第十三話 暗雲
男が女に語りかける。
「少しやり過ぎではないのか」
「何をおっしゃられますの。これでも加減は心得ていますわよ」
「私はそこまでを望んだわけではない」
苦い顔をする男に女は涼しい顔で「心配はございません」と笑ってみせた。
「良き方向にことを運ぶようにいたします」
「……あれを除くつもりはない。よく覚えておけ」
そう言うと触れ合っていた体を離して、下がるように伝える。女は素直に従って部屋を離れていくがその顔は覚めきっていた。
「聞き分けのない男は嫌ね。けど、我儘ばかりでは身を滅ぼしますわよ……彼のように……ふふふ」
にやりと笑い、気絶させていた兵士を目覚めさせてその場を立ち去る。兵士はぼんやりとしたまま持ち場に戻るが、目は虚ろのまま定まらない。
そこは静かに枯れ果てようとしていた。
イヴネムを出て十日ほど、レドたちはエスジータ候の城下を目指して旅を続けている。
「そろそろエスジータ候領に入ったかしら」
「十日ほどで境を越えるとは意外に近いものですな」
「イヴネム侯の城がエスジータ寄りにあるのよ。大戦乱の前から関係が良いことでも知られていたし」
仮面の問いに彼女は由来を説明した。一行で地理歴史に通じているのはレドだけである。
「近くにあるから仲が良いの?」
「もちろんそれもあるけど、元々の先祖が同じというのが大きいわね」
セキトの言葉に頷いた。イヴネムとエスジータの祖はリリダという人物で、同盟の以前に存在したロジボラスタという王国の建国者に当たる。歴史の中で跡目争いによりイヴネムとエスジータに分裂していたものの、やがて関係を修復し今に至るまで友好関係を維持していた。
「……私はよく知りませぬ」
「そのうちあなたの過去も辿れるといいわね」
やや落ち込み気味の仮面の意思を励ました。最近は少しずつ彼の考えが伝わってきて、存在に悩む気持ちに可能な限り寄り添うよう努力はしているのだが、肝心なことを隠しているようにも感じられる。もどかしいが話してくれるまで待つしかない。
「早くどんなところか見てみたいな」
「私も行ったことはないし、百聞は一見にしかずというところね」
会話を終えると、レドは表情を引き締め慎重に周囲をうかがいながらゆっくりと歩き出した。先に入手していた情報を踏まえてのことだったが、いつものように街道からは離れたところを歩いているためか特に危険も感じない。しかし、仮面の意思は不意に前方から何かが走ってくるのを感じる。
「……良からぬ感じがします」
「どうするの姉さん?」
「セキトはここで待っていて。こちらから出て確かめましょう……シュヴァンレード、頼みます」
「承知」
一瞬でその身を銀色に包んだレドはシュヴァンレードが気配を感じた方へと駆け出していく。気配のする場所にたどり着くまでさほど時間はかからなかった。
一人の少年を連れた剣士がエスジータの兵士と思われる集団に包囲されている。木を背にして子供をかばうように前に出ているが、そのままではさしたる時間もかからず限界を迎えていたに違いない。
しかし、レドが駆けつけたことで状況は一変した。その姿を見た兵士たちは事態をどうするべきか判断に迷った末、相手が剣士側に歩み寄るのを見て放置するのが最善としたのか、慌てて来た道を逆戻りしていく。
後に残された剣士は構えを解くことなく「誰だ貴様?」と誰何し、変身を解いたレドが「あなたたちを脅かすつもりはありません」と答えてもなお警戒を解こうとしない。
「今の変化はどういうことだ? 我々を助けたのに他意はないと言うのか?」
「助けたいと思ったからお助けしたまでのことです」
「本当だろうな?」
執拗に疑いの視線を向け続ける剣士の態度に、彼の連れていた少年が「もういいよ。この人は敵じゃない」とたしなめて後ろから前へと歩み出た。
「しかし……」
「命令だよユーデ。剣を下げて」
「……かしこまりました」
不服そうな顔をしながらもユーデと呼ばれた男は剣を収め後ろに控え、レドも合わせるように地に伏せて畏まる。
「ありがとう。あなたのおかげで私たちは命を拾うことが出来ました」
「当然のことをしたまででございます」
「顔を上げて。私もあなたを脅かしたりしない」
少年は穏やかに笑いかけ。それを見たレドは誠意の証として自ら顔の覆いを取り素顔をさらした。後ろに控えているユーデは露骨に恐怖を露わにするが、少年はそれには触れず彼女の目だけを見据え「綺麗な目だね」と褒める。イヴネム侯ですら初見では顔をしかめた姿を直視しながら、怯えも見せず良い点のみ見つめようとする姿勢にレドは相手の素性を確信した。
「お褒めの言葉を頂きありがたく存じます」
「そんなに畏まらないで。私はアルジェナイト・リデル・エスジータ。エスジータ侯アークト・リデル・エスジータの息子です……あなたの名をお聞かせください」
「……レドにございます」
いい名前だね、と頷いたアルジェナイトは釈然としない表情で控えていたユーデに対して「しばらくこの人と一緒に居よう」と提案する。主君の判断にユーデは今度こそ血相を変えて「それだけはなりません!」と大きな声で諫言した。
「理由を聞きたいな」
「その女は危険です。変化もそうですがあの顔をご覧になられたでしょう。ひどく穢れております。あのような者を近付けてはアルェナイト様も……」
「……ユーデ」
臣下の物言いにエスジータ侯の息子は不機嫌そうに顔を歪め、頭を軽くはたいた。
「それが命を救ってくれた者に対する態度なのか。臣下にそのような薄情者がいては、それこそ父の名が穢れると思わないのか」
「……出過ぎた真似をいたしました」
不満げな表情は変わらないものの、ようやく矛を収めたユーデにアルジェナイトは鷹揚に頷き、真摯な表情でレドに願いを伝える。
「今は少しでも多くの方の助けが欲しい。どうか私と共に来てくれないか?」
「微力でありますが、それでもお役に立てるのなら」
「承知とみて良いな? 事情は後ほど話そう」
「謹んでお受けさせていただきます」
レドは目の前の少年にそう答えると「連れのものを待たせておりますので」と断った上で再び銀化しセキトの元へと走りだした。
数時間後、エスジータの城では捕縛隊からの報告を受け取った少将ガント・ラジェスタが領主にして大将たるエスジータ侯アークトに任務の経過を報告している。
「悪魔が現れたと申すか」
「はっ」
「……して、兵たちは何故退いたのだ?」
表情を変えずに問い詰めるアークトの視線を、ラジェスタもまた微動だにせず受け止めた。
「悪魔が標的を喰らうだろう、と兵士たちが判断いたしました」
「あれが死ねば良いと誰が命じた? ……私は連れ戻せと命じたはずだ」
「……部下には私から処罰を与えました。あとは私自身の責を果たしたく存じます」
アークトは黙ったまま動かない。しばらくして茫洋としながら視線を外し、直立したままの少将に淡々と告げる。
「……このような些事でお前を失うのは私も惜しい……その剣は当分の間、私が預かる……良いな?」
「承りましてございます……」
ラジェスタは内心で歯ぎしりをしていた。ただでさえ城内が機能不全に陥っているというのに、のうのうと謹慎している訳にはいかないのだが、下手な諫言をして処刑されるのも避けなければならない。既に能力ある官吏が何人も理不尽な理由で処断されている。
少将は腰に帯びている剣を主君に預け、毅然として謁見の間を退出していった。それを見送ったアークトは兵士たちを下がらせて一人思考を巡らせる。
「ラジェスタ……流石に忍耐強いな。まだまだ働いてもらわねばならぬ」
能面のごとき無表情を崩さない暴君はかすかに天を仰いだ。
「アルジェは悪魔と出会ったか。相応の対応をして……助けなければ……」
口をつぐみ、いつものように相手が現れるのを待つが結局その日は最後まで現れず、彼も残念がることなく誰もいない玉座を退き一人で寝所へ向かう。
一人で待たせていたセキトを連れて現場に戻ったレドは、アルジェナイトたちに合流するなりエスジータ城から距離を置くことを提案し、完全に街道を外れた野原で休憩を取った。
「……父からわずかですが話は聞いていました。銀に身を包む恐ろしい悪魔がいると」
「はい……少なくともドゥーリッドの件については私にも責任がございます……」
落ち着いたところでお互いを紹介する流れになり、アルジェナイトに改めて自己紹介を促されたレドは隠さずに自身の素性を話している。既に銀の姿をさらしている上、相手が侯の息子であるのならば下手な嘘をついても意味はない。
「全くいい迷惑です。ドゥーリッドは騒ぎばかり起こして……解体は当然でありましょう」
「……」
嫌味たっぷりに文句を言うユーデに何も言えずレドは黙り込む。ナヴィードとの婚姻から始まり今回の件に至るまで他の諸侯や領民たちに迷惑のかけ通しであるから、そう考える方が自然であった。仮面の意思も言葉を侮辱と捉えながらも、それが真っ当な批判であることは認めざるを得ない。
そばで話を聞いていた少年二人はレドをかばうように剣士をにらみつける。
「こっちの事情も知らないくせに……!」
「……ユーデ、あまり私に恥をかかせないでくれないか」
「……僭越でございますがアルジェナイト様、事の起こりを定めて責を問うのは当然の理ではありませんか!」
遂に我慢出来なくなり金切り声を上げる従者に対し、主たる少年は完全に醒めた目で彼を見た。
「では、どうすれば良いのか?」
「この者たちを連れて城に戻るのです。世間を騒がす銀の悪魔と仲間を引っ捕らえて戻ったのなら、アークト様もあるいは気を取り戻す可能性も……」
「ならば、お前一人でやってみせよ」
「……は?」
冷たく言い捨てるアルジェナイトの言葉に、ユーデは更に何か言おうとしていた口を止めて困惑を示す。
「私は悪魔に囚われているのだろう? 早く助けてくれないか……ああ、彼を人質に取るのは止めるように。正攻法でレドに勝ってみせてくれ」
「な、何を申されて……」
「レド様、ユーデに一手指南をお願いしたいのですが、頼めますか?」
「お言葉のままに」
レドは立ち上がるとシュヴァンレードに命じて銀化し、やや離れた場所に立った。剣士はますます困惑しレドと主の両方を見比べる。
「……あの、アルジェナイト様……?」
「私は今忙しい。話なら後にしてくれ……それにしても君はよく飲むな」
「仕方ないんだよ、これも呪いのせいだし……姉さん、早く片付けて水を汲みに行こうよ?」
少年たちは彼を完全に無視してくつろいでおり、進退きわまったユーデは苛立たしげに立ち上がると剣を抜いて銀の悪魔と向き合う。レドは静かに「相手をどう見ているの」と呟き、すぐに仮面の意思は見解を示した。
(人並み以上の腕を持っているように感じます。おそらく領内でも五本の指に入るほどの腕利きとして通っているでしょう)
「油断は禁物、ね……」
剣を構えるユーデを観察する。感情に任せて騒いでいた割に構えが気持ちのように揺れることもなく、目は真っ直ぐに敵を見据えていた。自らは動かず迎え撃つ構えである。
レドから体の動きを委任されたシュヴァンレードは迷うこともなく動きを決めるとゆっくり前へ歩き出す。特に何かを仕掛ける気も見せずただ前へ進むのみの動きに、見物している少年たちは首を傾げていた。
ユーデも何の策も無く近づいて来る銀の悪魔に眉をひそめたものの、それならそれでも良いと気持ちを切り替える。みすみす死にに来てくれるのなら好都合と、悪魔が最適な間合いに入るのを見て取ると裂帛の気合とともに剣を振り下ろす。
しかし、その刃は届かない。剣の軌道を読み切ったシュヴァンレードが銀化した体で最も硬くなっている肘で受け止め、そのまま剣を弾き飛ばしその体勢を崩すと、腕を振るい地に落とした。
それでもユーデは諦めず、もしものときにと腰に忍ばせておいた針剣で足を貫く。小さな呻きとともに手応えは感じたが表層を貫いただけに留まったことを悟り、再度貫こうとして主に止められた。
「そこまでだユーデ。武器を失ってなお闘志を失わないお前の忠誠、ありがたく思う」
「アルジェナイト様……」
「しかし、その闘志を向ける相手はレドではない。我らが城に巣食った敵だ、良いな?」
「……ここまでの勝手をお許しくださいませ」
気持ちが切れたように呆然とするユーデをアルジェナイトが労る傍らで、銀化を解いたレドに心配そうな顔をしたセキトが駆け寄ると水で傷口を清めた。
「大丈夫姉さん? 仮面さんも……」
「私は大丈夫だ……申し訳ありませんレド様。力に驕ったばかりにお体を守れず……」
「気にしないで二人共。丁度いい訓練になったと思いましょう……混乱の裏に到達するまで戦いは避けられないようだから」
レドはそう言ってアルジェナイトの方を向き、彼もまたレドの方を見つめる。
「お恥ずかしいところをお見せしました……改めて貴女様のお力をお借りしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「喜んでお引き受けいたします」
レドは傷の手当を終えるとユーデにその場を任せ、自身は付近へ水を探しに出かけた。
読んだ感想、誤字報告、いいねや評価、ブックマークはお気軽にどうぞ。とても励みになります。




