7 再来
願うなら、相当の対価を。
神には及ばぬ、鬼の力。
されど、侮れぬその力。
鬼の欲望、人の欲望。
行き着く先は、一本道。
欲を貫けば、鬼と同じ。
願うなら、相当の対価を。
人の願いくらい、鬼の力で足りる。
叶えたくば、願え。
相当の対価と引き換えに。
***
その神社の名を知る者は、もういない。
二匹の狛犬は汚れ、台座には緑色の苔が生していた。
お社は狛犬の間の階段を上った所にあり、背を鬱蒼とした森が覆っていた。
森。
大きく枝を広げた木々のせいで、お社から狛犬まで昼でも陰っている。
じめじめと湿度の高い空気が流れ、気味が悪い。
美桜は、今日もその階段を上っていた。
あの日以来、近づく事のなかった神社。
行方不明の私が発見された、森。
「ふぅ……」
息が切れる。
そう長くはない階段なのに、今の美桜にはきつい。
睡眠も、食事も。
眠り続ける健を見ていると、何も手につかない。
唯一、この神社に来て祈る事が日課だ。
「はぁ……」
この神社は、昼間でも暗い。
小鳥が羽ばたく小さな音でさえ、恐ろしく響く。
何故、この神社を選んだのか。
それは美桜にも自信がなかった。
ただ行方不明の後、この神社の裏の森で発見された。
それだけ。
この神社が助けてくれたのか、原因なのか。
わからない。
けれど、何かしらの力を持っているような気がする。
今の美桜は、縋れるものなら何でも良かった。
自分の代わりに、ベッドで眠り続ける健を助ける為なら何でも良い、と。
「はぁ」
階段を上りきると、大きく深呼吸した。
寂れた神社、小さなお社。
墨が滲んだのか、木の札に書かれた文字は読めない。
何を祭っているのかさえ、わからない。
「お願い、します」
美桜はお社の前に、座った。
頭を下げ、両手を合わせた。
春だというのに、指先が震える。
まともな食事は、しばらくしていない。
そのせいだろうか、指先を動かすとぴりぴりとした感触。
今の美桜は、無理やりに飲まされるミルクティーで命を繋いでいた。
「お願いします」
「どうか、健を。健を元通りにして下さい」
日に焼けた、元気な健。
風邪だって引かない、元気な健。
「私は、どうなっても……良いから」
合わせた手が、震える。
脳裏には、ベッドで眠る健。
初めて見た青白い顔が、もう目覚めないのではないかと美桜を不安にさせた。
「健を、助けて……」
涙を流しながら呟く声は、小さな悲鳴のように響いた。
美桜は、そのまま時間を忘れて祈った。
行方不明だった自分を健が見つけてくれたように、ここで祈れば何か見つかるかもしれない。
そんな、淡い期待だけを支えに。
祈り続ける美桜を、嘲笑うかのように森が騒ぐ。
静かだった森が、風に吹かれ大きく揺れた。
風は美桜の横をすり抜け、長い黒髪がなびいた。
「寒い」
学校帰りの美桜は、長袖の制服。
春には汗ばむその冬服も、何故かここでは足りない。
美桜は合わせた手を解き、腕をさすった。
「あっ」
大きな風が吹き、一瞬目を閉じた。
濡れたままの睫毛。
風は涙を拭うように、美桜の頬を撫でた。
ゆっくりと目を開くと、また、あの残像が見えた。
「さく……ら」
白過ぎる花びらが、舞う。
美桜は頭を抱えた。
「誰?」
美しく涙を流す横顔。
「誰なの?」
横顔しか思い出せなかった顔が、動く。
風に吹かれ、銀色の髪が揺れる。
「あなたは……」
風が吹く。
美桜の頬に冷たい感触。
風ではない、何か、確かな感触に触れられ顔を上げさせられた。
「はっ」
美桜は驚き、息を吸った。
誰もいなかった神社に、人影。
灰色の瞳が、美桜を捕らえて離さない。
「あっ」
声にならなかった。
目の前にはあの人、美しい銀色の髪。
「我が名は、銀朱。お前の願いなら、幾つでも」