第三十五話 捨罠(すてわな)
リアリスの話によると、ひと月ほど前から城内の様子に違和感を感じるようになったという。
「身に覚えのない命令が出されたことになっていたり、勝手に予定を組まれていたり……領土に影響は出てないようだからまだ良いけど」
「家臣たちの洗い出しは?」
「問題が出る度にやっていたけれど成果無し。あまりやりすぎると疑われている方がこちらに不信を抱きかねないから、最近はある程度流すようにしてる」
単に私が忘れているだけなら簡単なんだけど、と力のない笑いを浮かべる妹を姉は心配そうに見つめた。領主らしい見識や度量を身に着けている妹を頼もしく見ている反面、そんな彼女ですら対処できない問題となると、事態の原因は最悪の形にしか考えられない。
「私の力を借りたかったというのは……」
「そう、誰が何をしているのかを探ってほしかったの。ことによっては人じゃない相手と戦うことになるかもしれないし」
エスジータでの話は既に聞いているわ、と続ける。尋常ならざる魔性を退けるほどの力なら人を惑わせる人外の存在をも探知できると踏んでいたのであるが。
「仮面の意思が無くても何とかなるものなの?」
「気配を察知するだけなら私にも出来るわ、気休め程度だけど」
レドはそう答えた。来る前から感じていた嫌な気配は城内に入ってからますます強まっている。
「それだけでも十分だと言いたいけど、とっさの対処が出来ないと危険じゃない?」
「賢明ね。私の知る相手が城内に居るのだとしたら、それは人の体を乗り継いでいく危険な相手よ」
狭い城内なら乗り移る相手を探すのにも苦労もしない。見つけたそばから体を捨てられ別な体に乗り移られたら統治機能が麻痺してしまう、と姉妹は心配を共有した。
「どうするの姉さん?」
「……こちらから動くのではなく、相手から接触するのを待つべきね」
「私は動いたほうが良いと思うけど。あの馬鹿がしびれを切らして来ちゃうのもしゃくだし」
話を聞いたレドは使者のことを思い出す。リアリスは一応出迎える予定で話を組み立てているようであったが、その割にはエグザトスに使者を返すのが遅い。姉の指摘に対して妹は彼の方こそ使者を捕らえて返さないのではと答えたため、ようやく話が食い違っていることに気づく。
「それもなの! おまけに最短で三日後に来るとか最悪過ぎるわ!」
「……デスクスたちがうまく合流していれば様子見であと一日ほど遅れる可能性はあるけれどね」
「ならなおさらよ。待ってなんかいないでさっさと終わらせましょう! 悠長になんてしていられないわ」
リアリスは苛立たしく立ち上がった。嫌いな相手に弱みを見せたくないのは負けん気の強い妹らしい、と姉も頷いて立ち上がる。
「そうそう、どうやって私を皆に紹介するつもり? 流石にレダのままでは通せないでしょう」
「私の影武者ってことでお願い」
「髪の色が違う人を影武者にしても意味がないでしょ?」
「どうせ城内から出すつもりも無いから、覚悟してよ」
「仕方ないわね……では私は今から貴女の影、エルザとなります」
なぜエルザなの、と尋ねてくるリアリスに間違えないからですよと答え、早くも演技を始める姉に呆れながらも妹はどこか安心したように表情を明るくした。
離れた場所で控えていたマトヤを呼び出した二人は、まず様子のおかしくなった一ヶ月前に外部から城に戻ってきた家臣の調査を開始する。
「前にも行いましたね」
「何度でも精査して然るべきでしょう。それに私は知らないですもの」
「見る人が違えば違うものも見えると言うことね」
レドは淡々と前回の調査結果を読んでいき、気になった名前を書き出す。併せて城内に滞在していた人物の調査結果も確認し、それぞれを見比べていく中でリアリスが声を上げた。
「あら、カザリが城内に来ていたことなんてあったかしら?」
「ひと月前、面会に訪れました。前回も報告したはずですが」
マトヤは穏やかな顔で答える。カザリは彼女の妹で城仕えをしている姉と違い早々に地元の商家へと嫁入りしていた。
「エルザ、カザリが気になるの?」
「なんとなく、です。気配を感じるのはあくまで城内のことですから、城外にいるカザリが原因では無いとは思うのですけれど……」
言っている方が首を傾げる。カザリが来たのはエグザトスの使者が訪れるしばらく前で、その後はずっと家で過ごしているはずの彼女が業歪に関係しているとは考えにくい。しかし、しばらく顔を見ていない幼馴染みのことが気掛かりでないといえば嘘になった。
「会いたければお呼びすることも可能ですが」
「止めておきましょう……旧交を温めるのは後でもできます」
「そういうところはお堅いのね。私も見習いたい姿勢だけれど」
くすくすと笑う。彼女も侯として弁えてはいるが姉はより徹底していた。今も臣下としての役割を全うしていて領主的にはいつまでも側に置いておきたいと思わせる有能ぶりである。もっと姉らしく振舞ってもいいのにとも思ったが。
「そうですね。時期的にも何者かの暗躍が予想される場所に、身内とはいえ無関係な者を呼んでいい時でもありません……エルザ、他に気になるのは」
「ありきたりですけれど、出入りの商人たちを再確認してみては。エスジータでは商人を名乗っていた前例がありますので」
「手配しましょう……そうなると結局カザリに会うことにもなりますけれど」
そのことを失念していたレドは思わず言葉に詰まり、マトヤは笑いをこらえながら部屋を退出していく。リアリスも「もっと勉強なさいエルザ」と主君風を吹かせてたしなめた。
カザリが嫁いでいる酒屋に城からの使者が訪れたのはそれから間もなくのことである。
「登城でございますか」
「都合の悪いことでもあるのか?」
「とんでもございません」
主人のハトリは慌てて首を振る。臆病ではあるが人の好い男で知られている彼は明朝に参上することを約束して使いを見送った後、店の奥に入りくつろいでいた人物に声をかけた。
「マーベさん、明日はここを空けるんで留守番を頼めるかい。カザリの面倒も頼む」
「かしこまりましたハトリ……好きなだけどうぞ」
「好きなだけはいねえよ。縁起でもない」
ややむっとしてハトリは店頭に戻っていき、荒れ果てた座敷でくつろぐマーベと呼ばれた女は妖しく笑う。
「ずいぶん遅いご到着ね……時間切れよ、レダ」
そう言うと立ち上がり裏手の蔵へと向かうために勝手口から外へ出ていった。
翌日、城を訪れたハトリに妹が病を得ているという話を聞いたマトヤは驚く。
「具合はどうなの?」
「最近ちょっと体が重いらしいです。今は女中に面倒を見させています」
「あら、また新しい人を雇ったの?」
またしても聞き慣れない話を聞かされ、近いうちにお見舞いへ伺わせて貰うと約束して義弟を見送った。そのあとを一人の男が追っていく。
「……あれで良いのか?」
「ええ、どうせ彼には何もわからないわ」
離れた場所から様子をうかがっていたレドは軽く頷いていた。彼は城に訪れる姿とはとても思えないぼろぼろな服を着て現れ、門番から報告を受けたマトヤが応対へ向かうところで「何も知らないふりをして話を引き出して」と助言しつつ、自身も陰から様子を見ている。
「ひと月前は何ともなかったのに……」
「……悪い予感が当たりそうですね。もう少し話を整理してからリアリス様にも話しましょう」
頷きつつ「いつまでその演技でいるのか」と問うと「リアリス様と二人きりになるまでですよ」と小声で言うのに彼女は苦笑いした。抱いている不安が少しだけ紛れた気がする。
リアリスが午前の執務を終えた後、昼食の相伴をする形で三人は相談を始めていた。
「ハトリが……?」
「はい、どう見ても普通の状態ではありませんでした」
守護役の話を聞いた領主は「どう思うのエルザ?」と問いかけ、相手は「……前例を二度見ています」と答した。そうなった者の行く末を知っている彼女にとって決して見たくはない展開である。
「そうなるといよいよカザリが気になってくるわね。尾行は?」
「一人付けました。順調なら間もなく戻ってくるでしょう」
「ひとまずはそれを待ちましょうか」
姉が離れ、父を亡くし、男に捨てられた相続直後と比べられるほど憂鬱な状況に、妹は疲れたような表情を隠さない。妹の苦衷を察した姉は「午後の執務を補佐しましょう」と提案した。
「それは良いけど、分かるの?」
「私を誰だと思っています? ちょっと読み込みは必要ですけれどね」
「それが良いですね。カザリのことは私が責任をもって対応いたします」
マトヤは安心したような笑顔を浮かべる。侯位となってからは主従となってしまったが、心の中では同い年の親友である彼女のことを心配していた。難題を抱える妹を献身的に支えようとする姉の姿に自分も負けてはいられないと気を引き締める。
「妹の無事は大切ですけれど、あなたの無事もあってこそですよマトヤ」
「分かっていますよレダ。では、私は戻ります」
柔らかな動作で席を立つと一礼をして部屋を後にし、見送った後になってリアリスは心配そうな顔になった。
「マトヤ、大丈夫かな? 結構無理する性格しているからね」
「心配いらないわ、大丈夫よ」
「……ごめん、やっぱり姉さんに言われても安心できない」
姉になったら人は無茶をするのかしら、と真顔で話すのに「妹が寂しい時に駆けつけられる姉でいたいものです」との返事をされる。
「あなたがそれを言うの、エルザ」
「私だからこそ言いたいのですよ。二度と過ちを繰り返さないために」
少し距離を取った言い回しながらも妹を真っ直ぐに見つめて答え、姉妹は小さく肩を寄せあった。
ハトリを追跡していた斥候は日が傾くころになっても戻らず、マトヤは思案する。異変が生じているのは明らかで本来は主君に報告するべき事案であるが、折角の姉妹水入らずを邪魔するのは気が引けた。迷いながらも、自身の目で状況を判断しようと部下を伴って城下の視察に赴くことに決める。城内の警備責任者である守護役が夕刻迫る頃に街中に出るなど例がないが、今はそうも言っていられない。
「すぐに戻る。それまで城の守りを頼むぞ」
「お任せください」
留守を預かる守衛長に送られてマトヤは城を後にするが、去った後に彼の体はその場に崩れて消えていった。
歩きなれた街だけあってすぐにハトリの店へと辿り着くが、周辺に人の気配が全く感じられない。夜が近いとはいえ通りに全く人が見られないのも珍しく、彼女は戸惑いながらも兵士たちに中へ入るよう命ずるが次の瞬間に体を押さえつけられた。
「何をするお前たち!」
「……」
虚ろな目をした兵士たちは答えようとしない。どうにか振りほどこうともがいていると背後から荒っぽい女の声が響いてくる。
「じっとしてな、守護役さんよ!」
動きを止めた次の瞬間、右の兵士が無言のまま倒れ、左の兵士も同じく倒れてあっという間に生気を失い干からびていく。
「これは……」
「もう城内にも手が回っていたってことだ」
その言葉に振り向くとそこには円盤を持った黒髪の女がいた。
「お前、レダと一緒に居た……!」
「……デスクス、だ。ひとまずここから離れるぞ、話はあとだ!」
「あら、二人とも私が目当てではないの?」
撤退を促すデスクスの言葉に被せて不気味な女の言葉が響く。
「……その手に抱えているのは!」
「ちっ、いきなり本命のご登場かよ!」
「レダをおびき出す餌にすらならなかったわね……お返しするわ」
息絶えたハトリの首を無造作に転がしてマーベは不敵に笑い、デスクスは円盤を構え直す。
「エスジータじゃ世話になったな」
「少しだけ想定外ね。エグザトス侯と一緒かと思ったけど」
「たまたま知り合いと出くわしてな。そいつからここのことを聞いたってわけだ」
マーベは口の端を歪ませた。
「そういうこと。家にいた連中も追い出して放置しておかず、支配下にしとけば良かったかしら」
「どういうことだ」
「業歪、ってことだ」
意識を切らずにそっけなく答える。手の内は無闇に明かさないというように。
「で、カザリって奴はどうしたよ?」
「ああ、あの子ならまだ殺してはいないわ。ちょっと役に立ってもらおうと思ってね」
「何だと」
剣を抜き今にも斬りかかろうとするのを「もう少しだけ待っとけ」となだめる円盤の女に、業歪はかすかに表情を緩めた。
「何かご質問があるようね」
「俺がてめえに聞きてえのは一つだけだ」
見下ろすような笑みを浮かべる相手に、底を見抜かれていることを悟りつつも最大の疑問を口に出す。
「てめえなら知ってるだろ、WvGって文字列の意味をよ」
「へえ、旧き記憶もそこに辿り着いたのね?」
「……まぐれ当たりだ。レドがいなきゃ気づかずに終わってる」
挑発的な口調に乗らず冷静に言い返し、業歪も真面目そうに頷いてみせる。
「教えるつもりがないことくらい分かるでしょうに」
「駄目で元々だ」
「正直なのね。あの子の記憶ではもっとひねくれているという話だったのに」
死んだかつての親友を持ち出されても彼女は動じない。感情を論理で巧みに制御している。
エスジータの時に感情のままに業歪に挑み手も足も出なかった経験から、彼女はさらなる精神の修養に努めていた。揺らがない強固な自己は決定的な破綻をきたさない柔軟な論理と不可分の関係であり、彼女がたどり着いた真実を見抜く力である。
「いくらでもほざいてろ。城の方も気がかりなんでな」
「お前は……?」
「鈍いやつだな。一人と二人に分かれた方が相手をしやすいのは明白だろ!」
こちらにレダをおびき寄せておいて城のリアリスを狙うのが本命なのでは、という指摘にマトヤは焦りを浮かべた。
「正解。まあいいわ、こちらにあなたが来てくれたおかげで向こうは手薄だしね」
「……ああ言ってるぜ。どうするよ守護役どの」
「……」
二人の言葉を聴き比べた彼女は苦悩する。可能ならばどちらも守りたいが状況を見る限り一石二鳥の両案は浮かばない。二兎を追う者は一兎をも得ず、かも知れない。惑うマトヤに業歪が一石を投じた。
「ふふふ、やはり妹が可愛いのね。そんなあなたにもう一つ選択肢を教えてあげようかしら」
「……」
「そこにいる円盤の女を倒したのなら、妹を返してあげても良いけれど、どうかしら?」
「ちっ……!」
舌打ちしつつ戦闘態勢を維持するデスクスに対し、気持ちを揺さぶられたマトヤは腕を震わせながら相手に顔を向けるとそのまま斬りかかる。
「馬鹿じゃねえのかお前!」
「黙れ! お前のような得体のしれぬ者を斬り捨て、妹を救うのが先だ!」
「下手くそが!」
斬撃を両手の円盤で受け止めたデスクスは間合いを整えつつも反撃を仕掛けたが、相手も冷静に切り払い更に追撃を仕掛けるなど、上辺だけならほぼ互角の戦いを見せる二人を業歪は冷ややかな視線で眺めていた。
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