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第四十五話 水面

 辛くも巨人を退けたレドはかつての自分の部屋に担ぎ込まれて、弱りきった体を休めている。全身がくまなく銀に染まった体は、本物の銀のように固く強張って動こうとしない。


「気分はどうだ?」

「頭はすっきりしているけど、体が動かないのがもどかしいわね」


 その言葉に応じながら体を何とか起こした。リアリスたちが動き出しているのが伝わってくるだけに、自分も早く業歪の行方を追いたいという気持ちが強い。前のめり気味な彼女の意識をそばにいる二人が諌める。


「焦るな。まるまる一ヶ月動くこともできずに幽閉されたあとでいきなりあれだけ動いたら、ぶっ倒れて当然だろ」

「そうですよ。いずれは動き出すにせよ休めるときには休むべきです」


 自分より熟練の戦士二人に、焦らず冷静にと言われてしまえば従うより他にない。レドが諦めて再び横になるのを見たデスクスは改めて星光に呼び掛ける。


「シュヴァンレード、お前なら円盤も呼び出せるよな?」

「はい……次の戦いに備えたいと?」

「まあな、ヘアクンフトや魔剣相手には押されちまってた……普通の円盤じゃ限界がある」


 デスクスの表情は真剣で、レドにも彼女の気持ちは理解できた。自分以外ではもっとも戦える仲間の戦力増強は歓迎したいところなのだが、


「……死に急いでる、と言いたいんだろ?」

「私も人のことは言えないけど、あなたほどじゃない。どうしても死の影が見えてしまって……」


 お互いに視線を外す。そもそも円盤という武器自体が危うい得物で、近接武器としても投てき武器としても扱いにくく強度も高いわけではない。彼女ほどの技量をもってしても戦いの度に使い尽くしてしまうほどで、もっと効率の良い武器も扱えても不思議ではないはずなのに、とレドは感じていた。


「……俺は別に最初から武芸の達人だったわけじゃねえからな」

「それは誰しもがそうじゃないの」

「意味が違う。円盤を扱う技は俺が自分で身につけたものじゃねえんだ……!」


 こんなに苛立っているデスクスを見るのは初めてだった。いつも飄々としつつも明るさを絶やさなかった彼女がはっきりと苦悩している。


「そういえば、いつか触れていましたね。我々と出会う以前にも魔性と戦った経験があると……いつの話になりますか?」

「あ……!」

「そういうことさ。お前が知らなくてシュヴァンレードが知っている……答えは一つだろ?」


 顔色を変える。一瞬だけ浮かんでしまった思考に動揺を抑えきれず、避けるべきだと判断したはずの言葉を発してしまった。


「過去の世界の……人間……?」

「……俺は、過去から未来に残されたんだ。生きる術、戦う術を刷り込まれて長い時間を過ごしてきた……」


 その目には涙はない。流したいのに流れてこなかった。



 普通に住んでいる人間は世界の名前など日常的に意識しないだろう。後に恵みの地においてデスクスと名付けられた女の子が生まれたのもそんな世界のひとつであった。


「でも、あなたは名前を知っている……知ってしまっているのね」

零の水面(ノルヴァッテヌーダ)、だそうだ。旧き記憶で最初に見たWvGの歴史書にそう書かれてた」


 レドの問いに乾いた口調で答える。書物の成立年代は1021とかなり遅く、星の軌跡についで新しい。零の水面と呼ばれる世界は865から949までの間に存在していたとされていた。


「俺が生まれたのは、記録された時代が成立してから七十六年後で、世界が滅びたのはその八年後だ」

「産まれる前のことは?」

「暦の成立以前の歴史はわからねえ」


 彼女の記憶に残る知識は歴史書に残っているものしかない。それ以前にも歴史があったことは確実なのだが、何故か思い出せなくなっていた。


「消失記録?」

「そうだな、どこかの誰かが細工でもしたんだろ」


 そう言ってちらりと銀の顔を見る。意味を理解した主君に促されたシュヴァンレードは、感情を抑え事務的に自身の持つ回答を示した。


「今に残る世界史は切り取られています。選ばれた暦が存在する期間だけが歴史として残り、外れた期間は消失するのです」

「それじゃあ、恵みの地は?」

「仮にこれから滅びるとしたら、同盟暦の間だけが歴史として残り、前後の記録は消されてしまうでしょうね」


 既に答えを得ているはずのデスクスですら顔を強張らせている残酷な答えを、何も知らなかったレドが耐えられるはずもない。気合を入れるように自分の顔を何度も叩いて抗議する。


「やめておけよ。シュヴァンレードが悪いわけじゃねえ」

「許せないわけではないのよ……でも生きてきた証が何も残されずに消されてしまうなんて……あまりにも……!」

「それが仕組みです。私は記録を保つのが役割であり、選択し残すことが役割ではありません」


 主君の思いに応えられないことに申し訳なく思いながらも彼は己の領分を語った。記録の管理者であっても残すものを選ぶ立場ではない、と。


「……その件は今の話と無関係だ。本筋に戻すぞ」

「ええ……」

「まあ、その時代は平和だったな。今とは比べ物にならないくらい発展もしていた」


 城よりも遥かに高い建物、空を飛び地を駆ける鋼の獣、離れた場所に瞬時に届く紙無き手紙……シュヴァンレードの見せる脳裏の風景の全てがレドの想像の外にある。


「いつか恵みの地もこんな世界になるのかしら……?」

「どうだかな? 可能性は否定しねえが、途方もない時間が必要だろうしよ」


 問いかけにデスクスは首をかしげた。彼女が教えられた歴史は、記憶違いでなければ記録されている期間よりずっと前まで存在しているはずだったという。


「それだけの時間をかけて発展してきたのに、なぜ滅んでしまったの?」

「世界に押し潰されたのさ。文字通りにな」


 その時を思い起こしているのか、視線は定まらず虚ろを見つめている。



 彼女は当時としては平凡な家庭に生まれささやかな幸せの中を生きていたのだが、既に危機は足元から迫ってきていた。


「……生まれた頃くらいから地面が沈んでいく現象が多発するようになってきててよ。俺が物心ついた頃には世界が沈んで行くのをどう防ぐかっていう話ばかりが街の話題になってたな」

「想像もつかないわね。地震とかで地面が沈むこともあるけれど」


 地震の多いケイニアは他の地域に比べて地勢の研究は進んでいるが、それでも今いる世界の全てが沈没していくなどとは考えにくい。


「もっともその意味はすぐに分かった」

「何があったの?」

「……空が落ちてきたのさ。青空が……星空が、押しつぶされたようにそのまま地面に近づいて来たんだ」

「えっ……!」


 レドは息を飲み込んだまま吐き出せず、シュヴァンレードは記録の再生を停止して主の動揺を抑えようと努力する。


「その時になってようやく理解されたんだ。今いる世界は別な世界の下敷きに過ぎなかった、ってよ……」


 穏やかだった世界は一挙に混乱の渦へ巻き込まれていった。あるはずもない逃げ場所を求めて右往左往したり、あるいは震えて閉じこもったり、刹那的な快楽や人道を外れた犯罪に身を染めたりと、人同士のつながりがあっという間に絶たれていく。更にそれに乗じて人を喰らう奇怪な存在が現れ混乱に拍車がかかっていった。無差別に跡形もなく人を飲みこんでいく円形の化け物。


「あなた、まさか……?」

「あっという間すぎて怒りも悲しみも湧いてこなかったな……少なくともそのときは」


 両親の助けで辛くもその場を逃れた少女だったが、当然行くあてもなくぼんやりと混沌の中をさまよい続けていた。そして空腹で路地裏にへたり込んでいるところを見知らぬ人物に捕らえられ、怪しげな建物の中へ連れ込まれる。


「理由はよく分からねえが、そいつらは今の歴史を未来へ残そうとしていたらしい。そのためにより多くの知識を詰め込める余白の多い人間を探してたってよ」

「私のように……?」

「まあな。確実に死ぬのが分かっているなら、死ぬ前に何かを残したいなんて考えるのは当然だろうよ……やり方に問題がありすぎだけどな」


 彼らは捕らえた少女の体を使い世界の記録を直接刻み込んだ。暗示、改造、強化。相手が孤児であるのを良いことにあらゆる手を用いて、持てる叡智の全てを彼女に注ぎ込む中、ひとつだけ自由を認める。


「次がどんな世界になるのかは分からない。生きるための武器を一つだけ好きに選べ。どんなに荒唐無稽であってもそれを叶えよう……散々人の身体を改造しておいて、今更そんなものを選ばせてどうしろってんだよ。今考えても本気で腹立つ連中だったな」

「業歪と同じ程度には歪んだ人たちだったのね……」


 少女が望んだのは円盤だった。いなくなった父親が遊具の円盤で遊んでくれた思い出が彼女を動かす。彼らはそれを扱うに足りる人間の情報を植え付けて仕上げとし、最後に彼女を氷漬けにして箱に封じる。それがその世界における最後の記憶で、次に目覚めたときに見たのは険しい自然と、絵の中にいるような古めかしい建物と人々だった。

 恵みの地、と呼ばれる見知らぬ世界で目覚めた少女は円盤を片手に各地をさまよい歩き、やがて旧き記憶と名乗る人々に誘われその仲間となる。円盤デスクスという称を与えられて。

 そこでレドは彼女へ確認を求めた。


「今の旧き記憶とあなたを変えた人たちとの関係は?」

「無いな。最初は疑ったが、やっていることが違いすぎる」


 断言する。旧き記憶の目的は過去の解明であり、過去と地続きならばわざわざそんなことをする必要もない。


「ついでに言うなら、俺が過去の情報の大半を持ち越せなかったのと同じように、連中が生き残ったとしてもほとんど記録を残せていないはずだ」

「記録の抹消は徹底的です。通常生きている人間は今居る世界を乗り越えられずに命を落とします」


 シュヴァンレードがデスクスの推測を肯定する。彼女は氷漬けとなり仮死状態となっていたことで抹消を逃れ、恵みの地まで生き延びたのだろうともつけ加えた。


「どうしてそこまで前の世界を消そうとするのかしら? シュヴァンレードに過去の記録を管理させているのなら、あったほうが管理も楽だと思うのだけど」

「……なあシュヴァンレード、そろそろ白状したほうがいいんじゃねえのか?」


 そう言って凄みのある微笑みを浮かべた。拒絶するな、という強い意思を感じ取った彼は覚悟を決めて語り始める。


「……私は先程、歴史が切り取られていると話しましたね?」

「そう聞いたわ」

「ならば、こうは考えられませんか? 世界が歴史の繋がりを無視して切り貼りされていて、前の歪みを残さないために全てを洗い流しているのだと」


 レドはその言葉をすぐに理解できなかった。何度かそれまでの会話を振り返り、遅れて意味を理解した彼女は顔を恐怖で歪める。


「……世界を着せ替えている? 一つの土台をもとに状況だけ入れ替えて、人々を踊らせている……!」

「そういうことだろうな。だから前の記録が邪魔なんだ。繋がりのない歴史同士が繋がったら都合が悪いからよ」


 零の水面という世界が消失したことで施された技術の大半が不整合を起こして消えてしまい、結果として彼女が直接覚えていた記憶と円盤を扱う技術だけが残された。


「俺に仕込まれた技術は百五十年くらい続くはずだと言われていたからな。目が覚めた直後はわけが分からなかった」


 世界が滅びてやり直しているのかとも思ったが、それにしては自分以外に痕跡が残されておらず、自分のいた時代に関する記述がある本は偽書扱いで、おまけに知っているはずのことが思い出せないのでは混乱して当然だろう。

 レドは疲れた頭を休めようと外を見た。曇りがちだった空はすっきりと晴れ渡っているが、この空もいずれは落ちてくるのだろうか。

 以前にデスクスは親友の言葉としてこう語っていた。青空を忘れるなと。空が落ちていくのを間近で見た彼女がどのような心境でこの言葉を受け取り語っていたのだろう。気になって聞いてみると意外なほど前向きな回答が返ってきた。


「むしろスッキリしたな。あいつは俺の事情なんて知ったこっちゃねえし、それを言うならあいつだって暗いものを抱えていたのに、ただ綺麗な空を見上げては希望を育てていたんだ、ってよ」


 空がいつ落ちてくるかなんて考えるのも話すのも馬鹿馬鹿しくなっちまってな、と苦笑いを浮かべて話す。その瞬間から、言いたくても誰にも言えなかった過去から解放されたのだと。

 場の空気が少し和んだところで、今度はシュヴァンレードが質問をする。


「……改めて聞きますが、あなたの出会った怪物は人を喰らうと言いましたね?」

「その時の俺の目にはそう見えたってだけだ。実態はどうだかな」


 思わせぶりな言葉の意味をレドが問いただすと、彼は「語るには難しい話なのですが」と前置きしたうえで二人にそれの正体を語る。


「分かり易く言うならば洗剤です。世界を構成する要素を洗い落として再度使えるようにするための道具と言えます」

「その要素が洗い落とせない場合はどうなるの?」

「世界ごと強引に抹消されますが、彼女のようにそれを逃れたり、あるいは世界の下層に閉じ込められることもあります」


 これまでに業歪が呼び出した魔性たちもそうした存在であった。

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