第五十六話 散華
レドは二体の鋼獣を相手に攻め手を欠き、苦戦を強いられている。一撃でこちらに致命傷を与え得る攻撃、銀の武器を受け付けない鋼の体、滑らかで俊敏な動きに隙らしい隙を見出だせず避けるので精一杯だった。
「強い……! まるで手が出ないなんて」
「鉄壁とでも言いましょうか、普通の剣や槍では歯が立ちませんね……!」
凄まじい勢いで放たれる砲の連射に戦慄しながら回避に徹する彼女をよそに、星光の意思は必死に自身の記録を探っていた。過去に存在したものであるなら記録に残っていないはずがないのだが、類似の存在は見つかっても完全に一致するものがない。
一番近いのはWvG1015に造られた戦闘車両である。零の水面の後となる時代は、鋼の力が極まった世界であり鉄巨人も同じような技術によって作られていた。
ただし、WvGでの記録に残るそれより脚が一本少なく、また砲が装備されていた記録も見つからない。
(実行者が危険視したのも頷けますね……本来なら繋がりのない存在をも改造してしまう、異剰技術……)
時代の順序が入れ替わっている空間では、前時代の技術が今ある世界のそれを優越することも不思議なことではなかった。ただそれが見つかったとして、今の時代にあり得ない存在が本当はどのような物なのか、知る術があるはずもない。その類の話を否定することが、世界の洗浄を行うための大義名分であったというのに。
零の水面で記録を遺そうとしていた集団は、正規の記録とも言うべき彼の中にも残されていない、明らかに異常な存在だった。WvGとしては先進的な時代といえども、人体の情報を書き換える技術に手が届く前に滅ぶのが残されている本来の予定である。
(繰り返しすぎ、でしょうか……? 滞り無く洗浄が行われるという前提が崩れて、権限を持つ者たちですら世界が存続するかどうか判断しかねている……)
実行者はまたやり直せると考えているようだが、彼の認識では今のやり方は完全に破綻していた。連続を断ち切っているはずの世界が繋がり、新生のない世界で新しく生を受けたものがいて、創造主に与えられた権限はほとんど形骸化している。空が落ちてきている以上次の世界は用意されているのであろうが、描かれるべき世界の姿は記録者である自分にすら未だ反映されていない。
記録にない、見たことのない世界。
(何が何でも、そこにレド様をお連れせねばなりませんね……!)
シュヴァンレードが思うのはその一点だった。古びた世界に新しく生まれ落ちてからわずか二十数年、それが錯誤であれ必然であれ納得がいくほど生ききっていない。古びた世界は全て潰されてしまうとしても、彼にはそれが正解であると思えなくなっている。
目まぐるしく思考を続ける彼に信頼する女性から声がかけられた。
「それは駄目……言ったでしょう、シュヴァンレード? 私だけが残る世界は嫌だって」
「レド様……」
いつの間にか思考が漏れていて、鋼獣の雷撃を懸命に回避しながらもレドは彼に微笑んでみせた。
「創造主がどんな人なのか私には分からない。けれど、自分で作った世界を闇雲に壊すような人ではないと信じている」
だから貴方がいて記録を残しているんでしょう、と言葉を続ける。業歪のように全てを消し去ってそれで終わりにせず、記録を遺し後につなげようとする存在が一人だけしか残れない世界を認めるはずがない。そう思えた。
「貴方も……デスクスもリアリスもセキトも、今を生きている皆で笑い合いながら世界を受け入れましょう。私たちは負けられない!」
「……はい!」
これまでにないほど力強く勝利を求める彼女の思いに彼も応えた。銀の表す過去、今を象る命、光をまとう未来。その全てを一つとして、新たな地平を切り開く。
可能性が導かれた。
「……掌砲を!」
「直ぐに!」
手に銀色の筒が現れる。二度ほど眺めたことがあるだけのレドには扱い方など全く分からない。しかし、シュヴァンレードが記録から呼び出した以上は何の問題もなかった。
「狙いを相手に! 放つのは私が!」
「分かったわ、お願いね!」
しかし、二人に対する攻撃は一層激しさを増していく。鋼獣たちは目の前で脅威が生まれたことを敏感に察知しているようであった。
レドは最適な位置を探る。二体を同時に倒せる位置取りは無理にしても、確実に一体を仕留められる好機を見出したかったが、蓄積された疲労からか途中で脚がもつれてしまう。意識が視野に行き過ぎて体の制御がおろそかになってしまったのを敵は見逃さない。
左右から彼女を挟み込み砲撃ではなく雷撃を放った。盾では防げない攻撃で仕留めきろうとする相手に、それでも諦めず盾を呼び出してどうにか防ごうと試みたところで横から声が飛んでくる。
「馬鹿野郎! 盾を鉄にして手を離せ! 地面に受け流せるのを知らねえお前じゃねえだろうが!」
「……そうか!」
雷撃が届く少し前にレドの手は盾から離れ、地面に突き立てられた盾から雷撃は地に吸われていき、求めていた決定的な隙ができる。
「今なら!」
「飛べ、光よ!」
素早く構えられた掌砲の引き金が引かれて、砲口からは弾丸ではなく鋭い光の帯が放たれ右にいた鋼獣の胴体を射抜く。直撃を受けた体は爆発を起こして吹き飛び、脚だけ残して動きを止めた。しかし、まだもう一体が残っている。
残された一体はレドではなくデスクスを狙っていた。砲と雷撃を絡めて逃げ場所を奪い追い詰めていた。レドはもう一度掌砲に光を集めて放とうとするが、相手はそれを察知しておりデスクスに向けていたはずの砲口を先に向けられてしまう。
「えっ!」
「しまった!」
驚愕し動きを止めてしまったレドに構わず、何の感情も込められていない無慈悲な砲撃が放たれた。完全に不意を突かれたシュヴァンレードも対応できずにいる。
かわせない。
かわせないが、届かなかった。
「……いいから動け……構う……な!」
間一髪、駆け寄ってきたデスクスが彼女を突き飛ばし、その代わりに全ての砲撃を受け止めてそのまま崩れ落ちていく。あまりにも無惨な光景を直視したことで放心してしまったレドに構わず、シュヴァンレードが光を放ち残された鋼獣を仕留めたものの、彼女の意識はもう目の前で倒れている血塗れの親友にしか向いていない。
震える手で血まみれになったデスクスの体を抱き上げる。ひどく弱々しい息遣いしか出来ない彼女は、それでも涙を浮かべているレドに前を向くように促す。
「しっかりしてよ! ここで終わりだなんて言わせないで……!」
「俺に……構ってるん……じゃ……ねえ。あとひとり……残っている……だろ……?」
デスクスの視線の先には、下馬をして赤黒い剣を抜いたナイカの姿があった。
「獣は獣か。だが、愚か者をひとり仕留めただけでも上出来と評すべきか」
「少しの猶予も与えないと……そう言うのね……!」
「早く……終わらせろ……それくらいまで……は……見といて……やるからよ……」
強がるデスクスの体をそっと横たえ、レドは冷たい目でナイカを睨み、手に光の剣を生み出す。
「にわか仕込みの剣で私に勝つつもりか? 身の程知らずが」
「もう捧げるものは何もない! 貴方の全てを私は許さない!」
レドとナイカは正面からぶつかりあった。彼の持つ剣が普通の剣でないのはすぐに分かる。かつて戦った魔剣と同質の力を帯びているが、剣にも持ち主にも意思らしい意思を感じることはできない。
「今の貴方はただの操り人形に過ぎない……!」
「それがどうした? 操り人形であっても私がナイカ・イゼル・ソルベイユであることに変わりはない」
貴様らが死ねば誰も何も知ることなく支配を受け入れると男はうそぶいた。そして世界は洗われ再度新しく生まれ変わる、と。
「それは生まれ変わりなどではないわ! ただの誤魔化しよ!」
「一から全てを創る苦労を知らぬ、貴様らしい考えだな」
「貴方に何が分かるの? 何の反省も活かせぬまま、都合が悪くなる度に世界の全てを洗い流し、捨てていくなんて!」
貴方だってそうではないの、と剣を交わしながら問いかけたものの、目の前の老人は「そんなことなど我々が考える必要はない」と一蹴した。
「我々は与えられた役割を果たせばいい。新しい世界を切り拓こうなどという、分不相応な思い上がりこそお前の害悪を証明している」
「思い上がりじゃない! 皆で恵みの地を生きていたいだけなのに! そんな小さな願いをも拒絶するほど貴方は狭量なの?」
「貴様こそ何様のつもりだ? 規範なき世界は単なる混沌に過ぎん。己が所詮は恵みの地へと迷い込んだ異物に過ぎぬことを認めろ」
ナイカは力を込めた重い一撃を見舞いながら力で押し込もうとする。本人の乏しい技量を魔剣の力と業歪の権限で補強していて、決して侮れる攻撃ではない。過去から蓄積された剣の記憶に支えられたレドでも受け止めるのには苦労していた。
しかし、負けない。押し込まれたのを逆に押し返して正面から相手を見据える。最初に会ったときから憎しみに歪んでいたその顔は、もはや感情を表すことすら出来ない虚ろな仮面へと変わり果てていた。
仮面を自らの顔として受け入れ一つとなった女と、憎しみの果てに自分を見失い人形の如き能面と化した老人。その対比をシュヴァンレードは静かに思いを巡らせる。
(これも因果、ですね。もっともレド様を否定し恥じなかったナイカが仮面に閉ざされ、自らを恥じて仮面を被ったレド様がそれを顔として受け入れ目覚めたのですから)
目覚めたのは自らも同じだった。ただ物として使われ、折にふれて持ち主の記憶を懐かしむだけであった自分に、人に寄り添うことを教え持てる力を解き放ってくれたのが彼女だった。単に恩義という言葉では表しきれない感情に彼は更に力を込める。過去しかない自分に閉ざされていたはずの未来を授け。過去という自分を今へと繋いでくれた。
ナイカばそんな彼の意思を見透かすかのように嘲笑う。
「星光とやら、お前の力などその程度よ。実行者の力には遠く及ばない」
「そんな戯言に惑わされるとでも思ったのか! 己が見えず、省みることもない今の貴様になど、何も動かせはしない!」
重い斬撃を弾き返しながらシュヴァンレードは咆える。レドもそれに頷き一旦後退したナイカを追撃するが、まだ残っていた雑兵に行く手を阻まれてしまった。
「邪魔をしないで!」
「言っただろう? 貴様一人で何ができる」
死を恐れず押し寄せる歪められた兵士に手間取るレドの無力を老人は揶揄する。
「今頃グルーがエグザトスを陥落させ、ランブルックに布陣していたイヴネム軍も鉄巨人が踏み潰している頃合いだ。貴様の仲間など誰もいない」
「……私は信じている。そんなことに誰も負けていないと!」
レドが槍で絡め取られた体を強引にほどこうとしたとき、その中の一人が何かで首を掻き斬られ絶命する。
「……仲間がいない……だぁ? お前と同じに……するんじゃ……ねぇよ!」
顔を蒼白にしたデスクスがいつの間にか横にいた。血は止まらず、体は揺らいでいる。
「何してるのよ馬鹿! そんな体で無理して……!」
「お前に、馬鹿と……言われても……嬉しさしか……ねえが、あいつ……如きに、仲間が、いない……なんて……馬鹿に……されて、黙ってられる……かよ……!」
彼女はそう言い、持っていた銀と鋼の円盤をレドに渡すと静かに倒れた。そのまま動かなくなる。
「………………!」
レドは声を出そうとしたのに出せない。どんなに言葉を探しても何ひとつ口にできなかった。目からあふれる涙を拭うことすらせず激情の矛先にナイカを捉える。
「馬鹿が」
「馬鹿で悪いの!? 仲間のために涙も流せない利口なんて私は認めない!」
「だから貴様は滅びるしか……」
言葉は続かない。銀と鋼の円盤二枚が剣ごとナイカの首を断ち切っていた。その死体は風に溶けて消えていき、残っていた兵士たちも同じように朽ちていく。
二度と見たくなかった光景が再びレドを包んでいた。自分以外が死に果てていく虚ろな空間。
彼女は光を解いてデスクスの体を抱き上げる。
「……レド……」
「喋らないで……少しでも長く貴女といたいの……」
「俺の……本当の……名前……」
「うん」
「可憐……なんだ……少し……恥ずかしくて……」
言えなかった、とは続かない。呼吸が消え入りそうになっていた。
「素敵ね……最初に出会ったときから、貴女はずっと素敵だった。だから……」
「……あり、がと……あったかい……な……涙……」
言葉が途絶える。望まぬ生を永らえて世界をさまよった果てに居場所を見つけた女は、一番の親友の名を背負う最愛の女に看取られて恵みの地を旅立っていった。
レドは彼女の亡骸を抱いて、あえて無尽の崖へと赴き体を葬る。これ以上彼女が苦しみの生を繰り返す必要もない。先に消えていった親友の元へたどり着けますように、と祈りを済ませたレドは迷いなく立ち上がった。
「レド様……」
「……行きましょうシュヴァンレード。業歪が私を待っているもの」
もう後ろを振り返ることなく走り出す。しかし完全に押し殺したはずの哀しみは、レドもシュヴァンレードも気がつかないまま心から染み出し、広がっていった。




