第二十九話 恋煩(こいわずらい)
参議首座は憑き物が落ちたような表情でレドの顔を見つめる。
「……最初から気づかれていたのですか」
「ラルフレートほどの色男に思いを寄せる女性がいないはずないものね。側近くに仕える方なら、余計に我慢がならなくなる」
私は悪魔ですもの、と苦笑いをするレドを見たリュービスは、それにつられて笑みを浮かべてしまった。主君の好みがこの女性なのだとしたら、道理で自分に無関心な訳である。文字通り格が違いすぎていた。
「私も考え違いをしていました。みっともない早合点で貴女の顔にも泥を塗ってしまい、お恥ずかしい限りです」
「私のことは気にしないで。だけど、このまま貴女を返す訳にもいかないかしら」
気遣いに「来たときから覚悟はしておりましたので」と平静を取り戻しているものの、彼女ほどの人物を損なうのはエグザトス全体の損失へとつながりかねない。しかも、肝心のラルフレートがそれを気付けずにいる。
レドは真剣な眼差しでリュービスの瞳を覗きこんだ。
「私を城へ案内して頂ける?」
「どうなさるおつもりですか?」
「交渉よ。只今素敵な衣装を用意しておりますので、完成まで貴女を人質にとらせて頂きたい、とね」
呆気にとられる彼女の手を引いてレドは立ち上がり、デスクスたちが戻ってくるのを待って城へと向かう。
「お前が話に応じるなんて珍しいな」
「私を何だと思っているのよ……それに今日は挨拶をするだけ」
「本当にそれだけで済むかどうか……保証はしませんよ」
そんな心配をよそに一同は城門に到着した。門番は参議首座が見覚えのない人々を連れていることに戸惑いを隠せない。
「リュービス様、この者たちは?」
「ラルフレート様の御客人です」
「レダが挨拶に訪れたとお伝え願える? エグザトス侯御本人に、必ず」
兵士が城内に確認を取りに行き、多少長めの待ち時間を経てラルフレートが伴を連れて現れる。顔には笑顔が浮かんでいるが、レドからすれば見た目だけのそれは無意味に等しい。
「レダ……我がエグザトスへ良く来てくれました。歓迎しましょう」
「ご丁寧な挨拶、恐悦至極に存じます。私には勿体ないものですが……お久しぶりです」
「そう畏まらないでくれるかな。雑音の多い場所で貴女と話はしたくない。城内へお連れしましょう……リュービス、ご苦労だった」
醒めた視線を向けられリュービスは寒気を感じる。主は不満があるときほど無表情になりやすく、覚悟はしていても辛いことに変わりはない。
主従二人の様子を見比べたレドは淡々と告げた。
「本日は挨拶だけとさせていただきます」
「おや、何故でしょう?」
「今は服を仕立てて頂いているの。このような格好で城の中を歩くのも儀礼に適わないでしょう」
彼は彼女の言葉に小さく首を傾げる。
「ホイネに依頼しているそうですね。城内にてお待ちいただくことも出来るのでは?」
「それには及びません。リュービス様が完成まで私達を監視すると張り切っておられますし」
「ほう……それは本当かな?」
話を聞いたラルフレートは鋭く相手を睨みつけながら言葉の上では穏やかに問いかけ、リュービスはそれに耐えつつ「私にお任せください」と願い出たものの、彼は不満を隠さなかった。
「こんなことに君を使いたくはなかったな」
「私では不足でしょうか?」
「そうじゃない。君という器はレダに似合わない。より相応しい器を、相応しい中身を用意せねばお互いのためにもならないかと思ってね」
かなり抑制した言い方であるが「これ以上余計な手出しをするな」という厳しい叱責が込められており、レドは彼を穏やかにたしなめる。
「あら、参議の首座に当たる方をして私に合わないとは随分狭量な物言いですのね。ご自分の臣下を信頼なさらないの?」
「そういじめないでもらえるかな。臣下だからこそより能力を活かせるよう適切に扱わねばならないと、君もそう思うだろう?」
「私に預けたくないほどお気に入りの方と、そう仰るのかしら?」
中々彼女との距離を詰められないことに、ラルフレートは内心でほぞを噛んでいた。これ以上リュービスが余計なことを言う前に確保しておきたいが、レダの機嫌を損ねるのも良くない。今度という今度こそ彼女の心を掴む好機である。
彼はすぐに考えを切り替えると態度を改め、その提案を受け入れることを承諾した。
「良いでしょう。リュービスはしばらく貴女に預けることとします。ただし、期限を切らせていただけますか?」
「二十日間と致しましょう。二十日後には衣装が間に合わなくとも城へ参ります。それで宜しいかしら?」
「結構です。二十日後を愛おしくお待ちしております」
粗相をしないようにとリュービスに申し付けたラルフレートは少し早足でその場を立ち去っていく。城を離れて宿に戻るとデスクスたちが口々に不満を言い出した。
「気に入らねえなあいつ。言葉だけ丁寧で態度がこっちを舐めきってやがる!」
「頭は切れるのでしょうが仕えるものは堪りません」
「姉さんたちの気持ちが少しわかった気がするよ……」
レドはそれらに頷き、仲間の不満を聞きながらも「それでも想いを寄せている方もいるから」と重圧に震えているリュービスを励ます。
「お前も大変なやつに惚れちまったもんだな。疲れねえか?」
「……疲れるわ。ラルフ様のことは幼い頃からずっと憧れで、参議になった時はこれでお近づきになれると喜んだものだけど」
彼がレダに求愛していたのは世間一般にも知られる話であった。弟を選んだ彼女へ未練はないという体裁を取っていることもあり、臣下から嫁を迎えるのではないかと見る向きは多い。性別に関係なく、試験を通過さえ出来れば侯と接する機会を得られる参議の座には、貴族の令嬢から豪商の娘に至るまで志願者が後を絶たない有様である。
「私みたいな橋の管理係の娘なんて筆記試験を通過しただけでやっかみの対象に仲間入りよ。でも、負けられなかった。他の娘を見返してやりたいとか、両親に楽をさせてあげられるとかそういう気持ちもあったけど、でもそれよりもラルフ様の側にいたいという気持ちのほうが強かったの」
「ねえ、リュービスさんはどうしてそんなにあの人が好きなの?」
「……難しい質問ね。好きの理由は色々と考えられるけれど、そんなことは考えたくないくらいに好きになってしまったから。好きだから好き、としか言えないわ」
首を傾げる少年に「ちょっとあなたには難しいかも知れないわね」と苦笑いしつつ、今度はレドが問いかけた。
「貴女が一番印象に残っているラルフレートの姿は、どんなときの姿なの?」
「……鋭いですね。私が八歳のときに城内で閲兵式があり、父と付き合いのあった衛兵長の計らいで見学を認められました」
城に入るのは初めてだった彼女は始めこそ言いつけを守り待機場所に居たものの、好奇心を抑えきれずに城内の見物に行ってしまう。閲兵式で警備が手薄なのも手伝っていつの間にか見知らぬ場所に迷い込んでしまい、帰り道が分かるはずもなく泣き出しそうになったところで一人の男の子が彼女の前に現れた。
「それがあいつ、ってことか……」
「ええ、その時は相手が侯子様だとは全然分からなかったけど」
泣いている姿から状況を理解したラルフレートは、一旦彼女を連れて自分の部屋に戻りナヴィードと作戦を立て、彼にわがままを言わせて兵士の気を引き自身はリュービスを連れていくという方針で動き出す。
誰かいることを衛兵に見透かされそうになりつつも、どうにか彼女を入口まで送ったラルフレートは「大きくなったら弟のことを大切にしてほしい」と妙な気の利かせ方をして、囮になった弟を労いながら立ち去っていった。
「かっこいいように見えるけど……」
「何か決まらねえな、そんなガキの頃からよ」
「レド様、今の話は」
「……知るわけも無いでしょう? その頃からナヴィードをこき使っていたなんて知りたくもないけれど。囮にしておいて「弟を大切に」なんて良く言えたものよね」
全員が微妙な表情を浮かべるのにリュービス自身も「最後はずれ過ぎではありましたね」と認めたが、この時から彼女の想いは始まった。
「想ってはいましたけど昔は参議の職がありませんでしたし、何かお役に立てるようにと勉学に励んではいましたが、今の座に就くことになるとは想像もしていませんでした」
参議首座に就き憧れのラルフレートに近づけたものの彼がそのことを覚えているはずもなく、弟に嫁いでいるレダのことを未だに諦められないという事実は彼女を打ちのめすのに十分過ぎた。
「これでは貴女に恨まれても仕方ないわね」
「お気遣いはありがたく思いますけれど、今なら私にも理解できます。レダ様は何も悪くありません」
「いいえ、ここは私の責任にさせてリュービス。こんな良いひとを目の前にしておいて、何の興味も持てないような男にしてしまった私の罪は重いと言うしかないもの」
レドは拳に力を込める。彼女の意思に引きずられたシュヴァンレードがうっかり力を解放しそうになってしまい「落ち着いて下さいレド様」と慌てて押し止めた。
「……まあ待てよ。元々あいつにガツンととくれてやるつもりだったんだろ?」
「やってもいいけど本気は駄目だよ姉さん」
「分かっているわよ。今日のはあくまで肩慣らし。二十日後、しっかりと目覚められるようにしましょう」
レドはそう決意表明をするとデスクスの方を向いて「これから二十日間、リュービスとも一緒に礼儀作法の特訓をしたいから、覚悟を決めてくれるかしら?」と、にこやかに告げる。
告げられた方は青ざめて腰を浮かせるが、恐ろしいとしか表現できない笑顔で威圧されてすぐ元に戻していた。逃げようにも逃げられそうにない。
十五日後、ホイネの元に行くと既にレド用の礼装は完成し、デスクスの分も半ばまで縫い終わっていた。驚異的な早さである。
「あー私のは急がなくても……?」
「駄目よデスクス。あなたはあなたで別にやることがあるのだから」
「中々板についてきたじゃないですか」
口調の矯正が辛くなって泣き言を漏らそうとするのをレドとリュービスが許さず抑え込む。
「そんなに無理矢理直すのも良くない気はするけど、あんたはちと荒っぽさが過ぎるしね」
「勘弁してく……痛いってば。分かってるから!」
右腕だけ力を込めてつねってくるのに涙目で弱々しく抗議した。旧き記憶の家に滞在中から少しずつ限定的な力の発揮法を模索していたレドは、この二週間ほど礼儀作法の特訓に付き合いつつ出し方を練習し続けて、ある程度望んだ場所に力を発揮させることが出来るようになっていた。
とは言え既に胸まで銀に覆われている彼女にとっては、力の入れ方の差でしかなく「もう手遅れなんじゃないの?」というセキトの評に、彼女も笑って頷くしかない。
「ねえ、こんなに辛いことを二人は良くできるね?」
「辛いのは体に叩き込むまでですよ。使い方を覚えれば、あとは考えなくても扱えます」
「あなたも円盤を扱うときにいちいち考えたりしないでしょう? 理屈としては同じことよ」
参議となるに当たり正確な礼儀作法を求められたリュービスと、将来のケイニア侯に嫁ぐことを定められてきたレダにとっては呼吸をするように出来なければならないことであったから、その境地からの指導がずっと裏街道を走ってきたデスクスにとり過酷なのは当然といえた。
泣き言を言おうにも、レドから「筋力鍛錬のときに出来て当たり前なんて言わなければ良かったのに」と話を蒸し返されてしまっては何も言えない。舌禍という言葉の意味を痛感させられている。
「ま、それはさておきあんたの分の礼装もきっちり三日で仕上げるよ。意匠として円盤を携帯できるような形にするから、いざってときは遠慮なく暴れてきな」
「暴れられる要素は困るんですけど……」
「硬いこと言いなさんな参議首座さん。暴れると言うならそっちの女性の方が数段危険じゃないのかい」
ホイネはそう言って笑った。詳しい事情を聞いた彼女は縫うに当たり力を解放した状態での採寸も行い、どちらの状況でも着崩れを起こさない礼装を目指したという。
「あんたの方はどうだい? 動きにくいとか言わないだろうね?」
「とんでもない。いつかの時も素晴らしかったですけれど、今回はより良い出来です」
礼装を試着したレドは感嘆を抑えられない。力を解放した状況も想定しているためか、素のままではややゆったりとした着心地ではあるが、それでいて動きにくいということもなかった。
布地も硬質な銀色を宿す顔とぶつかり合わずにお互いを照らし合う絶妙な紅の色具合である。最終的な布地の指定は自ら行ったとはいえ、選択肢にこの布を選んだホイネの審美眼は見事と言えた。
「円盤のお嬢ちゃんも気に入ったかい?」
「すごく……気に入りました」
「……やっぱりこの娘には礼儀正しいのは合わないね。終わったら解放しておやりよ」
バッサリと切って捨てられたデスクスは疲れたように肩を落とし、リュービスとレドは期間中はしないと最初に決めたはずのため息をつく。当人たちも内心でそう思っていたのだから尚更であった。
宿への帰り道、デスクスは不満を抑えきれず口をとがらせる。
「ひどくない? なんでかばってくれないの?」
「うーん、言葉が出てこないです」
「ちょっと即席過ぎたし、相手も悪すぎたわね」
曖昧に言う。ホイネには通じなかったが二人の目からすればそれでも形になったほうであった。不満がないと言えば嘘になるが乱雑だった歩き方や座り方は柔らかくなり、礼の基本も飲み込めている。総じて動作を伴うことは出来が良かっただけに、言葉遣いがついてこないのが惜しい。
「少し緩めましょうか。気ばかり張っていても疲れてしまうわ」
「もう良い! 会見が終わるまではこれで通すっ!」
「……ちょっとかわいい、かも」
レドの提案に「お淑やかに」反発するデスクスの姿を見たリュービスは思わず笑ってしまう。ここ二週間ほど参議首座の立場を離れ、歳の近いレドやデスクスと喋ったり礼儀の勉強をしたりしているうちに、重圧と孤独に押し潰されていた心が蘇ってくるようだった。
「笑わないでよリュービス、あなたが指導したんじゃない!」
「ごめんねデスクス。でもいい感じだと思うから」
「……もう知らない!」
笑いを抑えきれない眼鏡の女にそっぽを向く。合ってないと言われても可愛いと言われても気に入らない。こうなったら意地でも最後まで貫いてやるとデスクスは固く決意していた。元々意地っ張りなうえに競い合うのが好きな性格で、出来ないと言われると余計に見返したくなる。
「はいはい、そんなにむくれない。リュービスも少しは抑えて。あまりセキトを待たせるのも悪いでしょう?」
レドは二人を落ち着かせつつゆっくりと歩いていた。デスクスの衣装が完成したら本当の勝負。四日後が辻評会の初招集日であり、そこにリュービスがいないような事態を避けるという意味では悪くない日取りと言える。
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