第11話「深まる絆」
特別メニューを限定制にしてから二週間が経った。Cafe Lunaは以前の落ち着いた雰囲気を取り戻し、常連客たちも安心して通えるようになっていた。
「リンさん、今日は『魔法のケーキ』の予約日ですね」
メルが確認した。火曜日と金曜日の朝九時から受け付ける予約は、毎回すぐに埋まってしまう。
「はい。今日も五組のお客様が楽しみにしてくださっているわ」
凛は準備を進めながら答えた。限定にしたことで、かえって特別感が増し、お客様により喜んでもらえるようになった。
午前中、いつものように常連客たちが訪れた。マリー、ギルバート、近所の主婦たち。彼らとの何気ない会話が、凛にとって何より大切な時間だった。
「リンちゃん、最近とてもいい表情をしているわね」
マリーが微笑んで言った。
「王宮での成功で浮かれることもなく、地に足をつけて頑張っている姿が素敵よ」
「ありがとうございます。皆さんのおかげです」
「それに……」
マリーが意味深に微笑んだ。
「筆頭文官殿との関係も、よい方向に進んでいるようだし」
「マリーさん!」
凛は赤面した。確かに最近、ヘンリーとの関係には変化があった。以前のような堅い雰囲気が和らぎ、もっと自然に話せるようになっていたのだ。
午後になって、予約していたお客様たちが『魔法のケーキ』を味わいに来た。皆、時間差で変化する味に驚き、感動してくれた。
「素晴らしい体験でした」
「こんなお菓子は他では絶対に味わえませんね」
「また来月も予約させていただきます」
お客様の満足した表情を見ることが、凛にとって最高の喜びだった。
夕方近く、レオナがやってきた。最近は週に二回ほど、お互いの店を訪問し合って情報交換をしている。
「今日もお疲れ様でした」
「レオナさんもお疲れ様。今日はなにか新しい発見がありましたか?」
「実は、とても興味深いお話があるんです」
レオナの表情が明るかった。
「王都の菓子職人組合から、正式にお誘いを受けました」
「菓子職人組合?」
「はい。王都の菓子職人たちが技術向上と親睦を図る組織です」
レオナは説明を続けた。
「そして、リンさんにも一緒に加入してほしいと言われました」
凛は驚いた。職人組合への加入は、この世界での正式な職人としての地位を意味する。
「でも、私なんてまだ経験も浅いですし……」
「そんなことありません」
レオナがきっぱりと言った。
「王宮で認められた技術を持つリンさんなら、組合でも歓迎されるはずです」
「組合に入ると、どんなメリットがあるんですか?」
「技術の研鑽、材料の共同仕入れ、それに……」
レオナが声を潜めた。
「商業ギルドなどの圧力から身を守ることもできます」
それは魅力的だった。最近、商業ギルドの動きは表面的には静かだが、ヘンリーの情報では水面下で様々な工作を行っているらしい。
「考えさせてください」
「もちろんです。でも、あまり悩む必要はないと思いますよ」
レオナが微笑んだ。
「リンさんはすでに立派な職人なのですから」
その夜、いつものようにヘンリーがやってきた。最近は閉店間際の静かな時間に訪れることが多い。
「今日もお疲れ様でした」
「君もお疲れ様。今日はなにか変わったことはあったか?」
凛はレオナから聞いた菓子職人組合の話をした。ヘンリーは興味深そうに聞いていた。
「それはいい話だ」
「そう思われますか?」
「ああ。職人組合は商業ギルドとは独立した組織だ。正式に加入すれば、君の地位はより安定する」
ヘンリーはコーヒーを飲みながら続けた。
「それに、他の職人たちとの交流も君にとって有益だろう」
「でも、私の『特別な技術』のことが問題になったりしませんか?」
「心配ない」
ヘンリーが安心させるように言った。
「職人の世界では、企業秘密は尊重される。だれも無理に技術の詳細を聞こうとはしないはずだ」
ヘンリーの言葉に、凛は安心した。
「ところで……」
ヘンリーが少し照れくさそうに言った。
「来週末、王宮で小さなパーティーがある。君に同伴をお願いしたいのだが」
凛は驚いた。王宮のパーティーに、ヘンリーの同伴者として参加するということだろうか。
「同伴って……」
「正式な招待状も用意してある」
ヘンリーが懐から美しい封筒を取り出した。
「王国外交官夫妻の歓送迎会だ。君の『魔法のケーキ』が好評だったエルドラン王国の大使も出席する」
凛は迷った。王宮のパーティーなど、場違いな気がする。
「でも、私のような者が参加していいのでしょうか?」
「君は王国認定の菓子職人だ。十分に参加資格がある」
ヘンリーが真剣な表情で続けた。
「それに……」
彼は少し赤面した。
「個人的にも、君と一緒に出席したいんだ」
ヘンリーの告白に、凛の心は激しく動いた。これは明らかに、仕事を超えた個人的な関係の発展を意味している。
「お返事は明日でも構わない」
「いえ……」
凛は決心した。
「ぜひ参加させていただきます」
「本当か?」
ヘンリーの顔が明るくなった。
「ありがとう。きっと素晴らしい夜になる」
その夜、凛は眠れずに考えていた。ヘンリーとの関係が新しい段階に入ろうとしている。彼の気持ちは明らかだし、自分も彼に特別な感情を抱いていることを否定できない。
でも、筆頭文官という地位の人と、異世界からやってきた自分が本当に釣り合うのだろうか。
翌日、メルに相談してみた。
「素晴らしいじゃないですか!」
メルは大興奮だった。
「ヘンリー様がリンさんを特別に思っていらっしゃることは、だれの目にも明らかでしたから」
「でも、身分の違いとか……」
「リンさんは王国認定の職人で、王宮でも認められた方です。身分の違いなんて関係ありません」
メルの励ましに、凛は少し勇気をもらった。
「それに」
メルが嬉しそうに続けた。
「ヘンリー様は、リンさんの身分ではなく、リンさん自身を愛してらっしゃるんです」
「愛って……」
「見ていればわかります。ヘンリー様がリンさんを見つめる時の表情は、特別です」
午後、マリーも同じような意見だった。
「あの方は本気よ」
マリーが断言した。
「筆頭文官という立場の人が、軽い気持ちで女性をパーティーに誘ったりしないわ」
「でも、私は……」
「リンちゃんも、あの方のことを大切に思っているでしょう?」
マリーの鋭い指摘に、凛は頷くしかなかった。
「なら、素直に気持ちに従いなさい」
その日の夕方、レオナも相談に乗ってくれた。
「恋愛に身分なんて関係ありません」
レオナがきっぱりと言った。
「大切なのは、お互いを尊重し合えるかどうかです」
「でも、私は普通の女性ではないんです」
凛は異世界から来たことは言えないが、自分の特殊性について悩みを打ち明けた。
「だれだって、なにかしら特別なところがあります」
レオナが優しく言った。
「リンさんの特別な技術も、それがリンさんの一部なのでしょう?」
「そう、ですが……」
「なら、それも含めて愛してくれる人なら、きっと大丈夫です」
レオナの言葉に、凛は希望を感じた。
パーティーまでの一週間は、あっという間に過ぎた。
マリーとレオナが協力して、凛に適切なドレスを用意してくれた。淡いピンクの上品なドレスで、凛の美しさを引き立ててくれる。
「とても似合ってますよ」
メルが感動して言った。
「まるでお姫様みたいです」
パーティー当日の夜、ヘンリーが馬車で迎えに来た。彼も正装しており、普段以上に凛々しく見えた。
「美しいな」
ヘンリーが率直に言った。
「君のその姿を見ていると、俺は本当に幸運な男だと思う」
凛は顔を赤らめた。
「私こそ、こんな素晴らしい機会をいただいて……」
「今夜は肩書きを忘れよう」
ヘンリーが微笑んだ。
「今夜の俺はただのヘンリーで、君はただの凛だ」
王宮のパーティーは、想像以上に華やかだった。美しく装飾された大広間に、王国の要人たちが集まっている。
「緊張しているか?」
ヘンリーが気遣ってくれた。
「少し……」
「大丈夫だ。君は堂々としていればいい」
エルドラン王国の大使が、凛を見つけて近づいてきた。
「あの素晴らしいケーキの職人さんですね」
「はい、ありがとうございます」
「あのケーキの感動は、今でも忘れられません。我が国の王にも、ぜひ体験していただきたいと思っています」
大使の言葉に、他の出席者たちも興味を示した。
「そちらが噂の『魔法のケーキ』の職人ですか」
「素晴らしい技術をお持ちだと聞いています」
次々に声をかけられ、凛は最初の緊張を忘れていった。皆、心から彼女の技術を評価してくれている。
「どうだ?」
ヘンリーが誇らしそうに言った。
「君はすでに王国の宝だよ」
パーティーの後半、静かなテラスで二人きりになった。
「今夜は本当にありがとうございました」
「俺こそ、君が来てくれて嬉しかった」
ヘンリーが星空を見上げた。
「君と出会ってから、俺の人生は大きく変わった」
「私も同じです」
凛は正直に答えた。
「ヘンリーさんがいてくださったからこそ、今の私があります」
「凛……」
ヘンリーが振り返った。その瞳には、深い愛情が宿っている。
「俺は君を愛している」
ついに告白された。凛の心は激しく動いた。
「私も……ヘンリーさんを愛しています」
二人は自然に近づいた。そして、静かな夜空の下で、初めてのキスを交わした。
それは、二人の新しい関係の始まりだった。
翌日、Cafe Lunaに戻った凛は、幸せに満ちていた。
「リンさん、とてもいい表情ですね」
メルが嬉しそうに言った。
「きっと素晴らしい夜だったんでしょうね」
「ええ……本当に」
午後、レオナがやってきたとき、凛は菓子職人組合への加入を正式に承諾した。
「素晴らしい決断です」
「ヘンリーさんも応援してくれました」
「そうでしょうね。あの方はリンさんの一番の理解者ですから」
夕方、ヘンリーがいつものようにやってきた。でも今度は、恋人同士として。
「昨夜は本当に素晴らしかった」
「私もです」
「これからもよろしく」
「こちらこそ」
二人の関係は新しい段階に入ったが、Cafe Lunaでの時間は変わらず大切なものだった。
その夜、凛は満足した気持ちでベッドに入った。
異世界に来てから数ヶ月、多くの困難があったが、今は心から幸せだった。愛する人、信頼できる仲間、そして自分の居場所。
すべてが揃っていた。
明日からもまた、新しい挑戦が待っているだろう。でも、もう怖くない。
大切な人たちがそばにいるから。
Cafe Lunaは、凛の新しい人生の拠点として、これからも多くの人々に愛され続けていくのだろう。
<第11話終了>
<第3章「魔法のスイーツ」完>
第4章予告:「困難と絆」
恋人同士となった凛とヘンリー。菓子職人組合にも加入し、順風満帆に見えたCafe Lunaだったが、新たな試練が待っていた。商業ギルドが仕掛ける本格的な妨害工作、王宮内部での政治的対立、そして凛の魔法能力をめぐる謎の深まり。さらに、凛の正体を探る謎の人物の出現により、これまで築いてきた平穏な生活に暗雲が立ち込める。愛と友情を武器に、二人は最大の危機に立ち向かう……。




