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第三話 身上(みのうえ)

 銀化したままのレドは北へ向けて山を駆けたものの、限界を超えて動き続けた体は弱りはて獣の集会場と思われる場所で倒れ込む。仮面の意思に関わりなく元の姿に還り意識を失った彼女はシュヴァンレードがいくら呼びかけようとも返事をしない。命の火が消えかけていた。


(何と無力なのか……私は!)


 生気の消えかけた主の顔を覆い隠す仮面は悔しさを隠さない。このような形で終わりを迎えるなどとは到底受け入られないが、彼にはどうすることも出来なかった。

 途方に暮れる彼であったが、やがて何者かがこの場所へと歩いてくるのを感知する。誰かは分からないがこの際贅沢は言っていられない。相手がこちらに気づいてくれることを祈るばかりであった。

 現れたのは年老いた男の猟師。長らく人と交わっていないと感じさせる顔にはかすかな驚きが浮かんでいる。

 ゆっくりと歩み寄り、近づいてレドがまだ生きていると知った猟師は何も言わずに付近の枯れ枝を集め、火を起こすと一旦その場を離れた。次に戻ってきたとき、彼の手には水袋と焼き菓子が携えられている。

 敬愛する主君の世話を見ず知らずの他人に委ねるという状況が何とも歯がゆく感じられるが、これも自分の業なのかもしれないと仮面は思う。

 そんなことを考えていると、不意に猟師がコツンと仮面を指で弾く。何事かとシュヴァンレードが意識を向けるが、猟師はそれ以上何も言わずに火の番に戻っていった。レドの気付けにしては威力が弱すぎるし、体に手を出すにしては消極的すぎる。狐につままれたような思いを抱くが、猟師が仮面の思いに気づくはずもない。

 それからしばらく、静かな時間が過ぎていく。猟師はたまにレドの体の姿勢を変えたり、少し温めた水を口に含ませるが彼女は一向に目を覚ます気配がなかった。特に危険を感じず、やることのないシュヴァンレードはふと耳元に意識を向ける。

 あの忌々しい邪悪は言っていた、レドと自分が永遠に離れられないように祝福を与えた、と。あの時に気付けなかったその意味を彼が理解するのに時間はかからない。

 穿うがたれた耳元の部分を中心に、レドの顔と仮面が融けて境目が分からなくなっている。それまで意識していなかった風の音や野鳥の声が無機質な仮面であるはずの彼にも、よりくっきりと聞こえていた。しかも、同化は今も焦れったいほど緩慢に進みつつあるのが分かる。


(私としたことが、何という失態だ……!)


 死しても償いきれぬほどの重罪と言っても過言ではない。これほど重い呪いを受けていながら今の今まで気づけなかったのもそうだが、それを操る危険な相手を即座に討ち果たせなかったのが何よりも悔やまれた。数多の戦いを経てきた彼ですらこれほどの危険を感じる相手と出会ったことはない。悪霊と言うのすら生温く感じられる。あれは紛れもなく業歪わざわいであった。ただそこにいるだけで在り方を歪ませる、忌避すべきもの。

 そう考えてみれば、業歪を前にしながら長く持ちこたえ遂には直接の実力行使に及ばせたナヴィードとレダの愛は紛れもなく本物であったのだと理解できる。歪みの只中にありながらお互いを捨てず最後まで抵抗していたのだから。ナヴィードを屈服させられなかった業歪がレダの存在を気に入らなかったのも頷けた。

 悔恨に身を焦がす仮面をまた猟師が軽く揺らす。今度は明確にレドを起こそうとする動きであるのが伝わるが、その動きで仮面は我を取り戻した。

 彼女は彼に名を授けている。レドの護り、シュヴァンレードと。あらゆる悪意や歪みからレドを護ることがその使命。その重みを改めて噛み締め、悔しさをこらえながら彼はしばし意識を閉ざした。あの業歪と戦うためには、確かな力を蓄えねばならない。

 ぱちぱちと火の粉が舞う音と静かに佇む猟師に見守られて仮面の女は寝息すら立てないほどの深い眠りに身を委ねたままでいる。重い呪いを受けた仮面の下の顔は何かに安心したような、微かな安らぎが浮かんでいるのに気付いたものはいない。



 おぼろげに聞き覚えのない男の声が聞こえてきて、レドは目を覚ました。立とうとして体が動かず声の方へ視線を向けようとすると、相手の方が視界に入ってくる。

 夜が明けるまでじっと彼女を見守っていた猟師は目を覚ましたのを確認すると小さく頷き、声をかけてきた。


「目、覚めたか?」

「え、ええ……」

「何か食べろ。体を動かせねえんじゃどうしようもねえ」


 そう言うと焚火で焼いていた小動物の肉を引き裂き、水とともに彼女の前に置く。動かない腕を懸命に動かし水の器を取るが口まで運べずこぼしてしまい、残ったものを飲み込んだ。自分の有様を恥じる気持ちがないわけでもなかったが、今はとにかく何かを口に入れたいと気が焦っている。


「焦るな。別にお前を襲ったりしねえ。ゆっくり食え」

「はい……」


 その言葉に素直に従った。身につけている仮面の意思は感じるものの眠りにでもついているのか黙ったままで反応を示さない。

 焼けた肉をつまむ。水を飲むまでに食べやすい温かさになっていて、指でつまんで口に運ぶ。暖かく柔らかい食べ物が体に染み渡るようだった。思えば肉など最後に食べたのはいつのことであるのか彼女にはもう思い出せない。

 最後の一切れを飲み込み、再度差し出された水を今度はこぼさずに口に運ぶとようやく気持ちが落ち着きを取り戻す。


「……死にかけだったのが少し良くなった程度じゃどうにもならん。明日はちと小屋に戻って必要なもんを持ってこにゃならんがな」

「お心遣い……沁み入ります」

「礼なんぞいらん。早く良くなれよ」


 老いた男は静かに言って座ったまま目を閉じ、それを見たレドもつられるように目を閉じて再び眠りについた。両者が完全に寝た頃になり意識を覚醒させたシュヴァンレードは、レドの命が僅かであるが活気を帯びたのを感じ取り安心するものの、あまりに無防備な状態を捨て置くわけにも行かず猟師が目を覚ますまではと周囲に意識をめぐらす。銀化の力を行使できないからには暇潰しに近いが精一杯の修練でもあった。より感覚を研ぎ澄ましてどのような悪意であっても捉えられるように、いかなる状況下でも己を見失わず隙をさらさないようにしなければ、と。

  空が白み始めた頃に猟師が目を覚ます。消えてしまっていた火を再び起こし、ちらりとレドの方を見て小さく頷いた彼は最初に現れた方向へと歩いていった。万一彼に策を弄され襲われたのなら仕方がない、と既に腹はくくっている。

 猟師が去ってから間を置かずにレドは目を覚まし、久しぶりに同じ時を過ごす主従は現状の把握を行った。呪いについて話を聞いたレドは、謝罪する仮面に対し小さく首を横に振るに留める。


「あなたのせいではないわ。まさかシルヴィーヌがあんなものに取り憑かれているなんて予想をするほうが難しいもの」

(しかし、貴女様をお守りできずに……)

「過ぎた事は問いません……かつてのレダがそうでした」


 小さな声ではあったが、響きはかすかに柔らかく凛としていた。


「それを気にするのなら、むしろこれからが責任重大よ、シュヴァンレード?」

(はっ……?)

「あなたと私の顔が一つになるのなら、あなたの傷が私の傷になるということ……わたしの顔に傷をつけたいわけでも無いでしょう?」


 その言葉に身がすくむシュヴァンレード。確かに責任重大であった。意思に目覚めたときから質実剛健な騎士であれと銘じられてきた彼にとり、主君であり女性である相手が顔に傷を負わせられるなど、考えるだけでも恐ろしい事態と言わざるを得ない。仮面の意思が震えているのを感じ取ったレドは「……冗談よ」と言いつつ口の端に笑みを作る。


「そんなものは仮面あなたを被った瞬間から捨てている……中にある私の顔はきっとどうしようもなく衰えているのでしょうね」

(そのようなこと……)

「心配しないで。もう私は絶望などしない……ただあの女を、あなたの言う業歪を正し……私のような悲劇を繰り返させないようにしたい」


 レドはそこまで言い終えると息を吐き体から力を抜いた。心配する仮面の意思に彼女は大丈夫と伝えつつ「気を抜いたら寝てしまうから、あなたのことを聞かせてくれる」と注文をし、シュヴァンレードはかすかに躊躇しながら話し始める。



 目覚めたとき、そこは戦場であった。数多くの兵士たちが争い血と汗が飛び交う。戦いの中で己が振るわれる度に血が吹き出していくのを見てそれが己の役割であることを無意識に感じたが、長く保たずにへし折られて最初の役割を終えた。

 次に目覚めたのは鍛冶場の中で、血と汗の匂いがないのを少し物足りなく思い、暴れようとするも金槌で何度も叩かれるうちに大人しくなった。

 鍛治師が彼を献上した相手は幼さの残る年若い騎士。貴族の出であるらしいその主は終生戦いの場に出ることはなかったが、騎士として振る舞うことを常に忘れない真面目な人物で、彼の振る舞いに付き合っていくうちに荒んでいた心は調ととのえられ、高潔さを身に着けていく。騎士が亡くなったあと、剣は宝物として保管されるようになりしばらく眠りについた。

 幾度か退屈な時間を過ごした後で再度目覚めると彼を携えていたのは、輝きを目に宿すたくましい男。


「いい剣だ……俺と一緒に夜空の一番星になろうぜ、相棒!」


 楽しそうに笑いながら問いかけてくる男の姿を見たシュヴァンレードは身震いする。それは寒気からではなく、とてつもない大きな可能性を感じての武者震いであった。




 仮面の意識がそこまで語り終えたところで猟師が戻ってきて、レドは意識をそちらに切り替える。


「……具合はどうだ?」

「少し楽になりました」

「早く良くなれよ……」


 猟師はあまり関心のなさそうな声で言う。害意は感じられないものの、積極的に話すことを避けているようであった。よくよく考えれば得体の知れない仮面を身に着けた人間を良く思うはずもない。彼女は差し出された焼き菓子を丁寧に食べ終えると静かに眠りに戻っていく


 目覚めてから二週間が経ち、ようやくある程度立ち上がって動けるようになったレドは猟師の住んでいる小屋へと案内される。小屋と言っても人が横になれるスペースも満足になく、かまどが一つ備えられているだけの狭い場所だった。

 とはいえ、焚火の暖かさと猟師が貸してくれたむしろだけが頼りだったレドにとってはこれでも恵まれた環境に感じられる。雨露をしのげる環境がこれほどに人を安心させてくれるのか、と思い知らされた。

 

「なるべく奥にいろ……少しなら出るのは構わんが、あまり出歩くな。しばらく狩りもしとらんから獣の動きも増えている」


 猟師は言い置くと弓矢と鉈を携えて出かけていく。気配が遠ざかるのを確認してからシュヴァンレードが語りかけてきた。


(頼もしい御仁ですね)

「そうね……ただ、いつまでもお世話になってはいられない。ここがどこなのか分からないけど、この山がドゥーリッド候領の中なら危険が及ぶことも考えられるわ」


 言葉に同意した仮面にどちらに向かうかを問われた彼女は、静かに「このまま北へ」と告げる。


「ドゥーリッド候領の北はランブルック候の領土。それほど良好な関係とは言えなかったけれど、ドゥーリッド候領の後継問題でも傍観に決め込んでいるようでした。手配が及んでいたとしても多少の猶予は得られるはず」

(今はその無関心が頼りになりますか)

「この顔ではどこに居ようと同じでしょうけれど……」


 言いつつ彼女は耳元に手をやる。確かに仮面を触っているはずなのに自分の顔を触っている感覚。内側に熱を感じながらも冷たく硬い鉄の感触に黙って手を下げる。呪いのことを理解して以来、彼女の中で耳を触るのが癖になりつつあった。


(レド様……)

「硬くならないでシュヴァンレード。あなたが畏まっていると私も顔から力を抜けないわ」

(失礼しました)


 彼女の言葉に彼はこわばる気持ちを緩めようとする。主君に仮面を触られるとあるはずのない体の感触が生々しく伝わってきていた。銀化している間も道具としてあり続けていたシュヴァンレードにとって、その感覚は異様としか感じられない。

 戸惑いの思考を感じたレドは苦笑する。


「この呪いを解く日が訪れるまでは、あなたも私も大変な日々が続きそうね」

(……恐縮です)

「丁度いい機会ですし、気持ちをほぐすために少し体を動かしましょうか」


 多少ふらつきながらレドは立ち上がり、主君の意を理解した彼は特に質すことも無く力を開放し、瞬く間に素肌に銀をまとった姿に変わった。

 変身を終えたレドは静かに体のあちこちを動かす。銀化していない時に比べると力強く滑らかに動かせるが、同時に動かすほどにずしりとした重みも感じていた。


(いかがですか?)

「山を降りるだけなら今でも可能でしょうけど、敵対する相手に太刀打ちは難しいかしら、シュヴァンレード?」

(……御意)


 隠すことなく答えるが彼の見立てはもっと厳しい。山を降りる途中で最低でも一度は銀化を解かねばならず、かつ降りきった時点で折角戻した体調が再び逆戻りしかねないような危うさを感じている。

 確認を終えた主従は元の姿に還った。


「急ぐこともないようね」

(はい。少なくともここでご恩返しの一つもしてからでも遅くはありません)

「それはあなたの言う通り……それにしても銀化から人に戻ると首が疲れるものね」


 シュヴァンレードが苦笑交じりの彼女の言葉に何も言えずにいると、猟師の戻ってくるのを感じとりこれ幸いとばかりに意識を引っ込める。

 獲物を手に戻ってきた猟師は「戻ったぞ」とだけ告げてかまどに火を起こして冷えた体を温め始めた。レドが微笑みながらその様子を見守っていると猟師は「何も面白くねえだろうが」と言い、珍しく自分の方から話を切り出す。


「お前さん、南の出だろう?」

「分かるのですか?」

「なぜ北に向かう?」

「それは……」

「そんな面じゃ戻ろうにも戻れんだろうが、北に行こうがお前さんは仲間はずれのままだ。それだけは言っておく」


 ほとんど独り言のように喋ると猟師は再び火の番に戻り、忠告のような言葉に彼女は無意識のうちに再び耳元を撫でていた。


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