第六話 融和
レドは自身の予想より一日早く雪に覆われた立派な門の付近に到達する。
(間違いないようですな)
「ええ、ランブルック侯の城下ね」
門の前にはかなりうず高く雪が積もっているのだが、そんな状況にも関わらず多数の兵士たちが警備と検問に当たっていた。円盤の暗殺者が言っていたことに間違いはないことが分かる。
「元々難しい話ではあるけれど、やはり素直に街には入れなさそうね」
(……あの女の助言に従うのも癪ですが、やむを得ません)
「もう忘れなさいシュヴァンレード……酒場を探しましょう」
銀化を解くと顔にデスクスが残してくれたストールを巻き付け、目立たぬようゆっくりと足を進めた。
門の外は内部に住めない人々の家が連なっており、検問のせいで中に入れない旅人が足止めを余儀なくされている様子も伺える。
目当ての酒場は門の西側にあった。周辺には民家も少なく、たまに通りすがる人間も怪しげな客引きばかりだったが、ある男の声を耳に留めたレドは相手の言うなりに建物の中に入っていく。
「持ち合わせは何もないと言ったはずだけど?」
「別に払う方法はいくらでもあるぜ」
男は引き入れた女の挙動を注意深く観察しながら、出口を巧みに塞いでいた。言葉ほど下心があるわけでもなく、あくまでけん制であるのが分かる。
「じゃあ、身代わりを立てるからそれで許していただける?」
「ほう、お前さんに身代わりを立てるような相手がいるとは思えないがな」
顔色がかすかに変わった。
「念のために聞かせてもらうが……身代わりの相手は?」
「エルザッツという名の女の子」
「面は?」
「黒髪で円盤を持ち歩いているはずよ」
それを聞いた男は懐から刃物を取り出し彼女を威嚇する。
「身代わりはてめえじゃねえのか?」
「レドは死んだわ。今は私がレド」
「……了解した」
答えに納得したのか刃物をしまうとレドへ粗末な椅子を勧め、自身も手近な椅子に座り込んだ。
「……ほぼ即興だったが、よく対応出来たもんだ」
「あなたみたいな人の相手をこれまでに全くしていないわけではないもの」
お世辞ではない口調の言葉に素っ気なく答える。領主に謁見を求める相手は下心のある者も決して少なくなく、そうした者たちの誘いをやんわりと押し返すのも役割だった。失敗すればどうなるか、彼女は忘れようにも忘れられないほど理解している。
「あいつめ、レドがもう死んでいたことを俺に言わずに行きやがったな」
「それは違うわ。デスクスが私に会ったのはここを出た後ですもの」
「……お前が噂の銀の悪魔ってことか」
男はニヤリと笑うと改めて「俺がドールだ」と名乗り、同時に彼女へ偽名を名乗ることを勧めてきた。
「その仮面じゃ無駄かもしれんが、レドのままじゃお前さんも動きにくいだろう?」
「そうね……じゃあ、ここにいる間だけ私はエルザということにしておきましょう」
次の日からレドは酒場の臨時店員となる。状況を見極めるまでの隠れ蓑に過ぎないが、彼女としてはこの機会に市井に暮らす人々の感覚に意識を慣らしたいと思っていた。仮面の意思はそこまで気位を損なうこともないと渋っていたが、表には戻れぬ身という覚悟もあり様々な状況を見ておきたい気持ちも強い。
当然仮面を外せない彼女をいきなり表に出すほどドールは鈍くなかった。最初は厨房での仕込みに専念し時期を見た上で接客も任せることを提案し、レドも了承する。
店では臨時店員となっていたデスクスが居なくなって間もなく、次の働き手をどうするかは喫緊の課題となっていた。何となく店に居付いていると自称する占い師のアトリはレドの加入を素直に歓迎する。
「あんたのお陰で楽ができそうよ」
「期待されると失敗しそうだけど」
「大丈夫よ。私もはじめはそうだったから」
他の店員がいない間は彼女が接客や調理を任されていたらしく、表情には安堵が浮かんでいる。訳あり店員の入れ替わりもよくあるからか仮面の姿を見ても全く気にしていない。
夕方から店が開き、客足は鈍めながらそれでもぽつぽつと注文が入ってくる。寒い地域の特性かお湯割りの酒が人気のようで、厨房では絶えず大鍋で湯を沸かしていた。料理も基本的に干し肉と芋類で済ませているので厨房は酒の用意と洗い物で済んでしまう。未経験のレドでもすぐに馴染むことができた。
ただ、店じまいの直前になると余った湯とありあわせの材料を使って賄いのスープを作っており、それ目当てにわざわざスープの出る頃にここを訪れる常連客もいるとドールは語る。
「エルザ、ドゥーリッド風の味付けで頼むぜ」
「私の食べたい味でいいのかしら」
「要はここらじゃ出してない味付けでいいってことだ」
含みのある笑いを浮かべる彼にレドは頷き、食べていた味を濃厚にしたようなスープを作って客に供した。湯の量と材料の都合もあり濃くしか出来なかったのが実情であったが、客受けは上々でそれを食べたドールとアトリは満足げに頷く。
「明日からもその調子で頼むぞ」
「我が事とはいえ不安になるわ」
「大丈夫。占いなんかしなくても待ち人が来るんだから、安いものでしょ?」
不安を口にするが二人揃って気楽に構えていた。確かにそうなのだろうが、レドは二人ほど気楽になれない。
「エルザちゃん、見えてるものは見えてて良いけど、見えないものまで見ようとしちゃ駄目。占い師も見えないものを占ったりしないんだから」
「そんなだからお前の占いはイカサマとか言われるんだろうが」
「人に見えないものをさも当然のように『こういう運勢です』なんていう占い師よりマシでしょ?」
アトリは胡散臭そうに話すドールに口を尖らせて反論するが、それを聞いたレドは不思議なほど落ち着いて言葉を受け止めていた。ことと次第にもよるのかも知れないが、運命なんてどうやっても見えないのは間違いない。実際、嫁ぐときにも占い師に運勢を見てもらったものの、結局は最悪の結末を迎えている。
今の運命が分かっていたらと思わなかった訳でも無いが、悲しみや苦しみばかりが募っていき良いことは何も無い。見えない運命に怯えるのではなく、良くない結果も笑って受け止めて次に進むくらいでいるのが良いのだろう。
口喧嘩を始めた二人に呆れる仮面の意思に『放っておきなさい』と伝えて、彼女は手元のスープを飲み干した。
酒場の臨時店員の話はすぐに広まり、どんな女なのかと気にしだす男衆が酒場を訪れることも増えたが、ドールは気を良くしつつも「女目当てで来るなら他所を当たれ」と釘を刺すのを忘れない。あえて手がかりを与えているとはいえ、無駄に接触を増やすのも良くないのを彼は熟知している。
十日ほどが過ぎ、店に来る新顔の客が安定してきたと判断したドールは自身が相手を選んだうえで、レドに厨房から顔を出すことを許可した。
(……どうにも、このような卑策は性に合いません)
「このところ文句ばかりね」
洗い物の最中、不満を漏らすシュヴァンレードに小声でささやく。デスクスに会ってからというもの、彼の想定以上に裏道へと逸れていってしまっていることへ不満が蓄積しているらしい。店のことに忙しいレドは銀化もしばらくしていなかった。
「回りくどくても、安全に行けるならそれが一番よ」
(それはわかりますが……)
「高貴な家の人間が間者を用いることくらい知っているでしょう? 人を使っていたことを自分でやらねばならなくなっただけ」
(……)
仮面の意思は黙り込むが、かなりの鬱屈が溜まっているのを理解する。臣下の不満を和らげるのも主人の務めではあるが、現状はまだ正々堂々と立ち回るような状況にない。少しの間だけでも人目につかぬようゆっくり体を動かせば良いのかも知れないが、店の外で迂闊に顔を出せば折角の作戦が台無しである。酒場が閉まったあとにでも、とは考えていたが大抵は疲れて寝てしまっていた。
レドはシュヴァンレードの不満と作戦の成功を天秤にかけながら、慎重に思案をまとめていく。
店員姿も板についてきたとドールに認められたのを頃合いと見たレドは閉店後に許可をとって外への散歩に出かけた。正直疲れてはいるのだが、それは我慢しなければならない。
(レド様、無理をなさらず休まれては……)
「ありがとう……でも、今日は無理をする日よ」
気遣う仮面の意思に謝意を示しながらも暗い中をゆっくり歩む。ここ数日暖かい日が続いており、辺りに残る雪も溶けてろうそくの灯りは土道を照らしていた。
「あなたこそ無理を重ねていないかしら?」
(いえ、仮面である私には肉体労働が出来ませんから)
「我慢ができるのはあなたの良いところだけど、たまには本音を言ってもいいのよ」
民家が見えなくなるまで遠ざかったのを見計らって、彼女は銀化を指示し仮面は素直にその力を解放する。
「久しぶりね」
(……危険ではありませんか?)
「危険だから銀をまとったのでしょう?』
質問に質問で返し、彼女はその場に座った。空に瞬く星々もよく見える。
「戦士から騎士、騎士から勇者へ受け継がれていった剣の姿から仮面になって、望まぬ道を歩んでいるのも辛いでしょうね」
(お気遣い感謝いたします。しかし、剣であった頃は意思を持ってはいてもこのように通わせることもありませんでしたので)
「そうなの?」
主君の疑問を仮面は肯定する。剣であるときにはより良い剣であることが彼の存在意義であり意思表示の形であった。戦う武器であればそれ以外である必要はなく、持ち主がどうであれ己の意思を示すことが出来る。
しかし仮面となってからはただ在るだけでは意思を示せないことに苦しみを感じ始め、銀化の力を得てシュヴァンレードの名を得てからもそれは変わらず、むしろ日々悩みは深まるばかりだと打ち明けた。
「悩んでいるということ?」
(正直に申しまして、仮面とはどうあるべきなのか分からないのです。レド様をお守りすることが第一とはいえ、他になすべきことがあるように思えてなりません)
彼の悩みに触れたレドは空を見上げる。業歪は彼を『星光』と呼んでいて、それが彼の宿った剣の名前なのかそれとも別の意味を含んでいるのかは分からない。しかし、彼の持つ光が今は深い雲に覆われていることだけは理解できる。
彼には今までとは違う言葉を贈らねばならない。レドは口の端を緩めて、仮面に呼びかけた。
「考えすぎよ、シュヴァンレード……もっと気楽に声を出しなさい」
(気楽に……ですか?)
「そうではないのよ。このままでは分からないかも知れないかしら?」
彼女は銀化を解くように命じ元に戻った後で再び「さあ、気楽に声を出して」と告げ、その意味が分からない彼はますます困惑を深めていった。
「声に出さない意思では伝わらないの。きちんと耳に届けてみて」
(そう言われましてもどうしたら良いのか)
「これは分かるわよね?」
そう言って耳を触って見せる。耳の一部は既に完全な同化を終えて鈍い金属で出来た耳の形が仮面から浮き彫りになりつつあった。
「今でも私の声は聞こえているはず……ここに声を届ければいいのよ」
(し、しかし!)
「慣れてしまえば剣であるよりずっと楽じゃないかしら。私はしばらく黙っているから、色々試してみなさいね」
口をつぐむレドにシュヴァンレードは為すすべもない。耳があって音や声が聞こえているのすら未だ理解できてないというのに、はっきり聞こえるように話せというのは無理難題も良いところである。しかも主君は呪いがあることをごく当然のように受け入れているように感じられた。
彼の意思はこれまでのように主君にも伝わっているはずなのだが、彼女は興味を示さない。空を見上げたり手元の草を撫でてみたり、耳元に手を伸ばすことがあってもごく短い間にあっけなく下ろす。精神を集中しようとしても上手く行かず、彼は段々と苛立ちを抑えきれなくなってきた。
無理難題を言う主君にもだが、手を出さないのを良いことに無礼ばかり働いてきたデスクスも気に入らないし、何よりも腹が立つのはあの業歪である。あれは間違いなく仮面に彼が宿っているのを知っていながらレドに仮面を着けさせたのに違いない。もしもあの時に銀の力を発現させていなかったら、彼は何の役割を果たせずに次まで無念を引きずっていただろう。
挙げ句の果てに業歪は自分と主君に呪いをかけてどこかへと消えていき、そのせいで道具であれば感じぬ感触を覚えさせられ、無礼をされたり望まない行動をさせられたりとろくなことがない。この憤懣をどう晴らせばよいのか、と思うと意思が砕け散りそうだった。
「あの化物が! いつか思い知らせてやる!」
「はいはい、分かったわよシュヴァンレード。そんな大声を出さなくてもちゃんと聞こえるわ」
「えっ……?」
苦笑いを浮かべながら窘めるように言うレドの言葉にはっとする。自分が何をしているのかが分からず呆然としていた。
「おめでとうね、声を出せるようになって」
「私に……声が……?」
「そう。今聞こえている私以外の声があなたなの」
答えにたどり着いた仮面をレドは穏やかに祝福する。この仮面は目と口、それに後頭部の一部が露出していて口らしきものなどないのだが、仮面のどこかから確かに男の声が発せられていた。
「こんなことが……」
「出来たのよ……いえ、もっと早くから出来ていたのかも知れないわね」
「どういうことでしょうか?」
「山で呪いのことを聞いて、あなたも耳から音が聞こえると伝えられた時から不思議とは思っていたのよ。聞くことは出来るのに話すことは出来ないのかと」
猟師のご老人は耳が弱かったし、戦いの場でそんなことを気にする者はいないから、気付けなかったのはやむを得ないかしらとレドは思案しながら言葉を続ける。
「ではデスクスは……」
「私が寝ていた時のことだからすぐに気づいたのではないかしら? それでなくとも気配に敏感な暗殺者ですもの。まあ、それを素直に教えるとも思えなかったけれどね」
「……あの女め」
思い出したらまた腹が立ってきたのか、舌打ちのようなものが聞こえてきた。しかし、大分苛立ちが消えて穏やかさが戻りつつあるのを感じたレドは立ち上がる。今夜なすべきことは終わったらしい。
「帰りましょうシュヴァンレード。酒場に着いたらドールとアトリにちゃんと挨拶しなさいね」
「……はい?」
「仲間に正式な挨拶をするのは当然の礼儀でしょう?」
彼女はゆっくりと酒場へ向けて歩き出した。
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