第34話「地底界の試練」
多世界平和プロジェクトが正式に発足してから一週間後、凛は地底界への第一回訪問に出発した。
「リン先生、気をつけてください」
心の調和学院の生徒たちが見送ってくれた。
「地底界は他の世界とは全く違う環境だと聞いています」
「大丈夫よ」
凛が微笑んで答えた。
「どんな世界でも、そこに住む人々の心は同じです」
今回の訪問団は、凛、ヘンリー、レオナ、セレスティア、そして地底界の使者グランドールで構成されていた。
「地底界の入り口はこちらです」
グランドールが王都郊外の洞窟を指した。
「深く潜っていくと、我々の世界に到着します」
洞窟の奥に進むと、突然足元が光り始めた。
「これは……転送魔法陣ですね」
セレスティアが説明した。
「古代の技術を使っているようです」
光に包まれた次の瞬間、一行は全く違う世界にいた。
「わあ……」
地底界は想像していたより遥かに美しかった。地下とは思えないほど広大な空間に、光る鉱石でできた建物が建ち並んでいる。
「美しい世界ですね」
レオナが感嘆した。
「でも、なんだか重苦しい雰囲気がありますね」
確かに、地底界の住人たちの表情は険しく、街全体に張り詰めた空気が流れていた。
「それが私たちの問題なのです」
出迎えてくれた長老のバルカンが重々しく説明した。
「我々地底人は、長い間地下で暮らしてきました」
「そのため、怒りや不満を内に溜め込む習慣があります」
「しかし、あなたの魔法の影響で、これまで抑えていた感情が表に出始めてしまったのです」
街を案内してもらうと、確かに至る所で小さな諍いが起きていた。
「こんな仕事はもう嫌だ!」
鉱山で働く地底人が叫んでいる。
「なぜ俺ばかりが重労働を……」
「お前の言い方が気に入らない!」
商店では店主と客が激しく口論している。
「値段が高すぎる! ぼったくりじゃないか!」
「なんだと!? この品質でこの値段は安いくらいだ!」
子供たちですら、些細なことで喧嘩をしていた。
「僕の石を返せよ!」
「知らないよ、そんなもの!」
「嘘つけ! さっき持ってるの見たぞ!」
これまで我慢していた不満が一気に爆発しているようだった。
「これは深刻な状況ですね」
ヘンリーが心配そうに呟いた。
「このままでは社会の秩序が崩壊してしまう」
「そうなのです」
バルカン長老が頷いた。
「実は、昨日も大きな事件がありました」
「どのような?」
「隣町との境界線を巡って、武力衝突が起きかけたのです」
「普段なら話し合いで解決するような小さな問題だったのですが……」
長老の説明によると、地底界では各地域で同様の問題が発生しているという。
「工場では労働者たちがストライキを起こし、農場では家族同士が土地を巡って争っています」
「学校でも教師と生徒の関係が悪化し、まともに授業ができない状況です」
「なにか解決方法はありませんか?」
凛がバルカンに尋ねた。
「実は、一つだけ方法があります」
バルカン長老が古い石版を取り出した。
「『怒りの炎』を鎮める儀式です」
「ただし、この儀式は非常に危険で……」
「どのような危険ですか?」
「儀式を行う者が、地底界全体の怒りを一身に受けることになります」
「場合によっては、命を落とす可能性もあります」
凛は迷わず答えた。
「私がやります」
「凛!」
ヘンリーが制止しようとしたが、凛は決意を曲げなかった。
「私の魔法が原因でこうなったのです」
「責任を取らなければなりません」
「でも、一人では無理です」
レオナが前に出た。
「私も一緒にやります」
「私のお菓子の力で、怒りを和らげることができるかもしれません」
「レオナさん……」
「私たちは仲間でしょう?」
レオナが微笑んだ。
「一緒に頑張りましょう」
翌日、地底界の中央神殿で儀式が行われることになった。
「本当に大丈夫なのですか?」
セレスティアが心配そうに尋ねた。
「大丈夫です」
凛が答えたが、内心では不安だった。これまで経験したことのない規模の魔法を扱うことになる。
儀式の準備として、まず地底界の特別な食材を集めることになった。
「これは『炎の根』です」
グランドールが赤く光る根菜を見せた。
「地底界でしか採れない特別な食材で、感情を安定させる効果があります」
「こちらは『静寂の鉱石』を粉末にしたものです」
「調味料として使うと、心を落ち着かせる効果があります」
レオナも地底界特有の材料を研究していた。
「この『土のハチミツ』は面白いですね」
「甘さの中に、大地の力強さがあります」
「これを使ったお菓子を作れば、怒りを優しい力に変換できるかもしれません」
儀式当日、神殿には多くの地底人が集まった。
皆、期待と不安の入り混じった表情をしている。
「では、始めます」
凛は特別な魔法陣の中央に立った。
炎の根と静寂の鉱石を使って、「怒りを鎮めるスープ」の調理を始める。
しかし、調理を始めた瞬間、地底界全体の怒りのエネルギーが凛に流れ込んできた。
「うあああああ!」
凛は激しい痛みに襲われた。何千人もの怒りが一度に心の中に入ってくる。
「凛!」
ヘンリーが駆け寄ろうとしたが、魔法陣の力で近づけない。
「大丈夫です!」
凛は必死に調理を続けた。怒りのエネルギーを受けながらも、それを料理に変換していく。
「レオナさん、お願いします!」
「はい!」
レオナも同時に「怒りを甘さに変えるクッキー」を作り始めた。
二人の力を合わせることで、地底界の怒りは少しずつ和らいでいく。
「効果が出ています!」
セレスティアが興奮して報告した。
「地底界全体の怒りのエネルギーが減少しています」
しかし、儀式の最後で予期しないことが起こった。
地底界の最深部から、巨大な怒りの塊が現れたのだ。
「これは……地底界に溜まっていた千年分の怒りです」
バルカン長老が青ざめた。
「こんなものが存在していたとは……」
怒りの塊が凛に襲いかかってきた。
「危険です!」
そのとき、意外な助けが現れた。
天界のアリエルが光の扉から現れたのだ。
「凛さん、お手伝いします!」
「アリエルさん? なぜ?」
「天界で相談した結果、各世界が協力し合うべきだという結論になったのです」
アリエルの光の魔法が、怒りの塊を包み込んだ。
「天界の『平静の力』と、地上界の『調和の力』を合わせれば……」
二人の力が合わさると、怒りの塊は徐々に小さくなっていく。
「さらに私も!」
レオナが完成させた特別なクッキーを怒りの塊に向けて投げた。
クッキーが触れた瞬間、怒りの塊が美しい光に変わった。
「成功しました!」
儀式が完了すると、地底界の雰囲気が劇的に変わった。
「あれ? さっきまで何であんなに怒っていたんだろう?」
「君と喧嘩していたけど、実は君のことが好きだったんだ」
「俺たち、もっと協力し合おうぜ」
地底人たちが次々と和解し始めた。
「素晴らしい……」
バルカン長老が感動していた。
「長年の問題が、ついに解決されました」
しかし、凛は疲労で倒れてしまった。
「凛!」
「大丈夫です……ただ少し疲れただけ」
ヘンリーに支えられながら、凛は微笑んだ。
「また一つ、世界が平和になりました」
地底界での滞在は三日間だった。
その間に、地底人たちは怒りをコントロールする方法を学んだ。
「怒りは悪い感情ではありません」
凛が教えた。
「大切なのは、その怒りを建設的な方向に向けることです」
「たとえば、不公平な状況を改善するためのエネルギーとして使うのです」
地底人たちは深く納得していた。
「なるほど、怒りも使い方次第なんですね」
「これまで怒りを悪いものだと思って抑圧していました」
「でも、正義のための怒りなら、むしろ大切にすべきですね」
帰国の日、多くの地底人が見送りに来た。
「ありがとうございました」
「おかげで、私たちは感情と上手に付き合う方法を学べました」
「今度は私たちも、他の世界のお手伝いをしたいです」
アリエルも一緒に地上界に戻ることになった。
「各世界が協力し合えば、もっと効率的に問題を解決できるでしょう」
王国に戻ると、次の訪問先である海界からの使者が待っていた。
「お疲れ様でした」
青い肌の人魚、マリーナが挨拶した。
「海界では『深すぎる悲しみ』の問題で困っています」
「海の深さのように深い悲しみが、住人たちを支配してしまっているのです」
凛は決意を新たにした。
まだまだ解決すべき問題がたくさんある。
しかし、今回の経験で分かったことがある。
一人では無理でも、仲間と協力すれば必ず道は開ける。
そして、各世界が手を取り合えば、さらに大きな力を発揮できる。
「次は海界ですね」
レオナが意欲的に言った。
「海の食材を使ったお菓子作りが楽しみです」
「私も一緒に行きます」
アリエルも加わった。
「多世界協力の第一歩です」
こうして、凛の使命はさらに大きなスケールになっていく。
しかし、愛する仲間たちがいる限り、どんな困難も乗り越えられるだろう。
真の多世界平和まで、まだまだ道のりは長い。
でも、一歩ずつ確実に前進していこう。
<第34話終了>




