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第五十三話 刻限

 ポウロンの死は当日のうちに隣のハウゼッツへと伝わっている。


「ポウロンめ、不摂生な生活などしているから……!」

「いかがいたしましょうか?」

「葬儀を止めるわけにもいくまい。とにかくナイカを待って弔問に向かう。今の時期に隙を見せるのはまずい」


 グルーは苛立たしげに準備を指示すると見た目だけ整えられている執務室から出ていく。それを見送ったあと、彼女の方もそれ以上に苛立たしく床を蹴った。


「何故なの! 何故どいつもこいつも言うことを聞かないのよ!」


 金切り声で罵る。粒喰はレドの始末、時命はポウロンの延命を目的に呼び出したものであるが、どちらも命令通りに動かずレドはハウゼッツに近づき、ポウロンは定められた時通り最悪な時期に亡くなってしまった。

 グルーの言葉を待つまでもなく、ポウロンを失ってしまったのは同盟にとってかなりの打撃である。せっかくウィゼに展開させていた部隊は仕切り直しで引き上げさせざるを得ず、次の許可を得られる見込みも無い。それどころか不利を見て取ったラークゼットが一層軸足を連盟よりに変える可能性もある。

 こんなはずではなかった。これまでと同じように異端者を消して過失を修正し、世界の洗浄を行い啓示された新たな世界を迎え入れるための下準備に不備などありえない。どのみち滅びるであろう同盟の命運になど興味はないが、世界のからくりを理解しつつある連盟側に主導権を渡してしまってはより面倒な話と化してしまう。


「どこで間違ってしまったの。私は定められた通りに動いているだけなのに……」


 前の世界でも文明を過度に進ませすぎた結果、余計なことをし始めた人間を見過ごせずに予定を早めて洗浄を行わざるを得なかった。更に前はもっと酷く、核となる人物が筋書き通りに動こうとせず修正を試みようとして失敗してしまう。

 その際に本来の役割を果たせていない星光をもとに戻すため強引にへし折ったのだが、それでも目覚めぬまま本来なら現れるはずのない恵みの地にまで現れてしまった。

 焦れた彼女は久々に下された創造主の指示に従い邪魔となっていた女と彼を融合させる。普通の人間が星光の重みに耐えきれるはずもない。そう思っていた。

 しかし宿主の女はそこから想定外の力を発揮し始め、星光も紆余曲折を経て完全な覚醒へと至る。永らく世界に現れなかった新生者であるレドは、星光の権限を使いこなし恵みの地の歴史を文字通り塗り替えていき、気づけば軌道修正が出来ないほどに変わり果ててしまった。


「新しい世界の啓示は未だないけれど、もう待っていられない! レドと星光が規範をも塗り潰してしまう前に手を打たないと!」


 歯ぎしりをする。創造主に定められた規範を遂行することこそが実行者たる彼女の役割であり、業歪などという名前で呼ばれるのは不本意極まりない。

 黙り込んだまま、部屋の中を落ち着きなく動き回る。歩く度に世界から活力が吸い取られていき、使い古された素材が朽ち果てて崩壊していった。彼女はそのことを気にもとめない。創造主に望まれて世界にいる以上、世界を構成する要素を糧として徴収するのは当然の権利だと信じて疑わなかった。

 その傲慢こそ業歪と評される理由であることを本人だけが理解していない。


「この際、余計なものにはご退場願いましょうか。人も有権者も等しくね」


 ディレッテは妖しい笑みを浮かべると虚ろな目をして言葉を発し、手をかざす。手のひらに何処からともなく光が集まっていき、やがてそれは紫色の球体となっていった。

 光が消えると球体は小さく震える。


「目覚めたようね。この城に近寄るもの全てを片付けなさい。いつもの通り、ただ役割を遂行すれば良いだけ」


 紫の球体は抗議するように大きく震える。それを見た実行者は不快そうに「良いから行きなさい!」と脅した。扱いにくい相手なのは承知の上であるが、今は時間が惜しい。

 なおも動こうとしない球体に我慢ができなくなった彼女は力を込めた楔を打ち込み強引に行動を掌握し、ニスタとの境まで転移させた。


「これでよし。あとは……面倒な二人の接待だけね。最後の接待になるかもだけど……」


 疲れたようにつぶやくと、部屋をあとにする。その姿はかすかにゆらぎ、足元は透けていっていた。



 レドたちはニスタの城下を離れたあと改めてハウゼッツを目指していたが、所々で兵隊が行き交う場面に出くわし、足止めを余儀なくされている。


「ニスタの兵士だけじゃなくてハウゼッツの兵も混じっているわね?」

「相当焦っているが……まぁ当然だな」


 戦争を控えて指導者の一人が急死したのだから焦らないわけがない。もっとも富裕で戦いにも消極的であった彼が亡くなったのは『同盟に与していたことによる心労ではないか』と疑う民も多く、旧同盟側には厭戦気分が広がりつつあった。


「これで戦わずして決着するのならばいいのだけれど……」

「お前の知ってる残り二人は、それで退くような軟弱野郎だったかよ?」

「……愚考だったわね」


 ナイカは当然としてグルーも評判の良い人物とは言い難い。外側は紳士な人物であるが内面は酷薄であるとの噂が絶えず、実際に彼は正妻を亡くしたあと何人もの後妻を迎えているがすべて離縁済であり、正妻も交際のあった女と結ばれるために謀殺したのでは、という疑惑も諸侯間でささやかれている。

 そのような人物だけにドゥーリッドの若い領主夫妻に対してもことあるごとに見下していた。ナヴィードが亡くなったあと、嬉々として後妻との子供をドゥーリッドに送ろうとしてナイカに咎められたとの噂もある。結局ドゥーリッドが解体となったことでその話は流れたが、レドの中に良い印象はない。


「そろそろ動いても良いかしら?」

「そうだな、兵士どもの気配もねえ」

「……いえ、もう少し待ちましょう」


 頷きあう二人をシュヴァンレードが止めた。声色は固く、異変を感じ取ったときの様子である。


「いきなりここへ現れました。実行者に匹敵する危険な相手です」

「どこにそんなやつがいるんだよ?」

「……正面です」


 その言葉に二人が前を向くと、いきなり小さな紫髪の女の子の姿が目に飛び込んてきた。彼女は今にも泣き出しそうな顔で悲鳴のような声をあげ周囲一帯を暴風で包み込む。


「な……!」

「あなた……!」

「止めなさい残響ナハール! あなたの力はそんなことに使うようには……!」

「遅いよ! 何もかも遅すぎるの!」


 残響と称された彼女は制止も聞かずに泣きわめき、暴風の中でレドが見上げた空はかすかに震えているように見えた。風に吹き飛ばされそうになるのをこらえつつ、デスクスがシュヴァンレードに問う。


「おい、今のはどういう意味だよ?」

「彼女が発揮しているのは世界を撹拌するための力です」

「着せ替えにまつわる力というわけね?」


 その答えに彼は同意を示した。今は風を操っているだけであるが、そのうちに地や空を巻き込み世界を破壊してしまう力へと変化しかねないと危惧する。


「邪魔……よ! 止められるの……なら……止めて……!」


 依然として泣き叫び続ける彼女からの圧力に耐えられず、レドたちは少し距離を取った。


「おい、近づけねえぞ! 何とかできねえのかよ」

「この辺りの空間法則を直接操作していますから、無視して動くのは難しいです」


 人の身では抗えない事象に銀の力は及ばない。そうしている間にも世界がきしむような感覚が大きくなっていく。これ以上は世界が形を保てなくなることをレドたちも直感した。


「残響!」

「無駄……! 私……残響は……止められ……ない! ……嫌だけど……嫌とは……」


 泣きながら途切れ途切れに言葉を発する。半ばまで自我が失われたその姿に、シュヴァンレードは説得を止めた。実行者はもう手段を選ばなくなったらしい。


「今は彼女を倒すしかないのね……」

「出来ねえ理由を並べてる場合かよ! 今できることを言いやがれ」

「……盾を作り風よけとして、じわじわ接近していくしかありませんね」


 銀の体に光をまとうレドの手に身の丈とほぼ同じ大きさの盾が生み出されて、それを正面に向けると少しだけ圧力が弱まった。


「これで前進して、止めはデスクスが刺すわけね?」

「精一杯の策です。強攻しても悲惨な結果になるだけかと」

「一発勝負か。俺向きだな」


 デスクスは後ろに回り込みながら銀の円盤を構える。至近距離までいって飛び込み斬るという単純だが難しい仕事だった。


「迷うなよレド。あいつを助けたくても、今は止めるのが先だ」

「分かってる」


 釘を刺され素直にレドは頷く。正直、業歪に操られているのが彼女にも理解できるため躊躇する気持ちもないわけでは無いが、シュヴァンレードの説得が届きそうで届かない微妙な距離の差を考えると、今は戦うより他に手はない。

 レドは盾を構える手に力を込めて荒れ狂う風の中を少しずつ前へと歩き始めた。渦巻く風に巻き込まれた動植物が吹きつけてくるが、正直から来たものは盾で弾き左右と背後はデスクスが斬りとばして防ぐ。


「この先は見たくもない景色になりそうね」

「とんだ馬鹿がいたもんだな。お気に入りじゃねえ服は捨てて終わりとかよ」

「……だから、実行者は私が嫌いなのですよ」


 進んではいるが歩みは遅い。その間にも風は強まり地を削っていき、よけいに歩きにくくなっていくのにデスクスは焦りを滲ませた。


「やばいな……おい、いざとなったら俺はいいからお前だけで切り込め」

「駄目よ、貴女だけは守り抜く。あの子を助けられない以上はね」


 引き換えにできるものではないが、自分だけが生き残るというのは本当に最後のわがままにしたい、とレドは思う。


「自分しかいない世界は要らないわ」

「そうだよな……つまらねえ意見を言っちまった」

「気にしないで」


 形は違えども自分以外が死滅していく状況を知っている二人は、だから実行者を拒絶しているのかも知れない。シュヴァンレードはそんなことを思った。彼らの感覚で言えば創世と破滅を繰り返すのは当然のことと言えるのだが、限られた中に生きる人間の感覚はまた異なることを、彼は人と一つになることで理解ができるようになっていた。

 結果として能力は大きく削がれ、最初に与えられた権限は人に扱える程度しか発揮できないが、それで良いとも考えている。人を道具として見るのではなく、人に使われる道具として長く過ごしてきた彼には他の有権者にはない感情が育っていた。



 思いやり、助け合う心。



(今、貴女を解き放ちます、残響……!)


 星光の権限を行使して、盾に過去からの力を込める。力を与えられた盾は風を相殺し圧力を和らげ始めた。


「力を出し過ぎじゃないの?」

「出し惜しむなと言われてますから」


 主君の気遣いに答えて力を注ぐ。進む速度が上がっていくことを察知したのか、残響はより一層甲高く泣き声を上げ始めた。その中に苦しそうな息遣いも混じっており、レドは唇を噛み締めながら脚を早めたものの距離は縮まらない。

 これ以上は苦しませたくないと、考えたレドが別の手段を模索し始めたとき、デスクスが有無を言わせない強い調子でシュヴァンレードに声をかける。


「……おいシュヴァンレード、武器を貸す要領で俺の脚に力を貸せるか?」

「出来ますよ。それで届くかは保証できませんが」

「ガキの泣き声を聞き続けるのは趣味じゃねえ。特にああいう苦しい泣き声はよ……!」


 脚が銀に包まれたのを感じ取ったデスクスはレドの言葉を待たずに飛び出した。人を苦痛の生から解放するのが暗殺者の建前であるが、その通りの役割を果たそうと風の中を駆けていく。迷いはなかった。

 少女は泣き声を強める。いや、強制させられている。滅びゆく世界を悲しみ、再生を促すことが役割である彼女は今、自らを悲しんでいた。こんなはずではないと内に潜む力に抗議しても届かない。それが悲しさをより加速させている。

 そんな思いをデスクスは無視した。知ったところで苦しみは止められないと知っている。自分にできるのは一つだけ。生き様を見せて残響を止めること。

 


 そんなことをしなくても、人は生きていく。



「……いつまでもめそめそしてんじゃねえ!」


 足を急がせた。銀に包まれている箇所以外は風の圧力で悲鳴を上げているが、止める気はない。痛いのはこの場にいる全員が同じである。

 あと一歩で届くところまで来た黒髪の暗殺者に怯えを見せた残響は突如として周りに剃刀を出現させ風に散らす。刃が体をかすめるのを感じて、デスクスはにやりと笑った。


「怖いか? 怖いと感じられることもまた生きている証なんだよ!」


 体が傷だらけになるのにも構わず、一気に距離を詰めたデスクスは少女の眼の前に立つ。


 その瞬間、風が止まった。


(残響を止めるな……!)

「怖くないか……?」

「……怖くないよ!」


 問いかけた女に悲しみを越えた残響は拒む意思を抑えて自我を取り戻し、銀の円盤を受け入れた。円盤の刃は正確に内側まで断ち切り一瞬で少女の姿はかき消えていく。

 力を収めたレドはしばらく何も言えなかった。シュヴァンレードもまた然り。うつむいていた黒髪の女は顔を上げて空を見るなり一言つぶやく。


「こうやって空は落ちていく、か……」


 風が止んだあと、空に浮かぶ雲が目に見えるほど低くなっていた。太陽の位置も下がっているのが分かる。


「改めてお前に聞いとこうか、シュヴァンレード。これはどういう理屈なんだ?」

「恵みの地を構成する要素が枯渇してきている証拠です。同時に新しい世界が上から圧力を加えてきています」

「……圧縮されている。あなたの認識ではそう言うのね……」


 彼の意思を読み取ったレドが静かに語る。業歪が多数の有権者を呼び出しているのは単なる無駄ではなく、世界の活力を奪い自滅を促進させる意味合いもあった。

 短い休憩を挟み、レドたちは撹拌され滅茶苦茶にされた大地をかき分けて進んでいく。恵みの地に残された時間はそれほど多くない。

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