第三十七話 真実
湯から上がり軽く涼んだあとで衣装を直したリアリスは改めてラルフレートと対面した。諸侯会議から半年も経たずにこんな形で会うなど想定するほうが難しい。
「落ち着いたかいケイニア侯?」
「あなたは相変わらずねエグザトス侯」
相変わらずの気取り屋ぶりだが諸侯会議の頃に比べると少し落ち着いたようにも感じられる。嘲っているようにも焦っているにも見えない彼をリアリスは少しだけ煽ってみた。
「愛しの姉さんは捕まってしまったわよ? すぐに助けに行くべきじゃないかしら」
「焦っていいことは何もないさ。いたずらに犠牲を増やすべきじゃない」
大きな変化はない。姉のことを持ち出しても反応しないのは彼にしては珍しいと感じる。どういうことかと首を傾げた。
「君がそれを望むなら、部隊を動かしても構わないが」
「止めておく。侯が二人揃って無謀に討死とか笑い話にもならないわ」
「後詰めの手配は済ませてある。軽々しく危険は冒せないが、最悪の事態になっても対処はできるだろう」
中々の読みではあるがエグザトスに後事を託せるほどの武官がいないはずである。文官なら隣に控えるリュービスを筆頭にかなりの人材がいるのだが、名のある武官というのはリアリスの記憶にない。怪訝そうな表情を浮かべる彼女にラルフレートはもったいぶらずに種明かしをする。
「リュービス、イヴネム侯とエスジータ侯の部隊は出発しているな?」
「はい、合流したのちに急ぎこちらに向かうとの伝令が先程着きました」
「まさか、わざわざ二人を呼び出したの?」
絶句した。イヴネム侯ブレッカはともかくエスジータ侯アルジェナイトはまだ即位したばかりな上に、先頃の混乱が未だあとを引いていて領土を離れていい状態ではないはずである。
「快く受け入れて頂いたよ。じきに諸侯会議も開かなければならないだろうしね」
「何でよ、この間開いたばかりじゃない」
「君にも分かるはずだ。あの時とは状況が変わり過ぎている」
業歪や呪い、それらに歪められ苦しむ人々の発覚、エスジータの内乱、更にはケイニア城の陥落と事態は悪化の一途を辿っていて、もはや各侯が個別に対応していて良い話ではないと彼は深刻さを隠さない。
「ブレッカ殿とアルジェナイト殿には懸念を共有していただいている。出来れば君とも歩調を合わせたいが……」
「……城のない侯に用はないでしょう」
「君の他に誰がいるんだい、ケイニア侯よ?」
不思議そうな顔をするラルフレートに対しリアリスは「姉さんがいるじゃないの」と不機嫌を隠さずに答えると彼は静かに頷きながら席を立つ。
「そうか、なら……今すぐにでも城へ打って出なければならないな」
「ちょっと! 何でそうなるのよ」
「城が無ければ戦えぬのだろう。奪われた城を取り戻せれば事態も動く」
至極真面目に話すラルフレートに苛立ちを感じてしまう。彼女はこんな時だからこそ彼から姉の話を持ち出してほしいと思ってしまっている自分に気づけない。
「余裕ね。エグザトス侯は人が変わったみたい」
「変わるさ。変わらねば人は未来に歩めない」
「私が過去に生きていると言いたげね」
「実際そうじゃないのかい? いつまで君はレドに甘えているんだ」
甘えてるですって、とリアリスは噛みついた。一番姉にすがり甘えているはずの彼に言われるとは信じられない。済ました顔が一層憎らしく感じられる。
「あんたに何が分かるのよ!」
「何も分からないさ。だからこそ平気で君を傷つけ、彼女の事も何も理解できなかった」
今だって何も分からない、と彼は続けた。リアリスが姉にこだわる理由も業歪が城を奪った理由も何一つ分からないからこそ、分かろうと努力しているのだと。
「だから何なの……そんな程度であんたに理解できるの、私のことを!」
「全てを分かるとは言わないが、駄目でも何でも言葉を尽くさねば始まらないよ……リアリス」
「気に入らない……気に入らないわ! 何かがあって姉さんがあんたを許しても私は絶対に許さないから! 今更そんなに誠意尽くされて何になるのよ!」
こんなに傷だらけになるまで私に何も出来なかったくせに、と絶叫する。ここまで我慢に我慢を重ねて抑えつけてきた暗い感情の全てをラルフレートに叩きつけ、それを真正面から受け止めた彼は小さく目を伏せて指示を出す。
「そうだな、そうでなければ治まらないのかもしれない……リュービス」
「はっ」
リュービスは静かに歩み寄り参議首座の証として預かっていた短剣を荒れ狂うケイニア侯へ捧げた。
「何よ……!」
「主君があなた様に捧げよ、と命じられました。お使いください」
「あんた正気? ラルフレートを殺すのかもしれないのに!」
何を馬鹿なことを言っているのかと思わず我に返って諌めてしまうが、相手は真剣な表情を変えない。
「仮にラルフレート様が命を落とされましても私が責任を持ってこの場をまとめさせて頂きます。あなた様がそれだけの傷を負い、かつ主君がそれだけの罪を犯したのですから」
「……それでいいの、あんたは?」
「構いません。これはエグザトスの民全ての総意とお考えください……どうぞ」
リアリスは黙って剣を取る。儀礼用のものとはいえ急所に当たれば確実に殺せる刃が手にずしりと重く響く。前を向くとそこには嫌いな男の姿。従者や兵士は遠巻きに見ているだけで、彼自身も剣を抜こうとしない。落ち着き払った表情で彼女を見ていた。
ふっと頭に疑問が浮かぶ。
「……ひとつだけ聞かせてくれる?」
「なんなりと」
「姉さんはあなたに何と言っていたの?」
それを聞いたラルフレートはさして考えることもなく、旅立ちの前の言葉を告げた。
「動きましょう、と。それぞれのために、と」
「……姉さんらしいわ……」
そういうとリアリスは剣をリュービスへと返し「姉さんを助けたいの」と洩らす。
「今の私には力が足りないわ」
「力ならこざいますでしょう?」
エグザトス侯に仕える参議首座は微笑んだ。城を失ったとしてもケイニアの民たちまで滅びてはいませんとも付け加える。
「我々も共にある。少なくとも城を奪還するまでは私が君の身分を支えよう」
「中々格好良く決めてくれるじゃねえの」
ラルフレートの言葉に続けて、機会良く陣まで後退してきたデスクスが誉めた。
「デスクス、君の方は?」
「流石に化け物二人相手じゃ勝てねえな。守護役殿にも嫌われちまったしよ」
「マトヤまで……!」
絶句するリアリスにラルフレートが「現有戦力だけで斬り込むのはやはり無理があるな」と改めて思考をめぐらす。
「どこかに陣を構えたいが、良い場所はあるかい?」
「……ここから西に林に囲まれた高台があるわ。水源にも近くて守りやすいかしら」
「わかった、そこに移ろう」
そのまま軍議の準備に入る彼に彼女は「命をしばらく預けておくわ」と無愛想に告げた。
「リュービスを悲しませたくないのならせいぜい働きなさい」
「徳の高い領主になれるよう研鑽を積んでおくよ」
そうしないとレドに顔を向けられないからね、と苦笑いするラルフレートにそこは臣下を気遣いなさい、とそっけなく返したリアリスはデスクスをつかまえてその場を後にする。今は何でもいいから姉の話を聞きたかった。
気を失っていたレドは荒れ果てた建物の中で目を覚ます。両手足は縛られてはいないが何かされているのか全く動かせない。
「目が覚めたようね」
聞き慣れない女の声に目を向けると、そこには青い髪をした商人風の豊満な女性が一人佇んでいた。誰かなどと問う必要もない。
「また商人をしているの」
「都合が良いのよ。美人で商人は食いつきが良くてね」
それを選ぶまでは待つしかないけれど、と業歪は小さく肩をすくめる。
「別に男でも構わないけど、相性の問題で体が長く持たなくてね。無理すると私にも反動が来ちゃうの」
「それは私と星光……シュヴァンレードにも同じことが言えるのかしら」
「あら、そこにたどり着いていたのね!」
大げさに驚く業歪に顔をしかめ「あなたがそう気づくように仕向けたのではなくて」と言い返すと、相手は小さく笑った。
「もちろんよ。前に話したかも知れないけれど、星光が今の世界に現れたのは予定外なのよ。と言うより、いてはいけなかったと言うべきかしら」
「いてはいけない? 存在すら許されないと言いたいの?」
レドの言葉にゆっくりと頷き「この地はそれに頼る必要のないほど恵まれているのよ」と話す。
「広すぎず狭すぎず、必要な自然の幸に恵まれて、発達がなくとも長く人が生きていられる世界。進みすぎた過去から切り離された理想郷」
「その言い方だと、まるであなたが恵みの地を創ったみたいにも思えるわね」
「……お見事、と言いたいところだけどそれは不正解よ」
業歪が浮かべている苦笑いの色が濃くなった。
「私は調整役に過ぎないわ。世界を創り出したのは別の御方」
「別の存在? 私と戦った相手のこと?」
「あれはただの複製よ。かつて在り、滅びて記録だけが遺されている、ね」
エスジータの魔剣も同じよ、と話すのを聞いたレドは懸命に頭を働かせる。怪物たちが過去の存在の複製であり、業歪を超える創世主がいる。となれば他にも気になることが出てきた。
「旧き記憶の家にあったWvGの書物を書いたのもその人ということ?」
「それは正解。もっともあの方にその気はなくて、いつでも勝手に加筆されていくでしょつけど」
例えば星の軌跡の末尾にはそろそろあなたのことが記録されだしているでしょうね、と話す。完全に他人事のようであり、あの方という言葉で語っている割にはあまり敬っていないようにも感じられた。
「人に都合の良い、あるいは都合の悪い存在を締め出して創り出された、創世主から祝福された恵みの地。しかし、そろそろ限界よ」
「限界?」
「循環を失っている」
かつてセキトに呪いをかけた際にも語られていたとされる謎めいた言葉を改めて業歪は口にする。
「簡単に言えば、同じような人間が寿命が尽きる度にまた生まれていると言うことよ」
「それのどこがおかしいの? 人の生き死になんて当たり前に起こることじゃない」
「人の命は何度も使い回される。けれど、そこに新しい人間も生まれなければおかしいのよ。使いまわしじゃない、まっさらな命が」
例えばナヴィードも使い回された命であると意地悪そうに語って見せた。それは時には貧民の生まれかもしれないし侯を継ぐような人間でもないかも知れないが様々な生を経て前はナヴィードとなり、死んでまた別人として生まれてくるのだと。
「ナヴィードはナヴィードよ! 他の誰とも変えられないわ!」
「そうねレダ。あなたの知るナヴィードは一人しかいないし、その見方は否定しない。けれど事実よ。既にナヴィードに相当する人間がエグザトスで生まれている」
エグザトス出身の彼がまたエグザトスに生まれてしまっている事もまた問題であると業歪は言う。本来なら引き継がれることのない過去に引きずられてしまっていて、新しい芽が生まれてこない。
「それでは、何故セキトたちに呪いをかけたの?」
「ちょっとした実験よ。中身を書き換えたら人の循環も変わるのかどうかのね」
「たったそれだけのために……人の運命を簡単に歪めてしまうというの、あなたは……!」
怒りに震え思わず手を出そうとするが手も足も鉛のように重くどうやっても動かせなかった。
「無駄よ。あなたの手足も鉛の塊に書き換えておいたわ。もっとも臆病な星光の力を自在に扱えるのなら、それの上書きは簡単よ」
今の様子だとその前にあなたが死ぬでしょうけどね、と業歪は嘲るとその場を立ち去ろうとする。
「最後にもうひとつだけ……あなたの本来の名前を教えてもらえる」
「今更知ってどうするの? それに私を業歪と名付けたのはあなたでしょう?」
「私が誰にも伝えられなくとも、尋ねた以上はそれが記録に残るはずじゃないかしら」
聞いたばかりの法則を早速逆用する強かさをみせたレドに、業歪も珍しく意表を突かれたという表情に変わり「なら、ご褒美に私のことを教えてあげるわ」と初めて真っ直ぐに瞳を捉えて名を告げた。
「実行者よ、死ぬまでは覚えておきなさい……レダ」
「……素直なのね」
ぽつりと言うレドに業歪は静かに背を向けた。
「私にとって一番の誤算、完全なる異端者であるあなたに敬意を表して……よ。あなたは恵みの地で最初に生まれたレダなのだから」
その言葉にはっとする。循環を失ったと業歪自身が語った恵みの地において、それまで存在したことすらない人間という意味をレドは噛み締め、その姿を見ることなく業歪は姿を消した。
「随分な長話だったなレダ……正直退屈だった」
「マトヤ……?」
入れ違いになる形で姿を見せたマトヤは、無表情のまま彼女の目の前に座り込む。
「まあ、見張りという役目そのものが退屈には違いないが」
「あなた……」
「別に忠誠は求められていない。要らないそうだ、そんなものは」
完全に心を折られたマトヤには覇気というものが一切感じられず、だから何の細工も要らないのだろうと感じたレドは余計な詮索をせず、うつむきながら業歪から聞いたことを改めて整理し始めた。
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