最終話 人彩(じんさい)
『1350年』のドゥーリッド。
その日は領主の婚礼の儀が開かれるということで、領内は華やかな雰囲気に包まれており、街の酒場では店主が祝い酒を客に振る舞っている。
「ドールの旦那、景気が良いじゃねえの!」
「めでたいことじゃねえか! 細けえことは抜きだ、抜き!」
「大損覚悟は良いけれど、補填はちゃんと考えなさいよ」
陽気に来客と受け答えするドールにアトリが釘を刺した。
「お前さんこそしっかり占えよ。今回の婚礼に不吉な結果なんぞ出てねえだろうな!」
「そんなのとっくに占ったし、不幸な兆しなんて出るわけないじゃないの!」
いつも通りの二人のやり取りに常連は苦笑いを浮かべる。仲の良い掛け合いが店を盛り上げ円満な経営に繋がっていた。昼間だというのに酒場はいよいよ賑わいを増していく。
その頃ドゥーリッドの西にあるロジボラスタ侯領からの使節が城に到着していた。使節の全権代表を務める太子アルジェナイトは傍らに控える騎士ユーデに語りかける。
「良い天気に恵まれたものだな」
「はっ、めでたい席に相応しく思います」
雲ひとつない晴れた空を見上げながら言葉を交わした。
「父上や叔父上も出席したかったであろうな」
「奥方様の病が快方に向かっているとはいえ、まだまだ予断を許さぬ状況ゆえ致し方もございませぬ」
とはいえ、父のアークトはともかく特に用事のない叔父のブレッカまで来ないというのは異例である。口うるさい大老が「こういう外交経験を一つ一つ積むことも必要でありましょう」と叔父を辟易させつつ説き伏せていた。
「しかし、喜ばしい席に出られると心が沸き立つものだな」
「いずれアルジェナイト様も良縁に恵まれましょう」
「お前こそ、いつまで独り身でいる気なのだ? この間もラジェスタからの縁談を断ったそうではないか」
「……気乗りがしませぬ。妻をめとるのであれば自ら見つけたいのです」
強情だな、と笑って馬から下りると出迎えに現れたドゥーリッド侯家の家臣たちをねぎらった。
城内では先に入っていたエグザトス侯ラルフレートが妻のリュービスと語り合っている。
「弟様のご結婚でようやくご安心でしょうか」
「正直、あいつのほうが先に結婚すると思っていたからな。歳の差といえばそれまでだが」
「不思議ですね。私もそう思うのです」
二人して笑い合った。そもそもリュービスが出会ったのも弟のほうが先で、彼女も彼に惚れていたのであるが。
「貴方様の熱意に押されてしまいましたね。下層の家の出身である私に一生懸命に愛をささやいていただいて」
「お前を見たときに直感したよ。これこそ運命の出会いだと」
「そんなことおっしゃって、他にもお目をかけていた娘がいたのを私が知らないとお思いですか?」
仲睦まじい様子の夫妻のところに話題となっていた弟が妻と共に姿を見せた。
「兄上、遠路はるばるお疲れ様です」
「ナヴィード、まずは無事にこの日を迎えられたことを祝おう」
兄弟が硬い握手を交わす中リュービスはドゥーリッド侯妃となった女性に声をかける。
「ご結婚おめでとう……少し緊張なされているかしら?」
「そうですね。まさか私を選んでくださるとは思わなくて……正直、今日という今でも信じられません」
「自信をもって。今は夢ではないのですから」
優しく励ます。武家でも貴族でもなく、庶民としても最下層の家に生まれた彼女が不思議な縁に導かれてナヴィードと出会い、あれよあれよと言う間に彼の心を射止めたことは世界中の耳目を集めた。
「偶然だったよ。家族を失い崖から身を投げようとしていたお前を見つけた」
「止められても死ぬ気でしたのに、いきなり『そなたを生涯愛するから止めろ』などと言われては驚きもします」
その時のことを思い出すと今でも笑ってしまう。しかもそれがただの男などではなくドゥーリッド侯家の養子となったエグザトス侯家の次男だったと知った時、空を見上げて大笑いしたのを彼女は生涯忘れない。あんなに空を面白く見上げたのは初めての経験であった。
「子供の頃から大人しかったお前らしくもない行動だとは思ったが、それほどまでに激しく心を動かされるめぐり逢いができたのだな」
「いつまでもお幸せに……レド様」
二組の夫婦は穏やかに婚礼の式を待つが、一方で不思議な気持ちも抱いていた。この幸せを皆に伝えたいのに、一番伝えたい相手が誰なのか分からない。一度も出会ったことがないはずなのに確かに知っている、その人に。
ロジボラスタ辺境の草原にある小さな村では少年と少女が畑に水やりをしていた。
「これでいいかしら?」
「良いんじゃないかな。雲も多いし、雨が降るならその方が良いし」
「帰りましょ、セキト」
エーフェはセキトに笑いかけて一緒に家に戻る。家が隣同士の二人は幼馴染で仲も良く、共に父親を亡くしていることもあって共同で畑を管理していた。
今日は行商に出ていたエーフェの母が帰ってきており、セキトの母と夕食の支度をしている。
「おかえり二人とも、畑はどうだい?」
「順調よ母さん。去年よりずっとすごい収穫になると思う」
「そいつは何よりだね。セノさんも安心じゃないかい?」
サアメが話を振るとセノも大きく頷いて「今年が済んたら良い時期になるかしら」と応じた。
「母さん、何の話?」
「実はね、しばらく前にサアメさんが良い話を持ってきてくれて」
「取引先のネビク様っていう大店の主人さんが『店で奉公させたい子供がいるなら預けてみないか』とお誘い下さっていてね」
それを聞いた子どもたちは顔を見合わける。
「僕たちのどちらかって事?」
「どちらもさ。働きが見事なら、城に口利きもしてくれるって話さ」
「でも、母さんたちが……」
心配で、と言いかけたエーフェにセノは穏やかに笑いかける。
「私はね、あなた達二人にも世界は広いことを知ってほしいの。世界はこのロジボラスタの草原だけではなくて、もっともっと大きく広がっているのよ」
「心配しないのエーフェ。今までは私ばかり旅していたけど、あんたたちにも旅をさせたいのは私も同じさ」
母たちの言葉になおも迷いを見せるエーフェだったが、隣りにいたセキトは何かを決心したように「おばさん、そのネビクって人のところで働かせてくれないかな」と言った。少女は驚いて少年を見る。
「セキト?!」
「ごめんエーフェ。僕、行かなきゃいけない気がするんだ」
その目は何かに輝き始めていた。自分でも良くわからない何かに体が熱くなるのが感じられる。少女にもそれが伝わり、迷いは消えた。
「セキトが行くなら……私も行く」
「良いの、エーフェ?」
「セキトに見える世界を私だって見たいもん」
そう言って恥ずかしそうに笑う女の子につられて家族は笑い合う。今すぐにではないにせよ、旅立ちの日は近づいていた。いつか出会ったはずの、大切な人に再び出会うため。
南の地、ケイニア。
ドゥーリッドの婚礼に出席しているケイニア侯リアリスの留守を任されている侯家守護職のマトヤは、隣りにいる秘書官の妹カザリに不思議そうな顔を見せる。
「なあ、カザリ。今度のドゥーリッド侯妃になられる方はレド様で合っているな?」
「姉様、何度目ですかその質問は?」
「いや……分かってはいるのだが、どうしても書き損じてしまってな」
そういって彼女は手元の紙を示す。すると『Ledo』と書くべきところを『Leda』と書いてしまっていた。
「姉様も遂にいない御人を探し求めるようになりましたか」
ため息をつくカザリ。彼女たちの主君であるリアリスは、前領主の一人娘でそのまま侯位を継いだのだがどこか情緒不安定で、事ある毎に居ないはずの『姉さん』へ語りかける癖がある。流石に成人したあとは公の場でやりとりを行うことこそ無くなったものの、癖を知っている人の前では隠そうともしない。
「……人のことを言えるのか、カザリ?」
「何のことです?」
「お前にも聞こえているんだろう? ……あの声が」
まじまじと顔を見つめてくる姉に妹は仕方なさそうに「どうせ幻聴なら殿方の声が良かったですのに」と白状した。主君とは幼い頃からの仲良しであった姉妹にも、確かに時折女の声が聞こえてくるのだが、それがリアリスのいうところの姉であるのかがはっきりせず、今に至るまで聞きそびれてしまっている。
「……声はこう聞こえました『文句ばかり言わないの。あなたも早く良人を見つけなさい』と」
「まるきり聞き分けのない妹に言い聞かせる姉の言葉だな」
「姉様は私にこんな事を言わないではないですか」
からかう妹に姉は不機嫌そうに「旦那持ちに言う言葉ではないだろう」と話す。そういう彼女自身は未だに独身のままだった。
「怒りました、姉様?」
「さっさと仕事を切り上げるぞカザリ。姉を馬鹿にした罰だ、今夜は朝まで付き合ってもらうからな」
「今宵は夫は留守ですの。姉様こそ先に根をお上げになりませぬように」
酒豪の姉妹はそんなことを言い合いつつ書類作成を急ぐ。しかし、一文字の書き違いに妙に心がざわめくのを二人も感じていた。
Leda、という不思議な名前。
ドゥーリッドの東にあるハウゼッツ。そこには未開の荒野が広がっていて、未だかつてその先に何があるのかを確かめたものはいないとされている。各侯家の共同管理地の外れ、誰の支配も及ばない地に二人の女が立っていて、そのうち一人が何ごとかをつぶやいていた。
「いい加減、いない姉に話しかけるのは止めなさいねリアリス……一緒に連れて行け? 貴女が『またケイニア侯になりたい』って言ったのでしょう?」
呆れた声でつぶやき続ける銀髪の若い女を、やや年下の黒髪女性が面白そうににやにやしながら眺めている。
「……とにかく、今はもうドゥーリッドなのでしょう? ナヴィードたちに怪しく思われたくないなら話は終わりにしなさい。良いわね?」
空の向こうの相手はまだ何か言っているが銀の女は相手をせずに意識を閉ざし、話が終わったと見て取った黒髪の女が口を開いた。
「お前、設定を間違えたんじゃねえか?」
「間違いではないのよ。ただ、最後に繋がりの深かった人との縁はいくら頑張っても切れなくて」
「ばーか。簡単に切れるほどやわな絆の姉妹なんていねえに決まってら」
むくれる仲間の頭をくしゃくしゃとなで回すが、相手の事情は理解しているので強くは言わない。
「ひどい言い方じゃない? ちょっと傷つく」
「褒め言葉で傷つくなよ」
「……実行者の記憶が入って、少し性格が悪くなったかしら」
「お前こそ、望み通り星光と一つになれたんだぞ。もっと喜べレダ」
「やはり貴女には可憐という名前は似合いそうにないわね、デスクス」
レダとデスクスは言葉で小突きあう。
恵みの地の上から降ってきた世界は旧き世界を押しつぶすことなく砕け散り、崩れた世界を補い混ざり合って広がっていった。そこに溶けていった星光の記憶により、世界は可能な限りそこに生きた人達の希望を叶えつつ再構成され、実行者の最後の権限により次の世界として定められる。役割を終えたレダたちはそのまま消えるはずだったが、彼女は消えることなくランブルックの山中でデスクスと共に倒れていた。
「少しは感謝してくれよ。俺が実行者の権限を引き継がなかったら、お前は今ここに居ねえんだぞ」
「貴女こそ、心の一番奥くらいにいなかったら選ばれてはいなかったわ」
実行者はレダに力を貸したように見せながら、最後に嫌がらせも残していた。レダの心の一番奥にいる人間に自らの記憶を引き継がせ、自分を再生させようとしたのである。
彼女としてはその相手はナヴィードであるだろうと想定していたようだが、目覚めてみればデスクスの中で最初はかなりの拒絶反応を示していたらしい。しかし、元々一時代の記憶を宿せるほどの余白を持っていたその体を気に入ったのかいつしか抵抗を示すこともなくなり、一つになることを受け入れ消えていった。
星光は世界の再構成に当たり持てる力を使い切り、レダを護るためにそれまで彼女の力で保護されていた心の領域を返却したため、全く何の痕跡も残さずに消滅している。
そして、いくら名を呼んでも返ってこない様子を儚んでいたら、何故か声がリアリスたちにも聞こえていたのに気づき、先程のような状態が目覚めてからずっと続いていた。
リアリスの方もあっさり声を自分の姉だと受け入れたため再構成された世界は早速歪みつつあったものの、無理に歪みは正さない。その必要もなかった
「妹はそのまんまかよ?」
「構わない。何ひとつ昔を思い出せなくて寂しいのは、貴女が一番良く知っているでしょう?」
「違いねえな」
言葉を返されてデスクスは笑い、レダもまた笑い合って地平を見つめる。澄み切った青空の下に広がるのは、自由の荒野。その先には零の水面が待っている。
「行きましょうデスクス。ひとまずはダン・アザベルグを探さないとね」
「ようやくの里帰り、か」
二人は荷物を背負うと歩き出す。もう恵みの地ですべきことはほとんどない。あとはそこにいる人々の彩りのままであれば良い。
課せられた役割から解放された二人の女は、気の向くままに世界を渡っていった。
『Schutz von Ledo』と刻まれた円形の御守りを身につけながら。
(終)
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