第五十四話 抑止
ハウゼッツの城。急いで所領からやってきたナイカは今しがた起きた出来事についてグルーを問い詰めていた。
「どういうことだグルー? 領内の管理をどうしているのか!」
「知るわけがない! あれを我々の仕業とてもいいたいのか?」
「ならば自然に天が落ちてくるのとでも言うのか? 信じられん!」
二人して罵声を浴びせ合う。到底理解できない出来事に遭遇して猜疑心に囚われていた二人は、お互いを疑い合っていた。
「いつものように悪魔の仕業にしないのか貴様は!」
「悪魔がハウゼッツの中にまで入り込んでいるとでも言えるのか? 我々の無能を証明するようなものではないか!」
憎悪と混乱と理性が一度に駆け巡り、ナイカは適切な判断を下せない。グルーも似たようなもので、ただただ相手に合わせて声を出しているだけである。不毛な言い争いを側で聞いていたディレッテは、そっとグルーに語りかけた。
「ナイカ様はお疲れのご様子、少しお休み頂かれては?」
「私は疲れてなどいない……!」
差し出がましい物言いを聞きとがめたナイカが怒鳴りつけてくるが、彼女は冷たい目で聞き流すと彼に向けて何かを放つ。刺されたナイカはびくりと体を震わせ呆然とした表情のまま動きを止めた。
「おい、突然どうしたのだナイカ?」
「どうやらお休みに入られたようですね」
「お前は……?」
「グルー様もごゆっくりなされませ……せいぜい私のために働けるように」
言葉の意味を理解する前に何かを腹に刺されて、軽い痛みとともに彼も意識を手放す。動きを止めた二人にディレッテは無表情のまま言葉を吐き捨てた。
「ま、あなた達にはあと少しだけ役に立ってもらうわ。囮としてね」
言い終えたディレッテの体は静かに朽ち果てて風に解けていった。その後に残された小さな黒蝶の髪飾りを部屋の外にいた年若い侍女が拾い上げて自分の髪に留めると、その瞬間に黒灰色の礼装をまとった姿に変わる。
「体を代えることすら難しくなったわね……」
実行者は疲れたようにため息をついた。たまたまケイニアから離れようとしていたディレッテの体を支配しハウゼッツまで来たものの、元々無理をしていた自身の衰弱を隠せなくなり、体が自壊を始めてしまう。仕方なくどうしても残したい権限のみ今の体に埋め込み、抜け殻となったディレッテの体はハウゼッツを゙手駒にするまでの捨て駒として運用せざるを得なかった。
ケイニアから今に至るまで過去に例を見ないほどの力を使い続けた彼女は、自身の存在を危うくするほどに消耗している。高等な権限を持つものばかり呼び出しだツケと言えばそれまでだが、世界が構成する活力や要素を失い自壊し始めただけでも目的に近づいている。
「定められた規範……運命に逆らうものを消して……世界を新たにやり直す。そこから外れた者たちは……いらない!」
彼女は役割に忠実だった。創造主が定めた規範を住まう存在に履行させ、そこから外れた世界は速やかに除き新たな世界を迎え、再び定められた規範のもとで世界を動かし続ける。そのために最上位の権限を与えられている彼女にとって、捨て去られた世界を記録し再現するという星光の存在など用無し以下の存在だった。
新しい世界に過去はいらない。過去を受け継ぎ続けた結果、それに縛られて先に進めずに滅びを迎え幾度となく形作られた世界で、どうして過去を残す必要があるのだろうか。実行者の彼女が唯一創造主の意向に不満を抱く点であった。
「星光、やはり貴方はこの世界には不要だった。新しい存在が生まれても貴方と結びついてしまえば結局は古びた記録も同然になる」
誰からも反省を求められなかった彼女は反省を知らない。それ故にレドの体を奪ったことも、レダを追い詰めすぎてしまい覚醒を誘発させたことも、全てを正しく記憶せず忘れていた。
「彼と彼女に新しい世界は踏ませない。過去という不要な物は排除する……空いた空間に新たな誕生を期待すればいいのよ。レドが生まれたのだから不可能ではないはず」
彼女は単なる木偶に成り果てた二人の男に命じる。
「ナイカ、お前は軍勢を率いてレドを止めなさい。憎い相手だから遠慮などいらないわよね?」
彼はだらしなく緩んだ顔でゆっくりと頷き、それを確認した実行者は続けてグルーに「ソルベイユからドゥーリッドへ出てエグザトスを総攻撃なさい」と告げた。
「特に旧き記憶の家は念入りに。二度と過去など残させない……イヴネムの攻撃など捨て置けばいいわ」
どのみちお前たちにも彼らにも帰るところなどないのだから、と酷薄な笑みを浮かべると先に仕掛けをしておいた下僕を呼び出す。
「お呼びでしょうか?」
「鉄巨人の発掘は終えているわね?」
「はい」
「ご苦労さま……穏やかに土塊へ還りなさい」
風化して消え去る男に構わず、立ったままの二人に「特別にお守りをつけてあげるわ。上手く役立てなさい」と告げて追い出した。
二人が同じように正気を失った兵士たちを率いて目的地へと向かったあと、音もなくハウゼッツの城は崩れ落ち、その中心地で力をほぼ使い切った実行者が衰弱した様子で倒れていた。世界が枯渇しつつある中で必要な力の供給を失っていることにすら気づかないでいる。
同じ頃、エグザトスにはランブルックへ出兵しているブレッカを除く三侯が集まり、立て続けに起きている異常事態について協議していた。
「業歪の仕業と見ていいわね?」
「空が落ちてくるなんて現象を他にどう説明すればいいんだ?」
焦りを表に出すリアリスの言葉にラルフレートも真剣な表情で応じる。
「……まさか話の通りに空が下がってくるとは思いませんでした」
「民心の動揺も著しく、各地で民たちが安全な避難場所を求めてそれぞれの城下に殺到しています……」
アルジェナイトとリュービスは暗い表情で言葉を並べる。この世の終わりと諦めて無尽の崖に身を投じるものも少なくなく、犯罪行為も激増していた。
「とにかく生きる意志のある民たちだけでも保護せねばなりますまい。兵士たちに城下の守りを固めさせて、少しでも不安を和らげるようにすべきです」
ネビクの現実的な進言に頷いた各侯がそれぞれに指示を出す間、彼は敵が打つであろう次の手について考えている。今の状況が本当に全て計算づくで行われた行為なのかは疑わしいように思えた。
ポウロンを失い求心力が低下している旧同盟は既に業歪の走狗と化している可能性が高い。レドの始末に全力を上げるのは当然として、他に狙うべき点があるとすれば連盟の瓦解以外にはありえなかった。
考えをまとめてラルフレートに伝えようとしたとき、部屋に伝令の兵士が駆け込んでくる。
「申し上げます! ハウゼッツ軍がドゥーリッドを蹂躙しつつ我が領に急進しつつあります!」
「何だと! イヴネム軍はどうしている?」
「それが……鉄巨人二体に行く手を阻まれており、手の打ちようがない、と……」
伝令の報告に居合わせた一同は顔を凍りつかせる。
「まだ同種がいたというのか……?」
「出てきたのがハウゼッツなのも気にいらないわね……ソルベイユがこちらに出てこれない理由があるとしたら……」
「話はあとだ。仮にこのまま進撃を許せばエグザトスを落としにかかるだろう!」
鉄巨人が二体だけとも限らない以上、先んじて迎え撃たなければ業歪の手で滅ぶ前に人の手で滅ぼされてしまいかねない。ラルフレートは迷わず動員可能なすべての兵でハウゼッツ軍を迎え撃つことを決めた。
「リアリス、アルジェナイト、君たちは急いで所領に戻って民と兵を出来るだけエグザトスとイヴネムに移動させてくれ!」
「細かな分散させては守りにくく、一ヶ所にまとめるのも危険が大きい……良き判断です」
「時間の勝負ね。すぐに戻るわ!」
ネビクが頷くのを待たずにリアリスは立ち上がるが、部屋を出ていく前にアルジェナイトに一言だけ言い残す。
「アルジェナイト、セキトもイヴネムに連れて行ってあげて。彼も貴方も居るべき場所があるでしょう?」
「え……? しかし……」
「リアリスの言う通りにしたほうが良い。これで最後とは言わないが、ケイニアに戻ってくるのは大切な人の顔を見てからでも遅くないからね」
ラルフレートは逡巡するアルジェナイトの背中を押すように助言を授けて見送るとリュービスに出陣の用意を命じて立ち上がった。
「貴方はいかがなされますか、ネビク殿」
「このような難局に我儘など論外ではありますが、ここは私めに留守をお任せ頂けますでしょうか?」
今回ブレッカ様が私に期待されているのもそういう類の話でしょう、と請け負う。派遣されてから退屈しのぎにしかならない些事ばかりであったが、遂に働きがいのある仕事に巡りあった、とやる気を前面に出す相談役にエグザトス候は苦笑いを浮かべた。
「寝首を掻かれそうで怖いですね」
「お褒めに預かり光栄です。心配せずともリュービスがそれを許してくれませんよ」
二人は静かに笑い合うと、部屋を出ていく。こんな形では終われない。レドの言う通り、最後まで諦めずに生きるべきだ、と。
全員の想いは一つだった。
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