第十五話 襲撃
しかし、その宝が何であるのかを今の彼はおぼろげにしか思い出せなくなっている。特に彼女の前ではその名前を口にすることすらできないが、まだ反対する余地は残されていた。
「……了解した。この話は忘れろ」
「よろしいのでしょうか?」
「まだ手を尽くしてはおらぬ。控えておれ」
「かしこまりました。今日はこれにて失礼いたします」
あっさりと頷いた商人は素早くアークトから身を引くとそのまま居室から退出していく。それを見送った彼は姿勢を保てず、床に崩れ落ちようとする体をどうにか支えて寝台へとたどり着くとそのまま深い眠りへと落ちていった。
アルジェ、と意味を正しく理解できなくなった名前を残して。
一方のリットリムは用のなくなった城から出て、城下に作り出しておいた店へと戻っている。
「意外にしぶといわね。今まで散々悪魔への恐怖を煽っておいたから、すぐに堕ちると思っていたのに」
どこからか取り出した茶を淹れながら、不満げにやり取りを振り返った。この店には彼女以外の人間はおらず、立ち寄る客もいない。
「恵みの地も潮時かしらね。最近としては長く栄えたほうだけど、やはり循環を失い沈むだけの場所には淀みしか生まれない」
他人事のような口調で怪しげな言葉を紡いでいくが、仮にそれを耳にする人間がいたところで内容を正しく理解できるはずもなかった。彼女はちらりと外を眺めつつ茶を口に含む。
「挙句、軌道修正は上手く行かないわ予定にない存在が現れるわで面倒事ばかり増えていって……本当にたまらないわね」
リットリムは淹れた茶を飲み終えると気怠げに立ち上がり、そばにあった棚からゆっくりと何かを取り出した。
「まあ、いいか。精々利用し尽くしてあげましょう。のこのこと彼女も現れてくれたことだしね」
底意地が悪い微笑みを浮かべて手に取った金属の棒をもてあそぶ。すると、ただの棒だったものが次第に平らとなり、どこからともなく刃が生まれて赤黒く染まっていった。
「こんなところかしら。あとは好きなだけ血を喰らいなさいな……『星光』もお前を待っているわ。残念ながら剣ではないけれど」
誰にともなくそう語りかけると無造作に外へ向けて剣を投げる。すると、外に立って中の様子を伺っていた男に突き刺さり、悲鳴すらあげられずに血を吹いて絶命した。リットリムはその光景を見もせずに店の奥へと退き、あとに残された剣はその赤黒い刀身を更に赤く染めたあと、何処からともなく現れた男に拾われて姿を消す。
アルジェナイトたちと出会ってから三日後、一行は特に妨害を受けることなくエスジータ城周辺まで到達した。早い段階からシュヴァンレードは業歪の感覚を鋭敏に察知している。
「間違いなく奴です。ドゥーリッドで感じていたのと全く同じ悪寒を感じます」
「仮面さん、声が震えているけど大丈夫?」
「……ようやく目指す敵に出会えたのだ、気持ちが落ち着かなくてな」
「その気持ちは理解できなくも無いが、気負いは判断を狂わせるぞ。仮面殿」
セキトからの指摘に強気を見せるもののユーデには気負いを見抜かれて注意を受ける。レドもそれを感じ取ってはいたが、彼女の口から言ってしまうと不安定な彼の心を閉ざしてしまうことになりかねないとも思えていた。ユーデのように経験豊富な剣士と行動を共にしていることのありがたみを噛み締めずにはいられない。
「お気遣い、痛み入ります」
「気にするな……貴公の力が無ければ我々は満足に戦えん」
「皆、頼もしい言葉だな……レド様、ここからいかがいたしましょう?」
アルジェナイトの言葉にレドは即答を避けている。城に入る抜け道でもあれば良いのだが二人には心当たりがないらしく、現状では正面から行くより他にない。しかし、先日から懸案として頭を悩ませていたように、戦えない少年二人を連れて強引に押し通すというのはあまりに危険が大きすぎた。
誰かが囮となって兵士たちの目を引きつけ、その間に居残った者を倒して侵入するという手を模索していた彼女だが、囮が自分だとしてユーデに残り全てを託すのもよいやり方とは思えない。
考えあぐねたレドは無い物ねだりをしていても良いことはないと、欠陥があるのを承知で作戦を伝えようと口を開きかけたが、それより先に仮面の意思が断りなく体を銀で包み込む。
「……シュヴァンレード?」
「敵です! ユーデ殿、アルジェナイト様とセキトを頼みます!」
「それは了解したが、敵はどこだ?」
ユーデが疑問の声を上げた瞬間、前方から何かが飛んでくるのをシュヴァンレードだけが察知しそれを拳で強引に弾き飛ばした。手に走った鈍い痛みにレドは顔をしかめる。
「レド様……!」
「……銀に包まれていてこれでは、人を殺めることなど造作も無さそうね。アルジェナイト様はお下がりを。セキトもユーデ殿から離れては駄目よ!」
彼女は念を押してから改めて身構えた。ただならぬ相手であるのは間違いないが、業歪を前にして退くわけにもいかない。
「……レド様、少しでも危ういとお感じになられましたら、迷わず引けとお命じ下さい」
「あなたがそれほどの危険を感じるなんて、何か知っているの?」
「人を裂く力を遠くより放つ技は私の知る限り一人……いえ、一振りにしかできません!」
仮面の意思が断言するのに合わせるかのごとく、前方から敵が姿を現す。
不気味に赤黒く光る剣を握る痩せた男。黒い服に身を包んでいるが、顔の辺りは黒く霞んでいてはっきりと見えない。剣を握っているというより握らされているように見えていた。
「女、我が一撃を弾いたのは貴様か?」
「あなたは誰なの?」
「面白い、永きにわたり汚泥の底に沈んでいた我の肩慣らしにはなるだろう」
誰何の声を無視して、男は不気味な笑い声を上げる。
「どうも相手にされていないようね」
「そうではありません。彼奴は戦いの中でしか相手を知ろうとしないだけです」
「ほう、我を知るか銀の化身よ。そういえばかつて貴様によく似た気配を感じたこともあったか?」
くっくっくっ、と低い笑い声を響かせて剣の切っ先を銀の主従へと向けた。
「良かろう。本来なら徒手空拳の相手など話にもならぬが、貴様ならば楽しめそうだ。そこの剣士、今しばらく待っておれ!」
言い終わるのも待たずに男は剣を振るい、先程と同じ横に薙ぐような斬像を放つ。
「レド様!」
「構いません!」
刹那に意思を交わし合うと再度拳で斬像を弾き飛ばし一気に間合いを詰めたが、男は素早く体勢を整え直すと逆に突きかかり、レドも予定を変えて足払いを仕掛けたものの何故か攻撃をすり抜けられてしまった。
「浅知恵だったな女よ」
「くっ!」
レドの意思が動きを止めている隙を見逃さず男が斬りかかるが、シュヴァンレードの意思がそれを許さず身を翻し後転することで切り抜け、いったん距離を確保する。
「……ふん、気に食わんが良い動きだ。肩慣らしと言わず、この場を持って貴様らの生き血で我が身を染めさせてもらおう」
「あなたも業歪なの?」
「業歪? 知らぬな。我が名はハービフォン、全てを断ち鮮血を喰らうものなり」
ハービフォンと名乗る男は不気味な哄笑を上げ、その声を聞いたアルジェナイトとセキトはユーデの後ろに隠れながら身を固くし、ユーデも相手の気配に飲まれまいと慎重に呼吸を整え直していた。
「……勝つ方法はあるかしら?」
「剣を折ればあの持ち主も消え失せるはずです。男は奴の生み出した虚像に過ぎません」
「もしかして、以前に語っていた魔剣があれということ?」
問いかけに仮面は肯定の意を示す。
「あの剣は回りくどい手を取りません。不利を見て人質を取るような真似はまずしないと考えられますが……」
「……問題は正攻法で勝てる相手ではない、ということね」
レドは魔剣に向けて再び突進した。対する魔剣も立て続けに斬像を放ちけん制しながら、そこに微妙な緩急をつけることで斬りやすい位置に誘い込もうと目論む。相手の意図を悟った仮面の意思は緩急の癖を整理し、次の動きをレドに示した。
魔剣の間合いに剣先少しほど届かない間合いで、シュヴァンレードはわざと斬像に腕を取らせて動きを止める。間髪入れずに魔剣が動き同じ部分を断ち切ろうとするが、レドは後ろ側に体重をかけるとのけ反るような動きでかわし相手の手首を目がけて蹴りを放った。剣を持つ手は実体であったらしく蹴られた衝撃で魔剣の主は剣を手放す。
主従が背中を地につけた体勢から体を戻して剣を追撃しようとしたその時、剣が空中で静止して刃の先を下に向け急激に降下していった。
「あっ!」
驚きの声が口から飛び出る。慌てて体を起こそうとするが本体を手放している虚構の主がのしかかってきて身動きを封じ、機会を逃さぬとばかりに魔剣はレドを貫こうとする。
「危ない!」
「姉さん!」
アルジェナイトとセキトが悲鳴を上げて前に身を乗りだそうとするが、ユーデはそれを懸命に押しとどめた。人智を超えた存在を相手にしては無力であるかもしれないが、それでも彼女が負けたら二人を守れるのは自分だけである。レドたちが自力で窮地を脱するのを祈るしなかった。
虚構の主をどうにか振りほどいたレドだったがすぐ真上には魔剣があり、それでも諦めず腕を振るおうとした瞬間、以前も耳にした声が飛んできた。
「動くな! そのまま地面を転がってろ!」
「……ちっ!」
魔剣は舌打ちして再度空中で制止すると、自分に向けて放たれた物体を払い落とし自らの生み出した虚構の主の手に舞い戻る。下に転がっているのは二枚の円盤。
「……小癪な黒髪が、邪魔立てをするつもりか?」
「まあな、そいつの恋人とでもしといてくれ」
「戯言を!」
周辺の木々に気配ごと隠れながら近づいていた黒髪の女に魔剣は毒づいた。
「中々いい所に来れただろ、レド?」
「助かったわデスクス!」
円盤の暗殺者は身構えながらも感謝の声に片目を瞑って応じる。
魔剣はデスクスから意識を切らすことなくレドに対して斬像を放つが、既に体勢を整え直している彼女は無理をせず距離をとるべく大きく跳躍してそれを避けた。
思わぬ横槍に苛立った魔剣の意思は「……下らぬな」と吐き捨てて構えを解く。
「つまらぬ邪魔で興を削がれたわ。その命、ひとまず預けておくぞ」
「けっ、俺に恐れをなしたかよ」
「黒髪、貴様は銀の女を屠ったあとで念入りに刻み潰してくれる」
言い捨てると気合を抑えた斬像を放ってレドたちの足を止め、何処かへと姿を消す。
「引いたみたいだな、あいつ」
「……シュヴァンレード?」
「気配は遠ざかりました。どうやら命を拾ったようです」
レドは仮面に命じて銀化を解かせるが、デスクスは円盤を下ろそうとしない。彼女の視線の先にはこちらも剣を下ろさないユーデの姿があり「話聞いてねえのかよお前」と呆れるような声を上げた。
「レドの知り合いとはいえ、我々の味方とは限らんだろう?」
「どうすんだこいつ?」
「忠誠篤い、良い騎士ではあるのだけど」
レドは二人を見比べてからため息をつくが、こういうときにどうすれば良いかはもう知っている。
「アルジェナイト様はどう判断なされますか?」
「……ユーデ、剣を下ろそう。彼女と戦っても業歪の有利となるだけだ」
「承知しました……全く疲れる話ですな」
主の命で剣を鞘に収めたユーデを見て黒髪の女もようやく円盤をしまい込み、仮面の女に歩み寄る。
「恋人とはよく言えたものね」
「まあな……それより危なかったじゃねえか。もうちょい考えて動け」
「……貴様にそれを言われることになるとはな」
「冷静になったなシュヴァンレード。前はすぐにかっかと火がついたのによ」
からっとした笑顔を見せたデスクスは次にアルジェナイトを見た。
「危ういところを助けていただき感謝します」
「……侯家、か」
礼を言う少年の素性を問いかけるまでもなく一目で見抜くと珍しく真面目な表情を取り、自分から協力を申し出る。
「力がいるかい、侯子殿?」
「貸して頂けるのでしたら是非もありません」
「いやに協力的だな、貴様」
「そりゃまあ、こんな子供二人に冷たい水をかけるのは趣味じゃねえし」
ユーデの問いかけにデスクスは肩をすくめた。アルジェナイトの横に立っているセキトは警戒こそ見せていないものの、静かな目で彼女の一挙手一投足を見つめ続けている。
「……俺は見世物じゃねえぞ」
「姉さんの知り合い?」
「姉さん? ……ああ、ちょいと訳ありだ。お前があいつを姉さんって呼んでるようにな」
純朴な少年の頭にぽんと軽く手を乗せると、改めてレドに視線を向け「城に行くつもりか?」とたずねた。
「そうね……行くつもりだったけど状況も変わったし、あと一日改めて情報を集めて整理しましょう」
「賢明だな。あんな化物がいる以上、うかうかとまともに突っ込んでいったところで返り討ちがオチだろ」
仮面の女の言葉に円盤の暗殺者は頷く。相手の警戒は予想以上に頑強だった。
「仮面殿にも魔剣の対策を教授していただかねばならんか」
「大した話はできぬが、な」
剣士の言葉に仮面の意思が応じる。知ることは多くないが、それでも得たことを共有できれば打開するための糸口も見えてくるかもしれない。
それぞれが先を見据えているのを確かめたアルジェナイトは、次期エスジータ侯に相応しい威厳を込めて声をかけた。
「話はまとまった。場所を変えてひと息いれるとしよう。彼が干からびてしまうのを見るのは忍びない」
「……言わないでよアルジェ」
控えめに隣の友人に抗議するセキトの姿に、他の一同は力の抜けた苦笑いを浮かべていた。
一方、エスジータ城下の店ではリットリムが苦い顔で「ちょっと我が強過ぎね」と愚痴をこぼしている。
「まあ、元々そういう剣だから仕方がない……にしても、あの状況で気に食わないから出直すとか……全く」
彼女は腕を組んで思案を巡らせ始めた。せっかく掬い上げた駒であるから処分するには惜しい。しかし、今のままでは無駄に時間が過ぎてしまう。熟考の末に手前の棚から薄汚れた布を取り出して机の上に置くと、目を閉じて言葉を紡ぎはじめた。
「暗がりに証せり……その権能の許に望む……魔を制せし美しき名手よ……」
呪言と共にふわりと布は宙に浮かび、球を包むような形状へと変化していく。そしてそれが千切れそうになるまで膨らんだ瞬間、突如として布は消え失せてそこには長い金色の髪をした子供が立っていた。顔には耳と瞳のない赤い目があるだけで、鼻も口もない。
「仮面の女たちを探して襲いなさい。万が一、魔剣が邪魔をするようならばそのまま協力するもよし、あるいはねじ伏せるもよし……お前ならどちらもこなせよう」
その命令に頷いた子供はゆらりと店の外に出るとふらふらと何処かへ姿を消す。
「これでよし。みだりに品物を出してばかりだと、肝心なときに切り札を出せなくなるものね。これで駄目なら見切りをつけましょう」
立ち上がるとそのまま外に出て城へと歩いていくが、去ったあとの店はただの廃屋と化していた。




