第1章 第8話
アナセマ達がいるのは、他種族の子供達が囚われているというルーンエルド公爵領だ。
例によって始隊長、ソラの幻創によって移動させてもらっている。
これだけ見ても、何をイメージした幻創なのかすらわからないという事に異常性を感じる。
しかし今は都合の良い移動手段として使わせてもらう。どうせ任務を断ることなどできないのだから。
元『暗昏』達と同じように、真夜中に目標の建物に侵入する。
ここは、ルーンエルド公爵の別邸。
ディアナ辺境伯の屋敷に比べるとはるかに小さいが、十分に立派な屋敷だ。
本邸があるのにこれだけの屋敷を構えることに対して理解が及ばないアナセマだったが、一つだけ分かることがある。
「いるのは地下か。別邸内に不自然な魔力の動きはないぞ」
「ええ、地上一階より上には確実にいませんね。隊長の幻創で逃げ道を無くす事などは出来ますか?」
マリーと違って汎用性に乏しい彼の能力には、辺り一帯凍らせるくらいしか術がないが、それでも良いと言うのでそうすることにした。
「地下に被害が及ばないのであれば、最低限の被害で済みますし」
「おいおい、ただの使用人達まで殺す気はないぞ。地上階に魔力の多いやつはいないし、戦闘できないくらいまで体温を奪うだけだ」
当然必要とあらば無罪の人間でも殺すのが傭兵だが、明らかに手間を省くためだけに人を殺すというのには彼は反対だ。
その意見に反対するでもなく、隊長の意思に従いますと言うエリフェンも少し嬉しそうだ。
______最近、こいつの考える事が分かるようになってきた気がする。ただクソが付くほど真面目で、感情が表情に出にくいだけの常識人だ。
そんな女性が、自分よりも圧倒的に卓越した魔力操作を魅せたのだからこの傭兵隊の恐ろしさが身に染みる。
「......まあいい。離れてろ、お前まで冷えるぞ」
「了解」
エリフェンが離れた事を確認し、詠唱を開始する。
生ける者は、動く事叶わず。
されど死ぬことも許さない。
呪われた私は欲張りで、己以外の救済を望まない。
広がれ、広がれ。
「絶対的凍結出力一割バージョンってところか。殺さないで全体を凍らせるだけってのは難しいな」
氷が広がって行き、しっかりと建物全体を薄い氷が覆った。
中の魔力も動きが鈍いところを見ると、成功したとみていいだろう。
「......名付けも無いところを見ると、今の詠唱と発動はぶっつけ本番ですか?」
「当然だ。今まで人助けなんてしたことないから、こんなのは初めてだよ」
本来であれば、幻創......というより魔証を用いる一般的な魔法ですら、イメージを固めて練習を何度もした後に発動できる代物なのだ。
それを一発で発動させた上に、効果もイメージ通りに出来ている。エリフェンはその異常さを彼に説くも、彼は気にした様子はない。
「昔から出来る事なんだから、普通は出来ないって言われてもな。文字通り俺が呪われてるからかもな」
「呪い......詠唱にもよくその文言が入ってますが、一体......?」
問おうとしたが、アナセマはさっさと行くぞと屋敷に入っていった。
それを追わずに考えこむわけにもいかず、不服ながらも会話を打ち切って彼を追った。
「私が聞いていた彼についての情報は、随分と省略されているようですね。まあ、これから集めれば良いでしょう」
意外と立ち直りが早いので、問題はなさそうだったが。
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『調律師』がルーンエルド公爵領にて作戦を開始する、何日か前。
現皇帝と、その弟にあたるルーンエルド公爵が帝城内の一室で会談を行っていた。
「弟よ、次の販売ではどれだけ金が手に入りそうだ?戦争が長引くようならもう少し必要になるぞ」
でっぷりと肉が付いた腹を揺らし、やや狭そうに玉座に腰かけている現皇帝。
本来であれば敵国の間諜などを警戒して『販売』や『金』と言った具体的な言葉を発したりはしないものだが、彼らは既に勝ちを確信したような余裕の面持ちでいる。
それも当然と言えば当然だろう。唯一邪魔だった父、前皇帝は死に、元より集めていた汚い金を駆使して皇帝に上り詰めた。
既に邪魔する者はなく、敵国であるガルダ王国もあれだけの超精鋭傭兵団を見て、攻め入るのは不可能だと考えてもおかしくはない。
しかし、その頼みの綱である汚らしい傭兵共を繋ぎ止めておくためにも、戦争が終わるまでは金がいくらあっても足りないのだ。
しかし兄とは対照的にやせ細った姿の弟は、下卑た笑みを浮かべたまま言った。
「ええ兄上、問題ありません。魔薬の方は今までと変わらず順調に売れていますし、何と言っても今回は上玉のガキが多いのです」
ルーンエルド公爵のその言葉にほう、と声を上擦らせる皇帝。
「上玉、か......。前回が二人だったな。今回は何人だ?」
「聞いて驚かないでください、前回と同じクラスの上玉が三人、更に飛び切りのメスのガキが一人います。恐らくは良いところの出です」
その報告は、皇帝の醜く濁った嗜虐心をくすぐった。
「その最上級のメスは、余の部屋に持ってこい」
「で、ですが兄上。こいつを売ればとんでもない額の金銭が......」
弟の方は皇帝と違って、金以外の欲は薄い。
その金で好きなだけ女を買えば良いと提案するが、皇帝の一喝が部屋に響く。
「うるさい!余がそうしろと言ったのだからそうしろ!明日までだ!」
「は、はい。仰せのままに。皇帝陛下」
ルーンエルド公爵は部屋を後にした。残されたのは黒い欲望を下半身に宿した豚が、一匹。
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アナセマ達が強襲しているのは、ルーンエルド公爵の領土だ。
彼の地には、一組だけ用心しなくてはいけない相手がいる、と作戦を話すエリフェンが言っていた。
それはルーンエルド公爵お抱えの用心棒で、つい最近まで傭兵だった二人。
背負わなくては運べないほど大きな本を携えるその異常さからは想像もできないほど、穏やかな雰囲気を纏う女性。
身体を動かすのは苦手そうな体格に、病的に白い肌。
さらには栗色のボブカットという、まさか傭兵とは思えないその姿を見たら絶対に関わるな、というのはルーンエルド公爵領では有名な話だ。
花の幻創使い、『華』のナナ。
そして、そんな病弱そうな彼女とは対称に長身でがっちりしており、飄々とした雰囲気の男性。
誰とでも上手くやれる魔法の技術もあり、爽やかなその笑顔と男性の割には長い焦茶色の髪がなびく姿は、密かに周りの女性人気を掻っ攫う。
しかし、ナナへの暴言や危険を察知すると、突如として狂ったように敵を切り裂く。
彼女に関わるなという噂は八割以上はこの男が原因、金属の翼の幻創使い、『鉄翼』のカイ。
傭兵『華と鉄翼』。幻創使いのカップルだ。
本来であれば、この有事に幻創使いにこんな別邸を守らせておくはずもない。
だが、彼らにとっては恐らく最も大切な金の生る木だ。
「ナナ、敵が来たよ」
「ええカイ、敵が来たわね」
別邸地下、大部屋に入ったところで『華と鉄翼』の二人が寄り添いあって座っている。
「あー、お前達が『華と鉄翼』でいいのか?」
戦意を削がれる雰囲気に飲まれそうになるが、これも仕事だ。グッと堪えて眠たげな二人に問うアナセマ。
「ああ、俺達が『華と鉄翼』だ。そういうお前は、その若さと魔力量から視るに『暗昏』の副隊長だな?」
ふざけた体勢だが、分析は迅速かつ的確だ。伊達に長く傭兵をやっていなかった、という事だろう。
「まあ今は違うが、その認識で良い。そこを通しちゃくれないか?」
「駄目だ。俺達はここを守れという命令を受けている」
______即答かよ。もう少し融通が利くタイプだと思ってたが。
実際、頭の固い傭兵などあまり存在しない。
型にはまった生き方をしたいなら、騎士にでもなんでもなれば良い。
敢えて傭兵に身を置きつつ、決まり事や命令に厳しいのは珍しいのだ。
______まあ、だから傭兵をやめたのかもしれんが。
「その奥にいるのは、拉致された他種族の子供達だ。俺達はその子達を解放に来た」
アナセマの言葉に、驚きの表情を見せるナナ。カイは動きを見せなかったが、知っていたのだろうか。
「ごめんなさい、若き傭兵さん。何にしても、私達はここを守らなくてはいけないの」
是非も無い、と言った雰囲気の彼女に、エリフェンは違和感を覚える。
「......隊長、少し気になることがあります。私は女性の方を相手しますので、もう片方を殺さないように捕えてください」
「無茶言うな」
流石のアナセマでも、同じ幻創を使う相手に手加減は無理か......と諦めようとするエリフェン。
しかし、彼にとって問題点はそこではなかった。
「お前に幻創使い相手に、そんな無茶させられねえ。さっさと終わらせるから死なないように耐えてろ」
彼女は、自分の心配をされていることに気付くのに少々の時間を要した。
まさか、こちらの心配をするほどのお人好しだと思わなかったからだ。
「こちらの心配はありませんので、確実に成功させてください。そんな大口叩いて、負けましたでは格好がつきませんからね」
「言ってろ」
二人はにやりと笑う。
あちらもこちらの戦意を察知したのか、立ち上がって魔証を手に取る。
ナナは大きな本、カイは何かの羽根が魔証のようだ。
「花の導。貴方の小さな花弁から漂う、甘い香りが私の鼻腔をくすぐるの。花言葉は保護」
「おお、雄大な空を我が物とせんとする空の王者よ。俺にその力を貸してくれ。鋼隼の翼」
ナナの詠唱で甘い香りが広がり、球状の半透明の障壁がそれぞれナナとカイを覆う。
それと同時に、カイの背中には全長二メートルほどの金属の翼が二枚現れる。
当然アナセマ達も何もしていなかったわけではなく、各々身にまとう白雪と未来視を発動している。
「うちの副隊長サマのご命令でな、分断させてもらう。凍てつけ」
お得意の幻創で辺り一帯を凍り付かせ、エリフェンとナナを分かつ壁を生み出す。
「抵抗しないのか?」
「ハハ、馬鹿言うなよ!屈指の幻創使いと行動してるのを見た感じ、あっちは幻創使いじゃないんだろ?なら、間違いなくお前がこっちに来る方がナナに危険がない」
______なるほど。こいつの守りたいのはあのナナって女か。
「副隊長が言うには、お前らは殺さない作戦らしいから安心しろ。ただ、幻創を使わない戦闘なら俺の何倍も強いぜ、あの女は」
「おぉ、それなら安心だな!じゃあやるか!」
カイは翼を振り下ろし、金属の羽根を矢のように飛ばした。
一つ一つがかなりの魔力を纏っており、なるほどこれは普通の人間にとって被弾イコール致命傷だと理解する。
アナセマは無詠唱の氷で羽根の威力を殺し、身にまとう白雪によって完全に無効化する。
「噂の氷魔法か。少しは楽しませてくれよ?」
「すまないが、こっちにはそんな暇ないんだ。副隊長を助けなきゃならん」
カイは軽く笑うと、大きく翼を広げて飛びあがる。
アナセマはそれと同時に辺りを自分の得意な環境に変えた。