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第四十六話 境地

 全てを切り裂く魔の剣、星光の力を模倣しようとして果たせなかった不完全な人形、役割を与えられながらも驕り故に自滅した原初の生命、生物の理から外れた道を歩む鉄の巨人。本来なら恵みの地にいるはずがないものばかりであると彼は語る。


「俺の親や世界の知り合いも喰われたんじゃなくて洗い流されたってことか。見た目だけまっさらな命によ」

「はい」

「そうして洗い流したあとでその命は別の姿を着させられて、新たな世界で生きて死んでを繰り返し、いずれまた洗って再利用……考えるだけで吐き気がしそう」


 レドは業歪の言葉に秘められていた本当の意味にようやく気づいた。同じ命が何度も姿だけ変えられて使い回されている、新たに命が生まれない世界。循環ではなく停滞して活力を失った空間。

 そんな中で前からの使い回しではない完全に新しい命として生まれたのがレダであり、業歪ですらそんなものはいないと思い込んでいた。


「業歪があいつの体を乗っ取った頃はまだ洗浄までは図ってなかっただろうな。そうでなければセキトに手を出したりしねえ」

「ナヴィードに近づいたのもその一環かしら。でも、そこには私もいた」


 レダの存在に気づけなかったことで、業歪の目論見は大きな軌道修正を強いられることになる。更に悪いことに新しい存在のもとへ本来いないはずであった星光が近づき、完全に計算が狂った業歪はレダがそれを使い世界の洗浄を阻止しようとするのを恐れて先手を打った。


「呪いは……私達を結びつけることで命の劣化を早めると同時に」

「私を惑わせて記録を乱し、力を抑えるための策だったのでしょうね……」


 二人の力を削ぎ落とし始末することを画策しつつ、世界を混乱させて再度の洗浄を誘発しようとしているんだろうな、とデスクスは結論づける。


「本来の私は人を依り代にはしません。レド様はまだまだ新しく、私を受けいれる土壌があったが故に幸運にも一つとなれましたが、他の人では業歪が乗り継いできた人間と同じように意思を押しつぶされ消えてしまったでしょうね」

「それは幸運と呼べるの?」

「知るかそんなの。シュヴァンレードにだって分からねえだろ」


 同じように望まぬ力を与えられた黒髪の女の顔は寂しさと悲しさに満ちていて、それを見たレドは口をつぐむ。ようやく所々で見せていたデスクスの行動の真意を理解できた気がした。


「あなたはいつ頃から気付いていたの? ……私が普通の人間じゃないって」

「普通じゃないって言うなら最初からだが……エスジータを発つ頃には不自然な感じはしてた」


 普通の人間ならば一瞬で崩壊するほどの歪みを抱えていながら心を大きく歪ませることも無く、それどころか力を増して邪悪を払い人外の意思を吸収する一歩手前まで追いこんでしまうような存在など聞いたことも無い。


「俺ですら余白は七割くらいだって話を聞いたのは覚えてる。業歪の奴の話が本当だとしたら、九割九分は真っ白なままのお前は、文字通りこの世界に宿った恵みそのものだろうよ」

「あの子のことも?」

「……お前から話をされた時点で諦めはついてた。また俺は大切な人を……失ってしまったんだな……って」


 いつしかその声は消え入りそうなほど小さくなり、顔からは涙が浮かんでいる。


「あなたが銀の力を求める理由は……」

「……決まってるじゃねえかよ! 俺はもう……戦えもしない、救えもしないで……世界が消えるのを見たくねえんだよ! また冷たいまま……一人寂しく寝ているなんて……嫌なんだよ……」


 過去から未来に取り残された女は震えていた。また自分は置いていかれるのかと不安で苦しくて、涙を流して嘆いている。

 銀の女は目の前で嗚咽を漏らす黒髪の女の心情を思いやった。明るく悩みなどないように振る舞っていた彼女だったが、その裏側で誰にも言えない苦悩を抱えていた。

 親を亡くし体を弄ばれたうえで封印されて知らぬ場所で目覚め、無理やり刻まれた知識も大半を失って各地をさまよい、ようやく安住の地を見つけたのも束の間のことだった。仲良くなった友人が狂わされた挙げ句に死んでいき、落ち着く暇もなく世界の真実を悟りながら、誰にもそれを伝えられず生きるための戦いを強いられる。

 そして今、かつて居た世界のように滅びの道を歩み始めている恵みの地で、再び自分が世界から取り残され一人ぼっちになることを彼女は恐れていた。その原因の一端は自分にもあるのだろうとレドは思う。

 悩ましい。今の状態では貸しても貸さなくても似たような結果しかもたらさないような気がしてならなかった。親友として彼女をみすみす死に急がせるようなことは避けたいが、他に良案も浮かばない。

 悩み、苦しむ女たちを助けようと、シュヴァンレードは穏やかな声で再度推測を話し始めた。


「世界に存在する基本的な命の数は残念ですが決められています。総数を語ることに意味はありませんが、そこから見えてくることもあります」


 デスクスは泣くのを止めてレドの方を向き、レドは目を閉じて心の中にまで響く声に耳を澄ます。


「本来ならば新しい命は生まれず、死んだそばから新たな姿を割り振られていきます。しかし、そこをすり抜けたり取り残されたりして欠員が生じることもありえます」


 基本的に欠員は補充されない。減ったまま新たな世界が作られ規模だけが縮小されていく。もっと大きな空間だった世界も狭まっていき、恵みの地からあったはずの海が消え、無尽の崖により隔絶することで強引に世界を閉じ込めていた。


「しかし、今回はレド様が奇跡的に新生して世界へ加わりました。それが引き起こされた原因をお二人は理解できますか?」

「え?」

「理屈で説明できるのかよ?」


 訝しげに首をかしげる二人にシュヴァンレードは苦笑いを声色で表す。


「簡単ですよ。無くなったはずの存在が残されたからです。それにより世界は本来の規範から違う方向へと歩み始めました」


 確かに消されたはずの存在がいたことで規則的に動いていた世界の理は混乱をきたし、あり得ないはずの新しい存在を生み出し消されたはずの存在を消すこともできず、減り続けていた世界は初めて数を増やしたのだと彼は語った。


「まさか……」

「そうですね。消えたのに消えなかったのがあなたですよ。消えなかった理由は私にも伏せられていますが……確かなのはあなたがいるからこそ、レド様が存在できているということです」

「それじゃあデスクスは、私の親みたいなものなの……?」


 呆然とつぶやくレドに「ちょっと出来過ぎな物語でしょうか」と返すが、実際レドとデスクスの辿った道は不思議と重なる部分もあった。大切な人を無くし空っぽの器に望まぬ力を与えられ、各地を巡り無二となる仲間を得て真実へとたどり着いた。そういう意味では二人は確かに親子のような存在と言えるだろうとシュヴァンレードは思っていた。


「……猫なで声で喋るな気持ち悪い。偶然だろ、そんなの」


 デスクスは気の抜けたような声で言葉を漏らす。しかし、うつむきがちだった顔はゆっくりと上向きになった。


「デスクス……」

「心配するな。お前が思っているほどヤワじゃねえよ、俺は」


 世界が消すのを嫌がった人間だぜ、と笑ってみせる。目の先に映っていた死の兆しは彼方に遠ざかっていた。


「お前こそあっさり死にそうで怖いな。『子』が『親』より先立つのは一番の親不孝だと言われなかったのかよ?」

「私は親不孝ばかりしているから……孝行は一番苦手なのよ」


 いつもの調子に戻っておどけるデスクスに、レドもふっと息を抜き気楽に応じる。


「シュヴァンレード……あなたも未熟だったものね。なんで初めからそれが言えなかったの?」

「能ある鷹は爪を隠す、という言葉がありまして」

「隠すなもっと表に出せ。話を面倒にしたのは明らかにお前のせいでもあるだろ」


 ここぞとばかりに彼を追い込むがそれも振りだけだった。わだかまりが解消されたようなデスクスの顔にレドもすっかり心中のもやもやから解放され、穏やかに右手に銀を集めて円盤を形造りデスクスに手渡す。


「私からの贈り物。友として、仲間として、貴女という存在から生まれた子供として……大切な人に贈りたいの」


 旧き世界から流れ出ている源は新たに湧き出た清水から生まれた相棒を手に取り、軽く構えたり振るう真似をして感触を確かめた。


「いい具合だな、こいつなら魔性どもにも遅れは取らねえよ」

「ありがとう。私とシュヴァンレードがいる限り、それは壊れないし穢れないはずよ」

「いつでもお前と一緒であり、お前自身の生存証明書……か。こちらこそ手間かけさせちまったな」


 そっけない言葉であったが実際には喜びに震えていた。恵みの地で、いや、人生で初めて得た親友を失って以来虚ろなままだった心が満たされて、感情が爆発しそうになる。暗殺者として磨かれた精神が抑えているがそれでも優しい笑みが自然と浮かんできた。


「俺も何かを渡さねえとな」 

「心配いらないわ、デスクスからは大きな贈り物を受け取っているもの」


 再び空を見る。良いときも悪いときも空を見ることを止めないように、と心に決めていた。広い空の下で彼女と同じ時を過ごしていることがレドにとって幸せなことだと聞いた彼女は頭をかいてため息をつく。


「いや、なんだ? ……もっと身近なものを考えていたんだけどよ」

「モノじゃなくて心を贈り合うものじゃないかしらね。言葉こそ最も高価な贈り物だと思うわ」

「親不孝な娘の言うことは違うな」

「お母さんは真面目すぎよ」


 二人の軽口を聞きつつシュヴァンレードは安堵した。こういう形でこそ己を活かすべきだったと考えると後悔しか出てこないが、過去から今へとつながった二人の流れをこの先へと導かねばならない。限界を迎えながらも新生を拒絶し洗浄を繰り返す創世主を超えて。


(古き種から芽吹いた新芽を育てること。それが世界を育てていく……お前にも分かっているはずだ、実行者よ)


 決して届かないその思いを抱えて彼はひととき力を休める。記録ではなく記憶を継いでいくために。



 城内の執務室でリアリスたちは戦後処理に入っていた。戦死した者たちの供養や負傷者の看護、兵役への補償に荒廃した領内の再興と、すべきことは山のようにある。


「姉さんの世話をしている暇もないわね、全く!」

「ぼやくな我が君。私も妹の世話をさせてもらえぬのだからな」


 ろくに休むことも出来ずに執務に入らざるを得ない時間のなさを愚痴るリアリスに対し、同じように休む間もなく書類の作成に追われているマトヤがなだめる。


「早く片付けましょうね。しっかりしておかないとおちおち外出も出来ませんから」

「手厳しいな、参議首座どの。エグザトス侯も良く貴官を残していったものだ」

「ラルフレート様は他になすべきことがありますし、イヴネム侯やエスジータ侯もひとまずは領土の保全に務めねばなりません」


 書類整理を手伝っているリュービスは小さく肩をすくめた。城を奪還している間にウィゼが北東諸侯の部隊駐屯を認めたという知らせがすでに届いていて、ラルフレートたちは事態に対処するためそれぞれ帰還し万が一に備えている。


「まったく、ちっとも落ち着かせてくれないわね……今はその気じゃないみたいだけど」

「今回のことは内外に知れ渡っています。我々が勝利したとはいえ、彼らは次の諸侯会議の開催を求めてくるでしょう」

「悪魔を引き渡し、我らに従え……か」


 三人は頷きあう。連合の盟主はソルベイユであるが一枚岩とは言い難い。それぞれが思惑を抱えてお互いを出し抜こうとしているが、混乱を引き起こしたレドの処刑をてこにして、対立する残り四侯を抑え込もうとする思惑では一致していた。


「……それに対する対処はしているのだろう?」

「領内を混乱させたレド・ファーマは私が討ち、お供の者は牢に捕らえてある。混乱は終息させたから、手出しは無用」

「下手な嘘ですが、真実をありのままに話しても通じないのは明らかですからね……」


 四侯が帰還前に協議を行い決まった話である。白々しい嘘なのは承知の上だが、レドの身を護るためにはそうするのが最良だと言うことで意見の一致を見ていた。


「それで良いのか我が君?」

「良い悪いの問題ではありませんよ。外交的判断です」

「提案したのは私よ。ケイニア侯としてではなく、妹の立場から言わせて頂いたけど」


 外交的にそれが最適なのは間違いないのだが、リアリスはそれ以上に満身創痍で戦う姿を見たあとでも責任を背負わせ続けることに耐えられなくなり、最初の台本をあえて貫くことで家族としての責任を果たした格好である。


「リュービス殿、本当に外交的判断なのか」

「……私情を織り込みつつ合理的な判断をした結果です」


 私情が先に出ているのは否定しませんが、と無表情を装うものの全員が異論もなく受け入れた時点で私情が挟まっているのは間違いなく、リュービス自身もそれが正解だとは思っていた。


「私も賛成だな。あいつはもう少し楽にさせてやった方がいい。ただでさえ得体の知れない敵を相手にしているんだ」

「本当はそれも止めてもらいたいけど、流石に本人が嫌がるのは目に見えているもの」


 どこにも行かせず留めておきたいが、押さえつけたところで今の彼女なら自力で抜け出すことができてしまう。こちらのわがままを通すからには相手の意思も尊重しなければならない。


「イヴネムの宰相を務めるノイゲン様が以前におっしゃられていたそうです。かごの中の鳥が出たいというのなら出してやるべきだと」

「上手いことを言うものよね。アルジェナイトの話を聞いたブレッカ様は大笑いしていらしたけど」

「それはそれで正解だろう。結局のところあいつに城の中は似合わないさ」


 他の二人も納得した。レドは自由であるべきなのだろう。思いのまま、気の向くままに動いてこそ彼女はより輝ける。


「星の光とはよく言ったものですね。手の内に入れているようでそこにはいない。星は常に空の上」

「誰のものにもならない……私達みんなが自分のものにしたいのにできない」

「ナヴィード殿も同じことを思っていたのだろうな。事情や理由は色々あるにせよ、あれだけ求めていた相手と結ばれて暮らせているのにどこか物足りない」


 本人は偽りなく彼との愛に生きていたと言うだろうが、肝心の相手がそれを感じられなかったように思えていた。誰か一人だけでは彼女の全てを満たすことは不可能なのだろう。


「だから姉さんは全てを愛そうとするのね。不釣り合いなほど」

「ある意味でとんでもない迷惑でもありますが、決してお節介に見えないのですよね」

「業歪がいるから尚更だな。奴が人を踏みにじるからこそあいつの愛がまぶしく見える」


 その言葉のあと、三人は黙り込む。一つの言葉が思い浮かぶのだが口に出せない。恵みの地の人間には許されていない言葉であり、それを否定し世界を作り上げた創世主が忌み嫌う概念だった。



 『神の所業』である、と。

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