16 終幕
果てた、銀色の鬼。
果たされた、約束。
草場の陰で、笑うは誰ぞ。
鬼の終焉。
人喰わぬ、鬼。
欲を失い、生きるは困難。
脆き心は、淘汰され行く。
青き炎は、何処へ。
***
「元気になって、良かった」
美桜は、隣の健に微笑む。
「それは、俺の台詞だって」
そう言って、健は美桜の頭を撫でた。
優しい風の吹く、午後。
銀朱が消えた日から、もう一週間が過ぎた。
あの日の事を、美桜は今もはっきり憶えている。
健は、何も憶えてはいないまま。
百姫楼から続く、悲しい思い出。
美桜は、全てを憶えたまま生きている。
忘れてしまうのは、あまりにも切ない。
「今度、どこか行こうか」
優しい風が、吹く土手。
二人は手を繋いで歩く。
「お墓参りに行きたいな。お父さんの」
あの日、銀朱がくれた小箱。
銀朱様が消えた後、箱を開くと小さな白い欠片。
かさかさと音を立てる、欠片。
きっと、銀朱と一緒にお母さんも……。
美桜はそう思って、少しだけ安心した。
成仏した、お母さん。
やっと、鬼から解放されたね。
残された、骨。
せめて、お父さんと一緒に。
お墓にいれてあげたいと思う。
だって、それが一番良いと思う。
「健?」
横を歩く、健の足が止まる。
「美桜?」
美桜は健の顔を見上げた。
「俺、どうしたんだろう……」
健は頬に手を当てた。
瞳をこぼれ行く、涙。
「桜を見ると、胸が苦しい」
美桜は指で、健の涙を拭った。
鬼に助けられた、健。
彼の中にも、優しい鬼の欠片が……残っているのかもしれない。
「私も桜を見ると、胸が苦しい」
散り行く桜。
美しい、あの人。
美桜は健の手を取った。
もう、二度と離れぬよう。
しっかりと、繋いだ。
悲しい想いを胸に秘めたまま。
決して、健の手を離さないと誓った。
叶わぬ恋を知って。
叶った二人の恋を大切に。
大事にしようと思う。
春は暖かくて、優しい。
けれど、悲しい。
桜の思い出。
***
闇夜に、灯りが灯る。
「ほんまに、ええんか」
黒紅が、問う。
「はい」
夕鶴は、微笑む。
「……好きものですから」
紅を引いた、艶のある唇。
夕鶴は、真っ赤な着物に結い上げた髪。
上階の遊女の顔をした、夕鶴。
「そうか」
黒紅はにやりと笑った。
「私、待つのは嫌いなのです。ここにいれば、誰か通ってくれるでしょう。それに……」
夕鶴の瞳が揺れる。
死んだと何度も聞かされた、あの人。
「銀朱、かぁ。死んでも、女の心を離さん、か。稀代の色男やな」
「いいえ。死んではおりませぬ。私は、ここでずっと待っております」
凛とした夕鶴。
心はもう、決まっていた。
「ほんまに行くんか」
「……黒紅様もいらして下さいね」
「そう、やな」
夕鶴は黒紅に一礼して、見世に入った。
黒紅の元で暮らす事より、遊女である事を選んだ夕鶴。
銀朱の死は、まだ認めぬまま。
潔いその後ろ姿を、黒紅はただ見つめた。
「仕方ない、女やなぁ」
踵を返し、歩き出す。
辺りは、もう闇。
灯す灯りには、背を向けて。
「退屈やなぁ……」
誰よりも強く、残酷な鬼。
失う物は多けれど、心も強きその鬼。
次は何を欲する。
鬼は欲望の赴くがまま。
姿は美しくとも、残酷。
去り行く、黒紅。
見世の中から、夕鶴が見守る。
「どうして此処には、馬鹿な女が集まるんだろうねぇ」
背中で、キセルを叩く音が聞こえる。
「私の部屋は、何処かしら。女将」
「松の間に決まってるだろ。これからもしっかり、励むんだよ」
しゃがれた声は、健在。
百姫楼、唯一の鬼。
やり手の、女将。
夕鶴は一歩一歩、しゃなりしゃなりと階段を上った。
闇夜に浮かぶ、灯りが一つ。
鬼も足を止める、妖しい遊郭。
漂う色香、艶めく女の紅。
通り過ぎては、男が廃る。
此処は百姫楼。
悲しくとも美しい、女の牢獄。
燃え尽きようとも、欲は尽きぬ。
失われる事の無い、牢獄。
今宵も、女の白い手が招く。
此処は百姫楼。
百花繚乱。
美しき、地獄。
幕は下りぬ。
ありがとうございました。
これで終わりです。
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後日、活動報告に解説のせますので気になる方はどうぞ。
質問も受け付けます。
美しい鬼の話。
どうでしたか?心に何か残る物があれば、嬉しいです。