第二十八話 吐露
午前中の執務を終えたラルフレートは見張りからの報告を受け取ると観察を続けるように命じ、自身も昼食を早めに切り上げ午後の執務を始めると宣言する。
「やる気なのは良いことですが、レダ様の元に直接出向くなどとは申されませぬように」
「安心しろリュービス。私とて同盟の領主だ。悪魔として手配されている彼女に自ら会いに行っては体面を損なう」
「ならば捕らえますか?」
皮肉を言うリュービスであったが、主君は「心配しなくともレダなら自分からやってくるさ」と何でもないことのように話す。その余裕が彼女には歯がゆかった。
「噂をもみ消すのも力が要ります故、慎重な行動をお願い申しあげます」
「それを言われると中々痛いな。だが、彼女が私のもとに入れば悪魔が世を騒がすこともなくなり、ドゥーリッドは無理でもランブルックへ新たな領主を置き、エスジータを支援して安定化を図ることも出来る」
我々でなければこの役割は出来ない、とも話す。実際、野心を隠そうともしないハウゼッツやソルベイユではまとめる方向に話が向かないのは目に見え、イヴネムはエスジータの支援でそれどころではない。
問題はケイニアだがリアリスも姉に会いたいのが本音であり、実現するのならば向こうから話を持ちかけてくるだろうとも踏んでいた。自分に都合よく物事を考えているところもあるが、彼なりに問題の解決を図ろうとしているのは間違いない。
「辻評会の開会も近い。そこで悪魔を捕えて処刑したと報告できれば、世間も納得する」
「……それには反対させていただきます。仮に嘘をついていることが分かれば混乱を招きかねません」
第一レダ様がお話を受け入れる保証もないのでは、と諫言するのに対しラルフレートは相手を威圧するような笑みを浮かべる。
「聞かせてみせるさ。彼女自身が自分の失敗を一番良く知っているだろう」
「それではレダ様があまりにも哀れではありませんか」
「レダを嫌っている君からその言葉が出てくるとはね」
意外だったよと言い残した彼はリュービスに目もくれず喫茶室を出て政務に戻っていき、彼女は候の執務室に入り書類の整理を開始した。表情は暗い。
ラルフレートが治世者として一流だと評するのには領民なら誰も疑いを持たないが、その分自信家で言い出したら聞かないところがある。
そんな彼に取り唯一思い通りにならなかったのがレダの心であり、自分に劣らず優秀であった弟に嫁いだからこそまだ自制が働いていた。ナヴィードが死んだことでラルフレートの心は良からぬ方向に傾きつつあり、仮にレダを思い通りにしてしまおうものなら冷静さを欠き不安定な心が暴走しかねない。
「悔しいけれど、私ではラルフ様を止められないのね……」
認めたくない事実を噛みしめる。侯の補佐を身近で務める参議の首座にまで上り詰めた彼女であったが、主の心を揺らすような存在には至れていない。
書類整理の傍らで思案を巡らせた末、リュービスはこのままでは終われないと決意を固めた。
「……私もレダ様にお会いしてみましょうか。銀の悪魔の有様……この目で確かめさせていただきます」
彼女は仕事の手を急がせる。今日はもう遅いが、数日以内のどこかでラルフレートの執務終了より早く仕事を終わらせなければ先手は取れない。
宿を確保したレド達は、セキトを置いて町外れに居を構えている仕立屋ホイネの元へ向かっていた。
「相当に気難しい奴らしいな」
「こだわりが強いみたいよ。気が乗らない仕事は全く受けないし、気に入ったら気に入ったで納得するまで何度でも作り直す」
実際レダの依頼した婚礼の衣装はひと月の間に十回以上の試作を挟んでようやく出来た代物であり、そういう意味でも強烈な印象を残している。
「それ、金はどうなってんだ?」
「一着分以外いらないそうよ。自分の納得する出来へ至るのに余計な報酬なんて必要ないと」
「はぁ……そりゃまたご立派な信念で」
デスクスはついていけないとでも言うように首を振る。相当な変人には違いないが、実際に着てみて出来の良さに深く感動したレドは服へのこだわりが強くなってしまい、ドゥーリッドに移ってからも他の仕立師では簡単に満足できず、何度となく節約に徹したい夫を困らせていた。
「まあ、そんだけ腕が立つなら見てみたくもなるな」
「デスクスなら大丈夫よ」
話しているうちにホイネの家に着いたものの、戸を叩くなり厳しい声が飛んでくる。
「帰りな! 今は悪魔以外から仕事は受け付けないよ!」
「その悪魔が来ているのよ。入っていいかしら?」
全く隠そうともせず危険な言葉を口から発すると、扉が開き白髪の老婆が姿を見せた。
「ご機嫌はいかが? 私達に服を仕立てて頂きたいと思いまして」
「こりゃまた風変わりな客だね。まあ中にお入り」
勧めに応じて家の中に入った二人は彼女と向き合う。
「本当にあんたが来るとは思ってなかったよ」
「あら、私が来るのを分かっていらしたの?」
「先週からエグザトス侯の使いが何度も訪ねて来ててね。鬱陶しいからああして追い払ってたのさ」
鼻を鳴らす彼女にデスクスとシュヴァンレードは揃って呆れてしまい、レドだけが笑みを浮かべて聞いていた。
「早速で悪いがさ、あんたの着けている目障りな覆面を取りな。あたしの感性ではそんなもので顔を誤魔化そうとするなんて、全く理解できないね」
「これは気付かずに失礼を致しました」
言われるがままに覆面を取り素顔を晒すとホイネは銀色の顔をまじまじと眺めたうえで「目的は?」と質問し、レドは「エグザトス侯に心を突き刺しておきたいのです」と告げる。
「あんたにも旦那がいただろう? どうするつもりだい」
「夫は夫です。エグザトス侯は夫ではありませんし、仮に手を滑らせ突き刺しすぎてもあの方の害にはならないでしょう」
「言うようになったね。もっと強めに言うのがあたしの好みだけどさ」
面白そうに笑った。かつても面白い女性だと感じていたが今は磨きがかかっていて、顔も歪みを持ちながらも美しさを感じさせる銀色のほうがより好ましい。
「最後に聞いておこうか。あんたは誰だい?」
「レド・ファーマ……二人の女の意思を継ぐものです」
「なるほどね」
回答に満足したホイネは「引き受けようじゃないか」と承諾した。
「随分簡単に応じるんだな」
「安心おし、あんたの分もしっかり仕立てて上げるよ」
付き添いが手抜きじゃあたしの本気が疑われるんでね、と穏やかな調子で笑う。
「大した度胸だな。そこらのならず者より余程肝が座ってるぜ」
「修羅場は何度もくぐってきてるさ」
若い頃から気に入らない人物には容赦がなく、腹を立てた相手に暴力や嫌がらせを受けたことも数え切れない。恨まれて当然と開き直り生きてきたホイネにとって、己こそ一番頼れる相手であり心構えも戦士のそれに近くなる。
「ただし時間は掛けさせてもらうよ。なるべく急ぐけど、完成まで一度はやり直しを覚悟してもらうからね?」
「構いません。それと可能ならば子供の服も一着仕立てて頂けませんか?」
「知り合いに任せるよ。筋のいい子持ちの弟子がいるんでね」
簡単な採寸を行ったあと三日後に一度顔を見せることを約束した二人は、彼女に教えてもらった弟子の家にセキト用の服を発注して帰路についた。
三日後、生地の現物から好みを選び、より詳細な採寸を行う。二人の体つきの良さに仕立屋は感心し、既に造形は頭にできているから安心するようにと告げ、すぐに縫製に戻っていった。
「あの人も少し丸くなったかしら?」
「時間が経てば状況も変わるし人間も変わるもんだろ」
「言う通りね。いたずらに過去を引きずり続けるのも考えもの」
デスクスの言葉にレドも同意する。だが変化を受け入れられずに固執する人間が多いのも事実であり、ひどい人ほど転落も早い。ラルフレートも過去に踊らされている人物に違いないが、理解の悪い人物でないのは救いと言えた。
不意にデスクスが立ち止まりレドも足を止める。目の前には眼鏡をかけた赤髪の女性が立っていた。
整った身なりから官吏であることを感じさせ、鋭い目つきでレドを見ている。
「誰だお前?」
「旧き記憶の方でしょうか? 私はリュービス・カテドラル。エグザトス侯家に仕える参議の首座を務めております」
「もうお迎えなの? 予想より早いわね。ちょっと当てを外されたかしら」
小さく驚くレドへ彼女は「本日のことはラルフレート様の許可を得ておりません」と話すが、彼の性格を把握している銀の女には危険な香りしか感じられない。
「部下の独断は彼のもっとも嫌うところよ。私より貴女のほうが危ないのではなくて?」
「覚悟の上です。重罪を背負うならあと残りのないようにしたいので」
「訳ありか……どうする?」
「ひとまず宿までご一緒頂きましょう……デスクス、悪いけど見張りを牽制してもらえる?」
例によって放置していた見張りへ要らぬ手出しをさせないように頼むと、リュービスを伴って宿へと戻った。彼女の思い詰めた表情から感じられる苛立ちに、思い出したくもないことが脳裏に浮かび、憂鬱が募ってくる。
セキトをデスクスのところに向かわせた後で、二人はゆっくりと話しあい始めた。
「改めてお聞きするけれど、貴女は何のために私のところへ来たの?」
「率直に言います。このまま領外へ退去願えませんか?」
首を傾げる。あのラルフレートがそんなことを言うはずもない。
「それは構わないですけれど、理由は何でしょう。機密というわけでもないでしょうし」
「エグザトスの将来のため、です。あなた様と主君がお会いすることは治世に悪い影響を与えると判断いたしました」
相手は表情を変えずに淡々と話した。耳に付きやすい言葉を置いているものの、それだけなら参議首座ともあろうものがわざわざ来る理由とはならない。レドは姿勢を改めて顔に微かな憂いを浮かべる。
「思い違いをしていました」
「何が……でしょう?」
「この程度のことを自ら行うほど、見識のない方だと思いませんでしたから」
リュービスはそこで初めて表情を動かした。唇を曲げて目を揺らしながらも落ち着いた声で「現場で柔軟に対応する必要もありますので」と返す。
「それにこの件は私事です」
「私事の理由に公の身分を持ち出すのは筋が通らないでしょう。公私を分けるように、などと言う基本を今更述べねばならないのなら、すぐにでも彼の側へお帰りなさい」
それとも私を力尽くで追放なさるの、と突き放した。これで済むはずもないが、言い切らねば守りの固い相手から本音は引き出せない。リュービス自身もこれで終わりとは思っておらず、想定内と言わんばかりに酷薄な笑みを形作る。
「失礼いたしました……悪魔にも分かりやすい言葉を使うべきでしたね」
「ご遠慮なく」
「我が主に穢れた悪魔を近づくのを放置はできません」
可能なら兵士を差し向けて始末したいのですが、と脅す。相手の本性については彼女も耳に入れており、まともなら勝ち目は無い。しかし、一度でも手を出させてしまえば、自分は無事でなくても主君も手を出せなくなるだろう、という目算もあった。
「……浅いのね」
「事実を申したまでです。私の底が浅いと仰るならば仕方がありませんけれど」
「あなたもご存知でしょうけれど、私はラルフレートを幼少から知っています。そして、ドゥーリッド侯妃となるまでお付き合いもありました」
領主としての力量は言うまでもなく、能吏を愛し佞臣を退ける広い視野をお持ちの名君でしょう、と持ち上げてみせる。
「餌食に相応しい、と申されますか?」
「私には夫が居ますもの」
「ナヴィード様はお亡くなりになられましたでしょう。ですから……」
あなたもラルフレート様を狙って、と続けようとしたリュービスに対し、レドはその心配は無用と微笑みを浮かべた。
「貴女には分からないでしょう。私とナヴィードは今でも一緒にあることを」
「亡くなった夫を思うお気持ちは美しいものですが……」
「……私はいつでもレダと共にいる」
好機とばかりに言葉を畳み掛けるようとしたところに、不意をつくような男の声が響くのを聞いたリュービスは驚愕する。
「だ、誰?」
「どうかしたの?」
「今、知らぬ男の声が……」
「彼の声?」
目の前の相手に驚きはなく、高速で思考を働かせた彼女は仮面に意思が宿っていたという報告があったことを思い出し「悪戯をさせるのは反則ですよ」と釘を刺した。
レドは口元の笑みを崩すことなく「あなたも彼が悪戯しないように見張っていて」と前置きし、顔の覆いを取った。銀に染まった顔を見た相手は無意識に息を呑む。
「とても普通の方には見えません」
「慣れました。少し前まではそれこそ他人の正視に堪えぬ顔でしたから」
「自ら仮面を被られた方は覚悟が違うのですね」
皮肉とは異なる調子の声であったが、銀の女は目を伏せた。
「……あなたは自らを偽らねばならないときに、仮面を被るかしら?」
「被りません。私は偽りませんから」
「そう……」
狙い通りの回答を得たレドは、一切ためらうことなく相手の心底へと踏み込む。
「なら、私がこの後ラルフレートに会って、あなたの話を正直に伝えても平気ね?」
いきなり内心を鋭く抉るような言葉が飛び込み、焦りを隠しきれないリュービスは反射的に「それは話が違います!」と大声を出してしまった。
「何が違うの? 離れても構わないとは言ったけれど、実際にどうするかまでは決めていなかったでしょう?」
「それは……」
「彼の許可なく私の所へ来た……ということは彼のほうが私に会いたがっている証拠よ。私と彼がそう決めたなら貴女には止められない」
一気に詰められたリュービスは何も言えずに黙り込んだ。まんまと相手の調子に乗せられたことを悔やむが、続けて聞こえてきた言葉に目の色を変える。
「貴女には残念なことでしょうけれど、彼にとってはその程度の存在でしかなさそうね」
「だから……何なのですか。私をあざ笑うつもりですか……!」
一番触れられたくなかったことに触れられ我を失った彼女は、感情のままに言葉が吐き出し始めた。
「何の取り柄もない……生まれる家に恵まれただけの女が!」
「そうかしら?」
「私はあなたなんかには理解できない努力を重ねてエグザトスの参議になったのよ……それも首座で! なのにあなたばかり意識されて私は蚊帳の外!」
あなたへ貢ぐためにこんなことをしている訳じゃない、と思いつくだけの言葉を乱暴に吐き出していく。彼女が本音に疲れて落ち着くのを待って、レドは改めて相手を思いやるような口調で語りかけた。
「そうね。私では貴女の努力を推し測ることもできない。私と同世代にしか見えない貴女が重職に就いているなんて素晴らしいとしか言えないもの」
「皮肉かしら?」
「驚いているのよ……貴女ほど優秀で思いを寄せてくれる女性がいるのに気づけない、主の鈍感ぶりに」
ラルフレートの名は使わない。問うべきは彼個人ではなく、その脳天気な領主ぶりに、であった。




