14 願い
鬼は強くとも、脆い。
鋼の如き、強い体。
斬って斬られて、血を流す。
傷つく事には慣れた、鬼の肌。
舌で舐めれば、容易に塞がる。
奪い奪われ、また奪う。
欲すれば、奪うが良し。
人を喰らって、女を奪う。
それが、鬼。
心は欲の生まれる場所。
想い煩うなど、笑いの種。
人喰わぬ、銀色の鬼。
強さの糧は、女の裏切り。
糧を失い、女に焦がれる。
その体、切り裂けば脆き心。
焦がれた女が、鬼の泣き処。
***
空を、見ていた。
携帯には、健の着信と心配した友達からのメール。
美桜は音を切った携帯の画面から、健の無事を知った。
「本当に、良かった」
美桜は、空を見ていた。
神社の入り口の、唯一日が当たる場所で。
「願いが、叶って」
美桜は、もう泣いていなかった。
いつのも穏やかな顔で、暖かい日差しを体に受けていた。
傍には、ペットボトルのミルクティー。
これが最後になる、食事。
晴れた空も、これで見納め。
『百姫楼』
覚悟なら、もう出来ている。
願いが叶った今、私の体は銀朱様の物だ。
この先どうなるか、わかっている。
『此処ではない世界で、私と二人。お前は美しいまま、私に今以上の快楽を与えられる』
私は、物の怪になるのだ。
飲食を忘れ、鬼と交わる。
白く美しい、物の怪に。
「お母さん……」
私の為に地獄に連れて行かれた、お母さん。
その気持ち、今なら分かる気がします。
私の事、大切に想ってくれてたんだね。
恨んだりして、ごめんなさい。
「お父さん……」
そう呼べるようになった時、もうお父さんはいなかった。
写真の中のお父さんは、今の私がお父さんと呼ぶには若過ぎる。
どんな人だったのか、知りたい時にはお母さんもいなかった。
「おばあちゃん……」
おばあちゃんを残していくのが、一番の心配。
明日からは、あの家で一人になってしまうおばあちゃん。
それを思うと、辛い。
美桜は神社の入り口に腰掛け、膝を抱えた。
ひとくちだけ飲んだミルクティーが、小さく寄り添って見えた。
「健、怒るかなぁ……」
翳り行く日差しに、焼けた健の肌を思った。
健康的な日向の匂いのする、健。
健はひとりになっても……大丈夫。
ひとりで駄目なのは、いつも私。
「健、怒るだろうなぁ……」
俯いた美桜に、陽が急に翳った。
「……怒るに決まってるっ」
「……」
空耳、ではなかった。
顔を上げると、そこには……健。
陽を背にして立ち尽くす、健の姿。
怒ってるというその顔は、安堵したように見えた。
「美桜っ」
健の声は、久しぶり。
美桜は、嬉しくて微笑んだ。
これからどうなるかより、健の無事が何よりも嬉しかった。
「また、どこかへ消えてしまったかと……心配だった」
健は、美桜を抱きしめた。
背中に回した手で、美桜の体を撫でる。
入院していた健よりも、もっと痩せてしまった美桜。
痛々しいその姿に、健は胸を痛めた。
「帰ろう、美桜」
美桜は、健の肩に顔を埋めたまま何も言わなかった。
「もう、どこにも行かないで」
健の言葉が、美桜には辛い。
返事をしない美桜に、健の胸が騒ぐ。
「……健。憶えてる? 健はね、いつも私を助けてくれたの」
小さな声で、美桜が話す。
「健は憶えてないかもしれないけど……すっごく遠くまで私を探して……助けてくれたんだよ」
美桜は泣いていなかった。
淡々とした口調で、健に話した。
「それにいつも私を守ってくれた……」
「美桜?」
様子の違う美桜。
健は美桜の体を離し、目を見つめた。
穏やかに微笑む、美桜。
「ありがとう、健。私、ずっと……これからも大好きだから」
嬉しいはずの告白。
それなのに健の胸が騒ぐ。
「どうした? 美桜?」
健の背に、茜空。
落ち始めた陽が、赤みを帯びる。
「健。お願いがあるの」
美桜は健の体に身を預けた。
終わりは、近い。
温かい体に、少しでも触れていたかった。
健に願う、願いは一つ。
決して口には出さない、その願い。
『私の事を、忘れて』
去って行く私。
私は、健の事を忘れない。
健の事だけが、私の支え。
でも。
健は、忘れて。
残された者の辛さなら、私が一番知ってる。
健は優しいから、また私を探してしまう。
もう、戻れない私を。
そんなの辛すぎる。
だから。
『私の事だけ、忘れて』
真っ赤に染まる、空。
闇はもうすぐ。
最後の口付けは、浅く。
私の事を、早く忘れるように。
健。
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