第1章 第3話
ミュール帝国、目的のディアナ辺境伯領の高級レストランにて。
「なかなか美味いだろ?帝国の料理も」
普段の話し方はお淑やかだが、食べる量は一般的な人間とは一線を画している。
強大な魔法を使えば体力を消耗するため、食べる量が増えるのも仕方ないのだが、彼女のすました顔があの量の野菜を平らげるのを考えると、少し笑えてしまう。
「......まあそれは否定しませんが、何故毎回任務の前に食事を取るのですか?この前の作戦説明の時も食べてましたよね」
「これはな、『暗昏』流の成功を祈る儀式さ。任務が終わった後より始める前を重視し、英気を養うんだ。で、終わった後は『任務なんて、簡単でしたけど?』って顔をしてやるんだ」
『暗昏』の先代団長、マリーの父が日頃から心がけていたことだ。どうせテンションを上げるのなら、終わってからより任務直前にやる気に満ちていた方がいいだろう、と。
「なるほど。ではこれからは必要ありませんね」
「なっ!?なんでだよ、別に飯食べるくらい......」
「『調律師』に失敗などあり得ませんから。ほら、時間ですよ。行きましょう」
そう言うと、彼女は立ち上がって部屋を出て行った。
「ちょ、ちょっと待てよ!......全く。優秀になればなるほど癖が増すようにできてるのかね、この傭兵達は」
アナセマは呆然しつつも、こんなやり取りも悪くないと思っていた。
______平和じゃなきゃ出来ないことだ。次こんな馬鹿話をするのはいつになるんだろうな。
そんなアナセマの心配は中らずと雖も遠からずといった結果となるのだが、彼はまだそんな事を知る由もない。
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総勢30人。
それが、目前に陣取る『業火絢爛』のフルメンバーだ。
アナセマの知る団長もいるし、あれを壊滅させて領主に会えばひとまずは任務成功だ。
とはいえ、1人では30人も相手出来る筈がない。それを解決するための、幻創と作戦だ。
まず、アナセマとエリフェンのいるのはディアナ領側。つまり相手の背後だ。
「最初は最大火力でいく。詠唱が終わるまで任せるぞ」
「ええ。幸運を祈りますよ」
「フゥ______」
私は呪われた。全てを否定し、凍つ大地に唯一立つことが許された。
この氷は、私の許可なく融けることはなく、悠久の時を刻む巌となろう。
この瞬間、大きな魔力反応を感知した『業火絢爛』の大多数がこちらを振り向いたが、アナセマには関係がなかった。
任せると言ったら、任せるのだ。
「エレメンタル・シールド」
エリフェンは盾のブローチを掲げ、即座に魔法障壁を展開した。
多くの炎が二人を覆ったが、障壁を突破することはなかった。
「その障壁を何としても壊せ!死ぬことになるぞ!」
『業火絢爛』のリーダーは気付いたようだ。しかし、射程範囲に到達していない。
彼の全力が届けば、一度この障壁を破壊するくらいの事は出来ただろう。
しかし、そうはならなかった。それが、運命だったのだ。
呪われた私は命じる。眼前に広がる生きたモノ全てを、私達と同じ、呪われた骸としようぞ。
______絶対的凍結
ピキッ......。
聞こえたのは、そんな音だけだ。
音さえも、全てを凍らせた。息をしているのは、アナセマとエリフェンの2人を除くと、咄嗟に多少の防御が出来た数人のみだ。
まだ戦闘が出来るのは、リーダーの男とその側近達の計3人だけだろう。
「リーダーは顔見知りだ。残りの処理を任せてもいいか」
「構いません。ですが、情など見せないでくださいね」
そんなことしてたまるか。むしろ、その逆だと彼は思う。
最後くらい、全力で送ってやりたいのだ。
側近の2人もその意思を理解したのか、リーダー自ら命じたのかは分からないが、リーダーと距離を取っていく。
対照的に、アナセマは彼と距離を詰めていく。
「久々だな、フェン。息災か?」
「あー、そうなー。肌寒いのがー、少ーし。」
昔と変わらない、間延びした話し方をする中年の男性、フェン。
右目には眼帯を付けており、色の抜けた灰色の髪を短くまとめている。外套が少し凍っているが、無傷といって遜色ない。
「おれのー、団員を殺したー......何がーしたい?帝国にー雇われてるはずー?」
「あぁ、すまないな。王国から来た傭兵団が、随分変わっててな」
フェンは動かなくなった団員を眺めながら、こちらを警戒する。
「『調律師』の伝説って、知ってるよな?」
「......『暗昏』のガキ。お前、まさか」
一瞬目つきが変わり、初めに聞いたような低い声色が見える。
「あぁ。スカウトされたもんでな、玖番隊の隊長、終ノ玖って言うらしいぜ」
「少しはー、出来ると思ってたーけど。あのクソ爺はー、見る目だけー、一流だー」
これならスカウトしておけばよかった、とおどけて後悔を漏らすフェン。
「話し方がおかしな団長のいる所には入るつもりはないんだ。すまんな」
そんな事を言いつつ、アナセマは構える。
「あーららー、振られた」
フェンも魔証を掲げ、臨戦態勢だ。
先に動いたのはフェンだ。
即座にバックステップをし、アナセマに向かって小さな炎をいくつも生成する。
詠唱を破棄し、さらに高速で発生させた魔法。これは大したダメージにならないと踏み、薄い氷の壁を立てる。
「残念」
フェンが魔証を握りしめると、小さな炎から感じる魔力量が一気に跳ね上がった。
「ちぃっ......!」
アナセマも急いで距離を取るため、氷の壁を生成しながら後ろに思い切り跳ぶ。
小さな炎は、初めの薄い壁など無かったかのように融かし、飛翔するスピードを上げた。
次に生成した厚い壁に炎がぶつかると、炎は激しく燃え上がり、氷の壁を破壊した。
しかし、飛んできていた炎はそれで全て消滅したようだ。
「随分ぶっ飛んだ火力をしてるな?その袋の中に入った魔証、何だ?」
詠唱無しで咄嗟に発動したとはいえ、アナセマが使ったものが幻創なのは間違いない。
それに、相手も似たような状況だ。となれば、おかしいのは魔証。
「この袋が、魔証だと言ったら?」
「......なるほどな。炎龍の炎袋か」
「大正解」
たくさんの魔力を含有している魔物という生物の中でも、群を抜いて強力で希少な龍。
その龍の炎を司る部分そのもの。
異常ともいえる量の幻滓を集めることが出来るのは間違いないだろう。
「知ってるぞ。お前、魔証を使わずに幻創を使える代わりに、魔証を使う普通の魔法が使えないんだってな」
そう、それがアナセマの弱点だ。ある一定以上の使い手になると、氷をどうにかしつつ攻撃してくる。
そこに普通の魔法を浴びせられれば良いのだが、アナセマにはそれが出来ない。
『暗昏』にいた時であれば他の団員にその役目を任せることも出来たが、今は一対一。
「はァー、面倒くせぇな」
アナセマの語気が強くなる。
彼の幻創は、負の感情から生まれたもの。つまり、負の感情を強く感じる時の方が出力が上がるのだ。
「そこの雑魚共みてェに全身凍らせてやるよ。クソ炎野郎が」
靴底に鋭い氷を生やし、硬い氷を床に這わせる。
そして、その上をスケートのように滑って距離を詰める。
「吹き荒れろ。熱風」
生身で受ければ間違いなく全身が焼けていたであろう風を、素の魔力だけで防ぐ。
不可能な事ではないが、何せ消費魔力が膨大すぎる。アナセマでなければやらないだろう。
床の氷が溶けきる前に、大きく跳躍。
踵落としの要領でフェンに対して足を振り下ろす。
当然当たることはなく、軽く横に避けてこちらに大きな炎の玉を発射。
この距離なら、爆発すれば間違いなく二人共燃えカスだ。
しかし、そのままにしておくはずもなく、炎を氷の箱の中に閉じ込める。
スピードが変わらず、まっすぐ飛んでくるから出来る芸当だ。
数瞬後、氷の中で爆発が起きるが、アナセマの堅牢な氷の前には歯が立たない。
その間に少し距離を取ったフェンは、魔証を掲げて唱える。
「塵と化せ。竜の息吹」
フェンが改めて放った熱風は、先ほどのものと比ぶべくもなかった。
魔力を使った防御では歯が立たないことを悟り、周囲の気温を可能な限り冷やすことで対応。
しかし、最初の数瞬は魔力を使った防御を試みた為、少々髪と外套を燃やされた。
______詠唱は短いが、如何せん魔証本体の性能がいかれてやがる。......仕方無ぇか。
呪われた私の身体は、その氷に冷たさも、痛みも感じない。
何も感じぬ事こそが、私の受けた呪いなのだから。
竜の息吹を使った反動か、高速で詠唱するアナセマに追撃は入らなかった。
追撃しようとも、詠唱無しの魔法では彼の素の魔力に阻まれるのだが。
「身にまとう白雪」
少し焼け焦げた茶色の外套の上に、真っ白な雪が覆いかぶさっていく。
それは徐々に形を成し、全身装備となる。
袖の部分が大きく余ったローブに、大きくいかにもな魔女の帽子。
ローブの余った部分からは、大きな爪のような物が見え隠れしている。
顔の下半分は、マスクのような雪で覆われている。
「......随分とお洒落さんな幻創だな?」
「ほざいてろ」
アナセマは地面を蹴り、氷で舗装もしていないところに尖った靴を突き立てた。
すると、ブレードの部分が触れる寸前に、地面が凍っていく。これで、進む方向がバレる事もなく、前準備もいらない高速移動が可能となった。
「吹き荒れろ。熱風」
フェンは先ほどのように、地面の氷を溶かそうと熱風を放つ。
しかし、身にまとう白雪は防御面も優秀な幻創で、それこそ竜の息吹レベルでなければ、傷もつかない。
その上、地面の氷も身にまとう白雪の特別製で、溶けるのにかかる時間が大幅に伸びている。
先ほどの感覚で魔法を放っていたフェンにとっては、その差が命取りだ。
アナセマの高速移動についてこられず、背後を取った彼に右手の爪で左足の腱をさくりと切断される。
魔法使いとは思えないほどの機動力と、それを可能にする身体能力。
それが、『暗昏』を超精鋭と呼ばれる傭兵団にした彼の実力だった。
左足を完全にお釈迦にされ、まともに動くことが出来ないフェンに、アナセマは霧のような薄氷を浴びせかける。
それは鼻や口から少しずつ侵入していき、やがてフェンの動きは緩やかになっていった。
「これで喉はつぶした。無詠唱で集中も出来ない痛みの中、俺の防御を貫く魔法は使えないはずだ」
フェンはゆっくりと頷くと、両手を上げた。
降伏の意を示す彼に、アナセマは問う。
「このまま死ぬのと、二度と傭兵として働けないようにされるの、どっちがいい?」
その瞬間、フェンは魔証に魔力を込めだす。止めるべきかと身体が反応したが、すぐに意味を理解してそれをやめる。
「......ころ、せ。敵を焼け、ない我が身に、未来など、いらない」
喉に溜まった氷を魔法で少しだけ溶かし、そんな事を口にした。
______忘れてたよ。お前も、『業火絢爛』の一員だもんな。いかれてやがるんだ。
その生者に、凍つ救済を。
塵も残らず、霞となって消えてゆく。
せめて、安らかな眠りがあらん事を。
それが私、呪われた者の出来る唯一の弔いなのだから。
「氷華・葬送」
フェンの身体が少しずつ凍っていき、凍った端から粉のようになって消える。
出来るだけ痛みを伴わず、霧散するように命を刈り取る幻創。
アナセマが相手に対して、敬意を持っている場合に使うものだ。
「安らかに。親父さんと仲良くしてたあんたを、殺したくはなかったんだけどな」
『暗昏』前団長と、フェンは旧知の仲だった。
だから、彼に第二の選択肢を与えたのだ。
「情は見せないなんて言ってみても、やっぱり俺も人間なんだな」
傭兵として育てられたアナセマは、普通の子供が送るような生活は送ってこなかった。
敵との戦闘に、感情を持ち出すなんてことも今まではなかったのだが。
「お疲れ様です」
「エリフェンか」
側近の二人を仕留めて戻ってきた彼女に思考を打ち切られ、領内へと歩みを進める。
当然、この騒ぎを聞きつけた兵士がいずれ到着するだろう。
「殺しちゃ、いけないんだったな?」
「ええ。メランコリーを催しているような暇はないですよ」
______お見通しか。意地悪な女だよ全く。
そんなアナセマの足取りは、先ほどよりほんの、ほんの少しだけ軽くなっていた。