第28話「新たな脅威」
国際心癒料理研修所の設立準備が本格的に始まってから一ヶ月後、思いもよらない事件が発生した。
「リンさん、大変です!」
メルが青ざめた顔で駆け込んできた。
「料理を食べたお客様が倒れてしまいました!」
「え?」
凛は急いで店内に向かった。そこには、常連客の一人である商人のマルコが苦しそうにもがいていた。
「マルコさん、どうされましたか?」
「リン……さん……頭が……激しく痛んで……」
マルコの顔は異常に青白く、冷汗をかいている。
「すぐに医者を呼んで!」
凛が指示を出した時、さらに異変が起きた。
「私も……気分が悪い……」
別の客も同様の症状を訴え始めたのだ。
「一体なにが……」
混乱する中、ヘンリーが駆けつけた。
「なにがあった?」
「お客様が次々と体調を崩されています」
「症状は?」
「頭痛、吐き気、そして……」
凛が説明している間にも、さらに数名の客が同じような症状を示し始めた。
「すぐに店を閉めよう」
ヘンリーが冷静に判断した。
「原因がわからない以上、これ以上の営業は危険だ」
医者が到着すると、患者たちを詳しく診察した。
「興味深いことに、全員が同じような症状を示しています」
「どのような症状ですか?」
「魔力の過剰摂取による混乱状態です」
医者の診断に、凛は愕然とした。
「魔力の過剰摂取?」
「はい。通常では考えられないほど強力な魔法の影響を受けています」
「でも、私はいつも通りに料理を作っただけです」
凛は困惑した。確かに、今日も普段と同じように心を込めて料理を作った。
「リンさん、もしかして……」
メルが何かに気づいたような表情になった。
「最近、魔法の効果が以前より強くなっていませんか?」
言われてみれば、確かにそうだった。ノルディア王国から帰ってきてから、料理の魔法効果が格段に向上していた。
「古代の宝珠の影響かもしれません」
セレスティアが急いでやってきた。
「詳しく状況を聞かせてください」
事情を説明すると、セレスティアは深刻な表情になった。
「やはり……これは予想していた問題です」
「予想していた?」
「古代の味覚宝珠は、確かに魔法を飛躍的に向上させますが、制御が困難になるという副作用があります」
セレスティアが古い書物を取り出した。
「特に、強い感情状態にあるときは、魔法が意図せず暴走することがあるのです」
「暴走……」
凛は自分の状況を振り返った。最近、国際支援の責任感や使命感で、常に緊張状態にあった。
「つまり、私の魔法が強くなりすぎて、お客様に悪影響を与えてしまった?」
「その可能性が高いです」
そのとき、王宮から緊急の使者がやってきた。
「リン様、至急王宮にお越しください」
「なにがあったのですか?」
「実は……王宮でも似たような症状の人が複数出ています」
使者が困惑した表情で続けた。
「昨日の晩餐会で、リン様の料理を召し上がった方々が……」
凛の顔が真っ青になった。王宮の晩餐会は、重要な外交行事だった。
「すぐに参ります」
王宮に到着すると、緊急の会議が開かれていた。
「リン、状況は深刻だ」
国王陛下が重々しく話し始めた。
「晩餐会に参加した他国の大使たちが、体調不良を訴えている」
「申し訳ございません」
凛は深く頭を下げた。
「しかし、これは単純な食中毒ではないようです」
外務大臣が報告した。
「医師の診断によると、全員が異常に高い魔力の影響を受けています」
「他国からは『魔法による攻撃』ではないかという疑念の声も上がっています」
凛は震え上がった。自分の意図しない魔法の暴走が、国際問題になってしまった。
「これは一刻も早く解決しなければなりません」
「セレスティア様にご相談を」
ヘンリーが提案した。
セレスティアと共に、古代遺跡の研究室で対策を検討した。
「問題の根本は、魔力の制御不足です」
セレスティアが古代文字の資料を調べながら説明した。
「味覚宝珠の力は段階的に制御する必要がありました」
「段階的に?」
「はい。いきなり全力を使うのではなく、少しずつ慣れていく必要があったのです」
「でも、もう手遅れですよね」
凛は絶望的な気持ちになった。
「いえ、まだ方法があります」
セレスティアが希望を示した。
「『魔力調整の儀式』を行えば、宝珠の出力を制御できるはずです」
「儀式?」
「古代の魔法使いたちが、強力な魔法具を制御するために使っていた技術です」
「ただし……」
セレスティアが言いよどんだ。
「この儀式には大きなリスクが伴います」
「どのようなリスクですか?」
「最悪の場合、魔法の力を完全に失う可能性があります」
凛は言葉を失った。自分の魔法を失うということは、これまで築き上げてきた全てを失うことを意味した。
「でも、このまま放置すれば、もっと多くの人に危害を加える可能性があります」
ヘンリーが凛の肩に手を置いた。
「君はどうしたい?」
凛は深く考えた。自分の魔法を失うリスクと、他人を傷つけ続けるリスク。
「儀式を受けます」
凛は決意を込めて答えた。
「多くの人を傷つけるくらいなら、私の力なんて……」
「凛……」
ヘンリーが心配そうに見つめた。
「大丈夫です。もし魔法を失っても、料理への愛は失いません」
三日後、古代遺跡の特別な部屋で儀式が行われることになった。
「本当に大丈夫なのですか?」
メルが心配そうに尋ねた。
「大丈夫よ。きっと上手くいくから」
凛は微笑んで答えたが、内心は不安でいっぱいだった。
儀式の前夜、ヘンリーと二人で静かに語り合った。
「後悔はないか?」
「ありません。でも……」
凛が振り返った。
「もし魔法を失ったら、あなたはがっかりしますか?」
「なにを言っているんだ」
ヘンリーが凛を抱きしめた。
「俺が愛しているのは、魔法使いの君じゃない。凛という人間だ」
「ヘンリーさん……」
「どんなことがあっても、俺たちの絆は変わらない」
儀式当日、古代遺跡には多くの人が集まった。
「皆様、ありがとうございます」
凛が挨拶すると、メルが前に出た。
「私たちは、どんなリンさんでも応援します」
「そうです。魔法があってもなくても、リンさんはリンさんです」
常連客たちも口々に励ましの言葉をかけてくれた。
「それでは、儀式を始めます」
セレスティアが厳かに宣言した。
特別な魔法陣の中央に立った凛。味覚宝珠が胸元で激しく光っている。
「『調和の言霊』を唱えてください」
セレスティアの指導で、凛は古代の呪文を唱え始めた。
すると、宝珠の光がゆっくりと穏やかになっていく。
「上手くいっています」
しかし、そのとき、突然強い光が部屋を包んだ。
「きゃあ!」
眩しい光の中で、凛の姿が見えなくなった。
数分後、光が収まると、凛は意識を失って倒れていた。
「凛!」
ヘンリーが駆け寄った。
「大丈夫です。ただ、魔力を調整する過程で疲労しただけです」
セレスティアが安堵した。
「儀式は成功しました」
凛が目を覚ますと、胸元の宝珠は以前より穏やかな光を放っていた。
「どうですか? 気分は?」
「……不思議です。とても落ち着いています」
凛は自分の変化を感じていた。魔法の力は残っているが、制御しやすくなっている。
「試しに、簡単な料理を作ってみましょう」
セレスティアが提案した。
凛が作ったスープは、確実に魔法がかかっているが、以前のような過剰さはなかった。
「完璧です」
セレスティアが満足そうに頷いた。
「これで安全に魔法を使えるでしょう」
翌日、カフェを再開すると、多くの人が心配して訪れた。
「リンさん、大丈夫でしたか?」
「今度の料理は安全ですか?」
凛は丁寧に説明し、新しく調整された魔法で料理を提供した。
「美味しいです。そして、とても優しい魔法ですね」
「前より自然な感じがします」
客たちの反応は上々だった。
一週間後、王宮からも正式な報告があった。
「他国の大使たちも完全に回復されました」
「今回の件は『制御技術の実験的導入による一時的な副作用』として処理されます」
国際問題にはならずに済んだが、凛は大きな教訓を得た。
「力には必ず責任が伴うということを、身をもって学びました」
ヘンリーが頷いた。
「だが、君はその責任を果たした」
「自分のリスクを顧みず、他人の安全を優先した」
「今度こそ、安全に国際研修所を設立できそうです」
凛は新たな決意を胸に秘めた。
今回の件で、古代の力の危険性を理解した。これからは、より慎重に、より責任を持って力を使っていこう。
そして、同じ過ちを繰り返さないよう、他の人たちにも正しい技術を伝えていこう。
真の平和への道は、まだ始まったばかりだった。
<第28話終了>




