9 犠牲
熱っぽい瞳を濡らす、雫。
合わせた唇からこぼれる、雫。
少女から滴る雫は甘く、芳しい。
鬼を虜にする、甘露。
腑抜けた、鬼。
したたかな、鬼。
亡き者ねだりて、何を得る。
所詮は、身代わり。
亡き者は、無い。
鬼は鬼。
欲望の赴くがまま、欲するがまま。
甘露に溺れて、耽るも良し。
心を砕くは、鬼にあらず。
***
「その願い、叶えてくれよう。お前と引き換えに」
闇夜に、鬼の力が漲る。
銀朱は薄紅を心の奥に仕舞い込むと、目の前の欲望に従った。
人の悲しみなど、鬼には関係無い。
それどころか人の不幸は、鬼の蜜。
「では、始めよう」
銀朱が手を広げると、青い炎が燃える。
ゆらゆら、ゆらゆら。
透き通る、青の美。
「きれい……」
美桜は銀朱の掌で燃える、青い炎に目を奪われた。
「私がお前に力を与えよう。お前はその力を、助けたい者に与えよ」
「それで、健は助かるの?」
美桜はどこかぼんやりとした顔で、青い炎を見つめた。
「それが、お前の願いなら。私はお前を欲しているのだよ。願いを叶えるくらい簡単な事」
ゆらゆら、ゆらゆら。
美桜の記憶を揺らすように、炎は揺れた。
「良い子だ」
銀朱は美桜の体に腕をまわし、片手でその体を抱き上げた。
美桜の体は、銀朱の腕の中で横たえられた。
「さぁ、受け取れ」
銀朱は横たわった美桜の顔に、被さるように口付けた。
舌で美桜の口を広げ、深く深く。
銀朱の口から、こぼれる青い光。
為すがままの美桜の口内へ、その光が落ちた。
「んっ」
喉が熱い。
美桜は、何が起こっているのかわからなかった。
力をくれる、そう言った銀朱の口から熱い何かが注ぎ込まれた。
「んんっ」
苦しい。
何か、大きな力が喉を通る。
熱くて、熱くて、体が疼く。
「それで良い。後はお前が与えてやれ」
銀朱は美桜の耳元に顔を寄せ、呟いた。
「明日、闇と共に迎えに来る。逃げても無駄だ。良いな、薄桃」
闇の終わりを告げるのは、この世界でも深い青色。
銀朱は美桜の体を下ろし、姿を消した。
風が、美桜の体を撫でる。
「ぎんしゅ……。銀朱様っ」
美桜の頭に、忘れていた忌まわしい記憶が過ぎる。
女の白い手、艶めく紅。
肌蹴た着物を弄る、鬼の手。
『鬼と交わるか、鬼に喰われるか』
全身の肌が粟立つ。
其処は『百姫楼』
攫われた女の牢獄。
鬼の遊郭。
「銀朱様っ」
明けかけた闇に向かって、美桜は何度もその名を呼んだ。
「私は、連れ戻されるのですか……」
美桜の肩が震える。
神に祈っていた自分が、鬼に願いを叶えてもらうなんて……。
「また、薄桃として」
うな垂れたまま、涙を流した。
また、健と引き離されてしまう。
けれど……。
「健っ」
銀朱は強い鬼だ。
それに、私に対する執着心も。
ならば。
美桜は人差し指で、唇に触れた。
『私がお前に力を与えよう。お前はその力を、助けたい者に与えよ』
口移しで与えられた、熱い力。
「健は助かるかもしれない」
待つは地獄。
それでも、美桜は希望を見出さずにはいられない。
この力は、本物。
健を助ける事ができる。
美桜は、静かに立ち上がった。
自分を犠牲にしてでも、助けたい。
その気持ちに変わりはなかった。
「鬼を想えど、待つは地獄……」
歩き始めた美桜に、桜の花が舞う。
廃れた神社。
したたかに見守る、鳥居。
美桜を待つ、地獄。
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では。