ほんとうの世界
奇跡って信じる?
超能力は?魔法は?
呼び方はいろいろあるけれど、どれもこの世界に当たり前にあることなんだ。
でもそんなに見かけないよね。
なんでだろう?
祈り、願い、想い…思いに、気持ちに力がある。
それらは現実の事象に影響を与える。
例えばサイコロを振ると何かしらの目が出る。
投げれば引力に引かれ落ちる。
床に落ちればサイコロは角、面、辺が触れ、跳ねて転がりどの面かが上を向く。その面が出た目となる。
どの目が出るかは分からず、それは6分の1の確率と言われている。
物理学、力学、統計学などで説明が出来るかな。
それでは狙って好きな目を出すことは出来るか、という話はどう?
もしかしたら、出したい目から見てどっち側の面を上にして、このように持ち、これくらいの力でこう投げたら必ず出せる、といった技術もあるかもしれない。
では技術抜きの願いの力はどうだろう。
必ず1を出すと決めてサイコロを振ってそれを出す超能力もあると言われている。
それが思いの力が作用するということ。
例えばヒーラーと呼ばれる人が病気の患部に手をかざして祈りを捧げると病の原因が消失する、という話が昔から何件もあるそうだ。
熱心に神様の存在を信じる人は、その信仰心が強い思いの力の元となり奇跡を起こせるのだという。
身近な例ではこどもがカプセル自販機のラインナップを見て、これが欲しい、と言って回したら見事その景品を獲得したとする。
仕組みを知っている大人は、願ったから叶ったわけではなく、運がいいな、と考える。
本当に?仕組みを知らないこどもが、純粋な願いを叶えたのかも知れない。
他には実力が拮抗した2人のテニスの試合では何が勝負を決めるだろう。
これも運?いやいや気迫、気合い、勝ちたいという思いがより強い方が勝ちを引き寄せるんだ。
そうはいっても思うだけで叶ったらみんな努力はしなくなるよね。
テニスの試合でもそもそも実力差が大きければ試合にならないし、試験なんかも勉強をしていなければよい点は取れない。
でも試験にたいして張るヤマは、ちゃんと授業を聞いていたから張れるものの他、もしかしたらこの問題が出て欲しい!という思いの力も作用しているかも?
また、同じ試験を受ける人の多数が張ったヤマも、多くの人の思いの力を受けて出題されるかも。
そう、思いの力はそのことに関わる人数分生まれる。
試合なら自分だけでなく相手の思いの力もあるし、試験なら受験者の人数に出題者の思いも関わってくる。
マンガや映画で、超能力者がいつもは使える力が、観客が多いと発揮できないなんて場面を見たことはないかな?
それは疑う気持ちや失敗を願う気持ちに邪魔されるからなんでしょう。
何度も実行して、練習して自信が付けば邪魔する思いの力もはね除けられるかも知れない。
試験でも試合でも実力を付けることと、それによって得られる自信は思いの力もより強くしてくれる。
思いの力は自信によって強くなる。
他に思いの力を強くするものとしては、呪いをかける時の手順や魔法を使う時の詠唱があげられる。
これは、この手順を守れば、このように詠唱すればその事象を起こせる、という一種の自己暗示により信じる力を強くする。
逆に思いの力を弱くする、無くすのは一般常識や科学。
確率的には~と思ってしまったらその確率以上の結果は出ない。
魔法なんて物語の外ではあるわけない、と思えばその通り。
でも小さい内から親に、学校に、世間に教え込まれどんどん自由度が減っていくんです。
幼稚園に入るかどうかの子どもが前世の話をしても信じてあげられるかな?
ぼく空を飛べるんだよ、と言われたら人間は飛べないよ、と常識で返したりしないかな?
まあ、それもこれも各国政府の中枢にある…あ、これは書いちゃいけないことだった。
みんなが、実はこの世界は自由な発想で、強く願えば叶えられる世界だと気付いてしまったら大変になりますよね。
ここまで読んでどう思いましたか?
そんなはずないじゃん!と思いますか?
そうですよね。私がここで何を書いてもきっと世界は変わらない。
だから邪魔も入らず、この度めでたくリリースできました!
でもせっかくなのでこれを呼んだあなたは、何か叶えたい願いが出来た時に、強く成功を祈ってみてはいかがでしょう!?