第三十六話 葛藤
城ではレドとリアリスが業歪の操り人形と化した城兵たちに数で圧倒され、追い詰められていた。
「こんな時にマトヤはどこに行ってるのよ!」
「カザリの件は誘いだったみたいね……!」
無造作に近寄ってくる城兵を倒しつつ少しずつ外へ脱出しようとしているのであるが、数が多すぎて押し返すのが精一杯である。
「姉さん、本当に力は出せないの?」
「駄目ね……シュヴァンレードが反応してくれない」
「こんな時に反抗期とか笑えないわ」
リアリスは槍で兵士の腕を斬り姉を援護した。力を出せない姉は剣と篭手を駆使した体術で戦っていたが、事前に聞いていた話に比べると見劣りしてしまう。
レドの方もそれを認めていて、こんなときに力を出せない彼に一言も二言も言いたいのであるが、怒りを敏感に察知しているらしい星光は一切反応を示さない。
こうなった以上、妹だけでもラルフレートに合流させたいが現状ではそれすら難しく見える。そんなことを考えていると「私だけ逃がすとかは却下だからねエルザ」と見透かしたような言葉が投げられた。
「リアリス、様……?」
「自分で過ちを繰り返さないと言ったじゃないの。少しは自分の言葉に責任を持ってよね」
「……承知いたしましてございます」
苦笑いを浮かべつつ近寄ってくる兵士の顔を容赦なく殴り飛ばす。
依然として敵の数が減らず、息を整えるために一旦後ろに下がろうとしたとき、外の方から誰かの声が響いてきた。
「今の声は……?」
「休むのは後回し。一気に前へ出ましょう!」
姉妹は頷きあうと後退を止めて、多少の傷は覚悟の上で強引に前へと進み始める。外からの攻撃に兵士たちの動きが少し鈍っているのも利して出口に近づいていき、門まであと少しのところまで来たとき兵士たちの脇をすり抜け針剣を持ったセキトが駆けてきた。
「助けに来たよ姉さんたち」
「姉さん? 誰の姉さんよ?」
「それは後でねリアリス。セキト、まさかあなた一人ではないわよね?」
レドの疑問に答えるように、外からの声が響いてくる。
「エルザ、無事かよ?」
「あなたはここで死ぬ定めじゃない、ってね!」
「ドールにアトリ? あなたたちこそ無事だったの!」
はるか北の地で別れて以来久しく聞いていなかった声が、とても心強く感じられた。
どうにか城を脱出したあと大きく離れた場所で休息を取りつつ、お互いを紹介し合う。
「命拾いしたわね……流石に死ぬかと思ったけど」
「二人とも助かったわ。どこでセキトと合流したの?」
二人は滞在していた場所を追い出されひとまず街外れに隠れていたところ、同じように退避してきたデスクスとセキトに出くわしたと話した。
「ランブルックからケイニアにまで来ていたのに……何かあったの?」
「こちらに私の弟がいてね。そこで働かせてもらっていたんだけど、変なやつに追い出されてしまったのよね」
「変な奴……?」
思わず顔を見合わせる姉妹。
「……ねえアトリ、その弟さんってハトリって言わない?」
「あら、いつの間にそんなことを知ったのエルザちゃん」
「その変な奴が現れた時点で、どうして城に訴え出なかったのよ!」
「無茶言うな! 俺たちだってデスクスに会わなきゃそこまで危険だとは気づかなかったんだ!」
言い合いはドールの方に分があった。普通なら単に居候が追い出されたというだけの話で終わってしまう上、彼らも息を潜めなければならない身である。とても城には出られない。
「マトヤは大丈夫かしら?」
「デスクスのことも気になるわね。逃げるだけなら、直接戦うよりは早く済むはずなのに」
それぞれに自分の親友の名を口に出したその時、不意に聞き覚えのない声が響きわたる。
「お前たちは自分の心配をすべきだな。ケイニアの賢姉妹とやら」
「誰!?」
いち早く立ち上がり短剣を構えるレドの視線の先に、全身が黒に染まった不気味な怪物が現れた。禍々しい翼を持つ無貌の姿は銀化したレドよりもよほど悪魔と呼ぶに相応しい。
「ちっ、とんだ化け物がおいでなすったか!」
「気色悪いわねぇ、いったい何者よ!」
「私はヘアクンフト。よく覚えておくが良い」
罵倒するドールとアトリに淡々と応じた黒い悪魔が手をかざすと、レドの体に凄まじい衝撃が襲いかかる。何とか耐え抜いたものの、立っているのがやっとで戦える様子とは思えない。
「くうっ……!」
「姉さん!?」
「来ては駄目……リアリス、今度こそあなただけでも逃げ延びなさい!」
言うと同時に再び衝撃波が襲い、今度は地に膝をついてしまうがなおも諦めることなく立ち上がる。その姿を見たリアリスは冷静さを失い金切り声を上げた。
「そんなふらふらで何言ってるのよ! 姉さんを見殺しに出来ないでしょ!」
「駄目だよリアリスさん……このままじゃ皆やられちゃう!」
「わがまま言うな! エルザがああまで耐えて守ろうって気持ちを無にする気かよ!」
そう言って駆け寄ろうとするのを押しとどめ、セキトとドールが説得しようとするがリアリスは承服できない。
「またそうやって無茶して私の届かない遠くへ行くんでしょ……いつまで私ばかりに我慢させ続けるつもりなのよ!」
一人で死のうなんて思わないで、と叫んだ。結婚のときも苦労を強いられたが死んだわけではなかったし、怪しげな事件に巻き込まれても生きて自分のもとに来てくれ、それにどれだけ救われたことだろうか。
これ以上姉と離ればなれになりたくない、と頑なになっている妹の声を聞いたレドは改めて自分の不明を恥じたが、だからこそ妹を死なせる訳にはいかない。ここで妹やセキトたちを生かせる方法は一つしかなかった。
動くだけで激痛が走る体に力を振り絞り、突進する構えを取ると『彼』へ叫ぶ。
「シュヴァンレード! 力を貸しなさい! あなた自身が今を生きるために!」
反応を待たずに走り出した。微かに反応はあったが一瞬すら保てないほど弱々しいものでしか無い。元々そんな事に期待はしていなかった。諦めない姿勢を見せるだけで十分である。
「消え去りなさい!」
「まだ苦しみ足りないようだな」
眼前までレドが迫るのを待って黒の悪魔は容赦なく衝撃波を放ち、彼女は空高く吹き飛ばされたあと、呆気なく地面に叩きつけられそのまま動かなくなった。
その光景を見たリアリスは凍りつき、援護しようと手に持っていた槍を取り落としてへたり込む。
「うそ……嘘よ、嘘でしょ、姉さん……?」
知らぬ間に涙を流しながら呆然と嘘だと言い続けるケイニア侯は、目の前に針剣が突きつけられているのに少し遅れて気づいた。
「……?」
「逃げるよリアリス様。逃げるなら全力で守るから」
セキトが厳しい表情でリアリスをにらんでいる。聞き分けのない主君に諫言をする、忠誠厚い騎士のように。
「逃げてよ。こんな死に方しても姉さんに怒られるだけだよ」
「賛成だな。ケイニア侯のしんがりを務めて倒れるのなら思い残すこともねえが……」
「……ここでお嬢ちゃんたちが死んじゃったら死んでも死にきれないわ。エルザちゃんに会わせる顔がないもの」
口々に姉の名前を出して諌めてくる。あんたたちに姉さんの何が分かるの、と言い返したいのに口から上手く出てこない。分かるのは自分の知らない姉がいて、それを知らねば本当にはその心に近づけないということだった。
リアリスは迷いを振り切り、前を向くと侯として決断する。
「ラルフレートの陣まで退きます! ぐずぐずしないで!」
「了解だぜ!」
「逃げるのは得意よ!」
殿をセキトに任せ、先行するドールたちの後に続こうと走り出したリアリスは、後ろを振り向こうとする未練を断ち切り、前を向いて先を急いだ。
「あなた、姉さんをどう思う?」
「きっと生きてる」
「私も同じよ。気に入ったわ」
弟を持つのも悪くなさそうね、と微笑みその場を離脱する。ヘアクンフトは逃げるリアリスたちを追わずに倒れたまま動かないレドの頭を掴んで持ち上げた。
「生きているか。殊勝なことだな」
「……追わないで、くれて、ありがとう……」
「私の狙いは貴様だ。余計なことをするなと釘を刺されている」
その言葉を聞かされたレドは静かに意識を手放し、息がまだ絶えてないことを確認した悪魔は彼女の体を持ち上げたまま姿を消す。
酒屋の前でマトヤと戦っていたデスクスは逃げどきを見失っていた。戦うために訪れた訳ではなく深入りしたくもないのだが、本命がこちらにいたうえ余計な相手との戦いを強いられている。
「どうした黒髪? それでも旧き記憶の刺客か!」
「お前こそ偉そうに! 守護役の肩書は飾りかよ?」
お互いに挑発を叩きあうものの、本気の感じられない戦いを続ける二人の目論見は、最悪な形で裏切られた。
「……残念ね。あなたたちの詰みよ」
満足気な業歪の言葉とともに、翼を持った怪物が現れる。手には力を失いぐったりとしているレドの頭を携えていた。
「レド!」
「手こずったものね、あなたほどの存在が」
「……これで手間取ったという評価は頂けぬな」
「……」
二者が言葉を交わすのを聞き、自分だけでは対処が出来ない事態に陥ったのを悟ったデスクスは無言で退いていく。けん制の円盤を投げる暇さえ惜しむ、敵に背を向けての全力疾走に業歪は僅かながら感心を示した。
「迷わず撤退とは、心が強くなったものね」
「追撃がいるか?」
「止めておきましょう。それより……」
二者が揃って視線を向けるのに対し、マトヤは剣を構えようとするが腕に力が入らず落としてしまい、拾おうとして足が崩れへたり込む。
「すっかり竦んでしまって……それでよく私に挑もうとしたものね」
あの子の方がましだったわ、と言われても言い返せない。圧倒的な実力の差に体が逆らうことを拒んでいた。
「もう用はないけど、特別に殺さないであげる。ただし、それは良い子にしていたらの話」
動けないマトヤの頭を撫でた。そのさまは怯える雛鳥を付け狙う豹のようにも見える。
向かう先の異変を察し一時待機していたエグザトス侯の使節団は、リアリスたちが保護を求めてやって来たことで大騒ぎとなった。リュービスを伴って現れたラルフレートは、セキトと見慣れぬ男女に守られ憔悴しているリアリスの姿を見て目を伏せる。
「リアリス……」
「笑いなさいよラルフレート……無様な私の姿を」
「そうだな……君の力だけでは及ばなかったか」
痛々しい姿で強がる彼女にあえて慰めを交えず淡々と応じ、付近の民家に場所を借りてリュービスにリアリスの世話を任せると自身はお供の三人への事情聴取に入った。
借りた先には温水が湧いていて、ぼろぼろな領主の姿に住民は仰天しつつも湯治を勧めてくる。厚意に甘えて服を脱ぎ入浴を始めたリアリスは、入り口で目を光らせるリュービスに声をかけた。
「一緒に入らない?」
「不埒者が来ないとも限りませんので」
「そう言わないでよ……誰かと居たい気持ちなの」
やんわりとした命令に逆らわず、彼女は誰も入らないようにと警備兵に厳命し服を脱いてリアリスの隣に座る。お見苦しい姿で無礼をいたします、と畏まるリュービスにリアリスは「私よりも魅力的よ」と冗談を飛ばした。
「いいお湯ね」
「はい。ケイニアの温泉は体に良いと伺っています」
「もっと客を呼び込むことに力を入れるべきかしら?」
他人事のようにつぶやく領主に隣領の家臣も「湯治場などを整備せねばなりません」と相槌を打つ。何でもない施政に関する会話が妙に浮世離れしているように思えていた。
「即位してから下らないことに時間を取られすぎたかしらね」
「遠回りしたからこそ、気づくこともございます」
「……あいつのこと?」
顔を向けずに話す。隣の女が主君に恋心を抱いているのは初見から理解していた。
「他にもあります。あなた様をお守りしていた小さな騎士や頼れる円盤の戦士、何よりもレド様と出会えたのが幸運でした」
自分一人では何も変えられない。正直な気持ちに気づくこと、相手を深く知ること、思いを伝えること。どれも人との交わりの中でしか生まれないことを思い知らされた、と彼女は語る。
「それであいつを許すつもりもないけど」
「構いません。私も彼を許していませんから」
主君に許せないとかよく言えるわね、と呆れたようにいうリアリスに、彼女は「人様の奥方に手を出すような節操のない男は嫌いです」と手厳しく言い切った。
「放っているとまた他の方に毒牙を伸ばしかねませんので、厳しく見張る必要がございます」
「……けん制するだけ損したわ。さっさとくっつければ良かった」
「出来事を知ったあとでは得難い経験ですよ」
明るく穏やかに微笑み、そこに姉の幻影を見たリアリスは思わず視線を外してしまう。
「いないのに姉さんの顔が見える」
「あの笑顔は一度見たら忘れられません」
「それこそ魔法にかけられたように、ね……」
リアリスは物心ついた瞬間から姉の笑顔の虜にされてしまった。両親の笑顔も素敵だったが姉は全くの別格で、一挙手一投足を真似しようと後についてまわり、やがて姉と同じにはなれないことに気づき自分を見直したあとも、視線の先にはいつも姉がいる。
「そんな魔法を一身に集めていたナヴィード様はさぞかし苦労なされていたでしょうね」
「ナヴィード義兄さんはずるいわ。横から現れて姉さんをさらっていったんだから」
口を尖らせてはみたものの、内心ではリュービスの視点に同意していた。
姉のどこが好きかと問われた時、はっきりとした回答を示せたことは一度もない。美人で、優しくて、思いやりがあり、頭も良くて、度胸も据わっている。思い込みが激しく、我慢強過ぎてすぐに病んでしまう面もあるが、それすら妙味に感じられた。
完璧すぎる。長所が多く、それを損なわない程度に短所も持ち併せ、隙があってもつけ入れない。世界から愛されている、と表現しても言い過ぎに聞こえなかった。
姉がナヴィードの元へと嫁ぐことが決まったとき必死に引き止めたのは、離れたら姉の意思が前面に出てしまった時に誰にもそれを止められない、と誰よりも理解していたことによる。当時はラルフレートに弄ばれた直後で、精神的に追い詰められていたのも強く影響していた。
しかし、姉は落ち着いた顔で妹を諭している。
「怖いことは何もないの。悲しいことが起こり続けることになっても、それはきっと次の笑顔を届けるための準備運動」
悲しみばかり届けないし届かせない。あなたへ笑顔が届くように頑張るから、と少し涙ぐみながら話すのに彼女は何も言えず、翌日に姉は嫁いでいった。
「偉そうなことは言えませんが、つくづく罪作りな女性ですね」
「そうそう……あいつとは比較にならないわ」
「どういう意味でしょうか?」
とぼける相手に完璧な姉さんと駄目人間を一緒には出来ないでしょう、とでも言うように睨みつける。
「お元気になられたようですね……ラルフレート様にも良い薬ですので、ご遠慮なさらぬようお願い致します」
「本当に容赦ないのね」
「民に愛される領主であられますから」
言いたい放題の参議首座にケイニア侯は大きく吹き出した。
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