~前編~
黒桜高校4時間目、終了40分前。
3-F組。
「あの、すいません先生」
具合が悪そうに、一人の青年が立ち上がった。
橘右近である。
「どうした橘」
男性教諭は聞いた。
「気分が、急に悪くなってしまって」
はかなげな困ったような笑顔が痛々しい。
「大丈夫か?お前顔色悪いぞ。早く保健室に行きなさい」
「はい・・・・・」
教諭や、クラスメイトたちの心配そうな視線に見送られ、右近は教室を出た。
橘右近は身体が弱い・・・・わけではない。
その繊細な容姿から皆が勝手にそう思っているだけである。
右近は千条院家、表千条右の座、橘家の跡取りであり、退治屋としても腕が立つ。当然のごとく身体は頑強に鍛えてある。頭も良い。
容姿端麗、総身優美、才色兼備という言葉は彼のためにあるとよく言われるし、自分でも思っている。
自分でも思っている・・・。
そう、彼は腹黒い。
その外見に反比例するがごとく、中身は腐っている。
とは幼なじみ、阿佐鞍左近の言葉である。
陰険、腹黒、大嘘吐き。
これらの言葉もまた彼のためにあるのである。
もちろん、自分でも思っている。
そして悪趣味な橘右近の趣味は、千条院家、表千条左の座、阿佐蔵家嫡男左近への嫌がらせである。
本来ならば協力的でなければならない彼らだが、仲は犬猿。
今日も右近は左近への嫌がらせに余念がない。
仕入れた情報から、左近の動きを推測し、こうして罠を張るべく参戦したのであった。
「キミはもう一週間以上もジャムパンさんを食していないよね、左近」
橘右近はにやりと腹黒い笑みを浮かべた。
「おとついはけっつまづいて無くしたしね。フフッ」
そのジャムパンさんは僕が食しておいたしね。
「昨日は男に追っかけられてたし」
始めはほんの数日左近からジャムパンさんを取り上げてやるつもりだった。
しかし、あれよあれよという間にいろんな幸運が重なって、休みも入れれば左近はもう10日以上もまともにジャムパンさんを食していないのだ。
何日続くか見てみたくなるのが人情だろう。
そして何日邪魔できるかやってみたくなるのが橘右近である。
大好物をそうそう我慢できるはずはない。
購買へは僕のクラスの方が近い。
このままでは一生喰えないと左近は考えるに違いない。
そうなれば、自ずと左近の次の行動は読める!
「キミの考えはすべてお見通しさ」
右近は保健室へ足を踏み入れた。
「先生、失礼します」
礼儀正しく入室する右近。
「あら、橘君。どうしたの?また具合悪い?」
保健室の里美先生が優しく迎えてくれた。
「はい。急に目の前にノイズがかかって・・・」
「貧血かもしれないわ。顔色も悪いし、横になってた方がいいわね」
「はい」
ふらふらとした歩調を装って、右近はベットに横になった。
顔色が悪いのは、この計画を思いついて興奮するあまり眠れなかったせいだろう。
(さて、まだ時間はたっぷりあるし・・・・)
寝て待つことにした。
(起きたら考えをまとめよう)
そして、右近は熟睡した。
授業をサボって得た睡眠は、実に心地良かった。
終業3分前。
時間を大幅にオーバーして目を醒ました右近は、いつになく焦っていた。
(寝過ごしたアアアアアア!!!このままでは左近がジャムパンさんを手に入れてしまうううううう!!!!)
慌てて起きる右近。
「せ、先生。大分気分が良くなったので、僕、教室に戻ります」
「大丈夫?気分が悪いようなら無理しないでまた来なさい」
「はい、失礼します」
保健室をいそいそと退室し、右近が購買付近にたどり着いた時、すでに左近の姿がそこにあった。
(まずい。どうするッ!!)
終業のチャイムが鳴るまであと1分。
鳴ってしまってからでは左近がジャムパンさんを手に入れる確率は100%だろう。
「くッ・・・」
悔しそうにほぞを噛む右近の前に、救いの神・・・ならぬ恐怖のゲンコツ親父コバヤシが現れた。
(やはり神は僕に味方したか!!!)
右近はふらふらとコバヤシ先生の前へまず出て行った。
「橘か?どうした?」
右近は聞こえないふりをして、左近の方へわざわざ進み、倒れ込んだ。
「おい、橘大丈夫か!?」
もちろん左近が逃げられないように、シャツを握りしめておくことを忘れない。
「あ!!てめェ右近!!離せ!!!」
左近は焦りと怒りの入り交じった声で叫び、手を振りほどこうともがいたが、右近は決して離さなかった。
「おい」
駆け寄ってきたコバヤシ先生が左近に気づく。
うつむきながら、右近は邪悪な笑みを浮かべた。
「あ、やべッ!」
「やべッじゃない!お前、授業はどうした!?」
コバヤシ先生の声を契機に右近は目を開け、今気がついたという風に、左近に問いかけた。
「あれ、左近。どうしたの?ジャムパンさん買いにきたの?」
「ち、違げーよ!!」
左近は否定したが、購買の真ん前ではバレバレである。
「あーさーくーら~」
「小林先生も・・・、どうしたんです?あれ?」
「おお、橘。大丈夫か?お前貧血じゃないのか?」
「今保健室を退出して、教室に戻るところだったんです」
糖分足りなかったのかな?弱々しくコバヤシ先生に答え、右近は笑顔を見せた。
終業を知らせるチャイムが鳴り始めた。
左近の目が落ち着きなく購買の扉へ向かう。
「ちゃんと食わなきゃだめだぞ。購買で何か買ってけ」
ぽんと右近の肩に手をやり、コバヤシ先生は右近に手を貸した。
「もう一度保健室行くか?」
「いえ、購買で甘いものでも買って食べたら大丈夫だと思います」
右近は嫌みも忘れない。
「右近テメエ謀りやがったな!!」
左近は大きく反応した。
ぽふり、と、左近の頭に熊のような大きなゴツイ手がのせられた。
「ヒっ」
「なんだ謀りって。お前は指導な」
もう昼休み抜きだから。コバヤシ先生の最後通告を受け衝撃を受ける左近の顔を見て、右近は瞳に愉悦の光を宿した。
一方、哀れ左近はコバヤシに引きずられるようにして、職員室に連行されていった。
「覚えてろよ~~~!!右近ーーーーーー!!!!」
彼の叫びが空しく廊下に響いて、消えた。
右近はにやりと口の端をつり上げて笑った。
(勝った。今日も)
近づいてくる生徒たちの足音が聞こえる。
右近は急いで購買の扉を開けた。
「すいませーん。ジャムパンさん全部下さい」
end.
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words.
橘右近
千条院家、表千条右の座(せんじょういんけ、おもてせんじょうみぎのざ)
阿左鞍左近
千条院家、表千条左の座(せんじょういんけ、おもてせんじょうひだりのざ)
里美先生
小林先生