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第29話「魔法の代償」

 魔力調整の儀式から二週間が経った頃、凛は自分の身体に異変を感じ始めていた。


「最近、疲れやすくなったような気がする」


 朝の準備をしながら、凛がメルに漏らした。


「リンさん、顔色も少し悪いですよ」


 メルが心配そうに見つめた。


「儀式の影響でしょうか?」


 確かに、以前ほど体力が続かない。料理を作る際も、集中力が以前より早く途切れてしまう。


「セレスティア様に相談してみては?」


「そうね。念のため」


 その日の午後、凛はセレスティアの研究室を訪れた。


「体調の変化ですか……」


 セレスティアが深刻な表情で古い書物を調べ始めた。


「実は、少し気になることがありました」


「なんでしょうか?」


「儀式の際、宝珠の光が予想以上に強かったのです」


 セレスティアが振り返った。


「もしかすると、魔力の調整過程でなんらかの副作用が生じた可能性があります」


「副作用?」


「詳しく検査してみましょう」


 セレスティアが特別な魔法で凛の状態を調べ始めた。魔法陣の上に立った凛の周りに、様々な色の光が舞い踊る。


 数分後、セレスティアの表情が曇った。


「やはり……」


「なにか問題があるのですか?」


「魔力の流れに異常があります」


 セレスティアが心配そうに説明した。


「儀式により宝珠の出力は制御されましたが、その代償として、あなたの生命力が徐々に消耗されています」


 凛は言葉を失った。


「生命力が……消耗?」


「宝珠の力を制御するために、あなた自身の生命エネルギーが使われているのです」


「それは……どの程度危険なのでしょうか?」


 セレスティアが躊躇した後、重々しく答えた。


「このままでは、数ヶ月のうちに深刻な健康問題が起こる可能性があります」


 その瞬間、凛の膝から力が抜けた。ヘンリーが慌てて支える。


「凛!」


「大丈夫……少しめまいがしただけです」


 しかし、実際には大丈夫ではなかった。この数日間感じていた疲労感の正体が、今明らかになったのだ。


「解決方法はあるのですか?」


 ヘンリーが必死に尋ねた。


「二つの選択肢があります」


 セレスティアが答えた。


「一つは、宝珠を完全に放棄すること。そうすれば生命力の消耗は止まります」


「もう一つは?」


「古代の『生命の泉』を見つけることです」


「生命の泉?」


「伝説によれば、古代魔法使いたちが重大な魔法の代償を払った際に回復するために使っていた秘密の泉があるとされています」


「しかし、その在り処は千年以上前に失われました」


 凛は深く考え込んだ。宝珠を手放せば安全だが、多くの人を救う力も失ってしまう。


「少し時間をください」


 その夜、ヘンリーと二人で静かに語り合った。


「どちらを選んでも、俺は君を支える」


 ヘンリーが凛の手を握った。


「でも、君の命に代えてまで必要な力なんてない」


「でも……多くの人が私の力を必要としています」


 凛が迷いを口にした。


「国際研修所の計画もあるし、各国からの支援要請も……」


「それは君一人が背負う責任じゃない」


「君はもう十分すぎるほど多くの人を救ってきた」


 ヘンリーが強く言った。


「今度は、君自身を救う番だ」


 翌日、カフェで常連客たちに事情を説明した。


「そんな……リンさんが危険だなんて」


 マルコが驚愕した。


「私のせいです。あの日、料理の魔法が強すぎて体調を崩したのは……」


「違います」


 凛が首を振った。


「これは私自身の問題です」


「でも、なにかできることはありませんか?」


 メルが涙ぐんだ。


「リンさんを失うなんて、考えられません」


 常連客たちは皆、同じような反応を示した。商人のトーマスは拳を握りしめ、老婦人のエリザベスは祈るように手を組んだ。


「私たち、なにもできないのでしょうか」


 若い騎士のアランが悔しそうに言った。


「いつもリンさんには助けられてばかりで……」


「今度は私たちがお返しをしたいのです」


 店内は重苦しい沈黙に包まれた。これまで凛の料理に癒され、支えられてきた人々が、今度は凛を支えたいと願っているのだ。


「皆さんの気持ちだけで十分です」


 凛が静かに言った。


「でも、これは私自身が解決しなければならない問題です」


 そのとき、意外な人物が店を訪れた。


「失礼いたします」


 現れたのは、古代史研究の権威として知られるエルドリック博士だった。


「エルドリック博士?」


 セレスティアが驚いた。


「セレスティア君から話を聞きました」


 博士が凛を見つめた。


「生命の泉について調べています」


「手がかりはあるのですか?」


「実は……」


 博士が古い地図を取り出した。


「最近発見された古代の航海日誌に、興味深い記述があります」


 地図には、王国の南方にある未踏の島々が描かれていた。


「この『翠の島』に、生命の泉があるかもしれません」


「でも、その島は危険な海域にあります」


 ヘンリーが地図を見て眉をひそめた。


「嵐の多い海域で、これまで多くの船が遭難しています」


「それに、島に上陸できたとしても、内部は未知の領域です」


 博士が続けた。


「しかし、他に手がかりはありません」


 凛は決意を固めた。


「行きましょう」


「凛、危険すぎる」


 ヘンリーが反対した。


「今の君の体調では……」


「だからこそ、一刻も早く行かなければなりません」


 凛が立ち上がった。


「時間はあまり残されていないんです」


 一週間の準備期間を経て、探索隊が編成された。


 凛、ヘンリー、セレスティア、エルドリック博士、そして王国海軍の精鋭部隊。


「本当に大丈夫ですか?」


 メルが心配そうに見送った。


「必ず戻ってきます」


 凛が微笑んだが、その顔色は明らかに悪化していた。


 出航から三日目、ついに翠の島が見えてきた。


「美しい島ですね」


 確かに、島は深い緑に覆われ、神秘的な雰囲気を漂わせていた。


 しかし、上陸してみると、島は予想以上に危険だった。


「この植物……毒がありますね」


 セレスティアが警告した。


「それに、魔力の流れが異常です」


 島の内部に進むにつれて、様々な困難が待ち受けていた。


 幻覚を見せる霧、突然現れる魔物、そして迷路のような地形。


「リンさん、もう限界では?」


 三日目の夜、凛は明らかに衰弱していた。


「大丈夫……もう少しです」


 しかし、翌朝、凛は起き上がることができなかった。


「もう無理です」


 ヘンリーが探索の中止を提案した。


「このまま続けては、君の命が……」


 そのとき、不思議なことが起こった。


 凛の胸元の宝珠が、突然強い光を放ったのだ。


「これは……」


 光は一つの方向を指していた。


「宝珠が道を示している?」


 セレスティアが驚いた。


 光の方向に進むと、ついに目的地が見つかった。


 小さな洞窟の奥に、美しく輝く泉があった。


「生命の泉……」


 泉の水は、虹色に光っていた。


「本当にあったのですね」


 エルドリック博士が感激していた。


 凛が泉の水を飲むと、身体に暖かいエネルギーが流れ込んできた。


「これは……」


 疲労感が嘘のように消え、活力が戻ってくる。


「成功です!」


 セレスティアが魔法で凛の状態を確認した。


「生命力が完全に回復しています」


「それだけではありません」


 驚くべきことに、宝珠の制御もさらに安定していた。


「泉の力で、魔力の調整が完璧になったようです」


 帰路では、凛は完全に元の調子を取り戻していた。


「ご心配をおかけしました」


「でも、これで安心して魔法を使えます」


 王国に戻ると、大きな歓迎を受けた。


「リンさん!無事でよかった!」


 メルが涙を流して喜んだ。


「もう心配いりませんね」


 常連客たちも安堵の表情を見せた。


 しかし、この冒険で凛は重要なことを学んだ。


「力には必ず代償がある」


 その夜、ヘンリーと語り合った。


「でも、その代償を支払う価値のある使命もある」


「今回の経験で、自分の力の本当の意味を理解しました」


「それは?」


「人々の幸せのためだけでなく、自分自身も幸せでなければならないということです」


 ヘンリーが微笑んだ。


「ようやく気づいたか」


「自分を犠牲にして他人を救うのは、真の救済ではない」


「全ての人が幸せになれる道を見つけることが、本当の使命なんですね」


 翌日から、凛は新たな気持ちで活動を再開した。


 国際研修所の準備も本格化し、各国から研修生の応募が殺到していた。


「今度こそ、安全で持続可能な方法で技術を伝えていけそうです」


 凛は充実感を覚えていた。


 命を賭けた冒険を通じて、真の力の使い方を学んだ。


 そして、愛する人たちと共に歩む道の価値を、改めて実感した。


 新たな挑戦が待っているが、もう迷いはない。


 自分自身も含めて、全ての人の幸せを追求していこう。


 それが、古代から受け継がれた真の使命なのだから。


<第29話終了>

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