が理解した。
「でも、それは全員が個性を失うということです」
「構いません」
ミカエルが即答した。
「個性を失っても、みんなでいられるなら」
「そうだ。一人で生き残っても意味がない」
ボルダンも同意した。
「みんなで一つになれるなら、それも素晴らしい結末だ」
住民たちも皆、同じ気持ちだった。
「みんなで決めたことなら、後悔はありません」
「この美しい世界を守れるなら、何でもします」
「一緒にいれば、怖くありません」
しかし、そのとき、新たな希望の光が差した。
「皆さん、待ってください」
空から現れたのは、古代の巫女リンナだった。
「リンナさん?」
「もう一つ、方法があります」
リンナが優しく微笑んだ。
「『真の調和』は犠牲によって生まれるものではありません」
「愛と絆によって生まれるものです」
「どういうことですか?」
「皆さんがこれまで築いてきた友情、愛情、信頼」
「それらの力を結集すれば、だれも犠牲になることなく、絶対虚無を退けることができます」
リンナが説明した。
「『愛の統合魔法』と呼ばれる、最も高次元の魔法です」
「でも、私たちにはもう強い魔法力がありません」
「魔法力は必要ありません」
リンナが断言した。
「必要なのは、純粋な愛の心だけです」
「やってみましょう」
凛が決断した。
「みんなの愛の力を信じます」
住民たちが王都中央広場に集まった。
五つの世界の全ての住民が手を取り合い、巨大な輪を作る。
「みんな、心を一つにしてください」
凛が中央に立って呼びかけた。
「大切な人への愛を思い出してください」
「家族への愛、友達への愛、この世界への愛」
住民たちが目を閉じ、心を集中させた。
すると、不思議なことが起こった。
一人一人から温かい光が立ち上がり、それらが合わさって巨大な光の柱となった。
「これは……」
光の柱は空に向かって伸び、ネヒル・オムニスを包み込んだ。
「なんだと!? この力は……」
絶対虚無の化身が驚愕している。
「愛の力だ!」
凛が叫んだ。
「憎しみでも恐怖でもない、純粋な愛の力よ!」
光がさらに強くなると、ネヒル・オムニスの姿が変わり始めた。
黒い邪悪な姿から、悲しみに満ちた孤独な存在の本当の姿が現れた。
「そうか……あなたも孤独だったのね」
凛が理解した。
「絶対虚無とは、愛を失った存在の最終形態だったのね」
「愛など……愛など幻想だ……」
ネヒル・オムニスが苦しそうに呟いた。
「いつかは裏切られる……いつかは失われる……」
「それなら最初からなにもない方が……」
「違います」
凛が優しく語りかけた。
「愛は確かに失われることもあります」
「でも、愛した記憶、愛された記憶は永遠に残ります」
「そして、新しい愛も必ず生まれます」
住民たちの愛の光が、ネヒル・オムニスを包み込んだ。
「これが……愛……」
絶対虚無の化身が、初めて愛の温かさを感じた。
「こんなに……温かいものだったのか……」
「はい」
凛が微笑んだ。
「あなたも、みんなの仲間になりませんか?」
「私を……仲間に?」
「もちろんです」
「愛に飢えているなら、私たちがたくさん分けてあげます」
ネヒル・オムニスの黒い姿が、徐々に光に包まれて変化していく。
やがて、そこには孤独で悲しい心を持った、小さな精霊のような存在が現れた。
「私の名前は……ニル」
「長い間、一人ぼっちで寂しかった……」
「もう一人ぼっちじゃないよ」
子供たちが駆け寄って、ニルを抱きしめた。
「僕たちの友達になろう」
「一緒に遊ぼう」
ニルは初めて涙を流した。
「友達……私に友達ができるの?」
「もちろんよ」
凛がニルの頭を撫でた。
「この世界では、だれでも愛され、誰でも愛することができるの」
こうして、最後の脅威も愛の力によって解決された。
ニルは新世界の一員となり、多くの友達に囲まれて幸せに暮らすことになった。
「まさか、最大の敵が最後の仲間になるとは思いませんでした」
アリエルが感慨深く言った。
「これぞ、真の調和ですね」
グランドールも頷いた。
「だれも排除しない、だれも見捨てない」
「本当の平和とは、こういうものなんですね」
マリーナが涙ぐんだ。
「敵さえも愛で包み込む」
シルフィアも感動していた。
「これで、本当に全てが終わったのですね」
その夜、王都では盛大な祝祭が開かれた。
最後の脅威も愛の力で解決し、真の平和が実現されたのだ。
「乾杯!」
「愛の勝利に乾杯!」
「真の平和に乾杯!」
五つの世界の住民、そして新しい仲間のニルも一緒になって、喜びを分かち合った。
凛は仲間たちと共に、その光景を見つめていた。
「長い旅でしたが、ついにゴールに到達しましたね」
「いや、これはゴールじゃない」
ヘンリーが微笑んだ。
「新しいスタートだ」
「そうですね」
凛も微笑み返した。
「真の平和を維持していくという、新しい旅の始まりですね」
夜空には、今夜も五色の星が輝いている。
そして今夜は、新しい小さな星も加わっていた。
それは、愛によって救われたニルの星だった。
愛の力で築いた平和は、決して崩れることはない。
なぜなら、愛は無限に生まれ、無限に広がっていくものだから。
真の調和への長い旅は、ついに完結した。
しかし、愛と平和の物語は、これからも永遠に続いていく。
<第39話終了>




