第三十二話 開幕
レドは力を全開にして次々と空を蹴り、身を投げたリュービスに追いついて抱きしめる。抱きしめられた彼女は閉じていた目を開き苦笑いを浮かべた。
「もう……やっぱりこうなるんですね」
「ラルフレートにやらせたら心中になってしまうじゃない。私でも二人同時に支えるのは流石に無理よ?」
「あなたが居なかったら私はいつか死んでいましたよ」
仮にレドがラルフレートを無視してケイニアへと向かっていたら、関係がこじれたままいつか彼に見捨てられ、失意のうちに死んでいたかもしれない。そう思う。
「安心したわ。穢れのない恋が悲惨に終わるのは見たくないのよ」
「……リアリス様は、大丈夫でしょうか?」
「それはあなたの問題ではないでしょう。私とラルフレートで決着をつけるべき話よ」
表情を厳しくするレドに彼女は真顔で「ラルフレート様の行くところにお供するのも私の役目です」と告げ、告げられた方もすぐに表情を改め柔らかに微笑んだ。
「活気が整ったかしら? 駄目な人だけど、宜しくお願いねリュービス」
「あなたより昔から彼のことは理解していますよ、レド様」
笑いあったところでふわりと着地する。やがて現場に駆けつけたラルフレートがリュービスと抱き合うのをレドは安堵しながら見つめていたが、体から銀の力が失われつつあるのも自覚していた。全開にしたはずの力は今までの半分以下しか発揮されず、シュヴァンレードは何も言わないまま逃げるように心の片隅へ潜り込む。
盤石であったはずの関係は急速に破綻し始めていた。
翌日、市街の中央に位置する劇場で辻評会の初日が開催される。開催に先立ってラルフレートが開会を宣言し、続けて参議首座と代言人の代表がそれぞれに挨拶をした。
「エグザトスに住まう全ての人々に、ラルフレート・ウェンリオ・エグザトスは辻評会の開会をここに宣言する。皆で力を合わせ、より良きエグザトスを築いていくことを期待している」
前夜に散々情けない姿を見せていたとは思えない堂々たる態度に、駆けつけた観衆から歓声が上がる。
続けて参議首座のリュービスが「侯と民の架け橋たることを心に留め、より良き知恵を導けるよう皆様と論を重ねていきたい」と挨拶し、最後に代言人を代表して先日レド達と出会った酪農家のケンツが「エグザトスの地に住まう民の代表に相応しい行いで、託された言葉を侯へお届けしたい」と表明すると、劇場全体が更なる熱気に包まれていった。
「立つところに立てば決めてくれるもんだな」
「あれが本来のラルフレートね。未練を振り切りさえすれば、民を慈しみ臣下の声に耳を傾け正しい答えを導ける度量はあったもの」
最後列で三人の役者ぶりに感心するデスクスにレドも応じる。彼女自身、真の意味で気力あふれるラルフレートを見るのは初めてであった。最初に会ったときから熱意を持っているようで、どこか遠くを見ているような冷めた心のまま接してくる彼へ、レダとしても戸惑うばかりであったのが思い出される。
何度か話をするうちに彼の熱意が別の誰かのために作られたものであると理解し、そんな様子の彼よりも迷いなく自分を想ってくれるナヴィードに彼女が心を寄せたのはごく自然な流れであった。
しかし彼の中にいる女性が誰かまでは分かるはずもなく、女に飢えた彼を放置したことでリアリスの悲劇を招いてしまったことには悔いしか浮かばない。
「開会も見届けたし、さっさとケイニアに向かいてえが……あいつを待たないと済まねえか、やっぱり?」
「ええ、私とラルフレートの両方が揃っていないとありきたりな挨拶をして終わりじゃないかしら」
固い口調で答えた。直接会うのは結婚したとき以来で折に触れてやり取りはしていたものの、どのような気持ちで彼女が過ごしていたのかを推し量るのは難しい。ブレッカやラルフレートの話を聞く限りでは、相当かたくなに対応をしているのがうかがい知れる。死を偽装していた自分を素直に受け入れてくれるかどうかも分からない。
(レド様、殺されても構わないというのは止めてください)
(先手を打たれてしまったわね)
心の奥から唐突に呼びかけてくるシュヴァンレードに対し、レドは彼を表側に引き留めようとしたものの、するりと逃げを打たれてしまう。
「また二人でこそこそ遊んでるのかよ。良くないぜ……そういうのは」
表情から事態を察したのか、デスクスは銀の髪を軽く叩く。力を開放しているときには柔らかく風になびくほどなのだが、解除しているときは完全に固まってしまっていて、彼女からしょっちゅうぞんざいに叩かれていた。
「叩かないでよ……結構痛いんだから」
「お前だって散々つねってきたじゃねえか」
「……ごめんなさいデスクス。ちょっと気が重くなってて」
デスクスは悩みがちなレドを誘って劇場の外に出る。外には抜けるような青空が広がっていた。
「……俺もよ、やっぱキツイときがあるんだよな。潜んでいる時とか、我に返るとやりきれなくてよ」
デスクスも人の子だった。最初に刺客として動いたときには任務こそ成し遂げたものの、人目に怯え帰還した後もふさぎ込んでいたのだという。そんな中、冴えない顔で次の任務から帰還した彼女は見知らぬ顔の少女に出会い、いきなり強烈な一言を浴びせられた。
「口を開くなり『地面に埋められそうな顔をしているのね』とか言いやがってよ。むかついたが実際その通りだったから文句も言えねえ」
農場という称を与えられたその少女と同じ部屋で暮らすことになったデスクスは、長らく汚れ仕事を続けてきた彼女から一つの言葉を贈られる。
「辛くなったときは青空を見ろ。いつ見られなくなってもいいように青空を忘れるな。空の晴れ間は気持ちの晴れ間……だとさ」
自分の役割に疲れつつあったデスクスはその言葉で相手を仲間と認め、殺し以外は引っ込み思案でどこか幼い彼女の世話を積極的に引き受けた。彼女もデスクスに歩み寄って姉妹のように良き仲間として接するようになる。
「驚くほど前向きな言葉ね」
「俺もそう思ったな。そんな台詞聞かされるとは思ってなかったしよ。あいつが言うと重みが全然違う」
雲ひとつない青空を眺めなからレドは名前を借りた女のことを思う。華やかな環境で育った自分とは正反対の薄暗い境遇で生きていた彼女はそれでも広い空に希望を描いていた。
「だからお前も空を見てろ。それで何かが変わるわけもねえけど、眺めてる奴同士で気持ちを分け合うことくらいは出来るだろ?」
「ふふ、そうね」
レドは頭の中で絡まっていた気持ちがほぐれた気がした。そう言えばケイニアから見る景色のことも大分記憶から薄れている。妹と二人きりで空を眺める機会を持つのも良いかもしれない。
「レド様、気持ちがほぐれたようですね」
「お、ようやくお出ましかよ。随分ご無沙汰じゃねえか?」
逃げたはずのシュヴァンレードが今度は隠れることなく普通に声を出してきた。レドはそれを消極的に受け入れたが、僅かに裏切られたような気分に陥る。
「最近はねむくてな。声もたまにしか聞こえない」
「そうかい。目は覚めたかよ」
「ああ、恩にきる」
短いやり取りではあったがお互いの言いたいことは伝わっていた。
「セキトとも話してやれ。俺たちとばかり話しているって寂しがってたぞ」
「努力しよう」
そこで言葉を切ると、彼はレドに何も喋らず更に深い心の奥に引きこもっていく。避けられているのを理解した彼女はデスクスに不安を打ち明けた。
「困ったものね……ちょっと前まではもう少し真面目だったのに」
「まあな。前にあった気迫がまるで感じられねえし……お前の影響を受けすぎって話も嘘じゃないだろうよ」
旧き記憶の家を出る前夜、デスクスはフルッケからシュヴァンレードの観察を指示されていた。星光に性別は存在しないが持ち手の性質に染まる可能性はあり、それまで男の所持者が続いていたことで男性的な性質を帯びていたのが、レドが持ち手となったことで均衡が崩れてしまっているのではないか、と彼は考えていた。
「呪いの影響もありそうね。女のことなんてまるで知らなかったのに、いきなり女の体と同化させられて苦労ばかり……消耗しないほうが不思議かも知れない」
悪いことにいまの旅仲間は女子供ばかりで大人の男がいない。いたとしても最終的にはレドと一緒なので変わらないかもしれないが、それでも話の合う男が一人でもいたらこうまで弱々しくならなかったようにも思えてしまう。
「あいつが弱くなった分、お前が強くなってる感じもするけどよ」
「そうかもね……体もそうだけど心が簡単に動じなくなったし、頭も冴えるようになってきた感じ」
「……」
デスクスは何かを言おうとしたがすぐに止めた。同じ名前の親友のように手の届かない遠くへ行ってしまいそうな予感がして、感じたくない切なさが押し寄せてくる。
空を見上げながら、恵みの地に現れた星光の軌跡を最後まで見届けようとデスクスは誓っていた。レド・ファーマを名乗った二人の友のために彼女ができる最大の感謝として。
戻るべき過去を失いさまよう自分に、生きる楽しさを教えてくれてありがとう、と。
辻評会開会から三日後、ラルフレートはケイニアに会談を申し込むこと、自らケイニアに赴き交渉を行うことを席上で告げていた。既に開会前日の出来事は噂として広まっており、代言人と参議の双方からラルフレートに疑義を示す発言が続出したものの、彼は「ナヴィードの婚姻からねじれてしまった関係を正すための機会を作りたい」と説明して理解を呼びかけている。
リュービスとの関係を疑う向きもあったが、彼女は「ラルフレート様に仕えるな、と言われる筋合いではない。主君であっても理にそぐわぬのならば厳しく対応する」と断言し、うさん臭い視線を向けてくる同僚たちを黙らせた。
予定を変更して時間いっぱい会談の是非を話し合った末に同意を得て散会となる。
「お疲れさまラルフレート。良い質疑だったかしら」
「君にそう言ってもらえるのは光栄だね……レド」
出迎えたレドに小さく微笑んだ。もう彼女を必要もなくレダとは呼ばない。彼なりに過去から離れて新しい日々を送るためのけじめと言える。
「レド様、それは私が言いたかった言葉ですよ!」
「一人前に焼きもちを焼くようになれたじゃねえかリュービス」
むくれるリュービスをからかうデスクス。二人のやり取りを眺めていたセキトも「本当に仲良しになったね」と嬉しそうに話した。今回は何もできなかったと話していた彼であったが、話が丸くおさまったことを素直に喜んでいる。
「君は私のような優柔不断な行動はしないことだな」
「大丈夫だとは思うけど、お兄さんの言ったことは忘れないようにしなさいねセキト」
「そうしたら女の子も悲しまないの?」
彼らしい率直すぎる言葉にラルフレートは顔を引きつらせ、女性三人は微笑みを浮かべる。
「こいつはいいぜ。やっぱりお前が俺たちの中で一番強いってわけだ」
「流石ね。将来有望な紳士候補かしら」
「子供に親しまれる領主になるためにも、身を慎まれますように……ラルフレート様?」
一気にたたみ込まれたエグザトス侯は、それでも威厳を保って「心しておくよ」とリュービスに返すと、共通の懸案事項を抱えるレドの方に顔を向けた。
「リアリスに使者は送ったが、彼女は本当に受けるだろうか?」
「あの子次第ね。駄目なら私達だけでも行こうとは思っているけれど……」
冴えない表情を見せる。一応彼の書状に添える形で彼女も一筆をしたため届けてもらっているが、慕っていた姉が嫌っているラルフレートの下に置かれていることをどう感じるかは分からない。全てが裏目に出る可能性もあった。
「下手に気にしててもしょうがねえさ。駄目になることを怯えてる場合でもねえだろ?」
「……今回はデスクスに賛成です。私もレド様のお心はリアリス様に届くと信じています」
デスクスとリュービスが心配しないようにと口を揃えるのを見たラルフレートは、穏やかにかつての想い人に語りかける。
「君らしくもない。この少年に妹を紹介してあげる気はないのかい?」
「僕もリアリスさんに早く会いたいな。姉さんの妹さんなら、僕にとってももう一人の姉さんだし」
「リアリスにも気に入られそうだな、君は」
呆れ半分感心半分といった様子でセキトの頭を撫でる彼の姿を見たレドは今の妹に足りないもの、補うべきことが形として見えた気がする。
うつむき気味だった彼女が不安を振り切り前を向いたことで、その場にいた一同も揃って安堵の表情を浮かべた。
「やる気になったな」
「リュービス、使者の帰還は七日後くらいかしら?」
「そうですね。何事もなければ、ですが」
「流石に公的な使者を処刑はしないだろうが、拘束する可能性もないとは言えないな」
「……やはり私が先行したほうが良さそうね。あなたたちの出発は使者が戻るのを待ってからでも遅くない」
その言葉を受けたラルフレートとリュービスもそれぞれのなすべき役目を請け負う。
「レド様もお気をつけて。リアリス様も貴女の支えを必要としているはずです」
「今更かも知れないが、どのような報いでも甘んじて受け入れよう。私個人の範囲内でね」
「十分よラルフレート。あとは私の受け持ち。迷うことなく先へ進めば、たとえ道がなくとも新たな形で切り開くことも出来るはず」
力強く告げ、頷いた。死を受け入れようと名乗った名前はいつしか人と人をつなぎ、生きるための道標となっているのを彼女も自覚している。
「そういえば、ここには結局業歪はいなかったね?」
「ああ、奴の狙いは最初からケイニアだけだったんだろ」
目に見える選択肢を二つ示しておいて一つは時間稼ぎの偽計。よくある手だとデスクスは吐き捨てる。業歪が体の乗り継ぎをどうしているのかは不明のままだが、エスジータからケイニアへ向かうためには必然としてエグザトスを経由しなければならず、完全に嘘とも言い難い。
同化を終えようとしているレドの意識は業歪の思考を直感的に理解できるようになっていた。相手は嘘ばかり言わない。惑わせるようなことも話すが、真実もしっかりと示されている。これまでの言動が正しいと仮定すると、エスジータで待ち伏せケイニアを目指したことの説明もつく。
彼女は思考をまとめると、目を閉じて心に問いかける。
(シュヴァンレード?)
(……はい……?)
ぼんやりとしている。
(ちゃんと歩ける?)
(行けます……レドさま)
幼い子供のような喋り方で答えると、布団に包まるかのように心の奥へ奥へと潜っていった。ドゥーリッドで巡り合ったときの面影は感じられない。銀は全身を包み終えようとしているが、力のほうは薄れるばかりで業歪に立ち向かえるかどうかも怪しく思える。
それでもレドは座っていた椅子から立ち上がり、己を鼓舞するように仲間たちへ決意を告げた。
「動きましょう。それぞれのために、ケイニアヘ!」
妹と、業歪の待つ故郷へと歩み出す。




