第33話「異世界からの使者」
心の調和学院が開校してから半年が経った頃、王都に奇妙な現象が起こり始めた。
「リンさん、また変な光が見えました」
メルが心配そうに報告した。
「今度は市場の上空に、虹色の輪っかが浮かんでいるんです」
確かに、ここ数週間、王都の各地で説明のつかない光の現象が目撃されていた。
「セレスティア様に相談してみましょう」
凛は不安を覚えていた。平和な日々が続いていただけに、これらの現象がより大きな変化の前兆のような気がしてならない。
セレスティアの研究室を訪れると、彼女は分厚い古代文書と格闘していた。
「リンさん、丁度よいところに来てくれました」
「なにかわかったのですか?」
「はい。これらの光の現象は、『次元の扉』の前兆だと思われます」
「次元の扉?」
凛は聞き慣れない言葉に困惑した。
「異世界への入り口のことです」
セレスティアが古代文書を指した。
「古代の記録によると、強大な魔法の力が一定のレベルに達すると、他の世界との境界線が薄くなるそうです」
「つまり、私の魔法の影響で……」
「おそらくそうです。あなたの力が世界規模で広がったことで、この現象が起きているのでしょう」
そのとき、窓の外で大きな光の爆発が起こった。
「あれは……」
三人が外に出ると、王都の中央広場に巨大な光の輪が現れていた。
「皆さん、危険です!下がってください!」
凛が市民に避難を呼びかけた瞬間、光の輪から人影が現れた。
しかし、それは敵ではなかった。
現れたのは、凛によく似た容姿の若い女性だった。ただし、服装は見たことのない独特なデザインで、背中には美しい翼が生えている。
「あの……」
その女性が恐る恐る声をかけた。
「こちらは『地上界』でしょうか?」
「地上界?」
凛が首をかしげると、女性は安堵の表情を浮かべた。
「よかった! やっと見つけました」
「私はアリエル。『天界』から来ました」
「天界?」
「はい。私たちの世界では、最近『地上界に現れた光の巫女』のお話で持ちきりなんです」
アリエルが興奮して説明した。
「あなたの心を癒す魔法の影響が、天界にまで届いているのです」
凛は驚愕した。自分の魔法が他の世界にまで影響しているとは。
「どういうことでしょうか?」
「天界では長い間、『感情の病』で苦しんでいる人が多かったのです」
アリエルが悲しそうに説明した。
「天界の住人は基本的に平和で争いを好まないのですが、その分、感情を表現することが苦手で……」
「多くの人が心の奥で孤独感や虚無感を抱えていました」
「それが、最近になって、空から温かい光が降り注ぐようになったのです」
アリエルの目が輝いた。
「その光に触れると、心が軽やかになり、他の人ともっと親しくなりたいと思うようになったのです」
「それは……」
「天界の長老たちが調査した結果、この光の源が地上界の『心を癒す巫女』だとわかったのです」
「それで、直接お会いして、お礼を申し上げたくて」
凛は複雑な気持ちだった。自分の魔法が思いもよらない所まで影響していたとは。
「でも、どうして私の魔法が天界まで……」
「それについては、私にも詳しいことは分からないのですが……」
アリエルが困った様子で答えた。
「ただ、長老たちは『真の調和の力は、世界の境界を超える』と仰っていました」
セレスティアが興味深そうに質問した。
「天界には他にも、同じような現象に悩んでいる世界があるのですか?」
「はい」
アリエルが頷いた。
「『地底界』や『海界』、『森界』なども、似たような状況だと聞いています」
「それぞれの世界が、独特の心の問題を抱えているのです」
凛は責任の重さを感じた。知らないうちに、多くの世界の人々に影響を与えていたのだ。
「私にできることがあるでしょうか?」
「実は……」
アリエルが遠慮がちに言った。
「もしよろしければ、天界を訪問していただけませんか?」
「直接、私たちの世界の人々にお会いいただきたいのです」
凛はヘンリーを見つめた。夫が頷くのを確認してから答えた。
「わかりました。お伺いします」
翌日、凛はアリエルと共に天界への旅に出発した。
同行したのはヘンリー、セレスティア、そしてレオナだった。
「私のお菓子も、天界の人たちの役に立つかもしれません」
レオナが志願したのだ。
光の扉をくぐると、そこには息を呑むような美しい世界が広がっていた。
「わあ……」
雲の上に建つ美しい都市、空を自由に飛び回る翼を持つ人々、そして至る所に咲く光る花々。
「ようこそ、天界へ」
出迎えてくれたのは、長老のガブリエルだった。
「光の巫女様、遠路はるばる、ありがとうございます」
「こちらこそ。お役に立てるかわかりませんが……」
「いえいえ、あなたの存在だけで、すでに多くの人が救われています」
ガブリエルが案内してくれた天界の様子は、確かに美しいが、どこか冷たい印象があった。
「皆さん、あまり笑わないのですね」
レオナが観察した通り、天界の住人たちは礼儀正しいが、表情に乏しかった。
「それが私たちの問題なのです」
ガブリエルが説明した。
「天界では『完璧であること』が美徳とされてきました」
「その結果、感情を表に出すことが『不完全』だと考えられるようになってしまったのです」
凛は理解した。完璧を求めすぎて、人間らしい感情を抑圧してしまったのだ。
「でも、あなたの魔法の光が届いてから、少しずつ変化が起きています」
天界の中央広場で、凛は特別な料理を作ることになった。
「今日は、『心を開く料理』を作らせていただきます」
多くの天界の住人が集まってきた。皆、興味深そうだが、やはり表情は硬い。
凛は心を込めて、温かいスープを作った。魔法をかけながら、天界の人々の心が自然に開かれることを願った。
「どうぞ、召し上がってください」
最初に飲んだ若い天使が、突然微笑んだ。
「これは……」
そして、生まれて初めて感動の涙を流した。
「なんて温かい味なんでしょう」
「心の奥が、ふわっと軽くなります」
次々と天界の住人たちがスープを飲み、皆が自然な笑顔を見せ始めた。
「素晴らしい……」
ガブリエルも感動していた。
「長い間失われていた、『心の交流』が戻ってきました」
レオナも天界特製のお菓子を作った。
「こちらは、『友情を深めるクッキー』です」
天界の住人たちがクッキーを分け合って食べると、初めて見知らぬ者同士で会話を始めた。
「あなたのお名前は?」
「私はミカエル。あなたは?」
「ラファエルです。よろしくお願いします」
これまで挨拶程度しかしなかった者同士が、深い話をするようになった。
三日間の滞在で、天界は大きく変わった。
「ありがとうございます」
帰国の日、多くの天使が見送りに来た。
「あなたのおかげで、私たちは『心を持つこと』の素晴らしさを思い出しました」
「これからは、もっと自然に感情を表現していこうと思います」
しかし、アリエルから重要な情報がもたらされた。
「実は、地底界からも使者が来ています」
「地底界では、『怒りの感情』が制御できずに困っているそうです」
「そして、海界では『悲しみ』が、森界では『恐れ』が問題になっています」
凛は理解した。自分の魔法が各世界に影響を与えた結果、それぞれの世界が抱えていた感情の問題が表面化したのだ。
「つまり、私は責任を持って、全ての世界を訪問しなければならないのですね」
「そういうことになります」
ヘンリーが凛の肩を叩いた。
「大変な使命だが、君ならできる」
「私たちも一緒だ」
王国に戻ると、予想通り他の世界からの使者たちが待っていた。
地底界からは岩のような体格の使者、海界からは青い肌を持つ人魚の使者、森界からは植物と融合したような使者。
「皆さん、お待たせしました」
凛が挨拶すると、使者たちは口々に事情を説明した。
それぞれの世界が、異なる感情の問題を抱えており、凛の助けを求めていた。
「わかりました」
凛が決意を込めて宣言した。
「順次、全ての世界を訪問させていただきます」
「ただし、これは一人ではできません」
「心の調和学院の生徒たちと一緒に、『多世界平和プロジェクト』を立ち上げます」
レオナも賛同した。
「私も全力でお手伝いします」
「お菓子の力で、世界間の友情を深められるかもしれません」
こうして、凛の活動は単一世界から多世界規模へと拡大した。
これまで経験したことのない、壮大な冒険の始まりだった。
しかし、愛する家族や仲間たちと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。
世界を超えた真の平和を実現するため、凛は新たな一歩を踏み出した。
<第33話終了>




