第十九話 業歪
ラジェスタ邸にて、アルジェナイトは駆けつけた生き残りの文武官たちを取りまとめ城へと乗り込む計画を立てていた。城内には積極的にアークトを守ろうとする兵士はいないという見方で意見は一致し、城詰の者たちを引き入れつつリットリムを捕らえてアークトを正気に戻す方針で固まる。
「城下を探索しリットリムを捕らえる者と、城内へ先行し各所を制圧しつつアークト様を抑える者の二手に分ける。城下の担当は深入りせず全域を調査して見当たらないのなら、城門周辺を固め城内の救援に向かうように」
「父アークトの乱行を止めるために、今一度皆の力を借りたい! 私に続け!」
ラジェスタの言葉に続き、アルジェナイトが檄を飛ばすと集まった官僚たちが気勢を上げる、それを脇で見ていたセキトは場の迫力に圧されて頭を揺らしていた。
「大丈夫か? まあお前にはなじみのない場所であろうからな。無理もない」
「アルジェは凄いよ。こんな場所でも全然平気そうだし」
隣りにいたユーデに率直な感想を漏らす。それまでも所々に侯子らしい振る舞いを見せてはいたが、こうやって多数の大人たちを前にしながら一切臆することなく大きな声で陣頭に立つ姿を見てしまうと育ちの差を痛感してしまう。
「だが、アルジェナイト様がああしていられるのには、お前の存在も大きいのだろうな」
「そうなの?」
「ここだけの話だが、アルジェナイト様は選り好みの激しい方でな。中々ご友人に恵まれていなかったのだ」
母親を生まれたときに亡くし七歳になるまでは父親からも離されて育ったアルジェナイトは他人の視線に敏感で臆病なところがあった。加えて周囲も侯子という立場に遠慮して畏まる者ばかりで、セキトのように身分の差を気にせず踏み込んでいく同世代の仲間とは思うように縁を持てず、寂しがることも多かったという。
「アルジェナイト様はお優しい方だ。誰にも分け隔てなく接するが、その裏側では誰とも深く接することができずにいた。アークト様に対しても同様だ」
「お父さんも寂しかったんじゃないの?」
「それはお前の言う通りだが、アークト様も多忙でな。アルジェナイト様が城にお帰りになられたときにも、当時の内政監が病死された直後で思うように接する機会も作れなかったそうだ」
半年前、まだ穏やかな時を過ごしていたアークトは当時のことをラジェスタに述懐して「妻が生きていたら散々小言を言われておっただろうよ」と語っていた。
「アークト様もアルジェナイト様も立場故に接し方でお悩みになられることもあったのだろう。我々にはその心中はとても推し量れぬが」
「それは違うよ、ユーデさん」
それまでは大人しく話を聞いていたセキトが静かに語り出す。
「分からない場所に踏み出すのは怖いと思うけど、見えるところしか歩けないんじゃどこにもいけないよ」
「ほう………?」
「僕もアルジェのことを完全に分かったとは言えないけど、それじゃ良くないと思って色々な話をしてたんだから」
実際には最初からそう意識していた訳でもないが、最初に出会ったときの彼はとても心細そうに見えていた。ユーデに加えてレドという頼り甲斐のある大人に囲まれながらもどこか居心地が悪そうで、それならばと手持ちの水を一緒に飲もうと勧めた時、とても嬉しそうな表情で受け取ってくれたことをセキトは忘れていない。
「ユーデさんもここに来る途中みたいに遠慮しないでもっとアルジェと話さなきゃ。お父さんもアルジェが寂しそうにしていたから、自分も寂しくて業歪に引っかかっちゃったじゃないのかな、って思うんだけど」
「……よくぞそこまで言った。お前こそアルジェナイト様をお守りする騎士の座に相応しい」
少々言い過ぎのところもあるが私もその気骨は見習わねばならん、とお世辞ではない口調で褒める。
「騎士だなんて似合わないよ」
「そうか? 私としたらレド様や円盤の女などより、お前のほうがよほど頼もしく映るがな」
「……二人とも何の話だい?」
セキトが恥ずかしそうに言葉を濁すのを穏やかに笑って謙遜するなと語るユーデ。そこに一通り話を終えたアルジェナイトが声をかけた。
「少しばかり騎士としての心構えについて議論を交わしていたところです」
「本当かい、セキト?」
「僕は旅人だから騎士なんか似合わないって言ってるけど」
それを聞いたアルジェナイトは「騎士でも良いんじゃないか」と笑顔で頷く。既にイヴネムに待っている人がいると聞いている以上、彼としては正真正銘お世辞程度の意味合いでしかない。
この一件が終わったら道は再び分かれる。自分はエスジータ侯としてこの地を治めていき、セキトは旅を続けいつかは故郷のイヴネムへと帰り市井で暮らしていく。だが、一時でも同じ道を歩めたことは幸運だったとアルジェナイトは思っていた。
そんな心中を見抜いた訳でもないが、言葉の端々に寂しさを感じたのかセキトは心配そうな表情を浮かべた。
「また考え過ぎてないアルジェ?」
「うん……えっ?」
「そんなんじゃ心配で旅にも出られないよ」
呆気なく内心を射抜かれたアルジェナイトは返事に窮するが、次の言葉で完全に心の城を落とされてしまう。
「せっかく友達になれたんだからもっとしっかりしてよ。今は無理かもしれないけど、いつだってアルジェの頼りになりたい気持ちは変わらないからさ」
「……ありがとうセキト。私は幸せだよ……」
やっとそれだけを口に出すと「少し一人で休んでくるよ」と断ってからその場を離れ、休憩室としてラジェスタに譲られた部屋に入ると、堰を切ったように涙が溢れ始めた。
「いやだ、いやだよセキト。君と離れたくない……やっと、やっと大事な友達に巡り会えたのに……」
誰にも聞かれないように声を押し殺しつつ泣き続ける。
「僕だって……君と……旅に出たいよ……レドやデスクスとも……もっと……仲良くなりたい……別れ……たく……ないよ。侯子……なんかで……いたくない」
しゃくり上げながらずっと心に隠していた語れない願望を口に出していた。決して叶うことはないだろうと分かっているが、だからこそ悲しみは深まっていく。
「でも……君が……言ったから……父上が……待ってる……って。そこから……逃げたら……私は……僕は……嫌われちゃう……恐い……けど……やらなきゃ……」
涙は止まらない。しかし、長く積み重ねられてきた苦しい思いもまた涙とともに流れていき、やがてアルジェナイトは崩れた心の城をひとつひとつ組み立て直していく。偶然から出会えた大切なものと共に、悪意や誘惑に負けない心を築きあげた。
「けど……今、君が私の側にいたらこう言うんだろうね。嫌いになんかならないよ、って」
涙は止まり、跡を拭くとゆっくり立ち上がる。その後に現れた顔は凛々しい侯子の顔であった。
城に向かおうとしていたレドとデスクスは折角来た道を逆走している。抜け道の入口に来たまでは良かったが、少しも進めないほど完全に先が塞がれていたため、改めて城門から正面突破を図らざるを得なかった。
「何だよあいつら、冷てえなあ」
「こればかりは仕方がないわ。セキトが常に出口を監視できる訳ではないもの」
ぼやくデスクスをレドがなだめた。恐らくは後続がいるかどうかの確認を怠ったのだろう。その手の伝達不足や手違いは起きてほしくないときほどよく起こり、なおかつ反省した経験を次へと継承しにくい。人間の性に起因する失敗とはそういうものであった。
「……んで、どうすんだ? 嫌がってた正面突破だぞ」
「アルジェナイト様が門の警備に手を回してくださることを祈るしかなさそうよ。もし駄目なら押し通すまでだけど」
「しれっと力押し推奨かよ」
そんなんでいいのかシュヴァンレード、と話を振ると「機会あるたびに諌めてはいるが根が深い様子でな」と匙を投げたような答えを返し、やり取りを聞いていたレドは妙に穏やかな声で「二人とも仲が良いのね。仲良く逝けると良いけど……」と告げる。恐ろしい本気を察した二人は揃って話を逸らそうと慌てて取り繕いを始めた。
「ここはちょっと落ち着こうぜ、な?」
「レド様、深呼吸など如何でありましょう?」
「仕方のない人たちね……」
苦笑いをしながらレドは一度立ち止まって息を整えた。銀化を解きたいところではあるが、加減の出来ない状態で無闇な着脱は力の浪費につながる。シュヴァンレードを労いつつあと少しと動き出そうとしたところで、体が凍りついた。
「あらあら、こんなところで油を売ってて大丈夫かしらね……レダ」
目の前に商人のような姿をした女がいる。整った容貌や豊かな体つきからは妖しげな色気を感じさせるがその目は濁り、あからさまにレドたちを見下していた。
「てめえ……!」
「あらやだ、あなた旧き記憶の人間じゃないの。もしかしてあの娘の敵討ち? 生真面目なのね」
凄まじい殺気で円盤を構えるデスクスを挑発するようにおどけて見せ、動きを意に介さず銀の女を見やる。
「大分仲良くなされているみたいで、仲を取り持ってあげた私もほっとしているわ……あんな出来損ないでは相手にならないわけね」
「言いたいことはそれだけかしら……業歪?」
「そんな物騒な名前で呼ばないでよ。私はただ淀んだ空気を変えたいだけよ……沈みゆくこの世界に新たな循環をもたらすために」
静かに怒りを見せるレドを業歪は嘲り、その姿を見たデスクスは「目障りなんだよ!」と円盤を投げつけるが、片手で無造作に掴まれた上に地面に叩きつけられて粉々に砕かれてしまった。
「良い腕ね、あの娘よりもずっと良いわ。次は貴女みたいな体も良さそうね」
「ちっ……」
「貴様の手は見え透いているな。人を煽りたて、心の隙間を突こうとする」
舌打ちするデスクスと入れ替わり、今度はシュヴァンレードが言葉を叩きつける。
「随分なお言葉ね、星光。そんなの駆け引きの基本じゃないかしら」
「確かにな。だが駆け引きはお互いが同じ地平に立ってこそ成り立つものだ。貴様のようにただ相手を見下し、騙してばかりのような奴に言われたくはない!」
「……前もそうだったけど、堅物にも程があるわね」
業歪はつまらなそうな表情で吐き捨て地を蹴った。
「あー、下らない。折り方が足りなかったのかしらね……まあいいわ、レダと結びついた以上あんたは二度と元へ戻れない……ああ、レダが新しい星光になるのかもね」
「お喋りはそこまでよ……!」
言葉が終わるのを待たずにレドとデスクスが左右から同時に突っ込んで来る。業歪はただ歩いて後退しただけだが、二人は突然その姿を見失い動きを止めてしまう。
「いい動きよ、二人とも」
「ちっ……!」
「どういうこと……?」
「躱された、というより我々が距離を測り損ねていたようです」
攻撃に失敗して不審そうな表情を浮かべる二人に、シュヴァンレードが原因を説いた。
「幻か何かなの?」
「いいえ。口惜しいですが、我々は奴の正確な姿を捉えきれていない……遥か遠くにいるものを狙ってしまっているとしか言えません」
「ちっ、さっき円盤があっさり掴まれたのもそのせいか」
悪態をつくデスクスの言葉を聞きながらレドは過去を思い起こす。業歪の操っていたレドもシルヴィーヌも枯れ果てたように死んでいったが、それ以前から既に死んでいたのかも知れなかった。
レドの顔を見ていた業歪は彼女の思いを見透かしたように頷いてみせる。
「気づいたかしら……そう、このリットリムの体もとうに死んでいるわ。私の存在に耐えられなくてね」
「あなた……どこまで人を玩べば気が済むの!」
「任務に関係なくてめえはぶっ潰す!」
「駄目です!」
殺気をみなぎらせて再び仕掛けようとする二人をシュヴァンレードが止めた。
「奴の目的は我々の挑発ではなく時間稼ぎです! 城の中を考えもなくがら空きにしているはずがありません!」
「う……!」
「くそっ……!」
彼の警告に身を乗り出して動こうとしていた二人は動きを止め、その姿を業歪が嘲笑う。
「衰えていても光は光……でもどこまで耐えられるのかしら……シュヴァンレード君?」
「貴様こそ少しは焦ったらどうだ? 今、我々が城内に向かうのは不都合なのだろう」
「どうでもいいわ。もう飽きたし」
あと少しだけ遊ばせてもらったら返してあげても良いかもね、という台詞を聞いたレドとデスクスは自分を抑えきれずに再び業歪に飛びかかるがまたしてもその体を捉えられず鉢合わせしてしまった。
刹那、離れた場所から何かが飛んでくる。咄嗟にシュヴァンレードが体を動かしてそれを叩き落し、結果を見届けた業歪の体は力を失い倒れていった。
「逃げるつもりかよ!」
「まあ、こんなところね……今回は特別に次の行き先を教えてあげる」
「何っ!」
「エグザトスから……ケイニアに行かせてもらうわ……大切なナヴィードのお兄様と……最愛の妹……色々と……楽しいモノが見られそうね……」
「ふざけないで!」
レドは悲鳴に近い怒声を上げ、シュヴァンレードとデスクスの制止も聞かず業歪の宿り木に掴みかかるが、その前に体が崩れ落ち沈黙のみが残される。レドは無言でリットリムだったものの名残を蹴り上げた。
「レド様……!」
「……お前まで腐っててどうすんだ! さっさと城へ行くぞ」
「分かってる……これ以上好きにはさせない!」
デスクスの言葉に頷き、走り出し城へと急ぐ。業歪の思惑を打ち砕くためにも、今はアルジェナイトたちを助けなければならない。
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