第二十三話 疑問
出発から二週間後、レドたちはエスジータ領の西端へと到達する。エグザトスへ向かう前にセキトがそこを見たいとせがんできたため、少し寄り道することとなった。
「ここが『無尽の崖』?」
「ああ。ぐるりと恵みの地を取り囲む、底の見えない崖だな」
デスクスの言葉に、一同は遥か彼方に視線を向ける。引っ掛かる場所すらないのっぺりとした断面に空の青さが見えない下の方にまで広がっていて、見る者にそこが世界の果てであることを否応なく実感させていた。
「話には聞いていましたが……」
「やはりあなたの記憶にはこの光景はないのね、シュヴァンレード」
寂しげなシュヴァンレードをレドは慰めるように語りかける。セノの家に滞在中、その話をした時には存在を強く否定していた彼であったが、現実を見てしまった以上は納得せざるを得ない。
「……私の見ていた世界は夢だったのでしょうか」
「そうは思わないわ。あなたの世界はきっとある。あなた自身がその証拠よ」
「ありがとうございます、レド様」
シュヴァンレードは彼女の心に一礼する。ここしばらくは力を行使することもなく穏やかな日々を送ってきたことも手伝い彼の心はわずかに自分を取り戻していたが、呪いの進行に歯止めはかからず仮面の面影はもうどこにも見えない。力を開放せずとも全身の肌が銀色に染まりつつあるレドの状態が彼をさらに追い詰めており、レド自身も危機感を強めていたものの良策は見つからないままである。
黙ったまま思索を続ける彼女たちをよそに、セキトとデスクスは崖について語り合っていた。
「……にしてもいつ見ても味気ねえよなあ、この景色はよ」
「そうだね、もっと凄い場所なのかと思ってたけど」
「俺も最初見た時は何だこりゃ、って思ったもんだ。山やら水やらが広がっているんならまだしも、下の見えない崖と空だけがどこまでも広がっているだけの場所だしよ」
二人の話を耳にしたレドは行き詰っていた心をほぐそうと昔のことを思い出す。その存在を習ったときに彼女が最初に感じたことは、ここが崖の上なのだとしたら自分たちのいる恵みの地はどこかの上にある世界なのだろうかということであり、父親にそれを質問したところ「そうした自由な発想を大切にしなさい」とお茶を濁され疑問は解消されないまま終わっていた。
生まれ育ったケイニアにも当然ながら崖は存在し、底の見えない空間だけが広がる光景を見て強く失望したのも覚えていたが、シュヴァンレードと共に崖を眺めているとまた違う感慨が湧いてくる。
「この先の見えないどこかにあなたの知る世界もあるわ、きっと」
「……そう願いたいものです」
仮面の意思は主君の発想の柔らかさに改めて心を惹かれた。色々な顔を持つ人物であり、存在の大きさを感じずにはいられない。業歪が彼の次に光を名乗るものと表現していたのは単なる挑発ではなかったのかも知れなかった。
「……私を買いかぶりすぎよシュヴァンレード。さあ二人とも、そろそろここから離れましょう」
二人が来るのを待ってレドは歩き出す。いつか全てが終わったとき、こうやってのんびりと空の果てを見ながら世界を語れるときも来るのだろうかという思いを残して。
それから一週間後、レドたちは遂にエグザトス侯領へと入っていた。一行の目にはその証とも呼ぶべき大塩湖が映っている。
「大きい池だね」
「そうね。ただ、大きさは池と呼べないほどよ。ドゥーリッドとエグザトス、その東に位置するウィゼ侯領まで広がっているの」
「おまけに水は塩水だ。飲むもんじゃれえがこの水から塩が作られてる」
二人の説明に目を丸くするセキト。随分昔に聞いていた話よりずっと大きい場所であることに興奮を隠せず、水際まで近づいて水に触れていた。
「そりゃそうなるよな。ここに面してない奴らからすれば珍しいなんてもんじゃないしな」
「不思議なものよね。ここだけ水が塩辛いんだもの」
恵みの地のおける塩の生産はこの湖があってこそであり、人々の暮らしを支えている大きな恵みの一つと言っていい。
「リットリムは本当に塩商人だったのかしら」
「そんなわけねえだろ。エスジータ侯に取引できるほどの女商人がいたら、事件の前後で噂になって当然だろうが」
「そうよね……」
製塩は塩湖に面する三領土によって厳重に管理されていた。ドゥーリッド領の解体後も管理はエグザトスとウィゼに限定され、商取引の許可が欲しいとしても簡単に得られるものではない。
「旅の途中でエグザトスの塩商人と名乗っていても真実は闇の中だ。誘惑が済むまで隠れ蓑になりゃ良いんだからよ」
「異変が起こったあとに真相を探ろうとしても、動きを業歪に処理されて終わりということね」
「まあな。今までのことから考えればリットリムって女がいたことは間違いねえだろうが、それがどこの出でどういう素性なのかは家族か周辺の連中だけしか分からねえだろうよ」
遠くを見るような目でデスクスが言うのに、ふと、レドはまだ彼女の詳しい素性を知らないことに気づく。ここまで何気なく同行を受け入れていたが、彼女が何を考えて一緒にいてくれているのか知らないままであった。
「……気になるか、俺のこと?」
「えっ?」
いつの間にかデスクスが真っ直ぐにレドの顔を見つめている。顔は真面目そのものだが、何処かに純粋で柔らかな雰囲気を感じさせた。
「エスジータに居たときには言えなかったけどよ、俺が派遣された本当の目的は……お前を連れて行くためだ。俺たちの家にな」
「旧き記憶の……家……?」
レドはその言葉の意味を静かに噛みしめる。旅の目的に一歩近づいたような気がした。
夜になり、一行は塩湖のほとりで食事を取る。
旧き記憶という名を知る者は決して多くない。知っているのは各侯家の一族や重臣、あるいは限られた取引相手か『伝手』と呼ばれる現地案内人だけで、知っているものですら活動の本質を完全には理解していなかった。
「私を連れていくのはやはり呪いのことでなのかしら」
「それだけじゃねえが一番はそれだな。おまけに対極に位置する祝福された仮面の力まで持っていると来たもんだ」
報告した時の長老たちの驚きようは中々の見ものだったぜ、とデスクスは焼いた塩漬の肉を食べつつレドに話す。
「呪いって、僕のことも?」
「流石にお前は想定外だ。俺の掴んでた情報はランブルックのドールが報告した情報までなんでな」
不思議そうな顔をしたセキトの問いかけに少し表情を曇らせた。エスジータで初めて顔を合わせたあと事情を聞いた彼女が最初にしたのは彼への謝罪で、魔性の襲撃に備えねばならない状況もあり無理やり気持ちを切り替えねばならなかったが、まだ負い目は消えていない。
「仲間が狙いを外した上に自分が乗っ取られて、おまけによそ様に迷惑をかけたとあっちゃあ面目も丸つぶれだからな」
「狙いを外したことに関しては別件もあるかしら?」
「ごもっともなご意見で……」
厳しい指摘にデスクスはうなだれてしまう。焦りと誤認からランブルック侯を殺害して領土が事実上消滅したことを思うとその責任はかなり大きいと言わざるを得ず、セキトが「姉さん、ちょっと声が厳しすぎない?」と取りなしてくれなかったら本気で落ち込んでいたかも知れない。
「そうね、私にも責任はあるもの……ごめんなさいデスクス。ちょっと言い過ぎたわ」
「気にすんな。真実から目を背けるな……これが俺たちの教えだしよ」
彼女は謝罪に片目を瞑った。意味ありげな言葉にシュヴァンレードが何のことか訊ねると「家まで行きゃわかるさ」と答え、確約は出来ないが手がかりが何かあるかもしれないと解釈した彼は「期待させてもらう」と返す。
「その家という場所はここから離れているの?」
「そう遠くはねえさ。街道からは離れるが、エグザトスの城下からも連絡を取りやすい位置だ」
「城下で使いを待つ必要はないわね。こちらからお邪魔しましょう」
「姉さん……そこまで城に入るのが嫌なの?」
疑わしそうな目で見るセキトにレドは素知らぬ顔で何のことかしらと返し、デスクスは何も知らねえのかよとシュヴァンレードに問うが「嫌なわけではなく、少し日取りが悪いだけですよ」と中身のない返答をするしかない。困惑する面々をよそに銀の女は道中で買い求めておいた焼き菓子を楽しみながら夜空の月を眺めていた。
翌日、塩湖のほとりから離れた一行は旧き記憶の家を目指して歩き出す。エグザトス領内は治安がかなり安定しており、街道からかなり外れていても野盗や野獣の群れに出くわす可能性は低いと旅人には評判だった。現れたとしても彼女たちなら即座に倒してしまえるのだが。
林の間を流れる川を発見したデスクスは川の上流へとレドたちを導く。
「川の上流が目的地ってこと?」
「まあな。そこにあるのはたまたまだけどよ」
「水が美味しそうな場所だね」
お前はそればっかりだな、と苦笑いした。この川はエグザトス城下の近くまで流れる重要な水源であり、最終的には塩湖へと流れ込んでいく。その割には塩辛くないねと疑問を抱く少年に、湖の水が塩辛いのは湖自身に原因があるとレドが答えた。
「もっともその理由については色々な考え方があって、まだまだ良く分からないの」
「その理由を探る……というのが、俺たち旧き記憶の表向きの看板って訳だ」
「あら、研究者の団体ということ? 随分イメージと違うのね」
驚きの声を上げるのに黒髪の女は「だから知らない奴は気づかねえのさ」と小さく笑う。誰の目にも見えているのにそれだけでは真実には届かない。
話しているうちに大きな山小屋へと至り、中から恰幅の良い大柄な男が現れた。
「円盤か……聞いていない対象がいるようだが」
「農場で収穫が上手く行かなかったツケだ……貴重な若芽だから大切にしろって言っとけ」
「了解した」
不愛想な表情でそう言うと中へと入り、長めの待ち時間の末に現れると「二人を連れて中に入れ」と告げる。デスクスは二人を促して小屋の中へと入っていき、続いて進むセキトの後を追うレドに男が「レドの偽者が」と小さく毒づいた。腹を立てるシュヴァンレードを抑えながら「あなた、お名前は」と訊ねる。
「デュンガだ」
「偽りでも本物でも、肥料なら農場の役に立つべきではなくて?」
「土地に合わぬ肥料が役に立つものか」
「ご忠告、ありがたく承りました」
デュンガに小さく頭を下げると少しだけ止めていた足を再び前へ動かす。早速の「お出迎え」にこの先も一筋縄では行かなそうだと気合を入れ直した。
入るとすぐに地下に続いている。結構な広さがあり大人の男が姿勢を変えずに動き回れるほどに整えられていた。
「小屋の中に穴を掘ったのではなく、穴を隠すために小屋を建てた、というところね」
「まあな。ここを見つけたことで旧き記憶は始まったと教えられてる」
二人は小声でやり取りしているのだが、それでも周りに声が響く。
「あまり埃っぽくないね?」
「埃っぽくならないようにしてるんだよ」
あまり埃が多いと都合が悪いこともあってな、という答えからも場所が研究施設であることを感じさせた。デスクス本人も課せられた役割とは別に地理の研究をしているという。
歩いている途中で何人かの人間と出会った。皆興味津々といった目でレドとセキトを見ているが、決して話しかけようとはしない。ここまで来て人目につくのを嫌がることもないが、一般の人々よりも異常に触れているであろう彼らにとってもレドの姿はやはり特異に見えるのかも知れなかった。
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