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第九話 提案

 セキトが満足してぐっすりと眠りについたのを確認した女性たちはお互いの事情について語り合いはじめた。レドは銀化を解き今も融合が進んでいる仮面の姿をさらしている。


「銀のお姿は、呪いとは直接の関わりがないのですね」

「意図的な説明の不足は詫びねばなりませんね」

「いえいえ、私も似たようなものです。未だにあの子へ呪いのすべてを打ち明けられずにいますから」


 彼女は頭を下げるレドを押し止めた。出会ってから今まで全く身動きをしていないが、それも呪いの影響であるとセノは話す。


「あれは言っていました。これは樹果の祝福。人としての在り方を樹木のそれに変えていくと。それから一年余りの時を経て、満足に体を動かすことすら出来なくなりました」


 セノの話にレドは悩ましげに表情を硬くした。自分の受けた呪いよりも遥かに深刻な症状としか言えない。まして彼女にはまだまだ世話が必要な子供がいる。


「……心中をお察しいたします」

「私一人であったなら後悔こそすれ最後には受け入れたかも知れませんけど、あの子のことが気がかりで……こうして恥ずかしい姿をさらしながら生き永らえています」


 彼女は僅かに首を動かしてセキトのほうを見ようとするが、微かに動かすことすら叶わない。足以外は人の形を失うことなく植物へと変わっており、肌はすっかり茶色に染まっている。最終的には目と耳、口すらも動かせなくなるだろうと語った。


「不躾ですけれど、事の起こりにつきましてお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「はい……一年くらい前のあの日。一人の女性が家を訪れました」


 女は一晩の間だけ家に泊めてほしいと頼んできたのだという。当時から他者との接触もほとんどないまま暮らしていた母子は人恋しさも手伝い彼女を招き入れた。セキトが寝るまでは何もせずに過ごしていた女であったが、夜遅くになり自身の部屋で寝ているセキトの側で彼女が奇妙な言葉を呟いているのに気づく。


「……循環は働かず、淀みが形を作ろうとする。せめてその淀みに一滴の祝福を……女はそう言っていました。聞いた瞬間に嫌なものを感じ、それを遮ろうと声をかけたのですが……」


 女はセノが話を聞いていることも織り込んでいたらしく、即座に振り向くと「心配は不要よ。あんたたちにはお揃いの祝福を授けてあげる」と言い放ち、セノの足に何かを打ち込む。その瞬間足が変化し立っていられなくなった彼女に簡単な呪いの説明をすると、そのまま何処かへ立ち去っていった。

 残された彼女は異変に気付いて起き出したセキトの助けを借りてどうにか椅子に座れたものの、それから少しずつ身動きができなくなり今に至っている。


「正直な話、私にはどうしたら良いのか分かりません。呪いが解けるかも知れないという望みをつなぐためだけに、あの子に世話をしてもらっていますけれど、ここにいては手がかりの一つも得られませんし……」

「……ごめんなさい。私には己の非力を省みることしか出来ません……」


 セノの言葉を聞いていられず、レドは力なく顔を俯かせた。考えてみれば自分と同じように呪いを受けて苦しむ人が他に居ても不思議ではなく、むしろ今までほとんど表沙汰になっていないことのほうが異常に思えてしまう。


「あなたが呪いを運んできた訳では無いのですから、そう落ち込まないで」

「……これは失礼いたしました。ときに、その女の名前はお聞きになられていましたか?」

「はい……あなたと全く同じ名前、レド・ファーマと名乗っていました」

「やはり……」


 仮面が苦しげに言葉を吐き出した。改めて、ドゥーリッドでみすみす取り逃してしまった悔恨が蘇ってくる。


「仮面が喋るとはまた不思議なものですね。しかもその仮面と混ざり合っていっているなんて……」

「未来はどうなるのか、私にも彼にも想像がつきません。早急に呪いを解く手立てを探したいのですけど、私は諸侯から追われる身でもありますから……」


 業歪が嘘を言っていないのなら同盟内のどこかに潜んでいるはずであるが、手がかりが少なすぎるのに加え行動へ強い制約を課されているレドには打つ手が見当たらない。このまま呪いの進行が終わってしまうようでは元も子もなく、他にも呪いに苦しむ人がいることが発覚した以上手段を選んでいる場合でもないが、迂闊に動けは業歪の思うつぼである。

 言葉が途切れたレドに、セノは少し咳き込みながら提案を持ちかけた。


「……お顔のことでお悩みのようでしたら、お力になれることがあるかも知れません」

「え?」

「あの子を……セキトをあなたにお預けできないでしょうか?」


 レドはその言葉を戸惑いを隠せない。思いがけない提案であった。



 数日後、レドはセキトを連れて谷の上へと赴く。


「獣の足跡があるのはわかる?」

「わかる。どうするの?」

「私たちがいる以上はもう何も来ないはずだけれど、ここが一番分かりやすいと思ったの」


 レドは山中で猟師と過ごしている間、実際の狩りに同行しただけでなく猟の仕方にまつわる話も聞いていた。


「狩りの基本は待ち。敵が見えているのなら逃げれば良いし、危なそうに見える場所は避ければ大丈夫。でも……」

「……少し先の見えない場所に対した時、人も獣も迷うものだ。熟練の戦士、齢を重ねた獣の長ですら時には判断を誤る」


 レドの言葉を仮面が引き継いだ。猟師の教えにそれぞれの得てきた経験を重ねている。


「……足跡を見つけたら、その周りの良い場所を探せってこと、シュヴァンレード?」


 少年は彼女を見上げるように問う。別人と分かっていてもレドという名を呼ぶことには強い抵抗があったようで、もう少し呼びやすい名を求められた彼女は仮面の名で呼ぶことを提案した。仮面の名には自身の名も含まれているのだから呼ばれたことが分かればそれで良いでしょう、という配慮に仮面の意志も了解している。


「ああ。少しずつでも実践を重ねていけば良し悪しの区別もつけられるようにもなるだろう」

「急ぐことはないわね。今日は罠を置かず様子を見ましょう」


 主従は場所を変え、少し離れた場所の足跡を確認し合うとセキトに目立ちにくい場所を見つけるように頼み、見付けた場所の周囲に枯れ草や小枝を集めて敷かせた。


「これで今日はおしまい。明後日くらいに確認をしましょう。雨が降ったら仕切り直しよ」

「わかった」

「帰りましょう。セノも帰りを待ちわびているでしょうし」


 谷を降り家に戻ると昼食を取る。レドは教えを語る傍らで摘んでいた甘い香りの薬草を煎じて茶を淹れ、少しぬるめのそれをセノに含ませると「温かくて甘くて、とても良い感じですわ」と喜びセキトも笑顔を浮かべた。少しでも二人に活気を取り戻すことを第一としたい主従もほっとする。

 午後になり狩場とは離れた場所で木材の調達に移った。ここは銀化をして力を見せなければならない。レドは家に残されていた石斧を用い慎重に木に傷を入れていく。


「上手だね。前は樵でもしてたの?」

「昔の主人の知り合いに樵がいてな。彼の話を思い出しながらだ」


 仮面は言いながら上手く厚みを整え、自分たちの方向に倒れてこないように調節する。やがて木は音を立てて向かい側へと倒れた。


「お疲れ様」

「勿体ないお言葉です」

「僕も銀の姿になれたら良いのにな……」

「セキトにはセキトにしか出来ないことがあるわ、大丈夫よ」


 セキトの頭を撫でたレドは枝を切り落とすと別の木を切りに行く。二本目の木を切り倒したところで夕方となり、枝を回収して家に帰るとセキトと協力して食事を作った。母が動けない間を一人で生き抜いてきた少年は、何事にも辛抱強く学ぶ姿勢も前向きである。



 先日、セノの申し出を受けたレドは一旦それを断っていた。セキトを預かり旅に出るということは彼女を見殺しにするのと同義であり、簡単に承知できるものではない。

 だが、それでも母親の気持ちは揺るがない。


「親はいつか子に別れを告げねばなりません。その時が来たということです」

「しかし、あなた様はまだ生きられます」

「この姿を生きていると呼べるのならそうでしょう……しかし動くことも眠ることも、食べることさえままならない今の生を、私は良しとしたくありません」


 冷静に自己を見定めた上での言葉の重みに仮面の意思は沈黙してしまうが、レドは慎重に言葉を吟味しつつなおも再考を促す。


「お気持ちは分かります。ですけれど、今のままではお引き受けすることは出来ません」

「何故です?」

「あなたの決意は正しいものだと私も思います。ですけれど、あの子の心にその気持ちが必ずしも素直に伝わるとは限りません。あなたに言われたから行きます、では必要のない悔いが残るのではありませんか?」


 話を聞き終えたセノはしばらく目を閉じた。言葉の意味を噛みしめる時間が過ぎ、ゆっくりと目を開く。


「……何かご経験がお有りのようですわね?」

「私は二人姉妹の長女で何不自由もなく育ちましたけれど、家は男の世継ぎに恵まれず早い時期から婿を迎え入れる方向で話が固まっていました」


 静かに昔を振り返るレドの語りに、セノだけでなく仮面の意思も黙ったまま耳を傾けていた。


「長女でしたから外から婿様を迎えて家を継ぐのだと何度となく諭され、私自身もそのつもりでいましたが、とある男性と出会い心を奪われてしまいました」


 それが死に別れた夫になりますが、と言いながらレドは目をかすかに潤ませ、セノも昔を思い起こすように視線を遊ばせる。


「当然、父からは強く反対されました。彼は彼で別な家の婿に迎えられる予定もあり、私達が結ばれたなら各家の面子を潰すことになります」


 それ以前からレダはナヴィードの兄にも何度となく交際を求められており、彼らの親からも公式に申し出を受けたことも手伝い、父親も相手の都合も考え渋々ながら兄との交際には許可を出していた。しかし彼女はナヴィードのことを忘れられず、彼もまた家の面子を立てるのか自らを貫くのかで苦悩を深め、悩みが二人の愛を一層深めていく。


「それから、どうなったのですか?」

「結論から言えば、全ての反対を押し切り私は夫と結ばれました。ですが、私たちはお互いの家から関係を断絶されたうえで他家へ身柄を預けられ、夫の家と私の家も関係を閉ざしました」


 元々の予定ではナヴィードがドゥーリッド侯家に婿養子として迎えられることになっていて、当然それは白紙に戻っていた。しかし傷心したドゥーリッド侯の娘が失意のまま病で亡くなったことにより、怒り心頭となった彼女の父親が二人と二人の家を相手取り武力行使も辞さないと脅迫する騒ぎとなってしまう。同盟の結束を揺るがしかねない事態を重く見た他の諸侯が仲裁に入り打開策が協議された。

 結果、両家の当主とドゥーリッド侯が混乱の責任を取り座を退くこと、レダとナヴィードの家が折半してドゥーリッド侯に賠償金を支払う代わりにナヴィードを新たなドゥーリッド侯と認めること、ナヴィードは婚姻とその地位を保証する対価として十年間諸侯に対し一定の献上金を負担するという和平案を関係者全員が受け入れ、問題は一応の解決へと至っている。


「しかし、それではご実家の方が……」

「ええ。私の父は妹を後継に指名した後に自決し、夫の父も後を追うように病で亡くなってしまいました……」


 唇を噛みしめる。ナヴィードとの愛を貫けた事自体に悔いはないが、そのために失われたものの大きさを考えたとき、自分たちの選択が本当に正しかったのかと思わずにはいられない。

 ナヴィードは新たなドゥーリッド候として領土に入ったものの騒ぎのせいで当初の評判は最悪そのものであった。穏やかな生活を送る余裕もなく最初の一年を全て領土の宣撫せんぶに費やし、民心を安定させた後も莫大な献上金の支払いに追われる節制の日々が続き、後々業歪を招き入れる遠因にもなっている。


「愛は人を育てますが、そのために他の何かを犠牲にするのなら、犠牲の報いを受けるのが定めだと私は考えています」


 男女の仲であれ親子の情であれ、そうして導かれる結果は何も変わりませんと語るレドに、セノは再び目を閉じて考え込み、やがて考えを理解した彼女は静かに口を開いた。


「セキト自身に道を選ばせてあげなさい、と?」

「その為の訓練をさせて頂けるのでしたら、私たちも喜んでお手伝いをさせていただきます」

「子を思うがゆえ厳しい態度を取るお気持ちは理解いたしますが、私も今はその時ではないと感じます」


 旅に出るにせよ、ここに残り生きていくにせよ、心残りのない選択を選べるよう学んでからでも遅くはない。二人の言葉を聞いたセノは静かに目を開き「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と我が子の成長をレドに託した。



 次の日、前日に切り倒した木を水辺に運び出す。セキトは鉈で残っている枝を刈っていたが、途中で指を切ってしまった。

 傷口を押さえる少年の手を取り、具合を確かめると傷から液体が滴り落ちそうになっている。


「気をつけてね。植物のように治りが早いと言っても、次々に別の傷がついたら耐えられないかも知れない」

「ごめんなさい……」


 赤い色は見えず透明な液体が微かににじみでていたが、あっという間に傷口は塞がっていった。


「今までは誰にも見せずにいられたのかも知れないが、いずれそれでは済まなくなるぞ」

「……分かってる」


 少し一人になりたいと告げてセキトは木々の間を歩いていき、距離を取られたレドは憂鬱そうに首を振る。もちろん彼女には子育ての経験はなく、年長者として子供に向かいあうと接し方の難しさを感じずにはいられない。


「これは時間が要りそうね」

「彼のような年頃の子供は気難しいものです。ましてあのような状態では……」


 セキトの呪いについて、動けないセノにはどうなっているのか全容を確認出来ずにいたため、レドは彼と行動を共に過ごすことで様相の把握に努めていた。

 業歪が「お揃いの呪い」と語っていたように、母子の呪いは本質的には同じと言える。人としての在り方を植物に置き換えられていた。しかし症状の進展には大きな差が認められ、口封じのような格好で呪いを授けられたセノの方が即効性が高く、セキトのそれはかなりの遅効性を帯びた呪いであると言える。

 本人の話では、当初は単に少し怪我をしても治りが早くなったという程度の認識であったらしい。しかし次第に血の色から赤みが失われ、かつ食べ物よりも水分を多く欲し、最近になり急激に背が伸びていると母から指摘されたことで、ようやく呪いの影響であると自覚するに至っていた。十を超えるほどに見えた齢も実際にはまだ九つだという。

 本人も話す機会を探っていたが、母の症状が重いこともあり切り出せないままであった。


「今のままでは彼を連れて行くことは難しいかと」

「ええ。すれ違いのまま別れ別れになるのは見たくない。今は時間を必要としています」


 話を終えたレドはシュヴァンレードに体を預け、彼が戻ってくるまで黙々と木を切り続けた。

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