第十四話 危機
夜になり焚火を囲んでの談義となる。
「君の母上も呪いのせいで……?」
「うん、僕よりも強い呪いなんだ。だから、早く業歪を探さないと」
深刻な声で問いかけるアルジェナイトにセキトも真面目な顔で応じていた。少年たちは年齢が近いことも手伝いすぐに意気投合している。セキトが相手の立場へ物怖じせずアルジェナイトに接しているのも良い方に働いており、レドも二人の会話を穏やかに見守っていた。
「おい、少しは畏まらんか! アルジェナイト様に無礼であろう」
「やめないかユーデ。セキトに罪はない」
「アルジェナイト様、お戯れも程々にお願いいたします」
「そんなに額にしわを寄せてばかりでは色男が台無しではありませんか、ユーデ殿?」
気を抜き過ぎに見える主君に苦言を呈するユーデだが、逆に窘められた上にレドからもやんわりと意見されて顔をしかめる。
「あなたに言われたくはありませんな。これは我が領の問題です」
「礼儀とは形を守ることが重要なのではありません。心を清くし、より良い形にできるのなら、その姿を問うのはかえって礼を失するのではありませんか?」
「……私は真剣に思いますよ、そのような考えこそドゥーリッドを滅ぼした一因だと」
「貴重なご意見を承りましたけれど、それを活かせる機会にはもう巡りあえそうにありません」
正論を突きつけられたうえに皮肉も軽くいなされ、彼女を相手にし切れなくなったユーデはぶつぶつ文句を言いつつ火にあぶっていた串刺しの葱を口に放り込んでいた。
「……少々ユーデ殿が哀れではございませんか」
「私は私の考えを伝えたまでよ……それよりもアルジェナイト様、お話を整理いたしたいのですけれど」
流石に気まずい思いを抱く仮面の意見を一応は耳へ入れながら、エスジータ侯の息子に改めて状況を訊ねる。
「そうでしたねレド様。ひと月ほど前に諸侯会議に出席していた父アークトが開催地のドゥーリッドから帰ってきたのですが、様子が出立前とは明らかに変わっていたのです」
帰ってきた彼は周囲が呆気にとられるほど生気に乏しい顔へ変わり果てており、留守を預かっていた政務官を呼び出すと「手ぬるい」との一言で相手に弁明も許さずその場で処刑した。あまりに不可解かつ理不尽な処分であったために諫めるものも続出したが「お前たちの道理では世は治められぬ」と相手にせず、それでもなお抗議を止めないものは先の政務官同様に次々と処断されてしまう、やがて恐怖で塗り潰されたエスジータ城でアークトの暴走を止められるものは誰もいなくなった。
「アークト様が何をお考えであるのか、何ひとつ分からないのですか?」
「見当もつかぬ、というのが正直なところです。理不尽に税金を跳ね上げ優秀な人材を切り捨てて、貴賤を問わず人々を脅かしているのは確かなのですが、その先にあるものが見えていません」
「手段を選ばない豪遊、あるいは軍備の増強……何であれそこに理由があるのならば、お仕えしている者も多かれ少なかれお考えを理解するよう努力も出来ます。しかし、今のアークト様は暴力によって下々を従わせ、心ある優秀な臣下を処刑し、それでいながら全ての理由を明らかになさりませぬ」
アルジェナイトとユーデはそれぞれ苦しげに言葉を絞り出す。傍目には理解不能な暴走としか考えようがないが、レドにはその状況が手に取るように理解できた。彼女の夫も同じように、周辺には理解できないことばかり行って混乱を引き起こしていたのを忘れてはいない。
「アルジェナイト様は、父君のことをどうお感じになられているのですか?」
「……父上自身であることは間違いありません。しかし、かつては道理を重視し臣下の者たちの意見も柔軟に取り入れていた父上の姿は……もうどこにもありません……」
思い出すだけでも辛いのか、目に涙を浮かべるエスジータ侯の息子にセキトが心配そうな声で「大丈夫?」と呼びかけ、彼も「心配はいらないよ」と返して肩を寄せ合う。そんな姿を見たレドは安心したように笑みを浮かべ、ユーデもばつの悪そうな表情を見せた。
「そう馬鹿にしたものでもありませんでしょう?」
「……今回はその通りということにしておきましょう」
言葉を交わし合った大人二人は姿勢を正して顔を合わせる。
「アルジェナイト様が城を出られた理由は?」
「アークト様より軍務を預かっておられますラジェスタ少将から密命が下ったのです。街の視察という名目で許可を得て城外へと脱出し、イヴネム侯に救援を乞うようにと」
「実は、ここへ来る前にイヴネム侯とお話をする機会がありました」
城下を出る前に預かったイヴネム侯ブレッカからの手紙には諸侯会議の詳細についての話と共に諸国の情勢について短く記されており、エスジータについては「見通せない部分があり、情勢を注視している。特に用心を」と評されていた。
「ブレッカ様もお気になされていましたか」
「ええ……ですが、諸侯会議からいくらも経っていない今の時期にイヴネム侯ご自身が動くことは難しいでしょう。ドゥーリッド、ランブルック、エスジータと隣接地域でばかり騒動が起きてご自身の所領だけが無事となれば、要らぬ疑念を招きかねません」
当然ながらブレッカ自身に落ち度はない。しかし、ただですら悪魔騒ぎのことで諸侯の間に疑心暗鬼が生じている昨今の情勢を鑑みると迂闊な行動は取れなかった。先祖を同じくし、長い間友好関係にある隣国の異変へ介入する事態となれば、同盟の綻びは修復困難な亀裂となりえる。親書にも「可能なら何らかの動きを取りたいが、他国から警戒されている状況下では難しい」と文末に書き添えられていた。
「……つくづくあなたたちが恨めしいですよ」
「分かっていますユーデ殿。今回の一件は私たちの手で解決をせねばなりません」
「レド様、相手はやはり……」
「ええ、間違いなく業歪です」
仮面の女は断定する。どこにも疑いの余地はない。
先の親書によると、諸侯会議の時点ではアークトに異変は見られなかったという。ブレッカがドゥーリッドからの帰路をランブルックの視察を兼ねて北回りで戻ったのに対し、アークトはエクザトスを経由する南回りで戻っているため、その間に何かがあったと考えられた。
業歪はイヴネムでセキトの家に立ち寄ったあと、おそらくはランブルックを経由してドゥーリッドに到ったと推測できるが、レドたちに接触したあとの行動は分からないままである。
「業歪は同盟内の何処かにいるとは言っていましたが、すぐにドゥーリッドから離れるとも言っていませんでした。状況を見定めるまで居残り、次の機会を狙っていたとしても不思議はありません」
諸侯会議が行われることまで予想していたとは思えないが、本来レダが処刑されたあとは同盟東北部のハウゼッツより推薦されていた後継を迎え入れる予定だったことから、それを狙っていたのかもしれない。
「父も……その業歪の手に?」
「直接手を下されたわけではないと思います。ナヴィードのときも最後の瞬間までは側に控える格好のまま、間接的に影響を与え続けていました」
帰路のどこかで惑わされ徐々に思考を侵されていったのでは、というレドの推測を聞いたユーデが何かに思い当たったような表情に変わり、アルジェナイトも顔を歪めた。
「……あの女狐か!」
「他にも帰路に登用したらしい者はいるけど、一番怪しいのは彼女だろうね」
二人は口を揃える。リットリムと名乗るその女はエクザトス出身の塩商人という触れ込みで、アークトの帰還に先立ち留守を預かっていたアルジェナイトたちの前に現れた。当初こそ腰の低い態度を見せていたが、アークトの帰還後はあらゆる取引において彼女が優先され、重用されるようになった。締め出された地元の商人たちは彼女に屈服するか他領へ出るかを迫られ、大半が移住することを選んでいる。
「商いの形も不明です。リットリムと父上は直に取引を行っているみたいなのですが、誰もその光景を見たことがないのです」
「普段どこにいるのかも判然としません。ラジェスタ様の命で何人かが内偵に出ましたが、誰一人として帰ってはきませんでした」
アルジェナイトたちは唇を噛みしめた。リットリムが怪しいのは明白だったが、絶対権力者として君臨するアークトに誰も逆らうことができず、イヴネム侯に助力を乞うのもやむを得ない選択だったのだろう。
「……何か解決策はございますか、レド様」
「その商人を止めるより他にありませんが、シュヴァンレードの力でも厳重に守りを固めた場所へ強攻するのは現実的とは言えません」
「頼りない話だな。それで業歪と戦うつもりだったのか」
「だからこうして策を練っているのでしょう。城下の様子は私よりユーデ殿のほうがよくご存知のはずでは?」
おなじみになりつつある剣士の皮肉にレドは小さく頭を下げるが、彼の方も半分は演技だったようですぐに頷き返し今の状態を解説し始める。
「……今の城下はアークト様の乱心を恐れて逃げ出した者たちの住んでいた家が空家のまま放置されている。そこに不正に住み着く者たちも多いが取り締まる力は残されていない」
「付け入る隙はある、と?」
「だが、それはアルジェナイト様が出る前の話だ。悪魔を見たという話がきちんと届いているのなら警戒が強化されている可能性もある」
「ともあれ城下へ入らねば始まりません」
ユーデとシュヴァンレードの会話を聞きながら彼女は考える。隙をつくならばなるべく相手から行動させるほうが望ましいが、戦闘向きとは言い難い二人の少年を連れている以上、集団戦は極力避ける必要もあった。
あと一人ほど戦闘要員を確保したいとレドは思う。正面からの斬り合いに向く剣士、あるいは身軽に奇襲を行える遊撃のどちらかであるが、人気のない野原でそんなことを考えるのも上策とは言えない。
「城門の周辺に集落は?」
「ない。林に囲まれている場所だ」
「近づくには都合がいいかしら」
「状況的にはそう何度も捜索隊を出せぬはずです」
レドたちの質問がひと区切りしたところで、ユーデは疲れた表情を浮かべ大きくため息をつく。
「まったく……自分の仕える城に攻め入る算段をする羽目になるとは……」
「逆に考えようユーデ。この件が済んだら突いた欠点を補えば良いのだと」
「……そうですな、今を何とかせねば省みることもままなりませぬ」
主の言葉に彼も苦笑いで応じた。いいかげん皮肉を言うのに疲れたのもあるが、状況が整理されたことで為すべきことをはっきり認識できたことも大きい。為すべきことが見えないときほど心は苛立つものである。
「話は終わった? 姉さん」
「そうね、今夜の話はおしまいよセキト。アルジェナイト様もお休みください。ユーデ殿、私と交代で見張りをお願いします」
「了解した」
「レド様、ありがとうございます」
当面の目標を定めた一行は夜闇に紛れて一時の休みを取ったのち、エスジータ城周辺に近づくべく前進を開始した。
エスジータ城奥にあるアークトの居室。商人リットリムが参上したのは夜明け前のことだった。
「お待たせいたしましたエスジータ侯」
「相変わらずお前の演技は拙いものだな」
恭しく整った一礼をしてもアークトは無表情のままだが、彼女の方も「形式は保たねばなりませんので」と怪しげな笑みを浮かべたまま動じない。
「今日はどのようなお取引をご要望でしょう」
「実は悪魔が領内に現れたという報告を受けた」
「あら」
商人はとても驚いた、というように目を見開く。
「なんと恐ろしい話なのでしょう。本当に悪魔が?」
「最初に会った時にも話しただろう。それが現れたというだけだ」
「それは危険なお話でございますわね」
リットリムは小さく息を吐きつつ「私に何をお命じでしょうか」と伺いを立てると、返ってきたのは簡潔な答えだった。
「悪魔を祓う、あるいは殺せる武具を用意できるか?」
「これまでに比べ難しいご要望でございますわね」
「このような事態に備えたいからこそ、お前を我が領へ置いたことを忘れてはおらぬか」
「もちろん承知致しております」
そういうと女はアークトの側に体を寄せていく。彼からすれば煩わしいだけなのだが、彼女はそれを知っていながら動きを止めない。
「ですが、そのようなものを入手するのは一筋縄では参りません。一日ほど時間を下さりますように」
「珍しいな。お前が手配に手間をかけるのか」
「より良いものを仕入れるためには、時を求めることもございますわ」
殊勝な言葉を並べるリットリムだが声色は笑っていて、アークトも何の反応を示さずに「望みを申せ」と問いかけた。
「今回は少々難しいご依頼ですので、相応のお代を頂戴いたしたく存じます」
「……」
「そう、まさに珠玉の逸品と呼べる宝を」
「その件は忘れろといったはずだ!」
エスジータ侯は表情を歪め声を荒げるが、リットリムはそんな彼を冷ややかに見つめる。
「ならば、この取引は不成立といたしましょうか? 私はそれでも構いませんので」
「……そう焦るな」
「愛するエスジータ領のためにご尽力なされているアークト様でございます。御自分の宝と愛する領土のどちらを大切になさるか、間違いなくご賢察いただけると私は信じております」
畳みかけてくる女商人にアークトは言葉に詰まる。領土の平穏は彼にとって一番の関心事であるが、一番の宝を守ることはそれに劣らぬほど重要な事柄だった。




