第四十二話 星光
何処とも言えない何もない空間で彼女は目を覚ます。なんとなく体を起こすと目的もなく歩き出した。歩くうちに忘れていた色々なことを思い出す。
父と母。母は子供を二人産みながら、男が生まれなかったというささいな理由で父に冷たく扱われやがて亡くなった。母がいなくなったあと、寂しさを紛らわしたいのかついてまわる妹の世話をするようになる。厳しい父の教育に我慢しながらの生活は楽なものではなかったが、それでも妹と共に過ごす時間に救われていた。
大人になろうとしていた頃、恋をする。彼の兄ほど才覚には恵まれていなかったかも知れないが、一途で優しく何よりも自分を飾ろうとしない澄みきった笑顔がまぶしかった。
彼の色なき色に自分を染めたいと思うともう止まらない。それまでの自分を捨てるように恋に身を焦がし、それが愛へと変わるまで想いを焚べる。それは実り二人は結ばれたが、その後に残ったのは焼けて荒れ果てた大地だった。
二人はそこに種をまき、新たな芽吹きを願ったがその度に野鳥に種を食べられてしまう。諦めることなく種をまき続けたがそんな暮らしは彼女と夫の活力を奪い、せっかく育てた愛も色あせていった。
そこまで思い出したとき、目の前に泣いている幼い男の子が現れる。放っておけずに声をかけると「姉さんがいじめるの」と涙ながらに訴えた。
「お姉さんはあなたに何をしたの?」
「宝物を壊されたの。大切にしてたのに」
泣き止まない男の子を慰めながら、彼女は似たような話を聞いたことがあると思ったのだが、それをどこで聞いたのかまるで思い出せない。
「お母さんからも言ってよ。いじめちゃ駄目だって」
「私はあなたのお母さんではないのだけど……」
「何言ってるのよお母さん。忘れちゃったの?」
からかうような声が聞こえてきて視線を向けるとそこには背の高い女の子の姿があり、声色とは裏腹にその目は醒めきっている。
「いじめ過ぎは良くないわ」
「私は何も悪いことしてないわよ。宝物だって言ってくれないほうが悪いと思わない?」
「なら、話していたら壊さなかったの?」
「注意はしてたわ。絶対に壊さない約束はできなかったけど」
その言い分には一定の説得力があった。どんなに注意深く扱っても不慮の事故で壊れてしまうことはあり得る。だから壊さない約束ができないのは仕方がない。だが、
「それでも謝りなさいね。壊したものは元に戻らないわ」
強い口調で告げた。壊したという事実をお互いに認めている以上、壊した側が持ち主に謝らない理由はない。仕方がなさそうに姉は弟に謝る。
「ありがとうお母さん」
「あなたもお姉ちゃんに謝りなさいね」
「なんで……なんで?」
「そんなにお姉ちゃんを悪く言っちゃ駄目。壊すつもりはなかったと言っているのだから」
私に頼らず物事を解決できるようにしなさい、と諭す。目の前の男の子にはどうにも情けなさに通じる甘えが見え隠れしていた。姉は姉で世の中に拗ねたところがあるが、それでも歳の分だけ道理を知っているように見える。
「僕は何も悪いことなんてしてないもん! 壊したお姉ちゃんが悪いんだもん!」
「わがまま言わないの! あなたはこれからずっとうまく行かない事を誰かのせいにして生きていくの?」
言い争う間に姉はすうっと行方をくらませるが、二人はそれに気づかない。
「なんで、お姉ちゃんをかばうの! 僕だけを見ていてよ、お母さん!」
「かばっていない! 私はあなただけを見ていられない! 私には……」
そこまで言ったところでレドは全てを思い出した。からっぽだった心の風景に色が戻り、人があふれていく。
そのさまを男の子、シュヴァンレードは呆然と眺めていた。せっかく自分たちしかいなかった空間にまた人が現れてしまったと嘆く。
「なんで、なんで二人きりになれないの。僕はこんなにもお母さんを愛しているのに……」
「あなたはナヴィードにはなれないわ。仮になれたとしても、二人きりにはきっとなれない」
私も彼も人間だもの、と優しく諭した。人として生まれたのなら、人と交わることで初めて本当に人へとなれるのだから。
こんなにも幼い心のまま育ってしまう前に、人間の有り様を教えられなかった過去の持ち主たちは、何を彼に求めていたのだろうとレドは思ってしまう。それを多少なりとも理解していたのは、直前の持ち主であったダン一人だけなのかもしれない。彼は自由を愛するがゆえ、光にその愛を縛られる状況が我慢ならなかった。
顔を引きつらせる子供のシュヴァンレードは少し背が伸びて金切り声を上げた。
「嫌です! レド様は僕だけのものです! 誰にも渡しません!」
「業歪の呪いだけでは釘が足りないようね」
余裕のレドに疑問の表情を浮かべるシュヴァンレードの頭を誰かが背後から叩く。
「いつまでも甘ったれてんじゃねえぞ! 円盤で斬られないだけありがたく思いやがれ!」
デスクスの声が聞こえてきて慌てて振り向くが、そこにいたのは自分よりも少し背の低い少年。
「止めようよシュヴァンレード。そんなことばかりじゃ格好悪いよ」
僕もアルジェも寂しいけど頑張っているんだから、と言い残して消えてしまった。その後もこの世界で出会ってきた様々な人々が現れては消えて彼に言葉を投げかけてきて、頭を抱えてしゃがみ込む。聞きたくないことばかり聞かされて気が狂いそうだった。レドはそんな姿にため息をつきつつ、最後に彼が会うべき大切な人の姿を思い出す。
「顔を上げてくれシュヴァンレード」
聞いたことのない男の声に赤子になる手前くらいまで自身を縮めていたシュヴァンレードは顔を向ける。優しげな微笑みを浮かべた若い男の姿をおぼろげに知っていた。
「ナ……ヴィー……ド?」
「こんな形で会うことになるとは思わなかったよ」
ナヴィード・ファナ・ドゥーリッドは苦笑いを浮かべて幼い子供を我が子のように見つめている。
「出来れば生きて君と会いたかったけど、そうなるとレダと君が出会うこともなかったから、こればかりは運命だと諦めるしかないのだろうね」
「……悔しくないのですか? こんな幻影としてこの場にいることが」
「それは悔しいよ。君の言う通り、今の私はレダの中に居る思い出に過ぎないのだから」
顔が翳った。普段なら朗らかさを感じさせているのであろう顔には明確な悔いが浮かび上がっているが、必要以上の暗さもない。
「だけど、こうやって形になれるほど彼女に愛され、私が愛したことが伝わっていたことは素直に嬉しい」
「現実のあなたは業歪に幻惑されたのに?」
シュヴァンレードは意地悪く言い募る。一旦赤子に近くなったその姿はナヴィードに対抗するように大きくなった。
「確かにそうだね。何度思い返しても悔いしか浮かばない。ただ、それを笑える人間が恵みの地にいるのかな。君だってそうだろう?」
「違いますよ。私は人間ではありませんから」
「ならば、こんなことをしていないで現実の彼女を助けてやってくれないか」
ナヴィードの視線の先にある現実では悪魔がリアリスを吹き飛ばし、レドへと迫りつつある。
「レド様がそれを望むならばいつでも私は力をお貸しします」
「本当にそうなのかい? 彼女が望んても君が望まないのなら力は貸さないのではないのかい?」
彼女がこうなったのに君は何もしなかったじゃないか、と爆弾を投げ返されて星光は言葉を失った。悪魔と最初に戦ったとき、彼は彼女を自分だけの世界に呼び込み閉じ込めるために利用するべく手出しを控えている。いつでも力を貸すと言い、最初は彼女が望んでもいない力を貸しておきながら肝心な局面で初めて怠慢を演じていた。
「それは、それは……」
「無理に言葉を探さなくてもいい。君を責めたいわけじゃない」
また子供に戻ろうとしてしまうシュヴァンレードを留めるように、ナヴィードは苦笑いを浮かべて頭を撫でる。
「ただ、もし君がまだ力を貸してくれるのなら、貸してあげてほしい。彼女は……」
そこでナヴィードの姿は消え、シュヴァンレードの目に映るのは愛しい銀の女性の姿があった。
「……生きていたい。みんなと、あなたと、共に生きたいの……力を貸して」
「私も……あなたと共に在りたい」
最初に交わした約束を超え、意思は完全に一つとなる。
現実では、悪魔はレドに伸ばしかけた手を止めていた。封じられているはずの女の手足が光り輝く銀に染まっていく。
「ようやく目を覚ましたな」
「……大分寝坊したようね。すぐ近くに死が迫っていたのに気づかないなんて」
目を開いたレドは落ち着き払った口調で話す。本当の死を受け入れたかのような調子だが当然そのつもりは無い。
「シュヴァンレード、どれくらいかかるかしら?」
「少しお待ちを……解除は出来ますが、すぐにとは」
「そう……」
手を出すなら今のうちよヘアクンフト、と試すように言葉を投げかけるが黒い悪魔は首を横に振り「この私ではもはや歯が立たぬ」と諦観して動こうとしなかった。
「諦めが良いのね?」
「事実を述べたまでだ。星光が戻り、我が領域を通らず生を受けたお前と結ばれたのではな。外でお前の仲間と戯れている私ですら及ぶかどうか分からぬ」
「正直なところとして、それを実感はできないかしらね。私だけ生まれが異なると言われても……」
シュヴァンレードと完全に一つとなった今、レド自身も恵みの地で初めて生まれたという意味をより深く理解してはいる。しかし、見た目から中身まで全く他の人間と同一なのに、魂の新旧を持ち出されても彼女ですら困惑を隠しきれない。ヘアクンフトも「そうだろうな」と静かに頷いてみせた。
「本来ならば知る由も無く、必要もない。私の役割も終わっていたはずだった」
「しかし、役割は再び巡ってきた。もう修正が出来なくなった恵みの地をやり直すために」
「その通りだ。実行者は天則に従い世界に生命を実らせては刈り取り、それを基に次なる生命を生み出してきた」
ヘアクンフトは淡々と言い、彼にせよ業歪にせよ、そして星光である自身もそれぞれに課せられた役割を果たしているだけです、とシュヴァンレードは語る。
「あなたも大変ね。既に何度となく役割を終えたはずなのにその度に呼び戻されて」
「我が定めのうちだ。進化の螺旋に囚われぬがゆえ、正しく道筋を歩む者の壁となり抗われる」
それもまた進化に必要な要素だ、と続けた。彼はかつての「世界」において自身が生みだした生命に敗れ今に再生された存在だが、未だ宿業から解き放たれていない。
「実行者を業歪と言うのならば、私もまた業歪と呼ばれるべきだな。生命を見出し世界に表すのが定め」
「それならシュヴァンレードは……」
「……生命を導き、星のように輝かせる。豊かな実りをもたらし、新たな生命へつなぐためにその記録を残していく」
私もまた世界を循環させるための歯車の一つに過ぎません、としっかりとした声で答える。最初の頃の背伸びしたような堅苦しさや最近の幼すぎる声色から変わり、どこかナヴィードを思わせる頼りがいのある声になっていた。そっくりな声にしないのは、彼なりに気取っているのかもしれない。
業歪に在り方を歪められ鉛となった手足は再び銀に塗り替えられ、レドの全身が夜空の月のような煌めきに包まれる。
「さて、還る時間のようだな」
「もう一人の所へ行く気はないの?」
「それは仕事ではない。私の役目はお前の動きを止めることだ」
息の根まで止めなくとも違反ではないとうそぶくその姿にレドは微笑んだ。要するに意図的な怠慢、消極的な反抗ということである。意図されていない役割を担わされていることに内心では腹を立てていた。
「……倒すには忍びないけれど、リアリスのお返しはさせてもらうわ」
「早くするのだな。実行者は既に儀式を終えているぞ」
「なおさら焦る必要はないかしら。止められないのなら、いつ行っても変わらない……お疲れね、張り子の悪魔さま」
レドは右手に出現させた銀の剣で悪魔の首を刎ね飛ばす。その首は地につく前に消え去り、体も音もなく塵となって風に溶けていった。それを見届けた後、そばで気を失っているリアリスを介抱して目覚めさせる。
「ねえ……さん……?」
「リアリス、ごめんなさい……またあなたに辛いことを任せてしまって」
一旦完全に力を解き、はっきりと顔を合わせて苦難続きだった妹を優しくねぎらう。
「……気にしないで姉さん。私もいっぱい辛いことを押し付けちゃってたから、これでおあいこ」
「リアリス……!」
レドは一瞬だけ強く妹を抱きしめることで感謝と謝罪の言葉に代え、リアリスは抱きしめてくれた姉の温もりをしっかりを味わった後で自分から体を離した。
「それよりも早く行きましょ。皆が姉さんを待ってるわ」
「あなたのことも待っているわよ」
笑いあい、ふらつく妹に手を差し伸べ立ち上がらせると再び光で身を包む。
「姉さんこそ大丈夫なの。捕まってからずっと動けていなかったんでしょう?」
「休むのは後でいいわ。今は動くとき」
「もう、元気になった途端にこれなんだから!」
「分かってるわよ。城を取り戻したら今度こそ死んだつもりで休むから」
仲良く喋りながらも武器を失ったリアリスに銀の剣を貸し、限界近くまで疲弊しつつあった戦場へと駆けつけた。
「遅くなってごめんなさい! ここから取り戻すわ」
「全くだぜ……ほら、さっさとそこの羽つきを倒しやがれ!」
手持ちの円盤のほとんどを失い、片手の一枚だけで敵の攻撃をしのいでいたデスクスが明るくかつ疲れた声で急かす。
「お前な……少しはレド様を労れ」
「今それを言ってる場合じゃないよ……とはいえおかえり姉さん!」
協力してヘアクンフトに対峙していたユーデとセキトも明るい声を上げ、その光景を見ていた悪魔は召喚を行おうとしていた手を片手だけ下げた。
「やはり来たか。私の役割もここまでだな」
「あなたはもう少し足掻くことを覚えてもいいんじゃないかしら?」
「そもそも自ら進化を与えた者たちを滅ぼさねばならないというのが嫌でな。生み出すものが滅びを与えるなど本末転倒だ」
しかし奴との約定には逆らえぬ、とレドに手をかざす。彼もまた業歪に在り方を歪められていた。
「あなたに光を! 待ち望む進化の先へ導いてあげる」
「いらぬ世話だ……と言いたいが、今回は例外にしておこう」
私に星光を見せてみろ、と悪魔は全力を込めた衝撃波を放つ。周囲に転がる獣の死体を消し飛ばしながら迫る力の塊を前にレドはシュヴァンレードの名を呼んだ。
「今度こそ逃げないでね」
「あれは忘れてください」
力を合わせ手をかざしそれを受け止めて無に返すと、そのまま突進する。




