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第十話 芽生(めばえ)

 昼までに必要なことを終えられたレドたちは、午後は何もせずのんびり過ごすことになる。女性たちがドゥーリッドについて話していると、興味を持ったのかセキトが話に加わってきた。


「ドゥーリッドの生まれなの?」

「違うわ。もっとずっと南」

「ケイニア候領でしたわね? 同盟の最南端」


 その言葉に少年は興味を深め、積極的に質問していく。


「どんなところ?」

「暖かいところよ。ここの夏の暑さがケイニアでは春先の暖かさかしら」

「うそ?」

「本当よ。だからドゥーリッドに入ってからしばらくは、冬の寒さが厳しく思えたものよ」


 今となってはそんなことすら懐かしい。ナヴィードもケイニアの北側で隣接しているエグザトスの出身であったから、揃って体調を崩すことも多かった。


「初めて会ったときは布一枚だったのに」

「やめなさいセキト。レド様にも事情がおありなの」

「お気になさらず。確かに恥ずかしい格好でしたから」


 あまりに率直な意見を受けレドは苦笑いを通り越し大笑いしてしまう。子供は言葉を飾らない。セノも一応の注意だけに留めていた。


「他に聞きたいことはある?」

「こことケイニアってどれくらい離れているの?」

「そうね、寄り道をせずに歩いていてもふた月はかかるかしら? 馬を用いれば少し早くなると思うけど……」


 レドは少し考え込みながら語る。イヴネムはドゥーリッドの西隣だが登山道もろくにない険しい山脈に隔てられて行き来もままならず、遠回りなのが分かっていてもランブルックを経由するしかない。同盟各地は険しい自然環境により遮られている場所が非常に多く、地図上では隣接していても迂回を迫られることは珍しくなかった。


「まっすぐには行けないんだね」

「そうよ。イヴネムの南にあるエスジータから、更に南東のエグザトスを経由しなければならないわ」

「どこかに近道があればいいのに」

「どうして?」

「それなら……旅に行っても、いつでも帰ってこれるから」


 セキトは居辛くなったのか寂しげにその場を離れていく。残された二人は何食わぬ顔で雑談に戻っていき、声を出さずに指示を伝えられた仮面は次に必要とされることについて思案を始めた。

 夕食の後レドは少し早めに眠りにつき、セノも目を閉じて意識を休ませに入る。何となく意識が冴えたままのセキトが部屋へ行こうとしたところを、シュヴァンレードが控えめに呼び止めた。


「……セキト、少しだけ時間をもらえるか?」

「仮面さん?」


 近くに寄ろうとすると仮面に「あまり近くでは主君が起きてしまう」と注意され、少年はその場にとどまる。


「話ってなに?」

「私が元々剣であったことは既に話した通りだが、もう一歩詳しいことも話しておきたくてな」

「昼間じゃ駄目なの?」

「男同士が話をするのに、女性がいては都合の悪いこともある」


 仮面の声は笑って答えた。


「今まではどんな剣だったの?」

「最初はありふれた兵士の剣だった。何もわからず振るわれてばかりでな。敵を倒したい、折れたくないと懸命だった。最後には戦いに敗れて終わったが」

「死んじゃったってこと?」

「さてな。その辺りのことは曖昧なままだ」


 ただの剣でしかない自分が何故人のような意思を持ち、形を失ってもすぐに別の形となって現れるのか今もって理解できず、次第に自分の存在を疑問視するようになっていった、という話を聞きセキトは考える目つきになる。


「大変そう、持ち主が次々と代わって寂しくない?」

「ああ。何度も出会いと別れを繰り返した。剣であるからには、主人と死に別れになるのも仕方ない」

「辛くない?」

「辛いさ。特に仮面となる前の主人は勇敢で優しいお方だったのでな。今でも尊敬している」


 とは言うものの、彼が語ったような人物がいたという記録はどこにも残されておらず、レドは勿論これまでに出会った人間も誰一人として知る由も無い有様であった。あの業歪をのぞいて。


「だが、私は前に進み続けるつもりだ。呪いの結果として最後は消えてしまうのかも知れないが、だからこそレド様やお前と出会うことも出来た」

「……僕はどうしたらいいのかな?」

「何がだ?」

「お母さんと離れたくない」


 それを聞いたシュヴァンレードは少し間を取ってから厳粛な声で自身の考えを告げる。


「為したいことがあるのなら、まずはそれを口にできるようになれ。誰もお前を責めたりはしない」


 時間を取らせたことを詫びた仮面はそのまま沈黙し、まだまだ話し足りないらしいセキトはしばらく逡巡していたが、やがて諦めたのか固い表情で部屋へ向かっていった。その後になりうっすら目を開けたセノは「頑張りなさい、セキト」と静かに願いを漏らしている。



 翌朝になり、一昨日草を敷いた箇所に獣の痕跡が残っていないか確認すると、いくつか足跡が残っていた。


「じゃあ、罠を置きましょう」

「どっちに置くの? それとも両方?」

「あなたはどう思うの? どう置きたいのかしら?」


 質問を質問で返されたセキトは「僕には分からないから」と口ごもりながら話し、レドも素直に「少し意地悪だったわね」と謝った上で両方に設置するべきだという自身の考えを伝える。


「無駄にならない?」

「なるかもしれないし、ならないかもしれないけど、それで獲物を取り逃すくらいなら両方に仕掛けるのが一番よ」

「仮面さんはどう思う?」

「どちらか片方だけに仕掛けるのも手ではある。そういう仕掛けがいつか功を奏することもあるだろう。しかし最善であるかを問われれば、そうは思わんな」


 二人の意見を聞いたセキトは「じゃあそれでいい」と応じ、次に「どんな罠にするの?」と問われたレドは特に隠すこともなく「落とし穴が一番良いわね」と答えた。


「道具があれば色々出来るけれど、落とし穴はそんなに道具は使わないし労力さえ費やせばいつでも作れて、それに見合った効果も出しやすいわ。私に教えてくれたお爺様もやはり多用されていたの」

「跡が残ると思うんだけど」

「無論、掘った後をそのままにはしないが完全に隠す必要も無い。そこにしゃがんでみろ」


 言われるままにしゃがみ込み前を見た少年は言わんとすることを理解する。そこは背の高い草に阻まれて直後の足元が定めにくい。人間の視点では上から覗き込めば事足りるが、背の低い獣が走りながらそれを確認するのは難しく思えた。


「これだと簡単に落っこちちゃうね」

「一昨日あなたがここを選んでくれてほっとしてたのよ。一番良い場所を選んでくれた、って」

「その見立てを忘れるな。人が人を陥れるのも結局は同じことだ。相手には分からない暗がりへ罠を仕掛けて誘いこめば良い。戦いの場でも生活の場でもしっかり見て、耳を澄ませて聞くことが身を守って生きることにつながる」

「仕掛けを覚えて役に立てろってこと?」


 それを聞いてレドはにっこりと微笑み「私が穴を掘るから、セキトは土を払ってくれるかしら」と伝えて自身はセノから拝借してきた鍬で手早く穴を掘る。罠の準備を終えたあと、セキトは少々あぶなっかしい動きながらも活気のある姿で柴を刈っていき、その様子をレドは微笑みながら見守っていた。

 次第にセキトはレドたちへ質問を投げかけることが多くなっていく。二人が問いかけにすぐ答えてくれるとは限らなかったが、教えられたことを手がかりに自ら考えることを覚えていった。


 レドが訪れてから三週間が過ぎた日の夕方、その日の作業を終えて帰宅しようとするレドにセキトが「ちょっと待って」と呼び止める。


「どうしたの?」

「レドに聞きたいことがあるんだ」


 初日からずっと仮面の名で呼んでいた彼から、初めて今の名前で呼ばれたレドは優しく微笑みながら彼のことを見た。


「なに?」

「旅をしてるんだよね? ずっとここに居て良いの?」

「そうね、そろそろここを出ようとは考えているけれど」

「……呪いの原因を探しに行くの?」


 その問いにレドが頷くと少年はいったんうつむいたものの、すぐに真っ直ぐ前を向き「僕も一緒に連れて行って」と頼む。それを聞いた彼女は不思議なことを聞いたかのように首を傾げた。


「お母さんはどうするの?」

「……ここに居ても僕には何も治せないから……」

「少し寂しい思いをさせても、治す方法を探したいのね?」


 迷うことなく頷くのを見て、今度はシュヴァンレードが突き放すような口調で意志を確かめる。


「だが、我々が必ずしも呪いの根源に辿り着くとは限らん。辿り着いたとして呪いが解ける保証もない。それでも同行したいのか?」

「何も出来ないよりましだよ」

「もう一つ……我々は同盟の諸侯から追われている身だ。付いて行くだけであっても同罪と扱われるし、迂闊に他人へ近づくことも難しくなるぞ」

「僕だってまともじゃない!」


 しつこいと言うように声を張り上げた。既に覚悟は決めている。母の呪いを解くため、自分の呪いを解くため、そしてこれからを生きるために旅に出たい。

 セキトの決意を受け止めたシュヴァンレードは「ならばもう何も言うまい」と口を閉ざし、レドは厳粛な表情で最後の条件を少年へ告げた。


「あなたが一緒に行きたいというのなら私は歓迎します。ですが、まずはそのことを一人できちんとお母様に伝えなさい。出来ないのなら残念ですがあなたは置いていきます。良いかしら?」

「……はい!」


 続けて「時間が必要ならばあと少し待つけれど」と提案したものの、セキトは「すぐに終わるから」と断り、一人だけで家に戻っていった。

 家に帰ると、セノが帰ってきた息子へ「おかえりなさい」と声をかける。


「レド様はどうしたの?」

「待ってるよ。僕のこと」

「まだやり残したことでもあるの?」

「もう何もない」

「そう……」


 母親は小さく息を吐き視線を息子に向けた。また少し背が伸びた我が子はそれに負けないくらいたくましくなろうとしている。今度こそ時が訪れていた。

 色々と浮かぶ心配事を全て抑えて、セノはセキトに優しく告げる。


「いってらっしゃいセキト。でも、あまり遅くなっては駄目よ」

「……ごめんなさい、おかあさん……!」


 我慢しきれず、泣きながらセキトは母に抱きつき謝罪した。いくら泣いても涙は止まらない。

 その日、レドが家に戻ることはなく母子は別れを惜しみながら二人きりの夜を過ごす。


 翌朝、セキトが旅支度を整えている途中にレドが姿を見せた。ちゃんと言えたと報告する彼を「よく出来たわね」と褒め、続けてセノに視線を向ける。


「セキトは私が確かにお預かりいたします。貴女に良い知らせを届けられるよう、力を尽くすつもりです」

「このシュヴァンレード、あなた様のご恩は朽ちるまで忘れませぬ。全力でご子息をお助けいたします」

「ありがとうございます。私の方こそ感謝いたします。どうかセキトを広い世界へお導きくださいませ」


 その言葉に主従はほぼ同時に「はい」と答え、セキトに視線を戻した。


「旅支度は万全かしら? でもね、あと一つだけお母さんのためにしてあげたいことがあるの」

「なに?」

「……お前も手伝ってくれていたあれだ。いない間に徹夜で仕上げた」


 あ、という顔を見せる少年にレドは穏やかに微笑むと、銀化をして椅子ごとセノを運んでいく。

 川のそばに人ひとりが入れるくらいの小さな小屋が出来ていた。足元は川から水が流れていくように調整されている。


「これは?」

「最初はセキトの遊び場にでも使っていただければ、と考えていました。ですが、彼が旅に同行するのに貴女が世話を受けられず、ただ死にゆくだけでは意味がありません。少しでもあなたの命を保つため、こういう形に作りを変えました」


 雨露をしのげる最低限度の屋根と三方に囲いが付いただけの粗末な作りで、普通の人間が暮らせるような代物ではないのは明らかだった。それでもまともに動けず、生きるために水が必要なことを考えたときこの形にするより他に選択肢が思いつかなかった、とレドは釈明する。

 浅慮を許してほしいと頭を下げた彼女に対し、セノは明るい声で「実は家の中ばかりで息がつまり気味だったのですよ」と本音を打ち明けた。


「こうして外の空気を吸い、小鳥たちのさえずりに耳を傾け、何より朝日が昇るのを見られるとても良い環境です。私はずっとこれを求めていたのかも知れません」

「母さん、あんまり本当の木みたいなことを言わないでよ。心配になるじゃないか」

「大丈夫よ。あなたが帰ってくるまで私も負けない。ここで帰りを待っているわ」


 心配そうに顔を覗き込んでくるセキトに母親は言葉で頬を撫で励ます。その後、万一唐突に呪いが解けたときに備えいくつか身の回り品を小屋に持ち出したレドは改めて旅支度を始めた。


「……まだまだ私も心構えが甘いわね」

「そうでしょうか?」

「セノのような境地に私も到れると良いのだけど」


 同化が進み硬くなる一方の髪を整えながら自嘲する主君に、仮面は少し戸惑ったような声を出す。


「そうでしょうか? 私には問題を感じられません」

「私はセノほど柔らかになれてないし、デスクスのようなあっさりさも身についていないもの」

「……レド様はレド様のままが一番です。いたずらに悩まれませぬよう」


 苦笑して止めていた手を再び動かし始めるが、そう言えば彼は同化の進行をどう捉えているのだろう。レドが問いかけようと口を開く前に、何故かシュヴァンレードがそれを知っていたかのように先んじて語りだした。


「……不思議なものです。日が過ぎるごとにそれまでの自分に無かったものが生まれ形になっていくのですから」

「……え? まだ何も言ってないのに……」

「声を出せるようになった頃から、少しずつ心の境目を感じなくなってきていました」


 それが自然になればなるほど彼の意識はある不安が渦巻きはじめる。


「……私は本当に剣の意志なのか、それとも実は違う何かなのか、と」

「あなた……!」


 はっとなり左手を耳元に伸ばした。その手の感触に感情の高まりが少し和らぎ、同時に戸惑いも覚える。顔だけではなく心もひとつになりつつあるのがようやく自覚できた。


「やはり、私はレド様の中に引き寄せられているようですね」

「何故早く言ってくれなかったの?」

「言えませんでした……」


 恐ろしい。そんな感情が彼から流れてくるのにレドも身を震わせる。経験したことのない変化ばかりが立て続けに起こり、純粋な性格の彼が不安を募らせるのも無理はない。

 レドは半ばまで融合した頬の辺りを優しく撫でた。


「あなたは私より多く変化の途中にあるのね。今までは守られるばかりだったけど、これからは私もあなたを守らないと」

「は……?」

「同化に関係なく、あなたが私の一番大切な仲間なのは間違いないもの」


 お互いを守り支える、主従ではなく対等の仲間だというレドの思いに彼も共鳴を示す。迷いはあったが彼女が大切な人なのは自分も変わらない。


「レド様からの信頼こそ一番心強い支えです」

「ええ、私も頼りにしているわ」


 身も心も支度を終えたレドは改めてセノに別れを告げ、セキトと共にイヴネム侯の城を目指して旅立った。


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